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(「令和」の典拠である大伴旅人の原典には)テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵愾心(てきがいしん)が潜められている。断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体がついて回ります。つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好なのです。もう一つ断わっておきますが、「命名者にそんな意図はない」と いう言い分は通りません。テキストというものはその性質上、作成者の意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。
安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。一つは、新年号「令和」が〈権力者の 横暴を許さないし、忘れない〉というメッセージを自分たちに突き付けてくること。二つめは、こ の運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つは、よりによってこ んなテキストを新年号の典拠に選んでしまった自分たちはいとも迂闊(うかつ)であって、人の上に立つ資格などないということです(「迂闊」が読めないと困るのでルビを振りました) 。
もう一点、総理の談話に、『万葉集』には「天皇や皇族・貴族だけでなく、防人や農民まで、幅 広い階層の人々が詠んだ歌」が収められているとの一節がありました。この見方はなるほど三十年 前までは日本社会の通念でしたが、今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家のあ いだには一人もおりません。高校の国語教科書もこうした記述を避けている。かく言う私が二十数 年かかって批判してきたからです。安倍総理――むしろ側近の人々――は、『万葉集』を語るには あまりに不勉強だと思います。
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