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                    映画『否定と肯定』(公式HP)

「慰安婦は朝日新聞の捏造」「南京事件は中国のプロパガンダ」「関東大震災の『朝鮮人虐殺』は単なる正当防衛」──これらは、戦中日本の加害事実に対し「〇〇はなかった」と否認する歴史修正主義の一手である。

 本サイトでは度々そうしたデマを徹底検証してきたが、とりわけインターネットが普及した昨今、GoogleやSNSではこうした事実を歪曲する言説がおびただしく跋扈しており、また、極右界隈の運動家や文化人、そして安倍政権が一丸となって、爛れた歴史否認と差別主義を喧伝していることは言うまでもない。

 そんななかでいま、歴史修正主義との闘いの実話を映画化した『否定と肯定』(原題“Denial”)が話題を呼んでいる。アメリカの大学で教鞭をとるユダヤ系女性歴史学者デボラ・E・リップシュタットが、「ホロコーストはなかった」と主張するイギリス人著実家デイヴィッド・アーヴィングから1996年に起こされた実際の裁判を中心に描いたものだ。

 あらすじを簡単に紹介しておこう。リップシュタット(レイチェル・ワイズ)は著書『ホロコーストの真実』のなかでアーヴィング(ティモシー・スポール)の否定論に反論し、“盲目的ヒトラー信者”等の批判をしていた。あるとき、リップシュタットの講演に、アーヴィングがカメラマンを引き連れて忍び込む。アーヴィングは聴衆の面前で、“彼女は学生に嘘を教えている”“ヒトラーが直接ホロコーストを指示した書類を見つけた者には1000ドルを出す”などと挑発的に攻め立て、その後、彼女と版元を名誉毀損で英国王立裁判所に訴えた。当時の英国の名誉毀損法では被告側に立証責任があり、ホロコーストが起きたことは全世界が知る歴史的事実でもあるにもかかわらず、ホロコースト否定論を法廷で反証する必要に迫られたリップシュタット。ときに弁護団と裁判の方針を巡って衝突しながらも、2000年、世界が注目する判決の日を迎える──。

 決して派手な映画ではないが、見所は多い。なかでも映画の脚本を担当したデイヴィッド・ヘアが、32日分の全裁判記録を熟読し、誇張や脚色をせずに、限りなく忠実に再現したことは特筆に価する。実際、ヘアがリップシュタットによる原作の回顧録(邦訳・山本やよい/ハーバーブックス)へ寄せた前書きによると、〈裁判シーンのせりふは記録をそのまま使った〉という。その真摯な姿勢は、なにより「印象操作だ!」という言いがかりをはねのけ、現実を取り上げた映画としての真実性を担保しているだろう。

 しかし、本サイトとして非常に興味深く思ったのは、もう少し細かい箇所だった。というのも、劇中で再現されている歴史修正主義者のやり口の数々が、日本でネット右翼や極右文化人が日々やっている言動と驚くほどソックリなのである。

歴史修正主義者アーヴィングのやり口が日本のネトウヨにそっくり!

 つまり、『否定と肯定』はある意味、歴史修正主義者&極右に関する「あるある映画」(?)として鑑賞することもできる。そう言っても過言ではない。もちろん、決してふざけて評しているわけではなく、映画から得られるものは実に豊かだ。なぜならば、歴史修正やトンデモデマと対峙するやり方をわたしたちに教えてくれるからである。

 たとえば、あらすじでも触れたアーヴィングが“ヒトラーがホロコーストを直接指示した文書は一枚も見つかってない”と威圧する場面。日本の歴史修正主義者たちが「慰安婦問題で軍の強制性を示す書類は見つかってない」と吠えるのに酷似している。もちろん、彼らは「だから」と続けて「慰安婦は存在しない。ただの売春婦だった」と主張する。

 が、言うまでもなく、戦時中の慰安所で「慰安婦」たちが性搾取をさせられていたことは動かない事実だ。日本軍が慰安所設置に関与したことを裏付ける公文書はたくさん残されており、また当時、海軍将校だった中曽根康弘元首相や、陸軍に所属していた鹿内信隆・元産経新聞社長も、著書で軍による慰安所と性搾取について証言している。

 ようするに、歴史修正主義者は、持論に有利なほんの一部分だけを取り上げて、そのほかの膨大な証拠や証言を無視し、全体を「なかった」という誤った結論を導くのだ。実際、劇中でも弁護士がこうしたアーヴィングの手口をリップシュタットに説くシーンがある。

 ちなみに、アーヴィングは荒唐無稽な言いがかりにたじろぐリップシュタットの様子を撮影し、ホームページにアップして「完全勝利」などと喧伝していたのだが、これも日本のネトウヨを想起せざるを得ない。近年の動画サイトでは、恣意的な編集をしたうえで「完全論破!」「パヨク涙目www」「国会で発狂」などというテロップをつけているバカげた動画に汚染されているが、いやはや、この手のやり口は各国共通で昔からあったのだなあ、と妙に納得させられる。

 また、日本のネット右翼たちのゲスさとモロ被りといえば、アーヴィングが高齢となったサバイバーの記憶の細部をついて“証言は嘘だ”と主張し、あげく身体に刻まれたアウシュヴィッツのタトゥーを嘲笑って、“それでいくら稼いだんだ?”と揶揄するのもそうだ。日本のネトウヨや極右文化人が口を揃えて「自称慰安婦たちは話があやふやだ! カネ目当てだ!」と個人攻撃するのは言うに及ばず、とくに安倍政権下で沖縄の米軍基地反対運動に対し「日当をもらって抗議している!」なるデマが絶えないのも周知のとおり。劇中では、リップシュタットがアウシュヴィッツ体験者による法廷証言を望むのに対し、弁護士団が断固として認めないのだが、彼女に“そうしなければならない理由”が語られるシーンに是非注目してもらいたい。


意図的な誤訳、恣意的な引用で「ヒトラーは命令していない」と証拠を捏造

 まだある。前述のとおり、裁判シーンの発言は裁判記録を再現しているのだが、法廷でアーヴィングの著書の恣意的な引用や資料の読み替えが徹底して暴かれる場面は、歴史修正主義に対抗するための“お手本”となるだろう。たとえば、この歴史修正主義者はドイツ語資料を“ヒトラーは命令していない”という自らの願望に沿わせるよう英訳していたことが明らかになるのだが、日本でもこうした行為は日常的に行われている。

 典型的なのが「侵略戦争はウソで、マッカーサーも日本の戦争が『自衛戦争』だと証言している!」なる主張だ。歴史修正主義者らによれば、これは1951年の米国議会での発言が根拠。右派・ネトウヨ界隈では幾度となく「引用」されてきたので、うっかり信じてしまっている人も少なくないだろう。しかし実際には、原文にある“security”の語を無理やり「自衛戦争」と誤訳し、しかも前後の文脈を意図的に切断して使っているにすぎない。だいたい、原文を普通に読めば、「あなたが提案する中国共産党(Red China)に対する海と空の閉鎖はアメリカが太平洋戦争で日本に勝利した戦略と一緒では?」という質問に答えて、マッカーサーが当時の日本をめぐる物資流通等の状況を解説しているだけで、「日本の侵略戦争の否定」など微塵もしていないのは自明である。

 当然、一般的な歴史学者や近代史家からは相手にされていないトンデモだが、この誤訳はどんどんネットで尾ひれがついたらしく、「日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は何も悪くありません」「東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました」「自虐史観を持つべきは、日本ではなくアメリカなのです」などといった、原型をとどめていない驚くべき内容に捏造され拡散。あろうことか2014年には当時の宮城県名取市市長が市の広報に掲載してしまうという、目も当てられない事態に発展したこともあった。

 まさに歴史研究の基本のキである“記述を疑い原典にあたれ”だ。ちなみに、ホロコースト否定論者のアーヴィングは、実のところ、歴史学を専門に大学で訓練を受けたわけではない“著述家”である。日本では、ちょうどこの裁判と同じ時期に「新しい歴史教科書をつくる会」が躍動していたが、関連する「学者」や「教授」のほとんどが歴史学を専門にしていなかったことは示唆的かもしれない(たとえば藤岡信勝は教育学、西尾幹二はドイツ思想・文学、田中英道は美術史、高橋史朗は教育学、八木秀次は憲法学、中西輝政と田久保忠衛は国際政治学、渡部昇一は英語文法史、などなど)。


百田尚樹にそっくり?歴史修正主義者アーヴィングの差別思想

 ついでに言えば、日本のネトウヨは歴史修正主義とヘイト思想を両輪としているが、アーヴィングもネオナチとの親和性、人種差別思想、ミソジニー、あるいは反ポリティカル・コレクトネスなどの傾向を指摘されている。裁判ではそうした特徴がスピーチでの発言など客観的事実によって追及されていくのだが、平然と差別を扇動しておきながら“私は差別主義者ではない。見解を述べているだけだ”などと言い訳する様は、既視感を覚えずにはいられない。念のため引用しておこうか。

〈私はこれまで人種差別発言などしたことはないし、ヘイトスピーチもしたことはありません〉(百田尚樹「私を「差別扇動者」とレッテル貼りした人たちへ」/ウェブサイト「iRONNA」より)
 このように、“歴史修正主義者&極右あるある”を噛みしめることができる映画『否定と肯定』だが、もうひとつ、「表現の自由」と「両論併記」をめぐる問題についても非常に示唆的なものがある。
 本サイトでは折に触れて言及してきたが、2000年代以降の日本では、名誉毀損裁判の賠償が高額化し、政治家など権力者が批判を封じるためにメディア等を相手取って提訴する事案が増えている。本サイトはこうしたスラップめいた裁判に対して極めて否定的だ。
 リップシュタットとアーヴィングの英国裁判でも「表現の自由」をめぐる司法判断は大きな関心ごとのひとつとなった(ただし、リップシュタットは提訴された被告である)。彼女は、原作の回顧録のなかでこのように書いている。

〈わたしはホロコースト否定者を告訴したいという人々から相談を受けたことが何度もある。そのたびに、思いとどまるよう諭してきた。アメリカには言論の自由を保障する憲法修正一条があって、訴訟を起こしても負けることが目に見えているからだ。ホロコーストの否定を違法とすることが法的に可能な国々の場合でさえ、わたしは訴訟を起こすことに反対してきた。違法とされれば、否定説は“禁断の果実”となり、魅力が薄れるどころか逆に増す結果になるからだ。それだけではない。法廷は歴史について問いかけを行うにふさわしい場所ではない、と私は信じてきた。否定者を黙らせたいなら、法律という鈍器で殴りつけるのではなく、理性を駆使して追いつめていくべきだ。〉

 同じく、映画の脚本を手がけた前述のヘアは「表現の自由」についてこう述べている。

〈インターネットのこの時代、誰もが自分の意見を述べる権利を持っていると主張するのは、一見したところ、民主的なことのように思われる。確かにそうだ。しかしながら、すべての意見に同等の価値があると主張するのは致命的な過ちだ。事実に裏打ちされた意見もあれば、そうでない意見もある。そして、事実の裏打ちがない意見ははるかに価値が低いと言っていい。〉〈言論の自由には、故意に偽りを述べる自由が含まれているかもしれないが、同時に、その偽りを暴く自由も含まれている。〉(原作『否定と肯定』のまえがきより)


リップシュタットはメディアの両論併記を厳しく批判!しかし映画の邦題は…

 だからこそ、「自分たちにも表現の自由がある」などと抜かすヘイトスピーカーの理屈は、控えめに言っても“徹底批判”されねばならない。たとえば、百田尚樹は前掲「iRONNA」に寄せた手記のなかで、今年、一橋大学での講演会が学生団体・反レイシズム情報センター(ARIC)ら多数の反対によって中止となった件について、〈ARICや彼らに賛同する人たちは今後、「言論の自由」や「表現の自由」を口にする権利はないと思います〉と述べている。

 しかし、反対者たちは百田の言論を決して暴力で制したわけではない。自らのヘイトスピーチに反省の色ない百田と、言論を基盤する運動で闘ったのだ。仮に「ヘイトスピーチをする自由」なるものがあったとしたら、それは「表現の自由」の努力によって敗走に追い込まねばならない。虚説や差別言辞は「両論」として並置されるべきではない。

 リップシュタットは、映画の日本公開に先駆けて応じた朝日新聞のインタビュー(17年11月28日付)で、メディアによる「両論併記」に対してこう釘を刺している。

「私たちは、何でも議論の余地があると習いました。しかし、それは間違いです。世の中には紛れもない事実があります。地球は平らではありませんし、プレスリーも生きていないのです。ウソと事実を同列に扱ってはいけません。報道機関も、なんでも両論併記をすればいいということではありません」

 皮肉なことに、朝日新聞もまた慰安婦報道問題以降、目に見えて「両論併記」という名の病を患っているが、何より重要なのは、「表現の自由」は「両論」を紹介することとは無関係であり、前者は後者によって担保されるものでは決してない、ということだろう。むしろ逆で、明らかな歴史修正の虚説や差別扇動の言辞に対しては、強く「間違っている」と断じなくてはならない。ましてや「歴史的事実と見るのが一般的だが、『なかった』という見解もある」とか「差別をしてはならないが、差別的なことを言う権利もある」と並べるのは論外である。
 その精神は、映画にも誠実に反映されている。ただ、残念なのは『否定と肯定』という邦題だ。まるで歴史修正主義が事実と同じ地平にいるような誤った印象を与えかねない。原題の“Denial”は、現実から目を背けるというニュアンスの「否認」の意である。またフライヤーには「ナチスによる大量虐殺は――真実か、虚構か。」とのコピーが躍っている。ホロコーストですらこのような悪しき両論併記をしてしまう。ある意味、日本の歴史認識をめぐる現状がよくあらわれているともいえる。ましてや南京虐殺や従軍慰安婦など自国の加害の歴史となると、触れただけで歴史修正主義者たちから一斉攻撃を受けるのが、現在の日本だ。政治権力と一体化した歴史修正主義は、過去だけでなく現在をも捻じ曲げる。わたしたちはそれと闘わねばならない。



転載元転載元: ニュース、からみ隊

「日本の皆さんは酒場で政治や社会について議論していますか?」

https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-7e-81/jiichan007/folder/1502789/84/65840484/img_0?20171125112007
 私は,あまりというか,全然お酒は飲めませんので,酒場へ出入りしたことがないのですが。
 政治や社会については,良く話をします。Blogでも,良く話題にします,と言うかこの頃それがMainになってしまったような。
 まぁ,Blogでは,口角泡を飛ばすなんて事は無いですが。けっこういろいろなコメントをいただきます。基本的には,極左から極右まで,区別なく接することにしています。

 私に対して「売国奴」なんて言葉を書いてくださる方も。国を売ったらいくらぐらいになるのかなぁなんて,ふと思ったり。
 でも,ある意味,私に対しては褒め言葉に入るような。国を売るって事が具体的にはどんなことかは,・・・。言葉を変えて,反逆者とかなんてことを書かれたら嬉しくなっちゃうような。常に反骨は私の信条だったから。

 論理,思想の違いを喧々諤々と・・・・。やりたいけど,性格的な問題も・・・。

 ただ,個人的には,言葉のやりとりにちょっと時間をおいて考える性格なので,Realな場での議論は,口ごもるときが。


 この映画,地方でも上映されるのかなぁ。観たいなぁ。 テアトル梅田っていったい何処にあるんだろう。(調べろって?)

 

 訪問ありがとうございます。

転載元転載元: I'm not Abe. and 駄洒落日記

太平洋戦争末期に唯一の地上戦となり、島民の4人に1人の命が犠牲となった沖縄。本土決戦を遅らせるために、日本が、沖縄を“捨て石”とした戦いだった。

 
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戦後、その沖縄はアメリカによって占領される。今度は、沖縄の人々の生活は、米軍による圧制によって脅かされ苦しめられた。
米軍(アメリカ)による弾圧や卑劣な行為に屈することなく、那覇市民、沖縄県民とともに不屈に闘い抜いた1人の男の闘いと生き様を描いたドキュメンタリー映画が話題となっている。
 
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』である。
 
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54回ギャラクシー賞月間賞を受賞するなど高い評価を得た2016年放送のテレビドキュメンタリー番組を、追加取材し新しい資料も加えて、再編集をおこない映画化したものだ。
 
監督は「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務め、本作が初監督となる佐古忠彦氏。テーマ曲を坂本龍一氏が手がけ、ナレーションは大杉漣氏が担当している。
 
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すでに8月12日から沖縄那覇市の劇場で先行上映され連日満員で話題になったようだが、東京でも8月26日から渋谷のユーロスペースで上映され、私が見に行ったのは4日目だったが、上映時間の1時間近く前に着いたので座れたが、満席で立ち見が出た。
 
驚いたのは、映画が終わった後、まるでそこにカメジローがいたかのように万雷の拍手が起きたのだ。試写会でもなく、すでに上映が始まって何日もたっているにもかかわらず起きた拍手。これまで様々な映画を見たが、こんなことははじめだった。
 
映画情報サイトの「CINEMATOPICS」によれば、「通常の興行ではめったに見られない現象」としながら、沖縄でも、東京でも毎回拍手が鳴り響いているのだという。
 
国内最大級の映画情報サイト「ぴあ」調査による82526日公開作品の「初日満足度ランキング」では並み居る競合作品を押さえて第1位となった。ちなみにテレビで大宣伝されている「関ケ原」はランキング10位である。
 
渋谷ユーロスペースでは、この反響を受けて、31日からは上映回数を4回から5回に増やしているそうだ。
 
 
 
この映画は、戦後の沖縄の歴史と1人のカリスマ性の強い政治家の人物像が描かれた「ドキュメンタリー映画」という枠を超えて、現代の私たちの情感を揺さぶる“何か”がある。そして、私たちに「沖縄はこういう状況になっているのですよ。さあ、あなたはどうするのですか」と迫ってくるようでもある。
 
 
 
なによりも、とにかく亀次郎は、ブレずに一貫していた。どんなに逆境にあっても信念を決してまげなかった。
 
1枚の写真。沖縄を占領するアメリカ軍は、日本への復帰運動などを抑えるため、アメリカが指名した行政官による「琉球政府」を設立。195241日、首里城跡地で、その創立式典が行われた。現在の県議会議員にあたる、立法院議員が、アメリカ軍への忠誠を誓う宣誓が行われたときの写真だ。
全員が脱帽し、直立不動の姿勢をとっている中、最後尾でただ一人、座ったまま立ち上がらなかった人物の影がある。名前を呼ばれても、返事もしなかった。会場に広がるどよめきの声。
 
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その人物が、瀬長亀次郎だった。
米軍の将軍たちの顔は真っ赤になり、米軍によって指名された琉球政府主席はじめ日本人行政官は青ざめた。
 
このことは、亀次郎と米軍との本格的なたたかいが始まる原点ともいえる出来事となった。
亀次郎は「アメリカが最も恐れる男」「沖縄抵抗運動のシンボル」となる。
 
亀次郎の演説には、毎回何万人という市民が集まり、熱狂した。亀次郎の米軍による蛮行・横暴を断じて許さないという怒り、祖国復帰と基地のない沖縄をめざす情熱に聴衆は、突き動かされていく。人々は瀬長亀次郎に沖縄の希望を見た。
 
だからこそ、米軍は、亀次郎を追放し、市民と分断するための謀略や諜報活動も含むあらゆる手段を講じた。
 
1954年10月。米国民政府は亀次郎を、沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまったとする容疑(出入国管理令違反)で逮捕した。弁護士人をつけることも拒否され、亀次郎は懲役2年の刑を言い渡され沖縄刑務所に収監される。さらに翌年1月、ほかの囚人と接触させないために、船で18時間かけて宮古島の刑務所に移送された。この移送については米軍が、亀次郎の体調が悪いことを知りながら、そのまま放置し命を落とすことを狙っていたのではないかともいわれた。
 
那覇の医師が書いた「十二指腸潰瘍、胃下垂症」のため「手術が必要」という診断書は宮古に届くのは半年以上もたってからだった。宮古刑務所の嘱託医の医師が圧力に屈せずに奔走して、診断書を那覇から取り寄せることができ、亀次郎は手術を受け一命をとりとめることができたのだった。
亀次郎の出獄の時(1956年4月)、出獄を歓迎するたくさんの市民で通りが埋め尽くされた。
 
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出獄後、1956年12月に行われた那覇市長選に出馬し当選。米国民政府は、管理する琉球銀行による那覇市への補助金と融資の打ち切り、預金凍結の措置など「兵糧攻め」にした。その危機に、亀次郎の市政を支えるためにと、大勢の市民が自主的に納税に訪れ列ができた。瀬長当選前の納税率が77%だったのに対し、97%にまでになった。その後も、米国民政府と市政野党(琉球民主党など)が瀬長市長不信任決議を提出するがうまくいかず、1957年に米国高等弁務官ジェームス・E・ムーア陸軍中将が布令(瀬長布令)を改定し、1954年の投獄を理由に、亀次郎を追放し被選挙権を一方的に剥奪した。
 
市役所を去る際に、亀次郎は次のように語った。
「この追放司令によって、瀬長市長を追放することは可能である。だが、可能でないのは一つある。祖国復帰をしなければならないという、見えざる力が、50日後に迫った選挙において、やがて現れ、第二の瀬長がはっきりと登場することを、ここに宣言しておく」

日記にもこう書いた。
「私は勝ちました。アメリカは負けました。第二の瀬長を出すのだ。それが、布令に対するこよなきプレゼントになるのだ。」
たたかいの闘志をさらに燃やしていったのだ。

 
 
亀次郎のこうした不屈で真っすぐな生き方に影響を与えたルーツはなんだったのか。
瀬長亀次郎は、1907年に豊見城村我那覇に生まれた。貧しい農家の生まれで、亀次郎が3歳のときに父がハワイに出稼ぎ移民としてハワイに渡ったほどだったという。
そんな亀次郎の生き方に影響を与えたのが、母親のこの言葉だった。
「ムシルヌ アヤヌ トゥーイ アッチュンドー」──むしろのあやのようにまっすぐ生きるんだよ──
 
「持たざる人たち」のために、そして、沖縄のために、どんなときも信念を曲げず、ブレずに、自らの命も身分も顧みずに働き続けた亀次郎。
「不屈」という言葉が好きで何回も使った。
その「不屈」のたたかいの原点は、自身の過酷な沖縄戦の体験にあった。
 
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一昨年発見された未完成の亀次郎の原稿に、これまで知られていなかった、亀治郎の沖縄戦体験が記されていた。

激しい艦砲射撃が島を襲う中を、一家は逃げ惑っていた。
その道中で、朝日が上がったとき、亀治郎が目にした光景は、道端に転がっている死体だった。
死臭で息が詰まるようだ。
鉄帽を射抜かれて、倒れている兵隊。両足を吹っ飛ばされて、頭と胴体だけで、仰向けに天をにらんでいるおじさん。そして、頭のない赤ん坊を背負って、あざみの葉を握りしめて、うつ伏せている婦人の死体……。母は気を失って倒れてしまった。

そんな過酷な“捨て石”とされた沖縄戦を生き延びた人々が、次に直面したのは、米軍による「占領」という時代だった。沖縄戦と戦後の基地問題がつながっている。

亀次郎は、アメリカという巨大な権力に対してもけっして媚びることなく、妥協することなく、沖縄県民の立場でその要求を真っ向からかかげて闘い続けた。
 
いまに語り継がれる演説の名フレーズがある。終戦から5年後の1950年7月、群島知事(奄美、宮古、八重山諸島などの自治政府)選挙に出馬した際の、市立首里中学校の校庭での立会演説会での演説だ。
 
「この瀬長一人が叫んだならば、50メートル先まで聞こえます。
ここに集まった人々が、声をそろえて叫んだならば、全那覇市民にまで聞こえます。
沖縄70万人民が、声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波を超えて、ワシントン政府を動かすことができます。」
何万人もの聴衆から万雷の拍手を受けた。

亀次郎は、ガジュマル(熱帯地方に分布するクワ科の常緑高木)をこよなく愛したという。
 「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」だと。
同時に彼は、選挙で倒した“敵”に対して「ガジュマルの木陰で休ませ、同じガジュマルになれと説得し、民主主義を嵐から守る態勢を取ろう」と呼び掛けたという。
 
スケールの大きさ、ふとろの深さ、この人間的魅力が多くの人々の心をとらえて離さなかった。
 
亀次郎は歌にもなった。沖縄音楽ボーカルグループのネーネーズが歌う『おしえてよ亀次郎』だ。
「……それはむかしむかし その昔 えらいえらい 人がいて  
島のため人のため つくした あなたならどうする 海のむこう 
おしえてよ 亀次郎……」
 
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さて、昨今の日本の政治に目を移してみよう。
 
この何年かの政治を見ても、閣僚が次々とは暴言・失言を繰り返し、国会議員も地方議員も不祥事をやらかす。おまけに、理念も政策もなく、とにかく自分が当選することが第一で、あっちの党へ行ったりこっちの党に渡り歩いたり、政党助成金目当てに年末になると新党をつくったりする。「国民のため」「住民のため」に仕事をしている議員は、どれだけいるのだろうか。
 
国会で故・佐藤栄作首相(当時)と亀次郎が質疑を交わす映像があったが、これがなんとも堂々としていて、すごい迫力である。一方、佐藤首相の方も、最近の首相答弁とは違って、メモなど何も見ないで自分の言葉で答弁している。
 
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ぜひ、党派を問わず、政治家の方々にも観ていただきたい映画である。「〇〇塾」とかなんかに行くよりも、きっと背筋がシャンとするのではないだろうか。
 
 
また、私たちにとっても、辺野古新基地建設で揺れ、米兵による事件やオスプレイ墜落事故などで怒りがひろがる沖縄の基地問題について、「遠い出来事」とか「他人事」として、あるいは知らず取らずのうち「傍観者」となってしまうのではなく、自分たちの問題として捉えて考えるいい機会となるのではないだろうか。
 
今後全国で上映される予定となっている。
ぜひ多くの人に見てもらいたい感動のドキュメンタリー映画である。
 
 
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<瀬長亀次郎 略歴>
 
1907年 沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に誕生
1932
年 治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑で投獄
1936
年 沖縄朝日新聞記者になる
1938
年 兵役召集され「中支」へ
1940
年 復員し、毎日新聞那覇支局記者になる
1946
年 うるま新報(現、琉球新報)社長に就任
1952
年 第1回立法院議員選挙で最高得票数でトップ当選
1954
年 沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑で逮捕
1956
年 那覇市長選に出馬し、当選
1957
年 市長の座から追放 「瀬長布令」
1966
年 「瀬長布令」の廃止により、被選挙権を回復。
1968
年 立法院議員選挙で当選
1970
年 戦後沖縄初の衆議院議員に当選 *以後7期連続当選
1990
年 衆院議員勇退
2001
年 死去  享年94
 

転載元転載元: TABIBITO

ダンスやバレエには無縁だった私ですが、
このポルーニンのバレエ?には一目で惹きつけられました。
人間の身体とその動きそのものが美しい「芸術作品」に・・。

ユーチューブで2000万回近く再生されたという彼のダンス

「神の贈り物」とも評される肉体美と完璧な技。苦悩と希望に揺さぶられる若い魂を表現したバレエ『Take Me to Church』は、YouTubeで2000万回近く再生された。バレエとしては異例だ。


彼のダンスやバレエなら、いつまでも眺めていたい。
こちらはわかりやすいバレエ。体操とは優雅さ、しなやかさが違いますね。

下記はhitomiさんの記事から・・。

芸術の役割について本質を語っています。まだ27歳なのに!!

美しき異端のダンサー、セルゲイ・ポルーニンが来日「世界に足りないものを補うことが芸術の役割」  2017年4月28日 14:00   (映画com.より)



英国ロイヤル・バレエ団史上最年少の元プリンシパルで、バレエ界きっての異端児
と言われるダンサー、セルゲイ・ポルーニンが、ドキュメンタリー「ダンサー、
京藝術大学美術学部准教授の箭内道彦氏が質問した。
芸術とは?
「美をつくり、人の心に通ずるもの。
世界には足りないものが多く、それを補うのが芸術だと思います。
戦争やテロなど悪いことが溢れているからこそ、芸術は優雅で美しいものとして存在する。芸術家は世の中を導くことが出来る存在、政治家もクリエイティブなビジョンを持つべき。どんな仕事であってもクリエイティブであれば、みなアーティストだと思うのです」
若者へのアドバイスは
「勇気を持ってください。・・・安定する場所まで降りようとするのが人間の性質だと思うけれど・・安定しない高さで、高いまま必死に維持しようとする、そういうイメージを私は持つようにしています。失敗を恐れず、そうすると前進することが怖くなくなるのです。
そして、自分にとって心地のよい環境を探すこと。孤独を恐れず、静けさの中に身を置くこと。自然のエネルギーに耳を傾けると、自分しかわからない答えが見つかることがあります」
最後に、自身のゴールは?
「世界を一つにすることがアーティストの仕事だと思うのです。
地球上に人間がいて、家族があって、愛があって、国や文化が違っても基本的には同じこと
国境はいらないと思います」と穏やかな口調で語った。 
映画のストーリー&感想>

1989年、ポルーニンはウクライナの貧しい家庭に生まれる。
生まれながらの柔らかい体や運動能力を伸ばしたいと考えた家族は、彼にバレエを習わせる。父や祖母は外国で働きながら学費を稼ぎ、そんな家族の期待に応えようと彼は練習に励んだ。
英国の王立ロイヤル・バレー団に入ると、19歳で史上最年少のプリンシパルに抜擢。しかし、その2年後、人気の絶頂でロイヤルバレエ団を退団してしまう。
なぜ??
それは、彼の人気によるおごりからではないかと噂され、彼は全てを失い苦しむ。
映画では、彼の繊細で傷つきやすい心をインタビュー等を通して探り、真実の彼の姿に迫る。
自分が家族を幸せにしたいと考えていたのに、両親の離婚に傷つき、またバレエ団の仕事が薄給で家族を支えることもできないことや、自由な身分ではないことへの反発もあったようだ。
バレエの有り余る才能をもちながら、いったんリセットしてしまったポルーニンではあるが、神はその才能を放っておかれなかった。
人生の師と仰ぐゼレンスキー氏との出会いで、彼は自分の能力を再び開花させるべくダンサーとしての人生に戻ってきたのだった。

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彼には普通の楽しい子供時代はなく、親の期待に応えるために練習の毎日、親の支配下におかれたような前半の人生。類まれな美貌と能力で早くも名声と評判を手に入れたが、約束されたバレエのエリートとしての人生に乗ることはなかった。

しかし、ポルーニンがいったん自分の人生をリセットして、自分が何をやるべきかを見つめなおし、その上で「踊ることが自分の道」と、改めて自分のダンサーとしての人生を選んだことは良かったと思う。
前半が彼の天賦の才能を伸ばそうとした母親から受け継いだ人生とすれば、
リセット後は紛れもなく、彼が選び取った人生だから。
神から授かった天賦の才能は使わなければ…。
そんな宿命の下に生まれついた人のようにも思えた。

ふと、ヴォーリズを思い出した。
ヴォーリズもキリスト教を広めることを目的に高校教師となって日本にやってきたが、仏教色の強い地域であえなく首に・・。
彼の人生もいったんリセットされた。
しかし、ヴォーリズは、ここで自分が本当にやりたかった建築の仕事に戻り、それを通して、本格的に宣教活動を広げた。
高校教師でいた時よりも、 幅広く豊かな活動によって、建築、メンソレータムの事業、病院、学校と彼の仕事はさらに大きな実を結んだ。

ポルーニンも、バレエ団は離れたが、自分の能力をダンサーとして使いながら、「バレエ団の踊り手」だけにとどまらない幅広い芸術活動で、彼の能力を更に豊かに開花させることを願いたい。できれば、これからの人生は、家族に恵まれ、人並みな幸福も味わってほしい
ドキュメンタリー映画「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン」の予告です。




映画「ひろしま」予告編




パンフレットから。

    “広島の市民ら約8万8千人が出演し、原爆が投下された直後の惨状を再現した・・・”
“自らも広島で被爆した教育学者・長田 新(おさだ・あらた)が編纂した文集「原爆の子〜広島の少年少女のうったえ」を、日本教職員組合が映画化を決定し、八木保太郎の脚色により映画化された
本作は広島県教職員組合と広島市民の全面的な協力の下で製作され、多数の広島市の中学・高校と父母、教職員、一般市民等約8万8500人が手弁当のエキストラとして参加した。
その中には、原爆を直接経験した者も少なくなかった。
映画に必要な戦時中の服装や防毒マスク、鉄カブト等は、広島県下の各市町村の住民から約4000点が寄せられた。 


「ひろしま」で描かれている原爆投下後の圧倒的な群衆シーンの迫力は、これらの広島県民の協力なくしてはあり得なかっただろう。
東宝出身で戦後独立プロに転じた関川秀雄は、原爆が投下された直後の地獄絵図の映像化に精力を傾け、百数カットに及ぶ撮影を費やして、克明に原爆被災現場における救護所や太田川の惨状等の阿鼻
叫喚の修羅場を再現した。そして、被爆者たちのその後の苦しみを描いた。それはひとえに被爆者の声でもあった。
被爆国ニッポンは、すべての核を否定すべきであった。唯一の被爆国だというのに、私たちは、核の恐ろしをもっと大きな声で訴えてこなかったのか・・。
原発も核開発に他ならない。”

転載元転載元: 今 言論・表現の自由があぶない!


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