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木村草太氏が緊急寄稿

木村草太氏が緊急寄稿 「県民投票不参加は憲法違反」

2019年1月10日 沖縄タイムズ

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/368131

木村 草太(きむら そうた)
憲法学者/首都大学東京教授

1980年横浜市生まれ。2003年東京大学法学部卒業し、同年から同大学法学政治学研究科助手。2006年首都大学東京准教授、16年から教授。法科大学院の講義をまとめた「憲法の急所」(羽鳥書店)は「東京大学生協で最も売れている本」「全法科大学院生必読書」と話題となった。主な著書に「憲法の創造力」(NHK出版新書)「テレビが伝えない憲法の話」(PHP新書)「未完の憲法」(奥平康弘氏と共著、潮出版社)など。
ブログは「木村草太の力戦憲法」http://blog.goo.ne.jp/kimkimlr
ツイッターは@SotaKimura

住民投票条例は、市町村に投票事務の拒否権を与えるものではない
居住市町村によって投票できず、憲法14条(法の下の平等)に反する
投票へのアクセス否定は憲法21条(表現の自由)侵害と認定の恐れも

沖縄県名護市辺野古の新基地建設是非を問う県民投票について、下地敏彦宮古島市長が不参加を改めて表明するなど、県が全41市町村の参加を呼び掛ける一方、実施する方針の市町村は現時点で35にとどまる。県民投票の事務処理拒否は、憲法上も問題があると指摘する木村草太首都大学東京教授が本紙に寄稿した。

◇    ◇

沖縄県議会で昨年10月に成立した住民投票条例に基づき2月24日、辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票が実施されることになった。地方自治法252条の17の2は、「都道府県知事の権限に属する事務の一部を、条例の定めるところにより、市町村が処理することとすることができる」とする。今回の住民投票条例13条は、この規定を根拠に、投票に関する事務は「市町村が処理する」こととした。

なぜそうしたのかと言えば、投票所の設置や投票人名簿の管理は、国や県よりも地元に密着した市町村が得意とする事務だからだ。つまり、今回の事務配分は、各市町村に投票実施の拒否権を与えるためではなく、あくまで県民投票を円滑に実施するためのものだ。

しかし、宜野湾市や宮古島市で、県民投票の事務処理を拒否する動きが進んでいる。この動きには、地方自治法・県条例のみならず、憲法の観点からも問題がある。

一番の問題は、憲法14条1項が定める「法の下の平等」に反することだ。一部の市町村で事務執行がなされないと、住んでいる場所によって「投票できる県民」と「投票できない県民」の区別が生じる。「たまたま特定の市や町に住んでいた」という事実は、県条例で与えられた意見表明の権利を否定するだけの「合理的な根拠」とは言えない。したがって、この区別は不合理な区別として、憲法14条1項違反だ。

この点、投票事務が配分された以上、各市町村は、その区域に居住する県民に投票権を与えるかどうかの選択権(裁量)を持つはずだとの意見もある。しかし、「県条例が、そのような選択権を認めている」という解釈は、県民の平等権侵害であり、憲法14条1項に反する。合憲的に解釈するならば、「県条例は、そのような選択を認めていない」と解さざるを得ない。

この点については、昭和33年(1958年)の最高裁判決が、「憲法が各地方公共団体の条例制定権を認める以上、地域によって差別を生ずることは当然に予期されることであるから、かかる差別は憲法みずから容認するところ」との判断を示していることから、自治体間の差異は許されるのではないか、との疑問を持つ人もいるかもしれない。

しかし、この判決は、各自治体の条例内容の差異に基づく区別についての判断だ。今回は、各市町村が自らの事務について独自の条例を定める場面ではなく、県条例で与えられた県民の権利を実現する責任を負う場面だ。最高裁判例の考え方からも、地域による差別は許容されない。

さらに、平等権以外にも、問題となる権利がある。県民投票は、県民全てに開かれた意見表明の公的な場である。県民の投票へのアクセスを否定することは、憲法21条1項で保障された「表現の自由」の侵害と認定される可能性もある。さらに、憲法92条の規定する住民自治の理念からすれば、「県政の決定に参加する権利」は、新しい権利として憲法13条によって保護されるという解釈も成り立ちうる。

このように考えると、各市町村の長や議会には、県民の憲法上の権利を実現するために、「県民投票に関わる事務を遂行する義務」がある。議会が関連する予算案を否決したり、長が地方自治法177条の原案執行を拒否したりするのは、この義務に反する。訴訟を検討する住民もいると報道されているが、市町村が事務執行を拒否した場合、裁判所も厳しい判断をする可能性がある。

もちろん、「県民投票反対の市民の声を代表しなくてはならない」との責任感を持つ市町村長や議員の方々がいるのは理解できる。しかし、宜野湾市や宮古島市にも、県民投票に参加したいと考える市民は多くいる。そうした市民の声にも耳を傾けるべきだろう。

ちなみに、県条例は棄権の自由を認めているから、県民投票反対の県民は、市長や市議会議員に代表してもらわなくても、棄権という形で抗議の意思を表明できる。市民全員に棄権を強制することは不合理だ。

前回の参議院議員選挙では、徳島県と合区選挙となった高知県で、大量に「合区反対」と書いた棄権票が投じられたことが話題となった。今回の県民投票でも、棄権票に「県民投票反対」と書いて、強い反対の意思を表示することもできる。宜野湾市で、千単位、万単位のそのような棄権票が出れば、大きな話題となるはずだ。

県民投票は、県民の重要な意見表明の機会だ。沖縄県内の市町村長・議会議員の方々には、ぜひ、県民の権利を実現する憲法上の義務のことも考えてほしい。(首都大学東京教授、憲法学者)

きむら・そうた 1980年、横浜市生まれ。東京大学法学部卒業、同大助手を経て2006年から首都大学東京准教授、16年4月から教授。主な著書に「憲法の創造力」や共著「憲法の条件―戦後70年から考える」など多数。本紙に「憲法の新手」連載中。ブログは「木村草太の力戦憲法」。ツイッターは@SotaKimura。
きむらそうた

転載元転載元: 憲法と教育基本法を守り続けよう。

安倍・麻生よ! 年金月額5.5万円で生活出来るのか!

世相を斬る あいば達也 2019/01/09

あまり、ひと様の財布の中身など心配するのはハシタナイ気もするが、憲法で、国民に対し、文化的最低限度の保証をすると謳っている以上、この問題は、政治的問題であり、司法的問題でもある。

社会権といわれる条文の解釈や法理念には、多くの議論の余地が残されているが、実生活に則して、その状況を観察してみた。

【第二十五条すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。】

大雑把な括りで悪いが、仮に、東京で持家なしで一人暮らしをする場合、12万から15万円掛かると言われている。仮に平均値を13万円として考えてみる。

以下に、国民年金だけの人、生活保護だけの人を考えてみた。国民年金と厚生年金受給者の話は、本日は含まない。注:年金や生活保護等々は、加算金など厄介な面もあるので、不正確なこと断っておく。

以下で判るように、実際に国民年金だけに老後を委ねている人々がどの位いるか判らない面もあるが、自営業や農漁業従事者が、他の救済的基金に頼らなければ、ひとりの国民が、満額で受取れる国民年金は月額55,000円である。

東京で考えた場合、この額は家賃だけで消えてしまう金額だ。国民年金だけの給付で生活している国民の人数は定かではないが、2000万人以上いるものと理解している。

注:厚労省のデータを見たが、ストレートに人数を確認出来なかった。表を見ると4000万人以上いるようだ、この数字は多過ぎると感じたので半分に見ておいた。

まぁ人数が問題なわけではなく、給付される額が問題なわけだ。仮に筆者であれば、55,000円は煙草とスマホ料金で消えてしまう。
家賃も食事も衣服も買えないので、丸裸で、数日新宿西口公園に裸で座ることになりそうだ。

つまり、凍死か逮捕されるかになる。公然わいせつで逮捕されるくらいなら、窃盗で逮捕される方がベターなので、万引き家族になるだろう。冗談はさて置き、国民年金だけで、単身者が東京で生きるのは、かなり過酷だ。年金を40年支払った結果としては、騙された感が強い。

(国民年金夫婦2人分 111,230円)になると、徹底したやり繰りをすれば、生きていけないこともないが、かなりシビアで、アクシデントは生活の崩壊に瀕するだろう。

≪ 実際に支給されている国民年金の平均月額は55千円、 厚生年金は147千円

■実際に年金はいくらもらえているのか
「年金支給額は、国民年金が平均月額で55千円、厚生年金は147千円」という実績が公開されています。 これは、厚生労働省が公開している「平成29年度厚生年金保険・国民年金事業の概況」という報告書によるものです。 この記事では、「実際に年金はいくらもらえているのか」という点に絞って紹介しましょう。

■国民年金の平均月額は55千円
まず国民年金から見ていきましょう。 今回の報告書でわかった国民年金(老齢基礎年金)の平均支給額は、月額で「55,615円」でした。 国民年金の制度上の支給額は、月額で「64,941円」ですが、これは40年間保険料を支払った場合の満額です。 実際には、満額よりも1万円ほど少ない金額の人が多いことが分かります。

■厚生年金の平均月額は147千円
次に、厚生年金を見てみましょう。 今回の調査では、厚生年金の月額の平均支給額は「147,051円」でした。
しかし、厚生年金は加入期間や報酬によって、支給される金額に差があります。 そのため、男女差が大きく、男性が「166,668円」、女性が「103,026円」となっています。
今回の報告書に書かれた年金の月額は、実際に支給されている金額なので、自分の年金を考える際にも、ある程度の目安となります。今後の生活設計を考える際の参考としてください。

■目安として覚えておきたい金額
今回の平均月額から計算した、家族構成別の1月当たりの支給額をまとめてみましょう。 繰り返しになりますが、厚生年金については個人差が大きいので、ざっくりした目安と考えてください。
国民年金単身者 55,615
国民年金夫婦2人分 111,230
厚生年金男性 166,668
厚生年金女性 103,026
厚生年金()+国民年金() 222,283
厚生年金夫婦共稼ぎ 269,694

■モデル年金とも合致
なお、厚生年金について厚労省では夫婦二人のモデルの想定支給額を公開しています。
これは、40年間サラリーマンとして働いた夫と、専業主婦の組み合わせが想定されています。 つまり、厚生年金が貰える男性と、国民年金だけの女性という組み合わせです。
その金額は「221,277円」です。 今回、計算した金額も、ほぼ同じになります。だいたい、このあたりを一つの目安として考えれば良いでしょう。 【追記】この記事は、20181222日付でデータを更新しました。
 ≫(シニアガイド:マネー:年金)

それでは、生活保護費に目を向けてみると、意外な事実が判る。なんと、単身者においては、67,000円が支給されるので、(国民年金 単身者 55,615円)よりも、1万円以上お得だ。

しかし、そもそも、制度の趣旨が異なるわけだから、ネトウヨ方式で比較検討は出来ない。

しかし、月額1万の差は何なのだろうかと感じる気持ちもよく判る。原則的な話だが、低い額と高い額があった場合、高い額に問題があるわけではなく、低い額に問題がある着眼して、ものごとは考えるべきだ。

無論、生活保護と国民年金は、制度が違うわけであり、単純に比較すべきものではないが、生活者としては、手にする収入は同じになる。国民年金は、積み立てた年数に応じて支払われる年金給付なのだから、原則例外なく給付されるし、その権利がある。

しかし、生活保護は、≪生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。≫という制度なので、その当該者の生活条件の変化に応じて、減額増額停止などが起きる。

つまり、自立促進手当の意味もあるので、永遠に給付が受けられる保証はない。 問題は、この生活保護の場合、支給には条件があり、各都道県の窓口において。審査が行われる。

当然、国家権力の個人介入が起きるわけだが、自己申告なので、個人への介入と云う点では、趣旨が異なると受けとめていいだろう。問題は、窓口において、行政担当者のさじ加減で、生活保護の給付の有無が気ってされる部分だ。

つとに言われる水際作戦と呼ばれるものだが、行政側はないと言っているが、積極的に捕捉に努めていないところをみると、当然だが出さずに済む方向に誘導するインセンティブは働く。

生活保護費は主なモデルとして、以下のようになっているが、地域差などで、実際の給付額は異なる。

・夫婦 105,000円 ・単身 67,000円  ・シングルマザー(子供二人)184,000円。 
⊛その他、医療・介護費は無料等々、各種の扶助を受けられる条件がある。⊛出産扶助⊛葬祭扶助⊛入学扶助⊛家具暖房機扶助⊛配電設備費、上下水道設備費⊛母子加算、児童養育費加算などがある。

持家のない独身者が、国民年金だけで生きていくことは、殆ど不可能に近い事実は、何を語っているのだろうか。また、生活扶助を受ける必要があるにも関わらず、その扶助を受けていない人々がかなりの人数存在する事実だ。

生活保護の捕捉率というものだが、世界で断トツに日本が低いのである。世界標準が80%なのに対し、日本は20%なのだから、あまりにも酷い。これには、それなりの事情があると思われる。

安倍政権には見当たらない文化だが、日本には伝統的に「恥の文化」があるわけで、“痩せても枯れても”とか、“欲しがりません勝つまでは”とか、“武士は食わねど高楊枝”とか、“伊達の薄着”等々のことわざがある。

穿った見方をすれば、恥の文化を逆さまに理解すれば、本音を隠すことに美を感じてしまうわけで、実は、偽善的だともいえる。
しかし、この偽善が美徳とされたのには、国民を統制するには都合の良い文化だったのかもしれない。

お隣の国のように、ゆすりタカリと思われるような行動でも、許されるなら、よこせと言える文化も中々なものである。また、無闇とプライバシー意識を植えつけられたことで、個人情報にずかずかと踏み込んでくる行政の手続きに嫌気を差す点もあるだろう。

親戚に、自分の家の恥を知られたくないと云う意識だ。舛添元知事の姉の生活保護支援を拒否したと言われるが、兄弟姉妹にまで生活保護の場合影響があるので、それを嫌う傾向もあるのだろう。

国家主義体制が、夫婦単位から家単位、そして5人組のような方向に向かって統制したがるのも、国家にとって楽であり、支出が抑えられる、時には、捕捉しても申請者がいないなどと嘯けるわけである。

本日はまとまり悪く、国民年金と生活保護の支給額の差に着眼して、得意ではジャンルに挑戦してみた。

へーなるほどと思うことばかりで、筆者が驚きながら書いたので、当然まとまりが悪くなったので、ご容赦願おう。口直しではないが、しんぶん赤旗の記事と、神田憲行氏の憲法25条生存権についてのコラムを紹介しておく。

≪生活保護の捕捉率って?

Q 生活保護の「捕捉率」って何?  
A 生活保護を利用する資格がある人のうち、実際に利用している人の割合です。捕捉率に関わるものとして、厚生労働省は5月、所得が生活保護の基準を下回る世帯のうち保護を利用している世帯は22・9%という推計結果を発表しています。研究者の推計でも、だいたい2割程度でかなり低い状況です。(グラフ)  
Q 低い理由は?  
A 生活保護は恥(スティグマ)との意識や制度が正確に知らされていないこと、市役所などの窓口に行っても間違った説明で追い返される「水際作戦」が横行していることが指摘されています。
 

生活保護基準は、憲法25条で保障された「健康で文化的な生活」をおくるために「これ以上の貧困があってはならない」という最低ラインを定めたものです。捕捉率が低いことは最低ライン以下の生活を多くの人が強いられていることを意味しますから、捕捉率向上は緊急に取り組むべき課題です。  
Q 向上のためには何が必要?  
A 安倍自公政権は2012年末の発足から今年の5月までは捕捉率の推計すら行わず、向上に積極的に取り組んできたとは言えません。それどころか保護費を連続削減してきました。
 

日本共産党の志位和夫委員長は2月に、定期的に捕捉率を調査・公表し、向上に努めることを盛り込む生活保護法の改正を提起し、国の責任で生活保護を使いやすくすることを求めています。
 ≫(しんぶん赤旗:なんだっけ2018・6・3)

GHQでなく日本人が魂入れた憲法25条・生存権
600円では暮らせない」生存権問うた朝日裁判  5キロの米袋を段ボールの底に入れて、その上にレトルトのカレールーや調味料、インスタント麺などを重ねていく。

「まだ何か入るかな」男性がつぶやいて、隙間にお茶の葉のパックを押し込んだ。この小さな段ボールが「命の絆」につながる。 「年末年始は忙しかったですね。11日に緊急支援のメールが来て、2日には食料品を発送していました」
 

「フードバンクかわさき」代表の高橋実生さんはそう語る。高橋さんたちが生活困窮者の食糧支援をするこの団体を川崎市内のオープンスペースに立ち上げたのは2013年のこと。現在の利用世帯は160世帯。23年以上にわたる継続利用者は全体の4分の1で、自立して利用を止める人(高橋さんたちは「卒業」と呼ぶ)の方が多いが、毎週1組は新規の利用者が増える。

 
■憲法25条なんて、この国で守られているんですかね
利用者は生活困窮者で、生活保護を受給している人もいない人もいる。福祉事務所で生活保護申請を断られて、こちらに案内されてくる人もいる。
 

「そういう人でもまず話をします。門前払いはしません」 というのは、高橋さんも生活保護の受給者だからだ。夫のDVを理由に2人の子どもを抱えて離婚し、精神障害の障害者手帳も持っている。
 

「自分が支援を受ける側に立ったとき、法律は何の役にも立たないことがわかりました。自分の居場所がなくて苦しくて、自殺未遂をしたこともあります。いま同じような境遇にいる人でも、少しでも『道』があれば歩ける。その気持ちで活動を始めました」
 

「フードバンク」と名のつく組織は全国にあるが、全国組織というわけではなく、多くは「かわさき」のように独立した団体だ。通常、支援対象は主に福祉施設で、個人向けが中心の「かわさき」のようなケースは珍しいらしい。
 

関与している行政のうち、統計をとったり各地のフードバンク活動を紹介したりしているのが農林水産省だ。同省はフードバンク活動の意義を「食品ロスを削減するため、こうした取り組みを有効に活用していくことも必要」と位置づけている。
 

首を傾げる人も多いだろう。高橋さんも話す。これ、生活困窮者の問題ですよね? 食品ロスから語られるのは変だと思います」
 

フードバンクに企業から寄付される食料品は賞味期限切れ間近なものが多いから、食品ロスの解消に結果としてはつながる。しかしまず人を救うための活動が、食品ロスの観点から語られるところに、現在の福祉政策の在り方が現れてはいないだろうか。
 

高橋さんは苦笑いする。 憲法25条なんて、この国で守られているんですかね

健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する  
日本国憲法25条にこうある。 1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない》
 

憲法25条は「生存権」と呼ばれ、生活保護など社会保障の憲法上の根拠となる条文である。
 

日本国憲法はGHQ案が「下書き」になっていることはよく知られているが、実はそこに25条の「健康で文化的な最低限度の生活」という文言はない。
 

この趣旨の文言を憲法改正草案として初めて盛り込んだのは、戦後すぐに立ち上がった民間団体「憲法研究会」だった。1945(昭和20)年12月に彼らが公表した「憲法草案要綱」にこうある。
《一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス》
 

この条文を付け加えることを提唱したのは、経済学者の森戸辰男であった。その源流はドイツのワイマール憲法1511項に由来する。

《経済生活の秩序は、すべての人に、人たるに値する生存を保障することを目指す正義の諸原則に適合するものでなければならない》
 

森戸はワイマール・ドイツに留学した経験を持ち、ワイマール憲法に深い共感を持っていたという(遠藤美奈「『健康で文化的な最低限度の生活』再考」P108、『憲法と政治思想の対話』所収)。
 

憲法研究会は元東京大学教授の高野岩三郎、在野の憲法史研究家の鈴木安蔵、先述の森戸らによって1945(昭和20)年115日に旗揚げされた。どの政党よりも早くできた彼らの草案は新聞の一面に紹介された。また、GHQでのちに憲法改正問題の中心人物となるマイロ・ラウエル陸軍中佐は「この憲法草案中に盛られている諸条項は、民主主義的で、賛成できるものである」と高く評価したという。

 
■日本人の手によって完成した「生存権」
しかし1946(昭和21)年213日に日本政府に手渡されたGHQ案では、生存権の規定はこうなっていた。

24条 法律は、生活のすべての面につき、社会の福祉並びに自由、正義および民主主義の増進と伸張を目指すべきである》
 

これがGHQと政府の調整によって、帝国議会に提出されたときの政府案はこうなった。

《政府案23条 法律は、すべての生活部面について、社会の福祉、生活の保障、及び公衆衛生の向上及び増進のために立案されなければならない》
 

憲法25条で印象的な「健康で文化的な最低限度の生活」という文言がない。憲法改正を具体的に議論する芦田均を委員長とする通称・芦田小委員会で、81日、この点が議論になった。
 

憲法研究会の森戸は、社会党代議士として小委員会のメンバーでもあった。森戸は「健康で文化的な」という文言を付け加えるよう主張した。芦田が個人の尊厳を規定した憲法12条(現行憲法でいうと13条)に「その生活は保障される」という文言を挿入することを提案したが、森戸は「具体的に書かねばならない」と重ねて主張した。また同じく社会党代議士の鈴木義男も「生存権は最も重要な人権」と強く主張し、結局、彼らの主張通りの文言が挿入されることになったのである(尾形健『社会変革(social revolution)への翹望』、南野森編『憲法学の世界』所収)。
 

この議論の前の519日、皇居前で25万人が集結する「食糧メーデー」が開かれていた。そこで掲げられたプラカードにはこう書かれていた。

《ヒロヒト 詔書 曰ク 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ》
 

食糧不足が日本を覆い、餓死者が出ていた時代である。そこで「日本国民は健康的で文化的な最低限度の権利を有する」とは、なんと心強い言葉だっただろうか。

 
■「施し」ではなく国の「積極的な責務」
1947(昭和22)年53日に日本国憲法が施行されて、最初に憲法25条の法的性格を分析したのは民法学者の我妻栄である。我妻は同年に出版された「新憲法の研究」という論文集のなかで、25条を「生存権的基本権」と呼び、伝統的な「自由権的基本権」と区別して、 《現実の社会において、かかる利益を享受し得ない者に対して、国家が現実にこれを与えることに努力すべき積極的な責務を負託したのだと解さねばならない》 とした。

従来の生活保護制度が救貧政策による国家の「施し」というニュアンスであったものが、憲法25条によって一歩前進した。
 だが、最高裁判所は生存権について行政に広い裁量権を認めている。なぜそうなるのか、生存権の法的性格をかいつまんで説明する。
 

もともと人権は我妻栄が指摘するように「自由権的基本権」から始まる。これはたとえば憲法21条の「表現の自由」のように、「○○の自由」と付くものだ。個人の自由を最大限に尊重し、国家からの干渉を制限するために存在する人権である。
 

しかし憲法25条や26条の「教育を受ける権利」などは、国家の積極的な関与を求める権利である。これらを自由権に対比して社会権と呼ぶ。社会権は憲法で定められた人権を活かすために、一般の法律の存在を前提とする。25条の場合、「健康で文化的な最低限度の生活」の具体的な中身は、法律に委ねられる。

 
■「600円では暮らせない」として起こされた朝日訴訟
その中身が最初に問われたのが、憲法施行から10年たった1957(昭和32)年に始まった朝日訴訟である。
 

国立岡山療養所に入所していた結核患者の朝日茂さんは、生活保護法に基づき、毎月600円の生活扶助と全額給付の医療扶助を受けていた。ある日、それまで行方知れずだった兄が見つかり、兄が苦しい家計の中から朝日さんに毎月1500円を送付してくれることが決まった。
 

ところが地元の津山市社会福祉事務所は朝日さんへの生活扶助を廃止した上で、仕送り金1500円から生活費600円を除いた900円を朝日さんの診療に要する医療費に充当し、不足分について医療扶助を行う決定をくだした。つまり、朝日さんのお兄さんから仕送りがあっても、国庫の負担が減ることだけに利用され、朝日さん自身の生活は全く変わらないことになったのである。
 

やっと苦しい療養生活から抜け出せると喜んでいた朝日さんは、手元にくるお金が以前と変わらない金額であることに落胆し、「600円では憲法に掲げる健康で文化的な最低限度の生活を満たしていない」と、処分の取り消しを求めて厚生大臣を相手に行政訴訟を起こした。
  

憲法25条を巡る初めての裁判は全国から大きな注目を集めた。ポイントは、なにが「健康的で文化的な最低限の生活」なのか、裁判所が判断出来るのか、ということだ。そのころの通説的理解では、25条は政府への「努力義務」を課しただけであり、生活保護の具体的な内容(たとえば金額など)は、専門的知見を持つ所轄官庁の裁量の範囲内とする、というものだった。たしかに「健康で文化的」という言葉は抽象的である。また予算の限度も指摘されていた。
 

だが、裁判を担当した東京地裁の浅沼武裁判長は裁判所が判断をすることに踏み切った。そのころの思いを左陪席の新任判事として審議に加わった小中信幸氏は後にこう説明している。
 

「(25条の通説的解釈について)このような解釈は、憲法25条が保障する生存権的基本的人権の内容を実質空洞化するものであること、憲法25条の理念は、生活保護法の規定を通じて国民に対し、「人間に値する生存」あるいは「人間として最低限度の生活」を権利として保障したものであって、そうである以上、国はこの保障を実質化、具体化する義務を負うという考えに達した」(法学セミナー2011

転載元転載元: 真実の報道

http://kenpo9.com/archives/4710

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 きょう1月7日の朝日と読売に度肝を抜かれる全面広告が掲載された。

 見開き2ページにわたる全面広告を掲げたのは出版社の宝島社である。

 看板雑誌の『別冊宝島』からはたびたび取材を受けていたが、それが2015年に休刊になってからはほとんど目にする事はなかった宝島社だが、まだ健在だったのだ。

 その宝島社が、まさしくメディアの使命を言い当てた全面広告を掲げたのだ。

 朝日のそれは、石油に汚れた海鳥の写真を全面に使った「嘘つきは戦争の始まり」という広告だ。

 そして読売のそれは、ローマの休日で有名になった「真実の口」の写真を全面に使った「敵は嘘」という広告だ。

 それ以外に何もない。

 紙面の片隅に小さく「宝島社」とだけ書かれている。

 そのあまりの迫力に圧倒された。

 そして、それはまさしく新党憲法9条の主張そのものだ。

 引用の許可をいただくことを前提に、ここに、以下の通り、朝日の広告の全文を紹介したい。


 嘘つきは、戦争の始まり。

「イラクが油田の油を海に流した」その証拠とされ、湾岸戦争本格化のきっかけとなった一枚の写真。しかし、その真偽はいまだ定かではない。ポーランド侵攻もトンキン湾事件も、嘘から始まったと言われている。陰謀も隠蔽も暗殺も、つまりは、嘘。そして今、多くの指導者たちが平然と嘘をついている。この負の連鎖はきっと私たちをとんでもない場所へ連れてゆく。今、人類が戦うべき相手は、原発よりウィルスより温暖化より、嘘である。嘘に慣れるな、嘘を止めろ、今年、嘘をやっつけろ。

転載元転載元: ニュース、からみ隊

少し前の記事ですが。

考える広場

この国のかたち 3人の論者に聞く

 きょうは、建国記念の日。二十世紀終盤、司馬遼太郎は著書『この国のかたち』で「日本、そして日本人とは何か」を問い続けた。二十一世紀の今、三人の論者に歌い、語ってもらった。

◆緩やかな連帯を築け ラッパー ダースレイダーさん

ダースレイダーさん
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/hiroba/list/images/PK2017021002100207_size0.jpg
 父の仕事で幼いころはパリとロンドンに住んでいました。昨年、アムステルダムとベルリンに行き、欧州と日本の違いを感じてきました。「公私」の優先順位で言えば、「私」が先なのが欧州。日本の場合は「お上」が決めたことに従って皆が生活していくという感じです。
 加えて、日本には、もともとコミュニティーというか、向こう三軒両隣というのがあった。それを無理やり西洋化しようとした結果、隣に誰が住んでいるか分からず、例えばごみ収集のルールが守られなくなりました。分断された。弱い個がひたすら並んでいるだけの集合体で、社会とすら言えない。
 日本が日本であることは、不戦を誓った憲法九条を持っていること。それを外交上利用すれば、独自の存在感が出せる。現状は逆。唯一の被爆国なのに、核拡散の防止で日本は出遅れています。九条が最大の“武器”のはずなのに、それをなくすのが「お上」の方針なんですね。
 政権は「成長戦略」を掲げています。でも、今の日本はどう頑張っても、少子化は決定し、人口減は避けられず、高齢者は増えていく。成長ではなく「成熟」が求められていると思います。それが社会を豊かにする。
 ラップで国家観を歌うことは今は少ないです。言葉を使った文化ですから、今後は広めていこうかな。米国でのラップの成り立ちは、少数派が自分たちの状況をアピールするため。日本では、音楽に政治を持ち込むなという雰囲気がありますね。
 「若者がお年寄りに席を譲らない」といわれますが、お年寄りが知り合いなら譲りますよ。身近な人から関係をつくり直しませんか。今は会員制交流サイト(SNS)もあります。緩い連帯があれば、逃げ場もできますよ。
 無条件にお上に平伏
 意識すべきは成長より成熟
 知識と情報の共有
 向こう三軒両隣 同じ境遇
 例えばHIPHOP(ヒップホップ)
 グローバルカルチャー
 ひとつの思想
 緩やかに繋(つな)がれば
 新たな時代を捕まえた
 地に足つけて手繰り寄せ
 自分の手で未来 抱き寄せる
 僕の国家観をラップ詩で表現してみました。各所で韻を踏んでいるのが、ラップ詩の特徴です。リズムを強調して歌ってみてください。
 (聞き手・小野木昌弘)
 <ダースレイダー> 1977年、パリ生まれ。本名・和田礼。東京大中退。在学中にラップに目覚め、98年に活動開始。2010年に脳梗塞で倒れ、合併症で左目を失明したが、1カ月で復帰。父は元朝日新聞欧州総局長の和田俊。




◆平等に貧しくなろう 社会学者・東京大名誉教授 上野千鶴子さん

 日本は今、転機だと思います。最大の要因は人口構造の変化です。安倍(晋三)さんは人口一億人規模の維持、希望出生率一・八の実現を言いますが、社会学的にみるとあらゆるエビデンス(証拠)がそれは不可能と告げています。

上野千鶴子さん
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/hiroba/list/images/PK2017021002100208_size0.jpg

 人口を維持する方法は二つあります。一つは自然増で、もう一つは社会増。自然増はもう見込めません。泣いてもわめいても子どもは増えません。人口を維持するには社会増しかない、つまり移民の受け入れです。
 日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。
 移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。
客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。
 主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。
 だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。一億人維持とか、国内総生産(GDP)六百兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合う。ただ、上り坂より下り坂は難しい。どう犠牲者を出さずに軟着陸するか。日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。
 日本の希望はNPOなどの「協」セクターにあると思っています。NPOはさまざまな分野で問題解決の事業モデルをつくってきました。私は「制度を動かすのは人」が持論ですが、人材が育ってきています。
 「国のかたち」を問う憲法改正論議についても、私はあまり心配していない。国会前のデモを通じて立憲主義の理解が広がりました。日本の市民社会はそれだけの厚みを持ってきています。
 (聞き手・大森雅弥)
<うえの・ちづこ> 1948年、富山県生まれ。認定NPO法人「ウィメンズ アクション ネットワーク」理事長。『ケアの社会学』『おひとりさまの老後』など著書多数。近著は『時局発言!』(WAVE出版)。


◆変化を拒んではだめ 小西美術工藝社社長 デービッド・アトキンソンさん


デービッド・アトキンソンさん
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/hiroba/list/images/PK2017021002100209_size0.jpg

 日本は経済が強い、高い技術力の国だとみんな思っていますね。たしかにGDPは米国、中国に次いで世界三位です。ただ先進国におけるこの順位は、勤勉さや技術力ではなく、ほぼ人口に比例しています。日本が人口大国であることを示しているにすぎません。一人当たりの生産性で並べ直すと一九九〇年は十位でしたが、二〇一五年は二十七位。昨年は三十位にまで下がりました。労働人口ベースではスペインやイタリアより低いのです。これほど生産性の低い国になってしまったという認識は、あまり浸透していないのではないでしょうか。
 私は現在、国宝や文化財の修復を行う会社で経営に携わっていますが、長くアナリストとして日本経済を見てきました。日本人の現状認識は、甘いように感じます。そもそも今の社会は、人口が永遠に増える前提でつくられています。企業体系、年金、福祉、家族制度など、ほとんど全部です。人口が激減する時代に合う形に変えないと、今後の発展は難しいでしょう。
 一方で、生産性が低いということは、伸びしろがたくさんあるということです。労働者は総じて高い技術を持ち、とても勤勉なのに、それを経営者が生かし切れていない。私からみると宝の持ち腐れで、いくらでも改善できるポイントがあります。女性がもっと同一労働をするようになるかどうかも鍵でしょうね。女性は補助的な仕事でいい、という意識を社会全体で変える必要があると思います。
 日本の企業を見て感じるのは、独り善がりな「好き勝手経営」が多いということです。市場と対話せず、自分たちが作りたいものしか作らない。観光は、非常に成長が見込める分野ですが「おもてなし」で、外国人客を誘致するといいながら、客の視点で多様なサービスを設計していなかったのです。鉄道の券売機でクレジットカードが使えなかったり、インターネットでレストランの予約もできなかったり。銀行の窓口はなぜ今も、午後三時までなのでしょうか。
 改善点を指摘すると「これが日本のやり方だ」と反発されることが多いです。でもそれほど長い伝統のはずはありません。国の形は、時代に合わせて変わってきました。仏教が伝わり、天皇制が発達し、武士が台頭し…。時代を経てたまたま今の形がある。変化を拒む理由はありません。
 (聞き手・中村陽子)
 <デービッド・アトキンソン> 1965年、英国生まれ。オックスフォード大で「日本学」を専攻。元ゴールドマン・サックス金融調査室長。裏千家で茶名「宗真」拝受。『新・観光立国論』で山本七平賞。他に『新・所得倍増論』など。
 <建国記念の日> 古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日は紀元前660年1月1日(旧暦)とあり、これを1873(明治6)年に新暦に換算し2月11日が「紀元節」と定められた。第2次大戦後の1948(昭和23)年に占領軍の意向で廃止されたが、66(昭和41)年に「建国記念の日」として国民の祝日になった。

転載元転載元: 猫と薔薇、演劇、旅ファン

【「憲法改正」規制なき国民投票法改正が先だ! 国民の15%で過半数とみなされる。 改憲CMの規制がない。資金が潤沢にある自民党のCMが圧倒多数になる仕組みが危ないのだ!】
 来年2019年は「憲法改正の国民投票」が実施されるかも知れない。 護憲派や野党はその対策を考えなければならない。ご存知のように、もう自民党憲法改正推進本部は、ずっと前からその準備をすすめている。しかし、改憲発議を目前にしてもなお、護憲派の野党などは、有効なPRを準備できずにいる。その間、改憲派は自民党を中心に電通とタッグを組み、着々とリサーチや世論誘導を進めているのだ。
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【すでに、世論調査の傾向を見ると、ずるずると改憲の方向へ引きずられている】
 たとえば共同通信が今年月13・14日に行った調査では、憲法9条に自衛隊を明記する首相の提案には反対52.7%で賛成35.3%を大きく上回った。ところが、同じ共同通信が3月3・4日に行った調査では、同じ質問で賛成が39.2%と上昇し、反対が48.5%とついに過半数を割っているのだ。
 何度でも言うが、安倍政権による憲法改悪は、「緊急事態条項の新設」からもわかるように、現行憲法で保障された『平和主義、国民主権、基本的人権や自由』を奪い、国家に従順させようとするものに他ならない。
 しかし、現行の国民投票法は発議した側と金持ち、つまり自民党に圧倒的有利となっている。このまま状況を黙って見ているだけでは、改憲は食い止められない。その危機感を共有し、一刻でも早く行動に移すことが求められている。
【衆参同時選挙&国民投票になる可能性が十分の考えられる】
 国民的議論は全く深まらず、来年はただでさえ過密スケジュールな上、以前から指摘してるように、安倍晋三は、これまで2回あったように、まずは選挙で勝つため、2度あることは3度あるで「消費税増税先送り」で衆参同時選挙に打って出るという可能性は否定できない。
 ただ、これまでの安倍政権のやり方を見てると、やる時はやる。これまでの「特定国家機密法」「安保法」「共謀罪」などがそうである。
【自民党改憲改正本部】のホームページを見ればわかる。
http://constitution.jimin.jp/
 「憲法改正推進本部ニュース」や「研修会を全国で開催」している。憲法改正への国民的機運を高めるため、わが党は平成26年4月から「憲法改正研修会」を全国各地で開催しています。各都道府県連が主催する会合に憲法改正推進本部の役員を講師として派遣し、わが党の憲法改正草案の説明などを行っています。
【自民・憲法改正推進本部 新体制で初の幹部会合】(18/10/19)】

https://youtu.be/DoZeEzVevto
▼憲法改正推進本部の会合であいさつする下村本部長(19日午後、自民党本部
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憲法改正推進本部での安倍晋三の言葉をみてもーー。
【安倍総理が記者会見 憲法改正の実現に重ねて意欲】
http://constitution.jimin.jp/news/2018/000003.html
 安倍晋三首相は自衛隊を違憲とする学者が大半を占めると指摘。「この状況に終止符を打つのは今を生きる政治家の使命だ」「これまでの議論の積み重ねの上に、自民党としての改憲案を速やかに国会提出できるよう取りまとめを加速すべきだ」などと述べ、憲法改正の実現に重ねて意欲を示しました。
 他方、安倍総理は「両院の3分の2を得て発議をし、国民投票において過半数の賛成を得なければならない。地に足の着いた、現実にしっかりと目を向けながら結果を出していく。そういう姿勢も私たちは求められている」と語り、国会において丁寧な議論が重要との認識を強調しました。
あの執念から、衆参同時選挙&国民投票になる可能性もある。
良く考えてほしいーー。
【平和主義と国民主権の憲法の改正ですよ。この国の全ての基準となるものを変えるということです】
 今の生きてる国民すべてに関わることで、まだ生まれてない未来の国民に対する責任もあるのです。
「憲法改正」は非常に重要な事なのです。
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彼らの最後の狙いは、「自民党の創生日本」の恐ろしい、思想にあります。
「平和憲法を変えて、国民から主権をうばい、基本的人権も奪う」それが、目標です。
前にも投稿しましたが。このような自民党「創生日本」の連中の恐ろしい言い分です。恐ろしい話です。

【国民の権利没収改憲 憲法改正誓いの儀式】
『国民主権、基本的人権、平和主義を削除しよう!』 『尖閣諸島軍事利用しよう!』など驚愕の宣言続出。

【憲法を一度でも、改正できれば二度目からそのハードルはさがる】
 安倍自民が狙っているのは、最初は、「自衛隊の明記」で突破口を作ろうとしてる。 最終的には上記のような日本になることを願っているのです。
 どんな事でも共通しているが、何かを一度でも変えると、「それが普通」に思うのが人間の心理です。
 外国でも、憲法改正してる国は、このような傾向にあります。

【憲法改正への意識がどの程度あるか? 民度が問われる】
・今の日本国憲法をじっくり読んだことがある人
・立憲主義の意味を知ってる人
・自民党改憲草案を読んで今の憲法と比較したことがある人
・国民投票法について理解してる人
・自民党の改憲4項目を言える人
いったい、国民にどれだけいるでしょうか?
ということで、国民投票法とその不備についてよくわかる記事を紹介しようーー。
 本間龍さんは元博報堂の社員ですから、CMについての話は信憑性が高い。
私は、今のマスコミのCMで不公平が起きるような現状で、国民投票をしては、絶対にダメなんです。
【知られていない「憲法改正国民投票」のルール。莫大な資金、広告に支配される危険性ー求められるCM規制、均等配分、第三者機関の設置― 本間 龍さん】
ビッグイシュー・オンライン 10月17日
 憲法改正などをめぐる国民投票が行われる際、有権者がより公平な情報に基づいて判断を下せるよう、欧州諸国では広告規制が行われている。 しかし、日本の「国民投票法」には広告規制がほぼ存在せず、与党が圧倒的に有利な状況だという。
本間龍さん(著述家)に問題点と改善策を聞いた。.....
続きはリンク先でどうぞーー。
https://blogos.com/article/332142/
本間氏のこの言葉が印象的。
 意見を考える段階で一方的な情報提供しか行われないとなると公平ではない。 広告があまりにも生活の隅々まで行き渡ってしまったせいで、私たちは自分が広告に動かされて物を買っていることすら意識できなくなっている。
 その延長線上で、こうした不公平な国民投票の広告合戦が展開されても、自分が何かに動かされていることにすら気づけないかもしれない。
 具体的に言えば、【テレビショッピング】などは、見ていて最初は興味がなくても、見てるうちに心変わりして、「これなら安いし」と無意識的に買う。だが、使わないのだ。
あれが、テレビの魔法である。

このような、同じ魔法を、安倍政権は改憲に使おうとしているのです。恐ろしいことです。ほんとに・・。それでいいと思いますか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
【憲法改正の国民投票における「CM規制」の重要性】
高知新聞 2018.04.27 08:00
https://www.kochinews.co.jp/article/178789/
 国の最高法規である憲法の改正は最終的には国民が投票によって可否を決める。
 その手続きを定めたのが「国民投票法」だが、市民団体などからは不備が多いという指摘も出ている。改憲論議を急ぐ前に、国民の意思を適正に反映し得る投票ルールに作り直すことが欠かせないはずだ。

【国民の過半数ではない。有効投票の賛否15%で決まるおかしな法】
 国民投票法は「有効投票総数の過半数の賛成で承認される」と定めている。
 例えば、投票率が30%で、うち半数を少し上回る人が賛成に投じた場合、全有権者の15%程度の賛成で改憲が成立することになる。
 これを国民の意思とみなすことには疑問が生じるだろう。 これには、棄権者も含めてと感じますが難問です。
図を参照してください。
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これも安倍官邸の高圧的なマスコミ介入ーー。
【2018年12月12日民放連が、ここに来て自主規制しない方向を打ち出す】
http://hakka-pan.blog.jp/archives/14069816.html
 憲法改正の国民投票に対するCM放送について、国民投票法が制定された時点(11年前)では「自主規制しなければならない」という姿勢だった民放連が、ここに来て自主規制しない方向を打ち出しており、批判が高まっております。これも、間違いなく、安倍官邸の圧と手なづけでしょう。
 CM規制をしないという事になれば、とても不公平な事になります。
潤沢な資金があると自民党など関連組織が大量にCMを流せるようになるからです。結果、CM次第で国民思想は変化します
そして、ハイ!またも12月26日ーー。マスコミ買収に安倍総理動く!! これも憲法改正のため。
【今年も安倍総理とマスコミ幹部が忘年会!田崎スシロー氏、朝日・曽我氏、毎日・山田氏、NHK・島田氏、読売・小田氏など「いつもの面々」!(in「京都つゆしゃCHIRIRI」)
朝日新聞  2018.12.26.
https://www.asahi.com/articles/ASLDV6G46LDVUTFK017.html
 このように、憲法改正したいから安倍晋三はこのようにテレビ局の連中を押したり引いたりしているのです。
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憲法の改正を行う国民投票でですよ。
これは、まず先に、「国民投票法」をシッカリと改正して、公平な選挙にしなけばなりません。
私は、今の素晴らしい、憲法を改正することなどまったくないと感じます。
 だって、広島、長崎に原爆投下されて、軍人、民間人の400万人の方が亡くなった反省の基に作られた憲法は、人類普遍の原理、原則であると確信してるからです。
『平和主義 国民主権、その国民の基本的人権』がなくなったら、憲法ではなくなります。

転載元転載元: 山と土と樹を好きな漁師 ー「佐々木公哉のブログ」


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