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福島の青い空(464)
前川さんの夜間中学
このお正月佐高信氏の「正言は反のごとし」(二人の謙三)
という本を読んだ。相変わらず題名の意味がよくわからな
い。そういう題名はつけないほうがよい。
この人の難解な精神性がよく表れている。本はわかりやす
く書かれているが人間性はわからないぞ。一筋縄でいかな
い難しい人で、私はそういうところも好きである。東北つ
ながりの親近性もある。(佐高氏は山形県酒田市生まれ)
要するに好きで時々読んでいます。
この本は政治家松村謙三と河野謙三が主人公である。
松村が文部大臣になったのは1955年(昭和30年)で
ある。(第2次鳩山内閣)
そのころまで、中学まで義務教育になったことをまだ理解
できない親たちがいた。
「お大尽のせがれじゃあるまいし、こちとらのせがれが中
学なんて、笑わせちゃいけないよ」といって、教師が訪ね
て行って通学を促しても全く取り合わなかった。
そんな中で足立区立第4中学の伊藤という校長が熱心な教
師たちと夜間中学を始めた。
それ以外に、その年齢の子供たちに勉強をさせる途はない
と考えてのことだった。
しかしこれは法律違反であることは確かで、区の教育委員
会は何度もその閉鎖を命じた。
それでも、校長以下、教師たちハネつけて、いわゆる夜間
中学を続ける。
もちろん区からは一銭もお金が出ない。すべて教師たちの
涙ぐましい奉仕で続けられていたのである。
―――夜間中学は幸せ薄い子どもたちの唯一の楽しい学び
舎であり、「お互い肩を寄せ合いながら勉学にいそしむ姿
に先生たちはしばしば涙を流し、この子供たちのために、
と教師としての血を躍らせた。」――――という。
法律や規則を盾に取るだけの教育委員会からは、その後も
何度か閉鎖命令が届いたがそれを拒否してる間に1年が過
ぎた。
校長の伊藤は頑張った子どもたちを勇気づけるために、開
校一周年の催しをしようと考える。
当時足立区会議員だった鯨岡兵輔はその話を聞き、なんと
か力になれないかなと思いつつ、私淑していた松村謙三を
文部大臣室に訪ねてこの話をした。
もちろん松村に来てもらおうと思って話をしたわけではな
い。
ところが、話を聞いた松村は、
「私が行ってあげよう、私が行くのが一番いい」
と言い出したのである。
現職の文部大臣に、正式に許可されていない夜間中学の話
をするのさえ無鉄砲なのに、それを聞いた文部大臣がなん
と、そこへ講演に行くという。
弟子の鯨岡はそのとき、そういう相談することがそもそも
非常識なことであるとは考えなかったというが、弟子も弟
子なら、それに乗って気軽に行こうという師も師である。
ともかく松村の話を聞いて躍りあがった松村は、大臣室か
ら校長に電話をかけた。
「文部大臣の松村先生が行ってあげようといってますが、
どうですか。」
というと電話の向こうで校長が笑いだした。
「君、君、冗談言うなよ」
これは、校長の反応は当然だろう。冗談、それも悪い冗談
としか思えない。
鯨岡は胸を張るように押し返した。
「冗談ではありません。私は今文部大臣室から電話してん
ですよ。私が行くのが一番いいと、松村先生がここで言っ
てるんです。電話に出ていただきましょうか。」
それを聞いて伊藤が絶句した。
「本当か、君、それは大変なことだ。お願いできるものな
ら、ぜひに、お願いしてくれたまえ」
そのやり取りを聞いていた松村が、
「この話は誰にも言うなよ。言うとだめになるから、役人
には内緒だぞ」
と茶目っ気たっぷりに声をかける。
鯨岡は「校長先生!この話は当日まで絶対にだれにも発表
しないでください。区の方にも話が聞こえたらだめになり
ますから。」と念を押して電話を切った。
当夜、ささやかな記念式典が行われた。どこで聞きつけた
のか、NHKが(当時はラジオ)が来て式の模様を録音した。
この夜のことは新聞でも報じられ、区は正式にではない
が,認めざるをえなくなって、以後夜間中学に少しづつ必
要経費を出すようになった。
佐高氏は5年間だったか酒田で高校教師の経験がある。い
い話を教えてもらった。
概略を記そうと思ったがほとんどハ分通り写してしまっ
た。元高校教師の話が迫力あったからである。
前川氏講演会は2017年8月2日に福島市、福島文化セ
ンターの於いて行われた。不肖小生も拝聴したひとりであ
る。
主催者の菅野家弘という人は、かねてから新聞の投書欄や
この「福島に夜間中学をつくる会」代表などでお名前を知
っている。
この講演録は小生のメモをもとに再構成したものである。
大要を書きとめたもので、正確ではない。
前川さんと夜間中学
講演要旨
『私は今名刺がありませんし、肩書きがありません。あえ て肩書をつければ駅前自主夜間中学講師である。
夜間中学の対象者は、当初は、 終戦時に学齢期を迎えたのち学校に通えなかったひと。 韓国、中国(満州)からの引き上げで義務教育の機会を失 ってきた人。 被差別部落の人たちや在日コリアンが求めてきた教育、 さらに日中正常化とともに帰還することができた大陸にと り残されてきた人たちの教育、日本語の教育に夜間中学は 存在意義を発揮してきました。
文科省の方針は学齢期にあるもの、さらに卒業証書のある ものの夜間中学の入学を認めてこなかった。 2015年文科省は方針を変更し、卒業証書を持っていて も入学が認められるようになった。 そういう形式卒業者の就学は現在100名を超えている。 1975年ころより登校拒否(不登校)の問題が顕著にな りました。現在は不登校の生徒は12万人もいます。 そういう様々な理由で不登校になった人たちのために夜間 中学は門戸を開放しています。 学齢期にある人たちもフリースクール等で夜間中学に通う ことは自由です。 さらに新渡日の外国人(中国、フィリピン、ブラジル、ペ ルー東南アジア)の方たちで日本に住んでいる人たちや 子供たちは、夜間中学の現在の就学者の7割に達していま す。 現在の夜間中学の存在意義はとても大きなものになってい るわけです。 憲法でいう教育の義務とは親またはその関係者に課せられ たもので、子供に課せられたものではない。 だから、いじめられて、通学不能になってまで、学校に行 っている必要はないし、親たちもまた就学を強制するもの ではない。 学ぶ人の権利は年齢に制限があってはならない。 言葉はへんだが、義務教育を受ける権利がある。法律 上の義務教育は親の義務で15歳になったところで義務は なくなります。
しかし小学校中学校で学ぶことは世の中で生きていく上で
共通のことなので学ばないと非常に大きなハンデになる。
基礎教育、普通教育を学ぶことができないのは学習権とい
う人権が実現されていない状態。権利を実現するてだてを
するべきであります。その意味で夜間中学は大きな役割が
あります。
もうひとつ学校の外でも考えないといけないこと。子ども は学校に行く権利は持っているが義務はおっていないこと
です。 教育機会確保法は当面は地方自治体に任されている。 ①不登校の人たちのためのフリースクールを認める。 ②夜間中学の特別時間帯を全国につくる。 これは当面自治体に頑張ってもらわねばならない。 具体的には市町村の教育委員会である。 奈良県には公設の夜間中学が3校ある。 夜間中学は法律はできたので、中身をどう作っていくか。
それは各自治体のこれからの動きにかかわってくる。
それを何とか応援していきたい』
前川さんは最近音沙汰ない。しかし、世の喧騒とは別に、
毎週福島の駅前夜間中学に手弁当でせっせと通っていると
思います。
本当にやる人は静かに、ひっそりとやりとげるんです。
想の流れにある人と見ている。
こういう人こそ三顧の礼で国会に迎え、日本の将来を託す
べきです。三顧の礼=さんこのれい=人に仕事を頼むために何度も訪問し
て礼儀を尽くすこと。
私は通信教育の夏季口座に学ぶ人たちに遭遇する機会が
あった。いわゆるスクーリングである。茶髪の子、ピアス
の子、チャラチャラした服装の子、長髪で憎たらしい面付
きの子たちが、真面目に通って勉強してんである。面喰っ
てびっくりした。それからじわじわと感動が広がった。
学ぶ姿に反応したんである。
制服も着ないで(もちろんない)日中はなにをしてるのかは知
らないが、とにかく勉学をしようとして、スクーリングに
通っている。事情もよくわからないが、とにかく感動し
た。その姿が忘れられず、いつか文章にしたいとかねがね
考えてきた。
前川さんの講演を聞き、今般佐高さんの「松村謙三」の話
を読んで、その当時の感動が熱くよみがえり、今文章を書
き、長い間の自分なりの問いに答えている。あれから20
年以上も過ぎている。
こう言っちゃなんですが、私のブログはすべて私に向かっ
て発言していて、よその人のためではありません。
自分がかって知りたかったこと、自分が調べたこと、知っ
て感動したこと、歴史のことも、自然のことも、原発のこ
とも、放射能のことも、すべて自分が知りたかったことば
かりで、勉強したことを自分に報告したかったことばかり
である。
私の若い時はパソコンなどはなく、わからなくても教えて
くれる人もいなく、すべて読書だけが数少ない手段であっ
た。福島あたりで私の疑問にすらすら答えてくれる人など
そうそう簡単に見つかるとは思えない。この歳になっても
ひとりにもお会いしたことがない。
自公民党はもちろん共産党から当時の社会党までこぞって
原発を誘致した県民ですぞ。長崎県や、広島県に原発があ
るか?。
およそ福島県の市町村首長で長崎や広島の原爆慰霊祭に出
席した首長など過去70年で聞いたことがない。
爆撃下の東京から疎開してきて以来74年、そういう県に
住んでいる。来月で75歳、いよいよ後期高齢者である。 パソコンで学んでから、今まで7とか8だった知識の羅列
が、いよいよ10になってつながったというわけです。
今は15くらいまで行ってるかもしれない。
だから学校でしか学べないということはない、学ぶ気さえ
あればどんなことでも自分で学べる。しかし時間はかか
る。 私のブログは時宜を得ずして学べなかった自分が、74年
の生涯をかけて学んだ、血と汗の自分に対する報告書であ
る。そうそう簡単に考えてもらっては困りますう〜〜。
核兵器禁止条約は「馬の耳に念仏」のあの馬の顔です。
”原爆忌世界に見せた馬の顔” a87427
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