「プロメテウスの罠」も読み進めてきて、ようやく『7』まできました。
この中には、通章の第37〜42章が収められています。
読み進めてここまでくると、いかに我が国の原子力発電がいい加減なやり方で進められてきたかがよくわかりました。いい加減だったがゆえに、いざ福島原発のような事故がひとたび起きてしまうと、何もなすすべが持てなかったのです。
そのあたりのところを感じ取っていただけるように、読んだ範囲から感じたことなどを次にまとめてみました。参考にしてください。そして、できるならばぜひこの本を手にとって一読いただきたいと思います。
第37章・給食に福島米
ここでは原発事故で産米が汚染されてしまった上に、その後は風評被害まで出て福島の米が売れなくなったことに対する対策が書かれています。その対策というのが、事故前には測定に上らなかった放射線量が出る福島米を政府が定めた新しい基準で健康被害はないからと言って、学校給食に使わせたという事実です。
健康に問題はないかどうかなど経験していないことを実施する姿勢。売り上げを伸ばすためにある意味危険な賭けを将来ある子供たちに課す大人の姿。強大な農協組織の前で反対の声を上げることのできない行政。そうした動きに巻き込まれていく住民。それでも心配で自分の子には弁当を持たせる母親の姿。そうした葛藤・戦いが描かれています。
読んでいて感じたのは、原発事故で売り上げが落ちたなら危険な方を取るのではなくて、損害賠償を事故の当事者(東電)に向けるべきではないか。また、政府や行政に、こうした時こそ救済して欲しいと求めるべきであり、子どもたちの健康をないがしろにして危険かもしれないものを給食で食べさせるというその姿勢の甘さ、矛先の向きの違いに憤りを感じました。これこそ資本主義経済の破綻した典型的な姿だと思います。儲け(金)のために消費者の健康はどうなってもいいんだという考えに至ったら、もうこの経済的施策は完全な失敗です。
第38章・医師、前線へ
ここでは原発誘致県にありながら、そこにある県立福島医大の事故後の混乱ぶり、対応のまずさ、原発事故を想定した医師が養成されていない実態などの様々な問題が浮き彫りにされています。もちろん県内の医師全般について言えることだと思いますが、原発を誘致したのなら、万が一の事故に対応できる医学的体制を作ってこなければならなかったのです。それを怠ってきた行政の責任は重大です。
そんな悪状況の中で、長崎大学の力などを借りて、本当に献身的に動き出した勇気ある医師の姿がきちんと描かれています。そうした医師達には拍手を送りたいと同時に、次の言葉を肝に銘じたいものだと思います。
それは長崎大学の山下氏の次のことばです。「ぜひ逃げ出すことのないように、事故による被曝は地震国で原発立国を進めてきた日本の宿命です」
電気が無いと困るから原発が必要だというなら、山下氏が言っている言葉通りである。その覚悟が無くて、事故が起きたら逃げ惑うようでは問題である。
しかし、どれだけの人間がその覚悟ができているかは、はなはだ疑がわしいと言わざるを得ない。それは医師ばかりではない。官僚も行政も政治家自身も。今回の原発事故を起こした企業の当事者である東電などの企業もである。
どうもほんの一部の人間を除いて、私から見れば疑わしいばかりではなく、信頼はおけないと見た。
この章では、ヨウ素剤服用の指示の問題についても書かれている。一貫した動きがなく飲ませるべきだったという反省があるように、全く徹底していなかった。
福島県立医大の宮崎氏は、「甲状腺の測定すらまともにできなかったこの国に、原発のような巨大システムを動かす能力があるだろうか」と疑問を投げかけている。
我が国は時として世界一をやらかすことがある。それで喜んでいてはいけないと思う。
一方で、一たび原発事故のような事がが起きると、このありさまなのである。
我々国民は、そのような体質を持ったた国であることを忘れてはいけない。
第39章・マツバヤ復活
浪江町には「サンプラザ」という総合商業施設があった。浪江町をはじめ周辺の市町村から人が集まるすごい施設で、売り上げも上々で住民にも親しまれてた優良施設であった。それを経営していたのが老舗「マツバヤ」。
これが原発事故で住民はもとより従業員も国中に避難して立ち行かなくなった。
この章では、それを再生させる過程が詳しく書かれている。
ここでも政府や国、東電は力を貸そうとしない。まさに従業員の熱意と住民の期待とが原動力になって、何とか再生する。
時の政府は初めて政権を担った者たちの集まりで何もできなかったとはいえ、あまりにも理不尽であって、いかほどの対応のまずさがあったかが浮き彫りにされている。
これを読むとこうした非常事態では、最期に信頼がおけるのは自分たちそのものなのだということがよくわかる。
第40章・残ったホーム
全村避難で有名になった飯舘村に最後まで避難せずに残った施設があった。特別養護老人ホーム「いいたてホーム」である。
原発事故当初、外出しなければ、年間被曝量20ミリシーベルト以下で健康被害上問題はないとされた。これを受けて、避難による年寄りの体調悪化を防ぐために居残ったのであった。
しかし、介護職員は退職や避難で半分に減った上、世話する介護職員自身も通いでの対応という事態になった。そうした状況下の問題、職員の葛藤等々を赤裸々に描いている。
その様は、この現状を小説にしたらベストセラーになるだろうと思われる(少々不謹慎な表現かもしれないが…)ほどなのだ。
地獄のような悪条件の中で、天国に送り出す看取りの作業に黙々と献身的にこなす職員の姿、また葛藤、ここが最高のところと覚悟を決めて生を謳歌するかのようにふるまう入所者、数々のドラマを生まれていて、読んでいると涙が出てくるほどだった。
反対に、政府や官僚、企業(東電)のいい加減さに腹が立ってしょうがなかった。しかし、それこそが政府や官僚、企業(東電)の正体なのだ。
第41章・汚染水を止めろ
政府・官僚・東電三者の三つ巴の我の張り比べが描かれている。その我の張り比べが肝心な汚染水対策がうまくいかなかったという現状が透けて見える。
それは現在も続いていると私は見る。
それだけ東電の力が大きいということであり、なぜに力がそのように大きくなってしまったのかも、この章から読み取れる。
国民の無知があるかもしれないが、金力の大きさは否定できない。
凍土遮蔽壁建設問題は、ニュースで再三報じられて話題になった経緯があるからわかっている方が多いと思うが、この問題に関しては、東電そのものが官僚体質を持っていることに起因したところがあることがよくわかる。
考えてみれば、東電などのような大企業には、官僚が常に天下りしていて、社員はその天下り官僚のもとでは何も進言できない体質(官僚化)が常態化しているのだ。
こうしたことが改善されない限りこの国は、病みに病んでやがて滅びてしまうようにしか私には見えない。
第42章・事故と犯罪
原発事故に派生した殺人事件や自殺、各種犯罪への対応が書かれている。
原発事故のような国家最大の危機のさなかでも犯罪は起きる。その犯罪に対応していく姿が描かれている。
原発事故に起因する事件とその容疑者、そしてそれを取り締まる警察や関わる弁護士、それぞれにてんやわんやになったあの時。だれに責任があるというのだ。あるとすれば、災害が起きることを前提に対策を打たなかった東電最高責任者にあると言い切って差し支えない。
皆、原発事故の被害者なのだ。