福島の青い空(265)
今日の川柳
這えば立て立てば歩めの親心 古川柳
昔から言い古されてきたことば。川柳も永遠の命を持つものは多い。”孝行のしたい時分に親はなし”などは出色で人生をうがち、人の世を詠歎する心は永遠である。
つらい決断をさせた(1)
102歳で避難を強いられて、生きて自宅に戻れぬことを
さとった飯舘村の大久保文雄さんは、スーパーのレジ袋で
編んだ縄で首をつってみずから命を絶った。
謝罪に訪れた東電社員は、「つらいご決断をさせてしま
い、大変心苦しく、反省しています。」といって謝罪し
た。
7年が過ぎて初めて東電社員の生の声が聞けた。いやいや
ながら訪れて出てきた言葉ではない。また考えて出てきた
言葉でもあるまい。東電上層部の人たちはいざ知らず、東
電の人たちも親もあり子もいる人たちであろう。自分の親
の決断のことを考えれば自然と出てきた謝罪の言葉だろう
と思った。東電社員もバカばっかりではなかったというこ
とである。
生きて自宅には戻れまいと覚悟した気持ちは察するに余り
ある。
本日で当県の原発関連死は2227人である。避難先で
家族だけに看とられ、ひっそりとあの世に旅立つ。今まで
は多くの人たちを見送ってきたのに、自分ばかりはだれに
も知られず、たたただひっそりと、町の人たち、親戚知人
幼友達、みんなサヨウナラ。なんでこんなことになっちま
ったんだぁ〜。
白洞先生は浪江町から京都に避難しました。浜通りの高校
の校長先生を退職して、自宅の前に菜園を作り、渓流釣り
とウォーキングをする毎日であった。
時々地元の新聞に投稿していて、お名前を懐かしく拝見し
ていたが、その時の職業は「農業」と書いてあった。
以下先生のブログを紹介して避難者の先生がどんなことを
語っているのか参考のためにチェックした。
原発事故避難など本邦始まって以来である。誰も経験して
いない。あの混乱の中からどういうことを学び、避難生活
においてどのような人生観を持つにいたったのか、われわ
れはどういうことを学ばねばならないのか検討してみた
い。ひとのブログなど見ていても本音で語っている人など
皆無で、真綿でくるんだような言い方をして、人は決して
本音を書かない。結局嘘ばっかりで読んでいるとそういう
ことがよくわかります。単なるブログでも本音で書けばひ
との理解を得られ、共感を得ることができます。共感が得
られないブログなど何の意味もないんです。ただ、無駄な
行為です。それはそうでしょう。みんな嘘八百では誰も共
感しません。ブログは小説などのフィクションを書くとこ
ろではありません。真実のことを書き残すのであれば10
年後でも50年後でもいつかは誰かの目に触れます。私
は日本の中で3人くらいの人に向けていつも言葉を発信し
ています。
先生の言いたいことにケチをつける意図ではない。自分な
りに受け止めて、何らかの参考になればと願っている。
以下は先生のブログである。
古希を迎えた我が人生をふり返ってみると、面白いことに気付い
た。さまざまな失敗を繰り返して「人生の進化」を学び生涯を閉
じる段になってきたのだが、その学びが身に付いていないことが
あまりにも多いことに。
失敗を繰り返す中で身に付いたものは、まさに成功の母に進化し
た例だが、失敗の繰り返しだけをしたものは母になりきらなかっ
たばかりか、身を滅ぼす凶器にさえなりかねなないというおぞま
しいものだ。
子どもの頃から親から何度も注意されながら体中に作った数々の
傷跡はその一例。人間は死なない、少なくとも自分は死なないと
か、死にそうになったら親が何とかしてくれると考えたものだっ
た。この考えは妻がそばにいるようになってからも続いた。いざ
という時には妻が何とかしてくれると考えたのである。また、も
う立派な大人なのだから他人のように今の俺には何も起こらない
と考えたりもした。
情けない思考である。それがあの3.11で完全に覆された。想像を
絶する大災害は子ども、大人にかかわらず、ありとあらゆるもの
を襲い、破壊し尽くした。これまで積み重ねてきたものはすべて
灰塵に帰した。しかも、その積み上げてきたものを元に戻すため
の手助は誰からも得られない。確かに金銭的、物的援助はたくさ
んあったが、それはこれまで積み上げてきたものとは異質なもの
である。そこが大事なところで、そこのところを知ったうえで次
にステップを踏むためには、すべて自分で切り開き直すしかない
ことを悟らされた。
それがこの時が初めてとはある意味情けなくなる。自らを不勉強
だと評価するしかない。こんな情けない人間にした心中には何が
あったかを探ってみた。
そこに見えたのは『不安だが不幸は起こらないと高をくくる』と
いう一点だった。どうしてこんな考えが巣食ったのだろうか。じ
っくり考えてみると〝それまでの幸せ、危機意識の欠如〟が見え
てきた。あまりにも盲目、不勉強過ぎたのである。
私の場合は金銭的な欲はなかったからまだ救われるが、この背景
に金目があれば、さらに大きな不幸をもたらしたかもしれない。
というのは、今の社会を見てみると、地域振興という形で地方に
ばらまかれる金銭に群がるようにして砂上の楼閣のような幸せを
つかもうとあくせくしている。
典型に原発再稼働問題がある。再稼働賛成を唱える人の心の中に
は、自分たちの所にはもう二度と原発事故は起こらないという高
をくくった考え方が巣食っているように思えてならない。フクシ
マのような事故が再び起こらないという科学的裏付けは本当にあ
るのか。再びあのような事故が起きれば、全てが無に帰すという
ことが私がそうであったように理解できていないのではないか。
いまだ汚染水処理でうまい解決策がない現状や核汚染物質を封じ
込める方法が見つかっていない現状をどう考えているのか。誰が
考えても超高リスクを抱えてまでの原子力発電は必要性ないは
ず。だが、金目で動いている人にとつては、今あるもので安く上
げ多大の利益を得ようと考えるのは当たり前。しかし、それを受
け入れる側に『不安だが不幸は起こらないと高をくくる』考えが
あってはけしてならないと思う。しかも、現状を見ればわかるよ
うに、あの事故の影響で広い範囲の住民が被曝を経験したり、ハ
イリスクの処分を押し付けられたりする羽目になりつつある現状
がある。けして原発誘致先だけの問題ではないのである。
高をくくる危険性から逃れるチャンスが今到来する。衆院解散総
選挙である。ここでしか民主主義国家の国民は自己の意見を吸い
取ってもらえない。私は高をくくる生き方脱出しようと思う。
(2014.11.15-19:37記す)
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『さまざまな失敗を繰り返して「人生の進化」を学び生涯を閉
じる段になってきたのだが、その学びが身に付いていないことが
あまりにも多いこと。』
こういう反省はなかなかできません。早く言えば自分の
人生の多くのことは失敗だと認めているからです。
功なり名を遂げて、自分なりに社会に何らかの貢献を果
たすことができたというのが40年も教職にあった人の
述懐であるべきはずである。それをはなから否定してい
るのである。
原発避難 は人々の価値判断基準を根こそぎ奪い、いわば常
識が覆されるということである。常識が逆転して非常識に
なるってことは、先ほど自殺した財務省の役人の言葉を聞
くとよくわかります。
福島の場合であれば、その逆転の場所は白河市である。
原発が爆発した日以降、あの県境が常識が逆転する所にな
りました。いわゆる白河の関です。
人はどう考えているのかわかりませんが、私は福島県は核
の戦場だと思っています。
このことに違和感がある人は放射能の中での暮らしという
ことが理解できない人です。
戦場では人を殺しても犯罪にはなりません。これから福島
県では放射能に起因しておびただしい人が死ぬでしょう。
チェルノヴイリを見ていればわかります。わからない人た
ちは頭がヘンテコなんです。事実を事実として認めたがら
ないイデオロギ―の持ち主たちです。
福島には事実を認めず、
「いやほだごどねえ!」といってるおじさんおばさんがた
くさんいます。ものごとを自分の都合のいいように解釈し
て、迫りくる危険をいわば見ないようにしていることで
す。なったらなったでしょうがねえでは、無責任である。
人は死ぬまで生きる努力をしなければならない。
私は生きる努力をしています。具体的に言えば、天ぷらや
フライなどを避け、肉食をやめ、玄米ご飯を食って、食前
に大量の水を飲みます。うまいものは全部避けています。
うまいものは必ず体に悪いからです。世の人たちは、たば
こや酒をがぶがぶのみ、肉食をします。 牛乳を飲みチー
ズやバターを食って贅沢三昧をします。それがうまいから
です。
これは放射能の中で生きている人間としての話で、国や東
電また全国民の人たちがどう思っているかなどということ
は関係がありません。福島の事実だけで話しています。
なぜなら、福島から放射能がなくなるわけがないからで
す。全国から原発がなくなったって、福島の放射能がなく
ならない事実は、福島の人にしか理解できません。
そういう立場で話しているから違和感ができるわけです。
永遠に埋まらない溝です。
『想像を絶する大災害は子ども、大人にかかわらず、ありとあら
ゆるものを襲い、破壊し尽くした。これまで積み重ねてきたものは
すべて灰塵に帰した。』
さらに、
『その積み上げてきたものを元に戻すための手助けは誰からも得ら
れない。確かに金銭的、物的援助はたくさんあったが、それはこれ
まで積み上げてきたものとは異質なものである。そこが大事なとこ
ろで、そこのところを知ったうえで次にステップを踏むためには、
すべて自分で切り開き直すしかないことを悟らされた。』
といっている。
人生はカネやモノではなく、人とのつながり、人生で積み
重ねてきたこと、そのこと一切がゼロになったということ
です。原発避難ということはそういうことです。
先生の自宅は目下更地になっています。懐かしい自宅、親
と暮らし、子供たちと楽しく暮らした家は今はありませ
ん。
家族はバラバラ、親戚知人は遠く離れて、会うすべもな
い。京都には頼る人もいないし、まったくの孤独である。
切り開き、生活を再構築しようにも手がかりもない。
ただただ漂流しているようのなものである。
古希を迎えて人生のやり直しはたしかにつらいものがあ
る。考えればへこたれそうになる。
もう一度人生を切り開くってどういうことだかわかります
か。
『それがこの時が初めてとはある意味情けなくなる。自らを不勉
強だと評価するしかない。こんな情けない人間にした心中には何が
あったかを探ってみた』
こういう状況になることは、つい油断していて考えてこな
かったということを正直に告白しています。
今までは自分の努力や家族の協力、知人や親戚のおかげで
なんとかしのいでこれたが、真実は全く違っていて、自分
たちの努力や人々の協力だけではどうしようもない状況が
あるということをいままで油断していて勉強してこなかっ
たといっています。
普通の人の人生ではそういうことは学びませんよ。普通に
仕事をしていて、人々から頼られ、社会的にも相応の評価
を得て、自他ともある程度満足してきた。贅沢をいってた
らきりがない。「足るを知ってつましく生きること」こと
が普通人の感覚である。
『そこに見えたのは『不安だが不幸は起こらないと高をくくる』と
いう一点だった。どうしてこんな考えが巣食ったのだろうか。じ
っくり考えてみると〝それまでの幸せ、危機意識の欠如〟が見え
てきた。あまりにも盲目、不勉強過ぎたのである』
「足るを知ってつましく生きる」ことは常識である。
しかし原発事故による避難はそうではなかった。全部が
足りない生活をみなさんしたことがありますか。
私はありますよ。山登りは全部が足りないんである。
水道もない、電気もない、暖房もできない、トイレもな
いスマホってなんだ?である。穴を掘ってスキー板を渡
し、そこにビニールを敷いて雪をかぶせて、そこに3日
間籠城して、吹雪をしのいだことがある。そういう人し
か山では生き残れません。
全部が足りないことに人生があることを私は知っていま
した。だから先生が言っていることはよくわかります。
吹雪の前では人のあらゆる常識は役に立ちません。
「ホワイトアウト」です。ホワイトアウトって経験あり
ますか。四方八方が白一色で皆目見当がつかないんで
す。かろうじて自分が立っていることだけが分かりま
す。
そのうち天地が逆になってもおかしくない状況って死ぬ
一歩前の状態です。
長くなったので以下は次回にします。