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『1/4の奇跡 「強者」を救う「弱者」の話』 / ちいさなふたばさんのブログより
http://mintgreen3344.blog.fc2.com/blog-entry-163.html (以下、一部転載) 昔、アフリカのある村で、マラリアという伝染病が猛威をふるいました。 村にとっては大打撃。 けれど、絶滅するほどの病死者が出る一方で、 必ず生き残るグループがいました。 後になって、多くの研究者が、生き残った本人からその子孫まで、 徹底的に調査し、メカニズムを調べました。 その結果、1つの事実が分かったのでした。 マラリアが多く発生する地域では、ある一定の割合で、 「伝染病に強い、“突然変異遺伝子”を持つ人がいる」ということ。 そしてその「強者の遺伝子」を持つ人が生まれるとき、 そのきょうだいに重い障害を持つ人が生まれる、ということ。 その確率は4分の1であること。 4人の子どもが生まれた場合、そのうち1人は成人する前に亡くなってしまうような重い障害を持つということです。 人間がマラリアとの生存に勝つには、マラリアに強い遺伝子のほかに、 病気や障害を持つ遺伝子も必要だった。 病気や障害を「引き受ける」人がいなければ、その村は絶滅していたということになります。 難病を持つある少女は、山元さんからこのお話を聞いて、 「病気や障害はとても大切。みんなが素晴らしい役割を持っている。 そんなことを、世界中が当たり前に知っている世の中に、かっこちゃんがしてほしい」 と言ったそうです。 その少女は後に亡くなってしまいました。 山元さんは、その少女の気持ちを抱えながら、講演を続けておられるのでしょう。 以前『重い障害を生きるということ』という本を紹介しました。 その本の中にも、少し似たようなお話が書かれていました。 「遺伝子疾患については、悪い遺伝子のためと考える人もあるが、 遺伝子にはよいも悪いもなく、 生物のそれぞれの種(しゅ)の存在にとって必要な情報であり、 多様な遺伝子の存在によって生物種が保たれ存在している。 また遺伝子の組み合わせによって個体に多様性があり、 ある個体は生存や生活に不自由をきたす状態がおこる。 そのような状態を引き受ける個体があることによって、 その生物種の生存が維持されているという関係にある。 いわばその生物種の存在を守っている『戦士』と言ってもよいのである。」 (転載終わり) 少し、補足の説明をします。 映画「1/4の奇跡」の監督の入江富美子さんのインタビュー記事より 引用します。 「1/4というのは、昔マラリアがアフリカで大発生して、マラリアで人類が 滅亡してしまうんじゃないかとなった時に、マラリアにかからない人がいるって ことがわかったんです。 それで科学者たちが調査をしたところ、ふつうの人達の赤血球がドーナツ型を しているのに対して、マラリアにかからない人達の赤血球は鎌型をした 鎌状赤血球が含まれていることがわかったんです。 で、遺伝子というのは二つのセットになっていて、鎌状と鎌状の組み合わせの 人が1/4、鎌状と正常、正常と鎌状、正常と正常という1/4づつのグループに 分かれることがわかったんです。 そして鎌状と鎌状の組み合わせの人には病気があって、特殊な貧血症という 障害をもっているんです。 でも鎌状と正常の赤血球をもっている2/4の人は鎌状の遺伝子をもちながら 病気はないんです。 そうするとマラリアにかかった時に、正常赤血球の人は鎌状赤血球がないので 亡くなってしまうんです。 で、残された3/4の人達のうち、2/4の鎌状と正常赤血球を持ってる人達が 生き延びて、また人類をふやしていってくれるんですけど、でもその人達が 生まれるためには1/4の障害をもってる人達がいてくれる必要がある。 ということで、障害のある人達がいなかったら、人類は生き残っていけないと いうことが科学的にわかったんです。」 (http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae149-irie.htmlより抜粋) 鎌状赤血球の遺伝子を両親からもらうと障がいが発生しますが、片親だけから 貰った時には障がいは発生しません。 障がいを発生させる鎌状赤血球は負の遺伝子とも言えますが、 もしも「障がいを持った人は要らない」という発想を村がしていれば 鎌状赤血球を持った2/4の正常者も産まれて来なかったことになり この村はマラリアで全滅していたはずです。 言い方を変えると「1/4の障がい者がこの村の絶滅の危機を救った」 ということになります。 生命というのは種を保存させるためにあらゆる環境でも生き延びられるように 「保険」を掛けているように思います。 そういう意味では障がいという形で表れてくるものも何かしら意味があるのかも
知れません。
力の強い者、頭の良い者、協調性の高い者、特定の病気になりにくい者など、 色々と特徴を分けることであらゆる環境リスクに耐え、どれかが生き残れるように プログラミングされているのではないでしょうか。 強者が弱者を助けてやろうというのは実はおこがましい考え方で、 弱者を大事にできなければ将来絶滅の危機を迎える可能性が高まる ことにつながります。 つまり、自分や自分の子孫の繁栄を願うのであれば障がい者や弱者 を大事にしなければ生き残れないことになります。 全ては誰かのためではなく、「自分の為」なんですね。 映画「1/4の奇跡」 http://www.yonbunnoichi.net/sakuhin/story/
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映画
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映画監督に制作を依頼するも、受けてくれる監督がいなかった為に、自ら「脱原発映画」を制作した河合弁護士。その熱意と、どうしても作らねばと思い立たせたものが何であったのかを確認すべく、3/8に鑑賞しました。
福島第1原発事故後に多数作られてきた“脱原発映画”の、決定版というべきパワフルなドキュメンタリー作品です。(映画批評家・前田有一) 「この映画を見たことを、新たな避難所で思い出すことのないように」。
映画のラスト近くで流れるこのナレーションが、今私たちが置かれている時代の厳しさと、二度と同じ誤りを過ちを繰り返させてはならないという制作者お二人の強い思いを感じさせました。
90年代から脱原発運動に関わる彼は、近年は大飯原発差し止め訴訟や、東電の歴代取締役に5兆5045億円という世界最高額の損害賠償を請求した株主代表訴訟など、日本の脱原発シーンをリードするカリスマ弁護士として知られています。 2014年。監督・製作:河合弘之、構成:海渡雄一、脚本:拝身風太郎、音楽:新垣隆。出演:青木秀樹、アナトーリー・チュマク、飯田哲也、エフゲーニャ・ステパノワ、大島堅一、川口登、小出裕章、コンスタンティン・ロガノフスキー、古賀茂明、鈴木大介、高野仁久、田中三彦、馬場有。
●映画を見て最も衝撃的だったのは、福島第一原発事故が起こった翌日か翌々日、2号機の放射能濃度が異常に上昇し、非常に危険な状況に陥り、もし爆発が起これば、東日本は壊滅の危機に瀕していたという事。 撤退も視野に入っていた東電に管首相は、撤退はあり得ない旨を伝えます。しかし、正に奇跡としか言い様がない翌日の2号機の放射能濃度低下により、爆発の危機は回避。 危険度が如何に高かったか、それを感じながら見るうちに、体が硬直していきました。 ●目に見えない形もないものが奪う、そこに暮らす人々の未来と過去。浪江町馬場町長の悔しさをにじませた発言は、被災地の長としての責任感を強く感じさせました。それに対して国の責任者の無責任発言…。 ●原発事故とよく比較される自動車や航空機の事故。その2つの大きな違いは、前者は無限定に「種」の死が訪れ、後者に訪れるのは「個」の死でしかない、という事。 ●地震多発地域が示された世界地図上で、原発が多く立地しているのは日本のみ。地震発生数は世界平均の130倍。造る前から既に「アウト」であったことは明らか。 ●日本政治の「悪」が凝縮したものが原発。それは原子力ムラの莫大な利益循環システム。何と卑劣な事か…。利益を享受する自民が政権党である限り、その利権を捨てさせることの難しさが思われました。 ●原発の爆発により、生存者がいたにも拘らず、救出作業を断念せざるを得なかった消防団員の方の無念。そして災害後、心を病み、自殺した妻を思う、夫の無念。 ●原子力規制委員会が、再稼働の為に設けられて審査するのは「安全基準」ではなく「規制基準」。だから田中委員長が「安全を保障するものではない」と、川内原発審査後に発したのだと理解できました。 ●震災発生時、原発の全電源消失は15:37、津波到達は15:39。という事は、事故を引き起こした原因である全電源消失は津波ではなく地震によるもの。つまり、日本の原発全てに、地震によって同事故が引き起こされる可能性があるという事。それによる「水平展開」を恐れる国と電力会社。 ●3月11日まで「原発は絶対に壊れない」神話を浸透させ続けた国。想定外のことは起こるのだという事。 ●原発の稼働は、「抑止力」になると伝えた読売。原発から生まれるプルトニウムが兵器になる事の仄めかし。 ●原発を稼働しないことによる「国富流失」の嘘。原油輸入の為の負担増は円安の影響も。しかし、国富3000兆に対してその値は0・1%ほどでしかないこと。 ●画期的だった「大飯原発三・四号機運転差止請求事件判決」。これが今後の「原発」裁判の道筋を示す希望と成り得ること。 ●速やかに「廃止」するのが最も経済的。 とても分かりやすい結論として、それがすんなり受け止められた河合・海渡弁護士からのメッセージでした。 首相の軽い発言、特に東京五輪誘致での「under control」の場面では、会場全体から失笑が漏れました。
河合弁護士は、共同制作者の海渡弁護士のことを、どこを切っても金太郎飴、と仰っていましたが、確かに柔和な表情と強い意志の力は、常に海渡弁護士の中から滲み出ているものでした。(昨年講演会に参加しました) そう仰る河合弁護士も、喜怒哀楽を所々で見せながらも、終始エネルギッシュに、明るい表情でドキュメンタリー制作に関わっておられました。 映画の中ではインタビューの日付が記されていましたが、その最後のものは確か昨年9月。この映画の公開が始まったのが11月でしたから、本作が如何に急ピッチで仕上げられたかを知り、そこにまた、河合・海渡両氏の「脱原発」に向けた信念を感じました。 劇中音楽は、かつて佐村河内守さんのゴーストライターとして注目を浴びた新垣隆さん。 監督らの心意気に共感した新垣さんの音楽が、映画の各所で適切な背景を成していました。 原発の歴史、現状、非人間性、全てが網羅されたドキュメンタリー。「是非見て、知って、考えて下さい」、 そう多くの人に言いたい作品です。
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前回の終わりに書いた<この作品の近藤監督は、一方的に、漢族や原住民の生徒たちを教え導く、野球監督として描かれているわけではない。>ということの説明をしていこう。
そのためには、映画のストーリーをもう少し明かさなければならない。
この映画を見る人は、ほとんど誰も、『嘉農』が甲子園で『準優勝』だったこと、つまり最後の決勝戦では負けたことを知っているだろう。
そうすると、その『負け方』をどのように描くかが、ある意味で、映画を盛り上げていく上での『工夫』というか、『勝負』になる。
この映画、そもそも、『実話』にどこまで忠実であるか、わからない。
だが、パンフなどに説明されている内容によれば、結構、史実と異なる内容が盛り込まれているようだ。 (例えば、試合の最後の打者が誰であったのかというのも、異なっているともいう。) そういう意味では、最後に『負け試合』になるということ、それを別にすれば、結構、『想像の翼』(NHK『花子とアン』のセリフより)をふくらませた所産の部分もあるのでは、と思う。
この映画、『嘉農』の『負け方』が非常に良い。
あまり詳しく書くと、これから見ようかと思っている人の興味をそいでしまうかもしれないので、それは避ける。
ともかく、最後の『負け方』の部分で、近藤監督は、『嘉農』の選手たちに逆に『野球』について教わる立場になってしまうのである。
だから、この映画は、終始、近藤監督という日本人が、台湾の生徒たちを教え導くという一方的な関係を描いたものではない。
また、細部は私自身、忘れてしまったが、この近藤監督、周囲との折り合いもあまりうまくなく、『不器用』というか『危ない性格』の人物にも見えるような描き方がされている。
そのような彼が、いわば『非行』に走ることなく、『まっすぐな道』を進むことができたのは、逆に、『嘉農』の選手たちを教えて、甲子園に連れて行くという『目標』を見出すことができたということも多かったであろう。
つまり、近藤監督は、台湾で自分自身の『再生』を果たすことができたと言っても良い。ここにも、台湾(人)が日本(人)に頼るばかりでなく、その逆と言うか、双方向の関係もきちんと描かれている。
私は、この映画とこれまで『セデック・バレ』と『海角七号』というウェイ・ダーション(魏大聖)氏が監督や製作・脚本に携わった作品を見て来て、これらの映画は、単なる『親日』映画でも(もちろん、『反日』映画でも)ないと思う。
どちらかと言えば、台湾が日本との関係などを、振り返って、『台湾自身とは何なのか』『台湾は何を目指していくべきなのか』を描こうとした作品のように感じる。
仮に、日本と台湾の関係を、多くの日本人が、そのように『見たい』と思っている(らしい)ように、親と子の関係となぞらえて考えてみよう。
子供のほう、つまり台湾のほうは、親(日本)との関係を冷静に客観的に見つめ直して、いわば『親離れ』をし、『自立』をして行きたいと思っている。
ところが、(すっかり自信を失ってしまった)親(日本)のほうは、さっぱり、『子離れ』ができていなくて、このような子供を育てることができたことに、自分自身の『アイデンティティ』を見出そうとしている。
おそらく、こんな関係が成り立ちそうな気がする。
日本は、中国や韓国とうまく行っていないことの『埋め合わせ?』を台湾との関係で、つけようなどとは考えないほうが良いのではないか、と思う。
また、台湾のほうでは、近藤兵太郎氏、あるいは、(この映画で描かれている、大規模灌漑事業の『嘉南大圳しゅう』の設計者であった)八田與一氏などの日本人を尊敬した人も多かったことだろう。
だが、それは日本人一般を尊敬したことと必ずしも『イクォール』ではないと思う。
それは、日本人が例えば、(大森貝塚の)モース博士や、(札幌農学校の)クラーク博士を尊敬し、感謝したとしても、それがアメリカ人一般を尊敬したことにはならないのと、同じことである。
(近藤監督は、この映画の中で、むしろ『日本人社会』の中では、『異端児』的な存在として、描かれていた。)
また、戦後、日本の統治時代をなつかしむような時期が台湾の中にあったといわれるが、それは中国大陸から逃れてきた蒋介石政権の水準が、あまりにもひどかったからであろう。
台湾が、その蒋介石政権の負の遺産を克服し、自立の道をたどる中で、再び、『捨てた親?』(日本)をもう一度求めているなどと考えない方が、むしろ生産的な関係を築いていくことができるのではないだろうか。
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今日(7日)、また朝から用事があったため、この記事の続きを書くのが遅くなってしまった。
映画『KANO』というのは、1931年夏の、第17回全国中等学校優勝野球大会に、台湾代表として初出場した、『嘉義農林学校』(略称、『嘉農(かのう)』)が準優勝まで勝ち進み旋風を引き起こした話を描いたものだ。
このチームのリーダー、近藤兵太郎(ひょうたろう)監督が、この映画の主人公である(永瀬正敏さんが演じている)。
近藤は、当時43歳。それ以前には、松山商業の監督を務めており、何度も甲子園出場を果たし、1925年春の甲子園大会では優勝に導いていた。
だが、松山商業の後援会などとの折り合いが悪くなって、1925年、母校である松山商業を完全に去った(それ以前から、既に台湾の学校に勤務しながら、夏ごとに帰国して野球の指導を続けていたという)。
近藤監督が率いた、『嘉農』が人々を驚かせたのは、甲子園出場までは、台湾においても、ほとんど試合で勝利した実績のなかったチームであったからだ(ここら辺、映画ではかなりドラマティックに描かれているが、実際の話とは、飛躍があるのかもしれない)。
当時、台湾の北部では、野球が流行っていたが、嘉義の位置する台湾南部、あるいは台湾中部では、あまり普及していなかった。
それを、『嘉農』は(初めて勝つまでは、苦労を極めたが、その後は)破竹の勢いで勝ち進む。 このチームの特徴は、日本人、漢族、そして原住民の混成チームであることだ。
映画の中で、近藤を夜の宴会で迎えた、現地の日本人の偉そうな人物(正確な身分は何だったか、よくわからない)が、『あんたのチームに日本人は何人いる?』と聞いて、あまりにも少なく、漢族や原住民が多数いるのを聞いて、完全に馬鹿にした調子で、罵倒するシーンが出てくる。
これは、むしろ、近藤監督の『流儀』が当時の日本人の中では、『異端』であったことを示しているのだろう。
実際、4番バッター兼ピッチャー(エース)で主将を務めるのは、呉明捷という漢族の選手だ。彼は、名前から「アキラ」という愛称で呼ばれている。 2番バッター/センターで、甲子園のフェンスにアジア人として初めて打球を当てた強打者は、蘇正生という漢族の選手である。
また、1番バッター/レフトの平野保郎というのは、名前からすると日本人のようだが、本名は、ポロ(漢名も持っている)といい、原住民のアミ族の出身である。
結局、レギュラーメンバー9人のうち、日本人は3人なのだが、むしろ、主力は原住民と漢族である。
これは、台湾の大半のチームが、日本人のみで構成されていた当時、極めて異例のことのようだった。 しかも、近藤監督は、『打撃力のある漢族、足の速い台湾原住民、守備に長けている日本人』とそれぞれの長所を組み合わせて、理想的なチームを作り上げた。
この混成チームに対する『差別的な視線』は、実は、『嘉農』が甲子園に出場してもつきまとっていた。 彼らを迎える、記者会見の席上で、ある新聞記者は、『彼らは日本語が話せるのか?』『どうやって、選手同士のコミュニケーションを図るのか?』などと、差別意識丸出しで質問していた。 (もっとも、この映画では、この新聞記者は、たちまち、『嘉農』というチームの魅力に圧倒されて、熱心な応援者となってしまうが…。)
実際は、漢族、原住民でも日本語を話すよう教育がされていた。それだけでなく、選手同士は台湾語(中国語の方言)なども交えながら、意思疎通をしていたようだ。 この映画、実際に、漢族や原住民(アミ族やプユマ族)の俳優たちが、日本人俳優とまじって出演している。
彼らは、『5年以上の野球経験』を条件に集められたらしくて、中心選手の『アキラ』こと、呉明捷を演じたツァオ・ヨウニン自身、台湾の大学野球の選手である。
今後の進路も、野球選手の道を進むか、俳優になるか迷っているとのことで、日本の映画出演者では考えられないような状況である。
ともかく、彼ら(漢族、原住民)は当然、現在、学校で日本語を習っているはずはないので(外国語として、日本語を専攻しているのなら別だが)、たしかに、怪しげな発音で日本語のセリフを言っているが、それはむしろ、本物の漢族、原住民の若者(野球経験のある)が映画に出ていることの証でもある。
このように、近藤監督の行ったことは、当時、『いろんな民族が、本当に相携えて、台湾を創っていく』ということが、タテマエとしては語られていたかもしれないが、本音では違っていた社会で、文字通りそれを実行しようとしたということである。
だから、この映画だけを見て、『日本の台湾統治は素晴らしかった』ととらえることは、一面的であると思う。
映画の脚本を書き、プロデュースをした、ウェイ・ダーション(魏大聖)としては、これまでの2本の(日本と台湾の関係を描いた)作品とセットにして、これを見てくれと思っていることは、『ほぼ確実だ』と思われるからだ。
それに、この作品の近藤監督は、一方的に、漢族や原住民の生徒たちを教え導く、野球監督として描かれているわけでもない。
(つづく)
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最近、映画づいているが(今月は、特に後半、たくさん見る予定にしている)、昨日(5日)、有楽町の『ヒューマントラスト有楽町』という映画館で、『KANO−−1931海の向こうの甲子園』という台湾映画を見た。
この映画館、館名を変えたのだろうが、前に来たことがあるのかどうか、よくわからない。
ネットで調べると、地下鉄『有楽町』駅のD7-b出口から1分と出ていたので、ビル名とかロクに調べないで行ったら、失敗した。 D7出口というのはあるが、D7−b出口というのはない。
出口から出てもどの建物なのか、さっぱりわからない(1階に映画館の入り口がはっきり明記されているものと思い込んでいた)。 しばらく、迷って、人に聞いたりして、ようやくビルの4階にある、この映画館にたどりついた。
この映画、日本では今年の1月24日公開(台湾では2014年3月公開)だが、既に上映している映画館は、少なくなっていて、このヒューマントラスト有楽町でも、実は本日(3月6日)までの上映だ。
『KANO』というのは、かつて台湾に実在した『嘉義農林学校』(現在の国立嘉義大学)の略称、『嘉農(かのう)』からとったもの。
この学校は、1931年(昭和6年)の夏に甲子園球場で行われた、第17回全国中等学校優勝野球大会に、台湾代表として初出場し、準優勝まで勝ち抜いたチームだ。 この映画が、台湾でも大ヒットしたということで関心は持っていた。
ところが、先日、戦前の日本による台湾統治に関する講演会があったので、出かけたらそこで、この映画が話題になっていた。
講師が、『日本統治の良かった面を代表している映画』のような感じの話をしていたのが、少し気になっていた。
(講師自身は、もう少し言いたいことがあるかのような様子も感じられたが、ともかく、その講演会の場の雰囲気は、そのようなものだった。) というのは、この映画のプロデューサー(2人のうちの1人)を務める、ウェイ・ダーション(魏徳聖)氏が監督をして大ヒットした『セデック・バレ』と『海角七号 君想う、国境の南』の両作品を、昨年の8月から9月にかけて新宿の映画館で見ていた。
(このブログにも、感想を書いている。それぞれ何回か書いたので、初回の分だけ、URLを付けておく。)
それらを見た限りでは、『単純な<親日映画>』を作るような人とは、到底、思えない。
むしろ、『台湾人』というアイデンティティから、映画を作る人だと思う。 最初に作った『海角七号』にしても、日本でよく言われているような、<台湾人と日本人の恋愛映画>というくくりからは、はみ出しているものであふれていた。
ましてや、『セデック・バレ』というのは、1930年に台湾で実際にあった、『霧社事件』と呼ばれる原住民の暴動を素材にしたものである。
この暴動では、日本人の運動会が襲撃の対象とされ、日本人約140人(大人も子供も含め)が殺された。それも、『イスラム国』ではないが、『首狩り』の対象とされたものが、多かったという。
(その後、日本軍が報復攻撃を行い、原住民同士の殺し合いなどちなまぐさい抗争が翌1931年まで続いた。)
この『霧社事件』の翌1931年の話を描いているのであるから、監督を行っているのは、ウェイ・ダーション自身ではなく、『セデック・バレ』にも出演していたマー・ジーシアン(馬志翔)氏であるにしても、そこに何か、『裏』というか『深いもの』が隠されているに違いないと思って、見に行ったのだが、やはりそうだった。
(つづく)
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