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https://ryukyushimpo.jp/news/entry-780274.html
東西冷戦終結の立役者で、ノーベル平和賞を受賞したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領(87)は10日、琉球新報に対し、死去した翁長雄志知事への追悼文を寄せた。
ゴルバチョフ氏は、ゴルバチョフ財団日本事務所代表の服部年伸氏に対し「翁長氏は、沖縄の代表のみならず日本の政治家の中でもスーパーだ。将来首相でも十分やっていける人物」と評したという。
追悼文は9日付で翁長知事の妻・樹子さん宛て。服部氏は10日、翁長雄志後援会の国吉真太郎会長に追悼文を送付し、託した。(琉球新報より)
翁長知事の死去を悼むゴルバチョフ氏の追悼文 ゴルバチョフ氏からの追悼文翻訳
尊敬する翁長樹子様
翁長雄志知事の突然の訃報に深い哀悼の意を表します。再会を楽しみにしていた私にとって悲しみが大きく言葉が見つかりません。
翁長雄志さんは優秀な政治家であり、立派な人間でありました。私は翁長さんと何度も会いました。
彼はいつも不変で堅固な意志を持ちながら、将来への明確なビジョンを持っていました。彼の活動の基本方針は、平和のための戦いであり、軍事基地拡大への反対と生活環境向上が両輪でした。
私、そしてゴルバチョフ財団の全職員から心からのお悔やみを表明し、この悲しみを沖縄県民の皆さまと分かち合いたいと思います。
翁長雄志さんは私たちの中で永久に生き続けます。
2018年8月9日
モスクワにて
ミハイル・ゴルバチョフ たしかに
ゴルバチョフ氏と翁長氏は
その政治姿勢について似ているように思う。
ただ、ゴルバチョフ氏が相手にできたのは
まだまともな西側の首脳たちであったのに対し、
翁長氏が相手にしなければならなかったのは
人間とも呼べないシロモノだった。
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良いお話♪
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韓国でも猛暑で多数の死者が出ている。 その結果がこれ。 日本も同様の措置を実施するべき。 「冷房使用は福祉」 猛暑続く韓国、電気料金を値下げへ:朝日新聞デジタル 冷房使用は福祉」 猛暑続く韓国、電気料金を値下げへ五輪を巡る安倍の酷暑対策のバカっぷりと、韓国文大統領の「酷暑での冷房は国民に必須な福祉だから電気料金値下げ」の対比を見ていると、 バカに政治やらせたらアカン、と言うのが誰の目にもハッキリ解るよな。 ![]() ![]() ☆何でも自己責任の日本との違い。
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「自分で知って調べて考えること。それはいつでもどこでも誰でもできること。大切なのは中立ではなく独立すること。そういう方が増えてくださったらなと思います」byおしどりマコさん…深いメッセージです
。転写元:
非一般ニュースはアカウント凍結 @kininaru20141112018.08.04 久米宏 ラジオなんですけど ゲスト:山本太郎 https://www.youtube.com/watch?v=9Meu0YNhM18 …
8:32 - 2018年8月5日
山本太郎氏のラジオ出演
ラジオで話
「 ラジオなんですけど 」 司会 久米宏さんの司会です。
ゲスト 山本太郎議員
山本太郎さんが仕事を無くし始めた理由
東電が国が 「放射能汚染の危険性を偽っていた」
マスコミが言う「安全」
国が言う 「安全」
専門化が言う 「安全」
これはすべて ウソ 偽り だったことから始まる
芸能人だった 山本氏が「原発は危険だ」 と
言い始めたころから 仕事が減り 始めた
結構 テレビも 映画も出ていらっしゃって
人気はあったはずです。
こんなお話は 「いくつもあります」
国にたいして 反旗を翻すと こうなるんです。
これが 今の日本。
国や企業に対して は 何も言えないんですね!
よく 殺されませんでしたね!
カジノ ボクシング連盟は関連?!
今のヤクザが 「ボクシング連盟」とつながる
オリンピックにも裏でかかわるんですよね
今 一番 やばいヤクザは 日本の国のアホピョンだ。
ここ5年間 安倍アホピョンは企業以外
ろくなことしてません、、、ってこと。
はい 消費税を上げてから最悪ですよ
市民はみんな死にそうだ
野党は今 バラバラです。
野党をまとめる 人物がいないことが問題
小沢さんが いいんじゃないか!と
公明党は今 「自民党にいいように 使われている」
なんだ あの党は? どうしたんだ!
婦人部はどうした!
あめとむちで やられてる!
しかし 小さい処で山本氏の応援してる!
目立たなく
政策は 企業に有利
なぜ? 献金で生活している 活動している
だから 仕方ないの?
え〜〜〜〜え!
政治家はかわいそうね 魂を売ることしている
今日の方が強いんです。
山本氏 来年4月 任期が切れます。
投票人物の判断は 情報をあらゆるところから
集めて 判断してほしい
どんな 活動をしてきたかを 良〜く確認してみましょう!
ひかり
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久米宏と山本太郎のラジオ対談。「やっぱりね、サル山にはね、結構いるんですよ。クズが」「こいついなくてもいいんじゃないか、というよりも、いないほうがいいな、っていうのがかなりいますからね。http://lite-ra.com/2018/08/post-4169.html …
週刊誌読んでるね
アホパか
クズ
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![]() ![]() ![]() ![]() 開き直る国交省四国地方整備局。このとき国交省大臣は「カジノ法案成立」のため国会にいた。午前6時半ごろから川は一気に増水。津波のような濁流が押し寄せ、同7時半ごろには住宅の屋根まで水が及んだ。住民は「いつもなら空襲警報のようなサイレンの音がするのに、今回は全く聞こえなかった」と証言
死んだのも 逃げ遅れたあんたが悪い、、、っていうことらしい!
結果的に あんたたちが悪いんでしょう、、、ってこと!
国交省はやってるよ、、、、ちゃんと、、、、ってこと!
市民: あれだけのダムが緊急放流したのは どうなるんですか?
市民: 大小合わせて 5つくらいのダムあるんだけど?
大きいのは「千屋牛で知られる 千屋ダム その付近にまだある」
市民: あんたたちの認識の悪さがこうなったんでしょう、、、、と言いたいのね
責任転嫁もいいとこだ、、、と言いたいが
夜だしね どこへ行ったらいいか知らない人もいたしね
お年寄りは 歩けないしね
息子が近くにいないしね
行政で いろいろ 考えてください。
どこかの誰かが「ボ〜〜〜と、生いきてんじゃねえよ」 って言ったわ!
あれ ここで使うか!!!
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ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
![]() 「3,700トン」を一気に放流。あきらかに人災なのに「住民が悪い」と開き直る国交省。住民側は「放送はなかった」と言っている。早朝に呼ばれた消防隊員は地図を渡され、水没する地域は前もって分かっていた。
やはり 一気にダムの 水を 抜いたんだね!!!
いつもは 少しずつ 抜くんだが
じゃあ じゃあ サイレンじゃなく
ダム放流するので 逃げてください、、、、って
なんで 放送しないの???
緊急警報でね 緊急でしろ~~~~~ ^^^^^^^^〜〜〜〜〜
サイレンだけを 鳴らしたって どどゥしたらいいか
わからんだろうが≠============
ひかり
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ツイッター記事は ここまでです。
続いて ” リテラ ” という 誠実かつ真実の情報サイトを見てください。
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毎時2900億ベクレルの放射性物質が あの日 出ていた
東電は 「心配ない量です」と ウソを吐いた
ゼロ数字と言い放っていた。 東電側だ。
暴く 暴く 死 暴くと 死 誹謗 偽情報の嵐
あの日 あの時
311の原発の危機
東電は 「白い煙が出ていたあの日の放射能は安全です」
と ぼやいていたが
何が何が そうではありませんでした。
4月4日から9日まででは毎時2900億ベクレルというとてつもない量の放射性物質
4月4日から9日まででは毎時2900億ベクレルというとてつもない量の放射性物質
4月4日から9日まででは毎時2900億ベクレルというとてつもない量の放射性物質
4月4日から9日まででは毎時2900億ベクレルというとてつもない量の放射性物質
4月4日から9日まででは毎時2900億ベクレルというとてつもない量の放射性物質
と 発表した東電
この話は 「誰が聞いたの?」
おしどりマコという お笑いタレント夫婦です。
さあ 読んで見てください!
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元記事:リテラ
![]() (1ページ目)
おしどりマコ・ケンをご存知だろうか。妻のマコはアコーディオンを、そして夫のケンはパントマイムや針金を使って夫婦漫才をする芸人カップルだが、それ以上に注目されているのが福島第一原発事故に対する取材活動だ。2人は3.11の原発事故以降、取材活動をスタートさせ、東電の会見にも出席、その結果をメディアに発表してきた。
そんなおしどり夫妻だが、これまで原発の取材活動をめぐり、度々バッシングや炎上騒動の標的にされてきた。たとえばネットでは“放射脳の虚報”“芸人のくせにジャーナリスト気取り”“エセ科学の金字塔”などといった批判が踊り、中には“売れない芸人が原発問題をウリにしている売名行為だ!”などという非難まであった。
しかし、実はおしどり夫妻の原発問題へのアプローチはそういった誹謗中傷とは真逆、むしろ、非常に客観的で精緻な調査に基づいており、ジャーナリスティックなものだ。そのことを改めて再確認させられたのが、2月5日深夜放送の『NNNドキュメント'17 お笑い芸人VS原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日』(日本テレビ)だった。
そもそもおしどり夫妻が原発取材を始めたきっかけは、3.11の原発事故直後から、政府や東電が繰り返した「直ちに影響はありません」という説明に違和感を感じたことだった。2人には原発に関する知識はなかったというが、しかし妻・マコはかつて医学の世界を目指し、鳥取大学医学部生だった経歴があった。被曝による健康被害について、関心や知識的バックグラウンドもあったのだろう。
加えて医学の道を断念し芸人になった理由も“震災”に関係がある。神戸出身のマコは、学生時代に阪神淡路大震災を経験している。その際、被災地での惨状を目の当たりにし、“医学では人は救えない、お笑いこそが癒しだ”と感じて大学を中退、お笑いの道に入ったという異色の芸人なのだ。そんなおしどり夫妻が東日本大震災、そして原発事故に遭遇したのは、東京に移住した3カ月後のことだった。そして事故直後から東電や政府の説明に疑問を持ったマコは、猛然とネットで情報収集を開始する。同時に事故の状況を把握するため東京電力の会見をチェックし、その内容を書き起こす作業も開始したという。だが、そこで感じたのもまた違和感だった。それが東電と一部記者との馴れ合い、癒着だ。
(2ページ目)
何か疑問があれば、即行動する。地元病院や行政にも問い合わせることも厭わず、福島の人々からの取材や情報をもとに、東電会見での数々のウソやごまかしを暴くマコ。また当初、非公開でマスコミがさほど関心を寄せていなかった「県民健康調査」検討委員会を取材し、数々の国際会議やシンポジウムにも出席。そこで専門家と知り合いになり、“日本政府は異常な対応をしている”ことを引き出す。
実際、マコが会見で質問し、追及したことで、東電や政府が隠蔽しようとした事実が次々と明るみに出ている。原発敷地内から放出された莫大な量のセシウム、子どもたちの甲状腺被曝についてのデータ、原発作業員の被曝、1、2号機の排気筒亀裂状況、行政による初期被曝測定が行われていないこと、県民の健康調査における内部被曝に関する項目の不十分さ、甲状腺癌について放射線被曝とは無関係との根拠にされたチェルノブイリと福島の“比較グラフ”の欺瞞、国が定めた積算線量の基準“年間20マイクロシーベルト”問題、除染を被曝した住民に押し付けさらにそれをモデルケースにしようとしていること――。
こうして番組から浮かび上がってくるマコの取材活動は、東電に飼いならされた職業記者たちに比べても、公正でジャーナリスティックな追及をしていることがわかってくる。
事実、こうした活動によりマコは、2016年の「平和・協同ジャーナリスト基金 奨励賞」を受賞、海外でもドイツの「核戦争防止国際医師会議」にジャーナリストとして招かれるなど高い評価を得ているほどだ。
一方、今回のドキュメントから浮かび上がってくるのは、東電のデタラメさや、情報の隠蔽、そして事故の矮小化だ。たとえばおしどり夫妻が初めて東電の記者会見に行った2011年4月19日、マコはその前日に原発施設内から立ち上った“白煙”について質問している。もちろん放射性物質が含まれているのではとの疑念からだ。しかし東電は「(放射性物質は)完全にゼロというわけではございませんが、含まれていると思います」と数字を提示することなくごまかそうとした。だがマコはその後もこの問題を繰り返し追及、そして3カ月後に出てきたのは驚愕の事実だった。
それは“白煙”によって1〜3号機合わせてセシウム134と137が合わせて毎時10億ベクレル放出、さらに遡って4月4日から9日まででは毎時2900億ベクレルというとてつもない量の放射性物質が出ていた事実だ。当初東電が説明した「完全にゼロ」どころの話ではなかったことがマコの追及によって、判明したことになる。
(3ページ目)
さらにマコの最大の功績ともいえるのが福島県の子どもたちの健康被害、甲状腺ガンについてだろう。2011年5月末の会見でマコは甲状腺について、原子力安全委員会でこう追求している。
「3月30日に飯舘村の小児甲状腺サーベイ検査ですが、電話で確認したのですが、直接お母様方はご存知ではない。これは人体実験だったのかと怒っているのですが、それぞれお子様の値がいくつだったのか教えて下さい」(マコ)
「現地対策本部では行ったと直後も、全体の結果の発表はされています」(原子力安全委員会審議官・加藤重治氏)
「その発表はみなさん基準値以下だったという発表だけで、お母様方は
どれくらいの基準値以下だったのかご存知ないんです」(マコ) 当時、子どもたちの甲状腺検査は行われているが、それは単にサーベイを当てられて「大丈夫」と言われて帰されるだけのもの。その検査が何なのか、検査の数字が何なのかは保護者には一切伝えられていなかった。そのことを地元の関係者や母親への取材で知っていたマコは、疑問を委員会の会見でぶつけたのだ。
その後、安全委員会は「数値は書いていない」とその発言を訂正、ようやくデータが示されたのは5カ月後のことだった。つまり委員会による検査データ隠蔽をマコが阻止した形なのだ。それだけでなく、マコは、子供たちの甲状腺ガン発症をスクープしてもいる。そのことは「週刊文春」(文藝春秋)2012年3月1日号に「衝撃スクープ 郡山4歳児と7歳児に「甲状腺がん」の疑い! 福島からの避難民11人に深刻な異常が見つかった」として記事化された。
原子力や放射能について猛勉強し、お笑いで鍛えたセンスで東電のインチキを鋭く見抜き、そして普通の感覚で素朴な疑問を質問する。マコのこうした姿勢は、これまで広告や様々な便宜供与でメディア支配し、御用記者ばかりを相手にしてきた東電にとっても“想定外”だったのだろう。番組ではマコの追及に対し、不快感や困った表情、時にはぎょっとした顔をする東電担当者たちが随所で見ることができる。またある時には東電担当者の机に「マコちゃんは適当なとこでカットしてください」とのメモがあったというが、これも東電がマコの追及を恐れ、たじたじとなっていたことの表れだろう。
(4ページ目)
さらにマコの最大の功績ともいえるのが福島県の子どもたちの健康被害、甲状腺ガンについてだろう。2011年5月末の会見でマコは甲状腺について、原子力安全委員会でこう追求している。
「3月30日に飯舘村の小児甲状腺サーベイ検査ですが、電話で確認したのですが、直接お母様方はご存知ではない。これは人体実験だったのかと怒っているのですが、それぞれお子様の値がいくつだったのか教えて下さい」(マコ)
「現地対策本部では行ったと直後も、全体の結果の発表はされています」(原子力安全委員会審議官・加藤重治氏)
「その発表はみなさん基準値以下だったという発表だけで、お母様方は
どれくらいの基準値以下だったのかご存知ないんです」(マコ) 当時、子どもたちの甲状腺検査は行われているが、それは単にサーベイを当てられて「大丈夫」と言われて帰されるだけのもの。その検査が何なのか、検査の数字が何なのかは保護者には一切伝えられていなかった。そのことを地元の関係者や母親への取材で知っていたマコは、疑問を委員会の会見でぶつけたのだ。
その後、安全委員会は「数値は書いていない」とその発言を訂正、ようやくデータが示されたのは5カ月後のことだった。つまり委員会による検査データ隠蔽をマコが阻止した形なのだ。それだけでなく、マコは、子供たちの甲状腺ガン発症をスクープしてもいる。そのことは「週刊文春」(文藝春秋)2012年3月1日号に「衝撃スクープ 郡山4歳児と7歳児に「甲状腺がん」の疑い! 福島からの避難民11人に深刻な異常が見つかった」として記事化された。
原子力や放射能について猛勉強し、お笑いで鍛えたセンスで東電のインチキを鋭く見抜き、そして普通の感覚で素朴な疑問を質問する。マコのこうした姿勢は、これまで広告や様々な便宜供与でメディア支配し、御用記者ばかりを相手にしてきた東電にとっても“想定外”だったのだろう。番組ではマコの追及に対し、不快感や困った表情、時にはぎょっとした顔をする東電担当者たちが随所で見ることができる。またある時には東電担当者の机に「マコちゃんは適当なとこでカットしてください」とのメモがあったというが、これも東電がマコの追及を恐れ、たじたじとなっていたことの表れだろう。
(5ページ目)
ところが、これだけの真摯な調査や追及を行っていても、ネット界隈では、「芸人を名乗るデマゴーグ」などおしどりたちへの卑劣な誹謗が続いている。その手口は、ほんの小さなミスや用語の使い方を針小棒大にあげつらい、言ってもないことをでっち上げてそれをデマだと攻撃し、すべてをデマだとして葬ってしまう例の手口だ。しかも、その攻撃はこのドキュメントが放映された後も続いている。
明らかになった真実を無視して、原発の危険性を否定するという目的のためにだけ、デマ呼ばわりするネトウヨと原子力村応援団連中の卑劣さには辟易とさせられるが、それはこれまでマスコミが原発事故の“その後”をきちんと報じてこなかったことも大きい。
マスコミは豊洲新市場問題ではあれだけ大騒ぎしているのに、もっと危険な事態が進行している原発事故については、ほとんど報道しようとしない。今回、おしどりマコ・ケンを取り上げたこのドキュメントも、放送されたことは評価に値するが、しかし、放映時間は日曜日の深夜帯。芸人が大企業を追及していくというドキュメントはエンタテインメント性もあるのに、キー局で大量に放映されている社会情報番組では触ろうともしない。マコは番組の最後にこんなメッセージを残している。
「自分で知って調べて考えること。それはいつでもどこでも誰でもできること。大切なのは中立ではなく独立すること。そういう方が増えてくださったらなと思います」
中立ではなく独立。この言葉を多くの人々が受け取ってくれることを願いたい。 (伊勢崎馨) |

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【あずさからのメッセージ】
十数年前、障がいのある子がいじめに遭い、
多数の子から殴ったり蹴られたりして
亡くなるという痛ましい事件が起きました。
それを知った時、
私は障がい児を持った親として、
また一人の教員として
伝えていかなくてはならないことがあると
強く感じました。
そして平成十四年に、
担任する小学五年生の学級で
初めて行ったのが
「あずさからのメッセージ」
という授業です
梓は私の第三子で
ダウン症児として生まれました。
梓が大きくなっていくまでの過程を
子供たちへの質問も交えながら
話していったところ、
ぜひ自分たちにも見せてほしいと
保護者から授業参観の要望がありました。
以降、他の学級や学校などにも
どんどん広まっていき、
現在までに福岡市内六十校以上で
出前授業や講演会をする機会を
いただきました。
梓が生まれたのは平成八年のことです。
私たち夫婦はもともと障がい児施設で
ボランティアをしていたことから、
我が子がダウン症であるという現実も
割に早く受け止めることができました。
迷ったのは上の二人の子たちに
どう知らせるかということです。
私は梓と息子、娘と四人で
お風呂に入りながら
「梓はダウン症で、これから先もずっと
自分の名前も書けないかもしれない」
と伝えました。
息子は黙って梓の顔を見つめていましたが
しばらくしてこんなことを言いました。
さあ、なんと言ったでしょう?
という私の質問に、子供たちは
「僕が代わりに書いてあげる」
「私が教えてあげるから大丈夫」
と口々に答えます。
この問いかけによって、
一人ひとりの持つ優しさが
グッと引き出されるように感じます。
実際に息子が言ったのは次の言葉でした。
「こんなに可愛いっちゃもん。
いてくれるだけでいいやん。
なんもできんでいい」
この言葉を紹介した瞬間、
子供たちの障がいに対する認識が
少し変化するように思います。
自分が何かをしてあげなくちゃ、
と考えていたのが、
いや
ここにいてくれるだけでいいのだと
価値観が揺さぶられるのでしょう。
さて次は上の娘の話です。
彼女が
「将来はたくさんの子供が欲しい。
もしかすると私も障がいのある子を
産むかもしれないね」
と言ってきたことがありました。
私は
「もしそうだとしたらどうする?」
と尋ねました。
ここで再び子供たちに質問です。
さて娘はなんと答えたでしょう?
「どうしよう……私に育てられるかなぁ。
お母さん助けてね」
子供たちの不安はどれも深刻です。
しかし当の娘が言ったのは
思いも掛けない言葉でした。
「そうだとしたら面白いね。
だっていろいろな子がいたほうが
楽しいから」
子供たちは一瞬「えっ?」と
息を呑むような表情を見せます。
そうか、
障がい児って面白いんだ――。
いままでマイナスにばかり
捉えていたものを、
プラスの存在として
見られるようになるのです。
逆に私自身が子供たちから
教わることもたくさんあります。
授業の中で、梓が成長していくことに伴う
「親としての喜びと不安」
にはどんなものがあるかを
挙げてもらうくだりがあります。
黒板を上下半分に分けて横線を引き、
上半分に喜びを、
下半分に不安に
思われることを書き出していきます。
・中学生になれば勉強が分からなくなって
困るのではないか。
・やんちゃな子たちから
いじめられるのではないか……。
将来に対する不安が次々と挙げられる中、
こんなことを口にした子がいました。
「先生、
真ん中の線はいらないんじゃない?」。
理由を尋ねると
「だって勉強が分からなくても
周りの人に教えてもらい、
分かるようになればそれが
喜びになる。
意地悪をされても、
その人の優しい面に触れれば
喜びに変わるから」
これまで
二つの感情を分けて考えていたことは
果たしてよかったのだろうかと
自分自身の教育観を
大きく揺さぶられた出来事でした。
子供たちのほうでも授業を通して、
それぞれに
何かを感じてくれているようです。
「もし将来
僕に障がいのある子が生まれたら、
きょうの授業を思い出して
しっかり育てていきます」
と言った子。
「町で障がいのある人に出会ったら
自分にできることはないか考えてみたい」
と言う子。
「私の妹は
実は障がい児学級に通っています。
凄くわがままな妹で、
喧嘩ばかりしていました。
でもきょう家に帰ったら
一緒に遊ぼうと思います」
と打ち明けてくれた子。
その日の晩、
ご家族の方から学校へ電話がありました。
「“お母さん、なんでこの子を産んだの?”
と私はいつも責められてばかりでした。
でもきょう、
“梓ちゃんの授業を聞いて
気持ちが変わったけん、
ちょっとは
優しくできるかもしれんよ”
と、あの子が言ってくれたんです……」
涙ながらに話してくださる
お母さんの声を聞きながら
私も思わず胸がいっぱいになりました。
授業の最後に、
私は決まって次の自作の詩を朗読します。
「あなたの息子は
あなたの娘は、
あなたの子どもになりたくて
生まれてきました。
生意気な僕を
しっかり叱ってくれるから
無視した私を
諭してくれるから
泣いている僕を
じっと待っていてくれるから
怒っている私の話を
最後まで聞いてくれるから
失敗したって
平気、平気と笑ってくれるから
そして
一緒に泣いてくれるから
一緒に笑ってくれるから
おかあさん
ぼくのおかあさんになる準備を
してくれていたんだね
私のおかあさんになることが
きまっていたんだね
だから、
ぼくは、
私は、
あなたの子どもになりたくて
生まれてきました。」
上の娘から夫との馴初めを尋ねられ、
お互いに学生時代、
障がい児施設でボランティアをしていたから
と答えたところ
「あぁ、お母さんはずっと
梓のお母さんになる準備を
していたんだね」
と言ってくれたことがきっかけで
生まれた詩でした。
昨年より私は
特別支援学級の担任となりましたが、
梓を育ててくる中で得た多くの学びが、
いままさにここで
生かされているように思います。
「お母さん、準備をしていたんだね」
という娘の言葉が、
より深く私の心に響いてきます。
福岡市立百道浜小学校
特別支援学級教諭
是松いづみさん
+---+
子どもの発想力に驚くことは
普段からいっぱいありますよね。
障害児に対する考え方も
大人よりも、
子どもたちはもっと
柔軟に考えられるのだとわかりました。
子どもから学べることって
実はいっぱいあるのかも。
心動かされるものがありましたら、
シェアをおねがいします。
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出典:致知2013年2月号
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