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韓国と戦争した方がいいと思うかどうか
若者に聞いてみたらかなりの数が賛成すると思う 真珠湾攻撃の前に対米強硬論について 中央公論がアンケート調査した 1年前は6割が賛成 開戦直前は8割が賛成 韓国のみならずロシアと戦争したい若者もいる
戦争の意味がわかっていない 死ぬことの意味がわかっていない そこで死の教育が必要なのである 死の教育には延命治療や安楽死の是非のような
ことについての討論も含まれるし 死刑に賛成か反対かもある 中学校以降、高校はもちろん、事情が許せば
小学校高学年から新聞の切り抜きを教材にして 議論してほしい 教師は決して自分の意見を言わない 押し付けない 生徒の意見が終わってから求められたら 一つの意見だがと前置きして 話してもよい とくに国語では小学校から戦争教材を扱っている
死の問題を考えさせないでセンチメンタルに 鑑賞させてはいけない 死の教育、やってみませんか
俺は死にたくないから戦争には行きたくない
じゃなぜ戦争をするのか 北方領土や竹島や尖閣は戦争して 取り返さなければいけないのか 話し合ってください それが、次の選挙で、改憲をしたい党に投票するか どうかを決める準備教育になるのです
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平和
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「北方領土を戦争で取り返すしかない」と発言した丸山議員は
今後も議員辞職せず、国会議員の仕事を続けるそうです。 ・・・であるならば、ぜひ以下の法案を参考にした法律を作っていただきたい。 《 戦争絶滅受合法案 》 戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、 10時間以内に次の処置をとるべきこと。 即ち下の各項に該当する者を最下級の兵卒として招集し、 出来るだけ早くこれを最前線に送り、 敵の砲火の下に実戦に従わしむべし。 1.国家の元首。但し君主たると大統領たるとを問わず、尤も男子たること。 2.国家の元首の男性の親族にして16歳に達せる者。 3.総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官。 4.国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。 但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。 5.キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして 公然戦争に反対せざりし者。 上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として招集さるべきものにして、 本人の年齢、健康状態等を斟酌すべからず。 但し健康状態に就ては招集後軍医官の検査を受けしむべし。 以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、 戦争継続中、看護婦又は使役婦として招集し、 最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。 〜〜〜 〜〜〜〜 〜〜〜 ※この法案の趣旨は、戦争が始まったら、10時間以内に国家の元首・その親族 (16歳以上の男子)・総理大臣・国務大臣・官僚のトップ・戦争に反対」 しなかった国会議員や宗教者などは、戦争に行かなければならないというもの。 しかも最下級の兵卒として招集され、最前線に送り込まれ実戦に従う。 ★20世紀の初めに、デンマークの陸軍大将であったフリッツ・フォルムという人が、 この法律案を作った。彼はこれを各国の議会に送付し、「この法案を成立させ、 この法案を各国の法律とすれば、世界から戦争がなくなるだろう、それが受け 合える法案だ」と言ったそうだ。日本でも、長谷川如是閑(にょぜかん)という人 が、1929年に、『我等』という雑誌の巻頭言で紹介したり、戦後も政治学者 の丸山眞男が、この法律案について論じている。
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4月の最終土曜日、ピース大阪へ。
連休初日の良い天気の日でした。
この日が「はだしのゲン」実写映画版第一部上映の最終日。
「熱い要望にお応えして、約3年ぶり3か月連続上映!」だそうです。 解説太平洋戦争終了時の広島を舞台に一人の少年を通して戦争の悲惨さと原爆の非道さを告発する。原作は中沢啓治の同名劇画。脚本・監督は「太陽の詩」の山田典吾、撮影も同作の安承[王文] がそれぞれ担当。
ストーリー昭和20年4月、太平洋戦争も終わりの頃の広島。国民学校2年の中岡ゲンは、今がわんぱく盛りの男の子。
ゲンの父・大吉は、日頃から戦争に批判的だったが、ある日、町内会の竹やり訓練の時「この戦争は間違ってる」と言ったために“非国民”とののしられ、特高警察に逮捕されて拷問を受けた。
そのため大吉の家族に、米を売ってくれなくなり、“非国民の子”として、長男の浩二、姉の英子、ゲン、進次も周囲からいじめられるようになった。
しかし家族は、警察の拷問にも屈せず自説を曲げずに帰った父を暖かく迎えるのだった。
そんな彼らを朝鮮人の朴は、大吉を正しいとして何かと一家の力になるのだった。しかし、浩二は“非国民”の重みをはね返すために予科練に志願、両親の反対を押し切って海軍航空隊に身を投じていった。
そして8月6日、午前8時。ゲンはいつものように快晴の空の下を学校に急いでいたが、突然、B29が上空に現われたかと思うと強烈な白い閃光が走り、続いて巨大なキノコ状の雲が広がった。丁度、学校の塀の陰にいたゲンは運よく助かったが、町は猛火と黒煙の中で波うつように崩れさり、その姿を一変させていた。焼けただれた町の中を夢中で家に駈け戻ったゲンの見たものは、家の下敷きになった父の大吉、英子、進次の姿だった。
そして余りのショックで母の君江は、突然、陣痛に襲われゲンの助けで出産した。
8月15日、ガラス屋の堀川は、全身にガラスの破片を刺して苦しみながら死んだ妻の遺体を焼いた。
その遺体に手をあわせる君江とゲン。
その廃虚となった町の上を、敗戦を告げる天皇の放送が流れた。
「天皇陛下様、戦争を止めさせる力がおありなら、どうして戦争を始めるのを止めて下さらなかったのですか!」母の君江は必死に叫ぶのだった。...
スタッフキャスト 全てのスタッフ・キャストを見る 作品データ 原題 製作年 製作国 配給
上映時間
提供:株式会社キネマ旬報社
(解説・ストーリーなどは、映画.comより引用)
反戦思想で非国民扱いを受け続けた一本筋の通ったゲンの父親役三国連太郎の好演と、ゲンの母親役の左幸子の「天皇陛下様、戦争を止めさせる力がおありなら、どうして戦争を始めるのを止めて下さらなかったのですか!」という言葉が特に印象的でした。
アニメ版では主役は完全に中岡ゲンですが、この映画の主役はゲンの父親の中岡大吉ではないかと思いました。
アニメ版では原爆の恐ろしさがほぼすべてですが、この映画は戦前の理不尽な体制に焦点を当てています。
アニメ版の方が有名ですが、この実写映画版はアニメ版よりも秀逸だと思いました。
この映画の評価欄に、
この映画は公開当時に観た。当時、『野性の証明』で三國連太郎が憎い役をやっていたので、正直言って面食らっていた。
しかし、ま、これは反原爆、反戦の色がかなり濃い作品です。戦争に反対されるだけで非国民扱いされ、子供たちまでもが暴行を受ける。そんな風潮の中でも、勇敢にも戦争反対を口にする中岡家の主、大吉(三國連太郎)がいい演技で泣かせてくれます。
原作とは違ったエピソード・・・大吉が戦争の絵専門の画家になることを拒否したことなどが追加されている等あって、前半はかなり練りこんである映画となり、原作を超えていると思います。
後半は8月6日、原爆が落とされるまでの話。 中岡家の柱時計がいい演出です。空襲警報が一旦解除されるというリアルさも、胸に込み上げるものを感じてしまい、あらためてこの8時15分の恐怖を思い知らされます。牧伸二も好演技。
というコメントが載っていました。
ユーチューブに、後半途中からの場面をつなぎ合わせて107分を25分ほどに編集したものがあったので、載せておきます。
私が一番大切だと思った、竹やり訓練での三国連太郎の台詞と映画の最後での左幸子の台詞がこの短縮版にはないのが残念です。
又、ユーチューブに「はだしのゲン」アニメ版が公開されていたので、載せておきます。 時間のある方や見たことがない方はご覧になって下さい。
5月は毎週土曜日午後2時より「はだしのゲン」実写映画版第二部
(出演) 宮城まり子・竹下景子・市原悦子など
6月は毎週土曜日午後2時より「はだしのゲン」実写映画版第三部
(出演) 丘さとみ・風吹ジュン・赤塚不二夫・タモリなど
が上映されます。
原作の漫画は、自分で買うか図書館で借りて読んでください。
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1 光州 韓国南西部の光州は韓国の現代史を象徴する都市です。韓国人は光州に心の負い目があり、今でも多くの韓国人が光州のことを考え、絶えず自らが正義に反していないかどうかを問い返しています。 1980年春、韓国は大学生たちの民主化運動で熱気に包まれました。朴正熙(パク・チョンヒ)政権の独裁体制、維新体制は幕を下ろしましたが、新軍部勢力が政権を掌握しつつありました。新軍部はクーデターを起こし、非常戒厳令を発動して政治家の逮捕、政治活動の禁止、大学の休校、集会・デモの禁止、報道の事前検閲、布告令違反者の令状なしでの逮捕など、過酷な独裁を始めました。 ソウル駅に集まった大学生たちは新軍部の武力による鎮圧を懸念し、撤収を決定しました。このとき、光州の民主化要求はさらに燃え上がりました。空輸部隊を投入した新軍部は市民たちを相手に虐殺を行い、国家の暴力で数多くの市民が死亡しました。5月18日に落ち始めた光州の花びらは5月27日、空輸部隊の全羅南道庁鎮圧で最後の花びらまでも散ることになりました。 光州の悲劇は凄絶(せいぜつ)な死とともに幕を下ろしました。しかし、韓国人に二つの自覚と一つの義務を残したのです。一つ目の自覚は、国家の暴力に立ち向かったのが最も平凡な人々だったということです。暴力の怖さに打ち勝ち、勇気を出したのは労働者や農民、運転士や従業員、高校生たちでした。死亡者の大半も、そうした人々でした。 二つ目の自覚は、国家の暴力の前でも市民たちは強い自制力で秩序を維持したということです。抗争が続いていた間、ただの一度も略奪や盗みがなかったということは、その後の韓国の民主化過程における自負心、行動指針となりました。道徳的な行動こそ、不正な権力に対抗して平凡な人々が見せることのできる最も偉大な行動だということを、韓国人は知っています。道徳的な勝利は時間がかかるように思えますが、真実で世の中を変える一番早い方法なのです。 残された義務は、光州の真実を伝えることでした。光州に加えられた国家の暴力を暴露し、隠された真実を明らかにすることがすなわち、韓国の民主化運動でした。私も南部の釜山で弁護士として働きながら、光州のことを積極的に伝えようとしました。多くの若者が命を捧げて絶えず光州をよみがえらせた末に、韓国の民主主義は訪れ、光州は民主化の聖地となったのです。 孤独だった光州を一番先に世の中に伝えた人が、ドイツ第1公共放送の日本駐在の特派員だったユルゲン・ヒンツペーター記者だったという事実は非常に意義深いことです。韓国人はヒンツペーター氏に感謝しています。故人の意向により、同氏の遺品は2016年5月、光州の五・一八墓域に安置されました。 2 ろうそく革命、再び光州 私が1980年の光州について振り返ったのは、今の光州について話したかったためです。 2016年、厳しい冬の寒波の中で行われた韓国のろうそく革命は、「国らしい国」とは果たして何であるかを問いながら始まりました。韓国では1997年のアジア通貨危機と2008年のリーマン・ショックを経て、経済不平等と二極化が進みました。金融と資本の力はより強くなり、非正規雇用労働者の量産で労働環境は悪化しました。そんな中、特権階層の不正・腐敗は国民に一層大きな喪失感を与えました。ついには韓国の南方沖、珍島の孟骨水道を航海していた旅客船のセウォル号でかけがえのない子どもたちが救助も受けられずに亡くなり、韓国の国民は悲しみを胸に抱いたまま、自ら新たな道を探し始めました。 ろうそく革命は親と子が一緒に、母親とベビーカーの幼児が一緒に、生徒と先生が一緒に、労働者と企業家が一緒に広場の冷たい地面を温めながら、数カ月にわたり全国で続きました。ただの一度も暴力を振るうことなく、韓国の国民は2017年3月、憲法的価値に背いた権力を権力の座から引きずり下ろしました。最も平凡な人々が、一番平和的な方法で民主主義を守ったのです。1980年の光州が、2017年のろうそく革命で復活したのです。私は、韓国のろうそく革命について歌と公演を織り交ぜた「光の祭り」と表現し、高いレベルの民主主義意識を示したと絶賛したドイツの報道をありがたい気持ちで記憶しています。 今の韓国政府はろうそく革命の願いによって誕生した政府です。私は「正義のある国、公正な国」を願う国民の気持ちを片時も忘れていません。平凡な人々が公正に、良い職場で働き、正義のある国の責任と保護の下で自分の夢を広げられる国が、ろうそく革命の望む国だと信じています。 平凡な人々の日常が幸せであるとき、国の持続可能な発展も可能になります。包容国家とは、互いが互いの力になりながら国民一人一人と国全体が一緒に成長し、その成果を等しく享受する国です。 韓国は今、「革新的包容国家」を目指し、誰もが金銭面を心配することなく好きなだけ勉強し、失敗を恐れず夢を追い、老後は安らかな生活を送れる国を築いていっています。こうした土台の上で行われる挑戦と革新が民主主義を守り、韓国経済を革新成長に導くものと信じています。 包容国家は社会経済体制を包容と公正、革新の体制に変える大実験です。韓国では雇用部門で、より良質な雇用をより多く生み出すため努力しています。労働者がより良い生活を送り、働いただけ正当な対価を得られるよう、社会的合意を通じて最低賃金の引き上げと労働時間の短縮を進めています。若者の雇用のための予算を増やすとともに、退職後の人生にも責任を負うべく中年層の再就職訓練に対する支援を実施しました。また高齢者の基礎年金を引き上げ、雇用関連予算を増やしました。 経済部門では、これまで韓国経済を支えてきた大企業と中小企業の共生に取り組んでいます。革新的なベンチャー企業や中小企業がどんどん成長していけるよう、規制を大胆に取り除き、金融も革新を評価する方向に変えていっています。 福祉部門ではライフサイクルに合わせた社会保障システムの構築を進めています。医療保険の保障範囲を広げ、安心して子育てできるよう保育サービスの拡充に努めています。誰もが差別されない社会を目指し、発達障害者のライフサイクルごとの総合対策を立て、女性の権益を増進する一方、性差別には断固として対処しています。外国人労働者の子どもや国際結婚家庭に対する支援も強化しています。教育部門では入試競争や詰め込み式教育を脱却し、創意性を重視する革新教育にシフトしていく予定です。 しかし、慣れ親しんだ慣習を脱し、変化していく過程では葛藤も起こり得ます。利害関係が異なる人々の間で対話し、調整し、妥協する時間が必要です。これを通じ、皆に利益になることを探していかねばなりません。大実験を成功させるには社会的大妥協が伴う必要があります。 韓国は植民地支配と戦争で廃墟と化しましたが、わずか70年ほどで世界11位の経済大国に成長しました。私たちは、こうした成果を変化にスピーディーに対処することで成し遂げました。農業から軽工業、重化学工業、先端情報通信技術(ICT)に至るまで、どの国も不可能だったとてつもない変化を自ら成し遂げ、第2次世界大戦後の新生独立国のうちで唯一、先進国に飛躍しました。韓国には、裸一貫から成功を遂げた底力があります。韓国国民は変化を恐れず、むしろ能動的に利用する国民です。 近ごろ、光州で意味のある社会的大妥協が起きました。適正賃金を維持しながらより多くの雇用を得るため、労働者と使用者、民間と政府がそれぞれの利害を離れて5年以上も向き合いました。労働者は一定部分の賃金を諦めねばなりませんでした。使用者には、雇用を保障し、労働者の福利厚生に責任を負いつつもコストを維持せねばならないという困難がありました。人間らしい暮らしを守ろうとする民間の要求が強く、各種法規を調整して安定した企業運営を支援せねばならない政府もまた、妥協に苦労しました。 簡単ではありませんでしたが、譲歩と分かち合いによって最終的に大妥協を成し遂げました。韓国ではこうして生み出された雇用を「光州型雇用」と呼びます。韓国人は、大義のため自らを犠牲にする「光州精神」がもたらした結果だと受け止めています。民主化の聖地、光州が社会的大妥協の模範を作り、経済民主主義の第一歩を踏み出したと考えています。 「光州型雇用」には雇用を生み出すこと以上の意味があります。それは、より成熟した韓国社会の姿を反映していることです。産業構造が急変していく中で労働者と使用者、地域がどう共生していけるのかを示したのです。 「光州型雇用」は「革新的包容国家」へ向かう上で非常に重要な転換点になるでしょう。韓国人は長年の経験から、少し時間がかかるように思えても社会的合意を成し遂げ、共に前に進んでいく方が皆にとって良いということを知っています。少しずつ譲歩しながら一緒に歩んでいく方が結局は近道だということも、よく理解しています。1980年5月の光州が民主主義のろうそくになったように、「光州型雇用」は社会的妥協で新たな時代の希望を示し、包容国家の踏み石となりました。 包容は平凡さの中に偉大さを見つけることです。平凡の集まりが変化をつくり出すことのできる、新たな環境を整えることです。韓国政府は今、「光州型雇用」の成功が全国に広がるよう全力を尽くしています。 ドイツは包容と革新を最も理想的に具現した国の一つです。平和的な方法で統一を実現した歴史と、包容と革新によって社会の統合を成し遂げた事例は、私たちに常にひらめきをもたらしました。韓国の光州も、新たな秩序を模索する世界の多くの人々にひらめきを与えられればと願っています。 3 平凡な人々の世界 韓国ではちょうど100年前、平凡な人々が力を合わせて新たな時代を開きました。日帝(日本)による植民地支配を受けていた人々が、1919年3月1日から独立万歳運動を始めました。202万人、当時の人口の10%が参加した大規模な抗争でした。木こり、妓生、視覚障害者、鉱員、作男、名前も知られていない平凡な人々が先頭に立ちました。 韓国で三・一独立運動が重要である理由は二つです。一つはこの運動を通じて市民意識が芽生えたことです。一人一人に国民主権と自由と平等、平和に向けた熱望が生まれ、これによって階層、地域、性別、宗教の壁を超えました。一人一人が王政の百姓から国民に生まれ変わりました。そして大韓民国臨時政府を樹立しました。 臨時政府は日帝に対する抵抗を超え、完全に新しい国を夢見ました。1919年4月11日、国号を大韓民国と定めて「臨時憲章」を公布し、大韓民国は君主制ではなく民主共和国であることを明確にしました。臨時憲章第3条では「大韓民国の人民は男女、貴賤、貧富、階級を問わず平等だ」と明示しました。女性を含む全ての国民の選挙権と被選挙権も保障しました。当時、臨時政府の構成に加わった韓国の独立運動家の安昌浩(アン・チャンホ)はこう言いました。「過去に皇帝は1人だったが、今は2000万人の国民が皆皇帝です」。民主共和国を表現した、実に明快な言葉です。 臨時政府は27年近く、亡命地で植民地解放運動を展開しました。世界の植民地解放運動史において極めて珍しいケースです。臨時政府があったからこそ、列強の国々はカイロ宣言を通じて韓国の独立を保障することになるのです。 三・一独立運動が重要である二つ目の理由は、心を一つにすることほど大きな力はないと気付き、互いを信じて一度も行ったことのない道へ進んだということです。当時、運動に加わって日帝の監獄に入れられた韓国の近代小説家、沈薫(シム・フン)は母親にこんな手紙を送りました。 「お母さん! 私たちが千回、万回、祈りを捧げても、固く閉ざされた獄門がおのずと開かれることはないでしょう。私たちがどれだけ声を張り上げて泣き叫んでも、大きな願いが一朝にしてかなうこともないでしょう。しかし、心を一つにすることほど大きな力はありません。一丸となって行動を同じくすることほど恐ろしいことはありません。私たちはいつもその大きな力を信じています」 韓国の近現代史は挑戦の歴史でした。植民地と南北分断、戦争と貧困を超え、民主主義と経済発展を目指して前進してきました。その歴史の波をつくったのは、平凡な人々でした。三・一独立運動後の100年間、韓国人は誰もがそれぞれの胸に泉(力の源泉)を抱いて生きてきました。危機のたびに一緒になって行動しました。「豊かに暮らしたいが、一人だけ豊かに暮らしたくはない」「自由になりたいが、一人だけ自由になりたくはない」という気持ちが集まり、歴史の力強い波となりました。 私は、民主主義は制度や国家運営の道具ではなく、内在的価値だと考えています。平凡な人々が自分の暮らしに影響を与える決定の過程に加わり、声を上げることで、国民としての権利、人間としての尊厳を見いだすことができると思います。私たちはより良い民主主義をつくれるのです。ジョン・デューイの言葉のように、民主主義の問題を解決するためにはより多くの民主主義を行うしかないのです。 民主主義は平凡な人々により尊重され、補完されながら広がっています。制度的で形式的な完成を超え、個人の暮らしから職場、社会に至るまで実質的な民主主義として実践されています。平凡さの力であり、平凡さが積み重なって成し遂げた発展です。 100年前、植民地の抑圧と差別に立ち向かい闘った平凡な人々が、民主共和国の時代を開きました。自由と民主、平和と平等を成し遂げようとする熱望は100年がたった今なお強いのです。国が国らしく存在できないとき、三・一独立運動の精神はいつでもよみがえりました。 4 平凡さのための平和 東洋には「乱世に英雄が生まれる」という言葉があります。しかし、乱世こそ平凡な人々が自分の人生を自ら開いていくことのできない時代です。英雄は生まれますが、平凡な人々は不幸に陥る時代です。 中国の古典「史記」の「孫子呉起列伝」にこんな一節があります。「人曰、子卒也、而将軍自吮其疽、何哭為」。人いわく「息子が卒兵なのに将軍が自ら息子の腫れ物の膿を口で吸い出してくれた。どうして泣いているのですか」。泣く必要はないのにどうして泣いているのかという意味です。母親は、息子が将軍の行動に感激し、戦場で必死に戦って死ぬのではないかと思って泣いたのです。「史記」にはその母親の夫も同じことを経験して必死に戦い、死んだと記されています。 「史記」の著者の司馬遷は将軍・呉起の立派な行動を伝えようとしたのですが、この話は夫を失った妻のふびんな境遇が行間に潜んでいます。私たちの好きな英雄譚(たん)には、常に自らの運命を奪われた平凡な人々の悲劇が隠されているのです。 韓国の分断の歴史にも、平凡な人々の涙と血が染みついています。分断は個人の人生と思考を反目に慣れさせました。分断は既得権を守る方法、政治的な反対者を葬る方法、特権と反則を許す方法として利用されました。平凡な人々は分断という「乱世」の間、自分の運命を自ら決められませんでした。思想と表現、良心の自由を抑圧されました。自己検閲を当然のものと考え、不条理に慣れていきました。 この長きにわたる矛盾した状況を変えてみようという熱望は、韓国人がろうそくを掲げた理由の一つでした。民主主義を守ることで平和を呼び込もうとしたのです。ろうそくが平和に向かう道を照らさなかったなら、韓国は今も平和に向けて一歩も踏み出せずにいたでしょう。ろうそく革命の英雄は、極めて平凡な人々の集団的な力でした。「乱世に英雄が生まれる」という東洋の古言は「平凡な力が乱世を克服する」という言葉に変えるべきでしょう。 私は、季節が変わりゆくように人間社会の出来事にも過程があると信じています。東・西ドイツ間の鉄のカーテンが欧州を貫く巨大な生命の帯「グリーンベルト」に完全に変貌したように、朝鮮半島の平和が東西を横切る非武装地帯(DMZ)にとどまらず南北に拡大し、朝鮮半島を超えて北東アジア、欧州まで広がっていくことを期待しています。朝鮮半島全域にわたり長く固着している冷戦的な葛藤と分裂、争いの体制が根本的に解体され、平和と共存、協力と繁栄の新秩序に置き換わることを目指しています。韓国ではこれを「新朝鮮半島体制」と名付けました。 「新朝鮮半島体制」は朝鮮半島の地政学的大転換を意味します。朝鮮半島は地政学的に大陸勢力と海洋勢力が衝突する断層線にあります。欧州のバルカン半島と似ています。このため、歴史的にたびたび戦争の受難を経験しました。特に、朝鮮半島の南と北が非武装地帯を境界に分断されて以降、韓国は事実上、大陸とのつながりが断たれた「島のような存在」でした。 朝鮮半島に新たな秩序を築くことは、島と大陸をつなぐ橋を築くことです。昨年4月、私は南北軍事境界線がある板門店で北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働党委員長)と会いました。北朝鮮の最高指導者が朝鮮戦争以来で初めて、韓国側の地へ越えてきた歴史的な瞬間でした。私たちはそこで、互いに対する軍事的な敵対行為をやめようと約束しました。 その最初の措置として、非武装地帯の監視所の一部を撤去し、周辺地域の地雷撤去作業も実施しました。非武装地帯内に南と北をつなぐ道路が敷かれ、13柱の遺骨も発掘され故国に戻りました。こうした作業を進めていたところ、昨年11月にはそれぞれ南側と北側を出発した軍人が朝鮮戦争の最後の激戦地だった矢じり高地で鉢合わせする出来事がありました。彼らは互いに銃口を下ろして握手を交わし、予想外の遭遇を楽しみました。朝鮮戦争の休戦協定締結から65年にして、このように非武装地帯に春が訪れたのです。 朝鮮半島の春はドイツのベルリンから始まりました。私は2017年7月、金大中(キム・デジュン)元大統領による2000年の「ベルリン宣言」に続き、ろうそく革命の熱望を込めてベルリンで朝鮮半島の新たな平和構想を語りました。当時、多くの人々は単なる希望事項にすぎないと考えました。朝鮮半島の冬はなかなか去る様子はなく、北朝鮮は核実験とミサイル発射を繰り返して危機を高めていました。周辺国も制裁を次第に強化し、「4月危機説」「9月危機説」が飛び交い、韓国人は本当に戦争が起きるのではと心配しました。 ドイツのウィリー・ブラント元首相は「一歩も進まないより、小さな一歩でも進む方がいい」と言いました。私の考えも同じでした。何かを始めなければ、国民の熱望をかなえることはできませんでした。「小さな夢を見てはいけない、それは人の心を動かす力がない」というゲーテの文章を思い出しました。冬を抜けて春の新芽を芽生えさせるには、朝鮮半島の非核化と恒久的平和という大きな夢を語る必要がありました。国民らと一緒に成し遂げられる、大きな夢でなければならなかったのです。 北朝鮮は2018年1月の新年の辞で南北関係を改善する用意があると表明し、韓国の大きな夢に応えてきました。続けて、平昌冬季五輪への参加の意向を伝えてきました。周辺国と欧州の国々までもが朝鮮半島の雪解けに支持と声援を送ってくれました。韓国の国民は、平昌五輪を平和五輪にするため心を合わせました。 「ベルリン宣言」で、私は北朝鮮に「簡単なことからやろう」と呼び掛け、四つのことを提案しました。平昌五輪参加、朝鮮戦争などで生き別れになった南北離散家族の再会事業、互いに対する敵対行為の中断、そして南北間の対話と接触の再開です。驚いたことに、この四つは2年が過ぎた今、全て現実のものになりました。昨年2月の平昌冬季五輪の開会式で、南北の代表選手団は世界の人々が見つめる中で朝鮮半島旗(統一旗)を掲げて合同入場しました。離散家族が再会し、今やいつでも映像を通じて再会できるシステムを備えています。何よりも朝鮮半島の空と海、陸地で銃声は消えました。私たちは北朝鮮の地、開城に共同連絡事務所を開設し、日常的に互いが対話し、接触するチャンネルをつくりました。朝鮮半島の春が、こうしてにわかに近づいてきたのです。 これまで私が残念に思っていたことは、韓国の国民が休戦ラインの向こうをもはや想像できないことでした。朝鮮半島で南と北が和解し、鉄道を敷き、人と物が行き交うようになれば、韓国は「島」ではなく海洋から大陸に進出するための拠点、大陸から海洋に出ていくための関門になります。平凡な人々の想像力が広がるということはすなわち、理念から解放されるという意味でもあります。国民の想像力も、生活の領域も、思考の範囲もはるかに広がり、これまで耐えねばならなかった分断の痛みを癒やせるでしょう。 今や南北の問題は理念や政治に悪用されてはならず、平凡な国民の生命と生存の問題に広げていかねばなりません。南と北はともに生きていくべき「生命共同体」です。人が行き来できない状況でも病虫害が発生し、山火事が起こります。目に見えない海上の境界は操業権を脅かしたり、予想外の国境侵犯で漁民の運命を変えたりします。こうした全てのことを元に戻すことが、まさに恒久的平和なのです。政治的、外交的な平和を超え、平凡な人々の生活のための平和です。 「新朝鮮半島体制」は受動的な冷戦秩序から能動的な平和秩序への転換を意味します。かつて、韓国国民は日帝の占領と冷戦により自身の未来を決められませんでした。しかし今、自ら運命を切り開こうとしています。平凡な人々が自分の運命の主人になるのです。 朝鮮半島と北東アジアの既存秩序は、第2次世界大戦の終戦と同時に北東アジアに植え付けられた「冷戦構造」と深く関わっています。戦後処理の過程で韓国人の意思とは異なり分断が決まり、悲劇的な戦争を経験せねばなりませんでした。このとき、韓米日の南方3角構図と、これに対応する北朝鮮と中ロの北方3角構図が暗黙のうちに定着することになりました。 こうした冷戦構図は1970年代のデタント(緊張緩和)と1990年代のソ連解体、中国の市場経済導入でかなり解消されましたが、朝鮮半島でのみ、今なおそのままです。南北は分断されており、北朝鮮は米国、日本と正常な国交を結んでいません。こうした状況で、南北は昨年、「板門店宣言」と「平壌宣言」を通じて敵対行為の終息を宣言することで、恒久的な平和定着に向けた最初のボタンを掛けました。同時に、北朝鮮と米国は非核化問題とあわせて関係正常化のための対話を継続しています。朝米(米朝)が対話によって完全な非核化と国交を実現し、朝鮮戦争の休戦協定が平和協定に完全に置き換えられてはじめて冷戦体制は崩れ、朝鮮半島に新たな平和体制が築かれるでしょう。 平和はまた、共に豊かに暮らす国に発展するための基盤となります。「新朝鮮半島体制」は平和経済を意味します。平和が経済発展につながり平和をより強固にする、好循環の構造を指します。南と北は恒久的な平和定着を促進するため、共に繁栄できる道を思い悩んでいます。すでに、断ち切られた鉄道と道路の連結に着手しました。韓国の技術者たちが分断以来で初めて北朝鮮の鉄道の状況を調査しました。鉄道と道路の連結事業の着工式も開催しました。 南北経済交流の活性化は、周辺国と結びつきながら朝鮮半島を超え東アジアとユーラシアの経済回廊に生まれ変わることができます。南北とロシアはガスパイプをつなぐ事業について実務的な協議を始めています。昨年8月には、北東アジア6カ国と米国でつくる「東アジア鉄道共同体」を提案しました。私は「欧州石炭鉄鋼共同体」をモデルに「東アジア鉄道共同体」を北東アジアのエネルギー共同体、経済共同体に発展させたいと考えています。この共同体はさらに、多者(多国間)平和安全保障体制に発展していけるでしょう。 韓国が推進している「新南方政策」と「新北方政策」により、朝鮮半島の平和経済は一層拡大するでしょう。新北方政策はユーラシアとの経済協力に道を開くものです。北朝鮮は昨年6月、ユーラシアの国々が全て加わっている鉄道国際協力機構への韓国の加盟に初めて賛成しました。釜山からベルリンまで鉄道で移動できる日が来るでしょう。韓国は南北和解を基に北東アジアの平和の促進者となるでしょう。 新南方政策は朝鮮半島が東南アジア諸国連合(ASEAN)、西南アジアとともに新たな戦略的協力を模索するものです。韓国は人(People)、平和(Peace)、繁栄(Prosperity)の共同体を中核価値と見なし、周辺国と人的・物的交流を強化していきます。アジアが持つ潜在力をともに実現し、共同繁栄の道を模索していきます。 韓国国民は、平凡な人々の自発的な行動が世の中を変える最も大きな力だということを示しました。こうした力は最後に残った「冷戦体制」を崩壊させ、「新朝鮮半島体制」を主導的に築いていく原動力になるでしょう。重要なことは、1人の平凡な人が自分の意思と関係なく不幸になる状況を防ぐことです。平和の実現も、結局は平凡な国民の意思によって始まり、完成され得るということを世界に示せるよう望みます。 5 包容的世界秩序を目指して 第2次世界大戦以降、欧州もやはり冷戦の渦中に飲み込まれていきました。各国の政府は新たな同盟戦略を模索しました。冷戦で分断されたドイツは平和を目指して大胆に前進し、欧州の変化をけん引しました。 ベルリンの壁によって突如として生き別れになったドイツの45万人の市民らは統一と平和への願いを抱き、1963年6月、ブランデンブルク門前の西ドイツ側に集まりました。その年、ウィリー・ブラント西ベルリン市長はクリスマス期間に別れた家族や親戚に会えるようにするための交渉を提案しました。東方政策の始まりでした。東西ドイツが互いを競争と封鎖の対象ではなく、協力と共生の対象として見るようになりました。 東ドイツのライプチヒでは1980年代初めから、毎週月曜日に小さな祈祷(きとう)会が開かれました。この小さな祈祷会は1989年10月9日、選挙と旅行の自由、ドイツ統一を要求する平和行進に発展しました。7万人で始まった平和行進は、わずか2週間で30万人を超えました。1カ月後の11月9日、ベルリンの壁が崩壊しました。 欧州の平凡な市民たちが平和の実現に乗り出し、積極的に各国政府を動かしたからこそ、欧州の秩序が変わったのだと思います。欧州の市民たちの意志と行動は1952年、欧州連合(EU)の母体となった「欧州石炭鉄鋼共同体」を発足させ、1975年には現在の欧州安全保障秩序の起源と言える「欧州安全保障協力会議」を胎動させました。 欧州の事例から分かるように、国家間の関係において包容性は非常に重要です。国境と分野を超えて包容し、公正なチャンスと互恵的な協力を保障するとき、世界はともに豊かに暮らし、ともに発展することができます。しかし、戦後秩序の根幹である自由貿易主義と国際主義が顕著に弱まり、再び保護貿易主義と自国優先主義がうごめいています。こうした国際的な危機は、包容と協力の精神を消しつつあります。国際社会の一員としての各国の責任と規範を強調する協力の政治が切実に求められます。 再び、平凡な人々が重要です。平凡な人々が変えられることは、国内問題に限られません。国家を変えれば、世界秩序も変えられます。平凡な全ての人々が国家運営を自身の権利、責任と考え、世界の運命を自身の運命と関連付けて考えるとき、新たな世界秩序は築かれるでしょう。平凡な人々が国境や人種、理念や宗教を超えて連帯し、協力するとき、世界は共に豊かに暮らす持続可能な発展を遂げるでしょう。 社会的弱者をのけ者にせず、働いただけ対価を受け取り、安定した福祉で多数が成長の果実を享受する世界が、包容的世界です。すでに私たちは韓国や欧州、世界のあちこちで平凡な人々が包容によって成し遂げてきた成果を知っています。 ドイツは自由な市場経済を追求する一方で、雇用不安、賃金格差、貧困、老後不安などさまざまな社会的リスクに対する保障を提供し、社会統合を果たしました。北欧の国々は多額のコストを伴う福祉制度が国の競争力を弱めないよう、絶え間ない教育投資を通じて国の革新力を保ちました。 特定の国家や公共部門の努力だけで、気候変動のような地球全体の問題を解決することは不可能です。国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)は昨年、「地球温暖化1.5度報告書」を採択しました。気候の専門家らは、産業化以前に比べて地球の気温上昇を1.5度に抑えられれば、2度上がった場合と比較して1000万人の命を救うことができると見込みました。国際的な支援と協力により、全ての国が気候変動に共同で対応してこそ達成できる目標です。 世界的に包容性を受け入れることも重要です。紀元前2000年から、アジアの国々は「治山治水」を成功的な国家運営の最初の徳目と見なしていました。「山と水を治める」という意味のこの言葉には、「自然を尊重する」という精神が込められています。木を育てて山崩れを防止し、水をせき止めておくよりも自然に流れるようにして洪水と干ばつの被害を減らそうとしました。人間と自然、開発と保全を分けて考えることはしませんでした。私は、これは世界が追求する持続可能な発展と通じるところがあると思います。 しかし現在、なお多くの国が経済発展と環境保護を別のものと見なしています。先進国と開発途上国の間で、相手の立場に立って考える精神が必要です。私たちだけでなく未来の世代が一緒に生きていく地球のため、人間と自然が共に生きていく知恵と、平凡な人々が持つ包容の力を発揮するときです。そうすれば、新たな世界秩序と持続可能な発展という夢は現実のものになるでしょう。 各国が包容性を強化して国家間の格差を減らし、国民の世界市民として考える力を養う必要があります。平凡な市民が成し遂げた欧州の統合と繁栄は、世界をよりよいものにしようとする人類に意志と勇気を与えてくれるでしょう。 6 平凡さの偉大さ 平凡な人々が自分の人生を開いていけること、日常の中で希望を持ち続けられること、ここに新たな世界秩序があります。歴史書に全く出てこない人々、名前ではなく労働者、木こり、商人、学生といった一般名詞で登場する人々、こうした平凡な人々が一人一人、自分の名前で呼ばれなければなりません。世界も、国家も、「私」という1人で始まります。働いて夢を見る、日常を維持していく平凡さが世界を構成しているということを、私たちは認識する必要があります。 そのためには、1人の人生が尊重されねばなりません。1人の人生の価値がどれだけ重要なのか自分でも理解する必要がありますが、歴史的に、文化的に再評価されるべきだと思います。自身の行動が周囲に影響を与えられるということ、またどんな行動が周囲に広がり、最終的にどんな結果をもたらし得るのかについて語り、記録に残さねばなりません。 平凡さが偉大であるためには、自由と平等に劣らず正義と公正が保証されるべきです。人類の全ての話は「善事を勧め、悪事を懲らしめる」という平凡な真理を反すうします。東洋では「勧善懲悪」という四字熟語で表現します。この簡明な真実が正義と公正の始まりです。無限競争の時代が続いていますが、正義と公正がより普遍化した秩序となるべきです。 正義と公正の中でのみ、平凡な人々が世界市民に成長できます。今はまだ何もかもが進んでいる最中のようですが、人類が歩んできた道に新たな世界秩序に対する解決策があります。東洋には「人は倉に穀物がいっぱい詰まっていれば礼節を知り、衣服や食物が満ち足りてこそ栄誉と恥辱を知る(倉廩実而知礼節、衣食足而知栄辱)」という古言があります。正義と公正によって世界は成長の果実を等しく分かち合えるようになり、これを通じて皆に権限が与えられ、義務が芽生え、責任が生じるでしょう。 今、世界が危機だと捉えていることは平凡な人々が解決していくべきことです。これは一国では解決できない問題であり、1人の偉大な政治家の慧眼では成し遂げられないことです。苦しんでいる隣人を助け、ごみを減らし、自然を大切にする行動が積み重なっていくべきです。こうした行動を取る人が1人しかいなければ「何を変えられるだろう?」と懐疑的になるかもしれませんが、この小さな行動が積み重なれば流れが大きく変わります。 そして結局、私たちは世界を守り、互いに分かち合いながら、平和な方法で世界を少しずつ変化させられるようになるでしょう。平凡な人々の日常がそうであるように、ゲーテが残した警句のように「急がずに、だが休まずに」。 *同寄稿文は韓国語の原文を聯合ニュースが翻訳したものです。
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平成の最後までマスコミがスルーし続けた…天皇・皇后の護憲発言と安倍政権へのカウンター!安倍政権による平和の破壊と改憲に強い疑義を呈すような姿勢を続けた【大戦への深い反省】を語った天皇【A級戦犯】に言及した皇后!リテラ
![]() 平成の最後までマスコミがスルーし続けた…天皇・皇后の護憲発言と安倍政権へのカウンター|LITERA/リテラ ![]() 平成の最後までマスコミがスルーし続けた…天皇・皇后の護憲発言と安倍政権へのカウンター (2019年4月30日) - エキサイトニュース 平成の最後までマスコミがスルーし続けた…天皇・皇后の護憲発言と安倍政権へのカウンター 2019年4月30日 19:30 宮内庁ホームページより 本日4月30日、明仁天皇が退位する。メディアではここのところ連日、明仁天皇と美智子皇后の軌跡を振り返る特集が繰り返し流れている。しかし、そうした回顧特集のなかでほとんど触れられていないことがある。 それは、明仁天皇と美智子皇后の、平和と護憲の思い。そして、それを壊そうとする安倍政権へのカウンターを発信してきたことだ。 もともと即位後の朝見の儀でも「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い」と表明したように、明仁天皇は以前から日本国憲法を遵守する考えそして平和への思いを強調してきたが、とくに第二次安倍政権発足以降は、安倍首相の“戦争のできる国づくり”政策、改憲に強い危機感を抱き、政権に警鐘を鳴らしているとしか考えられない、踏み込んだ発言を繰り返し行なってきた。 マスコミがふれないのなら、平成最後の日に、本サイトがきちんとその軌跡と発言の詳細を残しておきたいと思う。 まず、第二次安倍政権が誕生した翌年2013年の10月には、美智子皇后が誕生日に際した文書コメントで護憲の姿勢を示唆した。美智子皇后は、一年で印象に残った出来事を「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます」としたうえで、以前、あきる野市五日市の郷土館で「五日市憲法草案」を見たときの思い出をこのように語った。 「明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」 日本国憲法と同様の理念をもった憲法観が日本の「市井の人々」によってもつくられていたことを強調し、基本的人権の尊重や法の下の平等、言論の自由、信教の自由などが、けっして右派の言うような「現憲法は米国の押しつけ」などではないことを示唆したのだ。 そして、同じ年の12月、今度は、明仁天皇が80歳の誕生日会見でこれまでの歩みを振り返って「やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです」と語り、こう続けたのである。 「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」 日本国憲法を「平和と民主主義を守るべき大切なもの」と最大限に評価する明確な“護憲発言”だった。 しかも、明仁天皇はわざわざ憲法制定過程における「知日派の米国人の協力」に言及していた。これは、右派の言う「米国による押し付け憲法」なる批判を牽制したものとしか思えなかった。安倍首相は2012年に党のネット番組で「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」と日本国憲法を罵倒していたが、明仁天皇の誕生日会見での発言は、それと真っ向から対峙するものだった。 ●天皇が安倍政権に危機感を抱いた始まりは「主権回復の日」式典 こうしたリベラルな考え方の持ち主と言われる明仁天皇だが、実は、践祚してからの誕生日会見を振り返ってみると、記者から具体的に社会情勢や政治的な話題についての質問が飛んでも、一般論を短く話すか、一言か二言、憲法や平和、民主主義についてふれるというのがもっぱらだった。 それが、憲法4条に反しないギリギリのラインを保ちつつも、ここまで踏み込んだ発言をするようになったのは、第二次安倍政権発足以降のこと。これらの発言が、安倍政権の戦争政策や改憲への危機感から発されたものであることは、明らかだ。 実際、この年の天皇・皇后の誕生日会見の前に、安倍政権に対して危惧を抱かせたであろう決定的な出来事があった。 2013年4月28日に行われた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」のことだ。4月28日は1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、本土がアメリカの占領から独立した日。第二次安倍政権はこの日を「主権回復の日」と位置付け、政府主催で初めて式典を開き、天皇と皇后を出席させた。 式典は極めて復古的な、右翼色の強いものだった。当日、菅義偉官房長官が閉式の辞を述べ、天皇・皇后が退席しようとしたとき、突然、会場の出席者らが両手を挙げて「天皇陛下万歳!」と叫んだのである。安倍首相らも壇上でこれに続き、高らかに「天皇陛下万歳」を三唱。天皇と皇后は、足を止め、会場をちらりと見やり、わずかに会釈してから会場を去ったが、その表情は固まったままだった。 実は、この式典の開催は、自民党が野党時代から公約にかかげるなど、安倍首相の強いこだわりがあった。しかし、天皇・皇后は事前段階から周辺に拒絶感を吐露していたといわれている。実際、2016年12月24日付の毎日新聞朝刊記事によれば、〈陛下は、式典への出席を求める政府側の事前説明に対し、「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘されていた〉という。 前年の衆院選公約で「国防軍の明記」を盛り込んだ改憲案を掲げた安倍自民党は、政権を奪取し、その動きを本格化させていた。そんななか明仁天皇の誕生日会見に“変化”が起きた。上述のように、傘寿を迎えた明仁天皇は、会見のなかで、安倍政権へのカウンターとしか取れない、護憲発言を行ったのだ。 いずれにしても、明仁天皇が安倍首相による復古的プロパガンダへの政治利用と、その憲法軽視の姿勢に危機感をもっており、それが、誕生日会見での言葉にあらわれたのだろう。 ところが、こうした明仁天皇の動きに対して、安倍官邸は宮内庁へのプレッシャー、締め付けを強めていく。たとえば翌2014年の4月、「正論」(産経新聞社)5月号に「憲法巡る両陛下のご発言公表への違和感」と題した文書が掲載された。〈両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない〉〈宮内庁のマネジメントはどうなっているのか〉と、明仁天皇の“護憲発言”を批判する内容だ。執筆したのは、安倍首相のブレーンのひとりと言われる八木秀次・麗澤大学教授だ。すなわち「改憲の邪魔をするな」という安倍側からの攻撃に他ならなかった。 そして、本サイトでもレポートしてきたように、こうした安倍首相に近い右派からの“天皇批判”は、その後、どんどんむき出しになっていった。 ●「大戦への深い反省」を語った天皇、「A級戦犯」に言及した皇后 しかし、陰に陽に圧力がかけられるなか、それでも天皇と皇后は、自分たちにできるやり方で、安倍政権による平和の破壊と改憲に強い疑義を呈すような姿勢を続けた。 たとえば美智子皇后は2014年の誕生日文書コメントで「来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい」という質問にこう答えている。 「私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います」 この皇后発言の2カ月前には、安倍首相がA級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを送っていたことが報じられていた。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、安倍首相は戦犯たちを「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛したという。そうしたタイミングで皇后は、A級戦犯に踏み込む異例のコメントを出したのだ。 明仁天皇も、2015年の安倍首相による戦後70年談話が公開された翌日の8月15日、戦没者追悼記念式典で「さきの対戦に対する深い反省」を明言した。 「終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」 明仁天皇が、戦没者追悼式典で戦争に対する「深い反省」を使ったのはこの年が初めてのことだった。そのため、この夏強行成立されようとしていた、憲法の平和主義を解釈改憲によって骨抜きにする安保法制関連法案に対する天皇からの「反論」ではないかとも取り沙汰された。以降、天皇は同式典で「深い反省」の言葉を用い続けている。 だが、安倍政権と皇室の対立が深くなるにつれ、官邸の“天皇封じ込め”は一層露骨になっていた。たとえば、2016年に天皇がビデオで直接国民に語りかけた「生前退位」をめぐる軋轢だ。 そもそも、天皇側はこれ以前から、女性宮家の創設や「生前退位」について政府に検討を要請していた。にもかかわらず、官邸は無視をし続けた。そうした背景があって、天皇側から「生前退位の意向」をNHKにリーク、そして、明仁天皇自らの「おことば」公開という流れになったわけだが、これに対し、官邸は激怒。天皇の「おことば」表明後、風岡典之・宮内庁長官(当時)を事実上、更迭し、次長に子飼いの警察官僚・西村泰彦氏をあてて牽制するという報復人事に出たのである。 しかも安倍政権は、国民世論におされてしぶしぶ「生前退位」だけは認める方向に転換したものの、その政府有識者会議やヒアリング対象者には、安倍首相直々の指名で“生前退位反対派”の日本会議系メンバーを複数送り込み、制度化を望む天皇の希望を無視して「一代限り」とした。さらに、この有識者会議のヒアリングでは、安倍首相が人選した平川祐弘・東京大学名誉教授が「ご自分で定義された天皇の役割、拡大された役割を絶対的条件にして、それを果たせないから退位したいというのは、ちょっとおかしいのではないか」と天皇を批判する始末だった。 ●皇后は安倍首相が無視したICANノーベル賞を賞賛 こうした安倍政権の“報復”に、天皇はショックを受けたとも報じられているが、いずれにしても、官邸は皇室と宮内庁への圧力を強化し、天皇の発言を封じ込めようとしたのだ。事実、2016年と2017年の誕生日会見では、2013年のように憲法に関する踏み込んだ発言は完全に封印され、一年の動静を端的に振り返るかたちとなっていた。 しかし、それでも、天皇・皇后は安倍政権へのカウンターを発信し続けた。 美智子皇后が、2017年10月の誕生日に際し、宮内記者会からの質問に答えるたちで出した文書では、この年のノーベル平和賞に「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」が選ばれたことに言及。「大きな意義があった」と評価してこう綴ったのだ。 〈平和賞は、核兵器廃絶国際キャンペーン「ICAN」が受賞しました。核兵器の問題に関し、日本の立場は複雑ですが、本当に長いながい年月にわたる広島、長崎の被爆者たちの努力により、核兵器の非人道性、ひと度使用された場合の恐るべき結果等にようやく世界の目が向けられたことには大きな意義があったと思います。そして、それと共に、日本の被爆者の心が、決して戦いの連鎖を作る「報復」にではなく、常に将来の平和の希求へと向けられてきたことに、世界の目が注がれることを願っています。〉 周知のように、100カ国超のNGOが参加し、日本からも7団体が加わっている連合組織であるICANは、被爆者の証言を聞く会合を開き、各国政府に直接働きかけるなどして、2017年7月の国連核兵器禁止条約の採択に貢献。そのことが評価されてノーベル平和賞を受賞した。 だが、国連核兵器禁止条約の交渉にすらのぞまず、批准を拒否するという強硬な態度をとってきた安倍首相は、ICANの平和賞受賞には一言もコメントを出していない。 そのなかにあって、美智子皇后が誕生日文書のなかでICANについて掘り下げ、その受賞の意義を大きく評価したのは対照的だ。しかも、これは一般論ではなく、明らかに核兵器廃絶の世界的潮流に逆らい、さらに北朝鮮の核・ミサイル問題を利用して好戦的世論を扇動している安倍政権の動きを意識したものと解釈できる。 実際、文書では〈戦いの連鎖を作る「報復」〉と、わざわざカッコに入れ、「報復」を強調するかたちで否定していた。美智子皇后が当時、緊張状態が高まっていた朝鮮半島情勢を念頭に置いていたとしても、何ら不思議ではない。 ●沖縄いじめの安倍政権に対して、天皇は沖縄への強い思いを 憲法の問題とならび、天皇が発信し続けてきたのが、沖縄をめぐる問題だ。昨年の最後の誕生日会見でも、今年2月に行われた在位30年式典でも、天皇・皇后は沖縄への強い思いをくりかえし発信した。 明仁天皇は、昨年12月20日に宮中で行われた誕生日会見で、途中、何度も言葉をつまらせ、ときに涙声になりながら、自らが天皇として皇后とともに歩んできた道のりを振り返るかたちで、戦後の平和と反戦にかける思い、戦争の犠牲の大きさを正しく伝える姿勢、沖縄への気持ち、日本人だけでなく外国人への心遣い、そして日本国憲法における「象徴」の意味などについて語った。 なかでも印象的だったのが、安倍政権による“いじめ”と言える状況が苛烈を極める沖縄への強い言及だ。 周知の通り、昨年9月に行われた沖縄知事選では、逝去した翁長雄志前知事の遺志を継ぎ、辺野古新基地建設に明確にNOを示した玉城デニー氏が当選した。だが、安倍政権はこの沖縄の“民意”を無視して辺野古の海への土砂投入を強行。しかも、「辺野古移設反対なら普天間基地の返還はない」という卑劣な二択を迫り、基地に反対する人々を恫喝している。 そんな状況のなか、明仁天皇は「沖縄に心を寄せていく」ことを訴えた。1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効(本土の主権回復)から、沖縄の復帰までに、20年の歳月を要したことを振り返ったうえで、あらためて「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました」と、本土から見捨てられてきた歴史を強調。「皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました」と続けたあと、声を震わせ、会見場を見やりながら、こう力を込めた。 「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」 「心を寄せていく」ことを強調したのは、明らかにいまの日本政府による沖縄切り捨てを意識してのものだろう。「先の大戦を“含め”実に長い苦難の歴史」、「沖縄の人々が“耐え続けた”犠牲」という言い回しからも、それが本土に“捨て石”とされた沖縄戦のみを指すものではないことは明白だ。 本サイトでも何度か紹介してきたように、もともと、明仁天皇の沖縄にかける思いは極めて強いものがある。現在も米軍基地の押し付けという「犠牲」を強い、県民の基地反対の意思を潰そうとしている安倍首相の姿がその目にどう映っているかは想像にかたくない。 上述したように、2013年の4月28日、安倍首相の肝いりで行われた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」にあたっては、政府側の説明に対し「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と反論し、出席に難色を示していたという。 また、皇太子時代の1975年に沖縄を初訪問したときには、火炎瓶を投げつけられるという事件が起きたが、事前に「何が起きても受けます」と覚悟を決めていた現在の明仁天皇は、その日の夜、こんな談話を公表した。 〈払われた多くの犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものでなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません〉 在位中最後となった今年の訪問も含め、沖縄を11回訪れた明仁天皇。天皇としての最後の誕生日会見で、あらためて、「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくと宣言したことは、現在も政府が沖縄を虐げていることを深く憂慮する発言に他ならないだろう。 ●在位30年記念式典で天皇皇后作詞作曲の琉歌「歌声の響」が 天皇・皇后の沖縄への強い思いは、今年2月24日に行われた「在位30年記念式典」でも十分にうかがえた。式典では、沖縄出身の歌手の三浦大知が、明仁天皇が作詞し、美智子皇后が作曲した「歌声の響」を歌唱したのだが、これは天皇・皇后の明確な“メッセージ”だった。 そもそも「歌声の響」は琉歌(沖縄の島々に伝わる8・8・8・6調の定型詩)だ。〈ダンジユカリユシヌ/ウタグイヌフィビチ〉(だんじよかれよしの歌声の響)と始まり、〈ミウクルワレガウ/ミニドゥヌクル〉(見送る笑顔目にど残る)と続く。「だんじゅかりゆし」というのは旅立ちを祝って歌われる沖縄の歌で、「ほんとうにめでたい」という意味。ここには、天皇・皇后にとって忘れられない沖縄のエピソードがこめられている。 明仁天皇が「歌声の響」を詩作したのは皇太子時代、美智子皇后(当時は皇太子妃)と沖縄を初訪問した1975年に遡る。当時の沖縄は3年前に本土へ復帰したばかりで、天皇の戦争責任を問う声も多く、皇室に対する強い反感があった。実際、この訪問で明仁天皇がひめゆりの塔で献花した際、火炎瓶を投げつけられるという事件が起きている。だが、明仁天皇の沖縄訪問は覚悟の上だった。訪問前、琉球文化研究などの第一人者である外間守善氏から「何が起こるかわかりませんから、ぜひ用心して下さい」と心配された今上天皇は、「何が起きても受けます」と述べたという(朝日新聞2016年12月18日付)。 その火炎瓶事件の翌日に向かったのが、辺野古のある名護市の国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」。療養所の人々が二人を見送る際に歌った歌が「だんじゅかりゆし」だった。そして、東京に戻った明仁天皇がこの思い出を琉歌として詠み、沖縄愛楽園の人々に贈ったのが、先に紹介した一首だ。 みなさんの「だんじゅかりゆし」と歌うその響が、わたしたちを見送るその笑顔が、いまでも目に浮かんで消えません──。そこに美智子皇后が琉球民謡風のメロディをつけたのが、琉歌「歌声の響」なのである。 つまり、いまの天皇と皇后にとって、「歌声の響」はまさに、自分たちを受け入れるかどうかわからなかった沖縄で、社会的弱者であるハンセン病を患う人々から、自らの旅路(進むべき道)に祝福をもらったという思い出そのものだった。 そして、その歌を30周年式典、最後の在位式典で沖縄出身の三浦が歌うことになったのは、まさに天皇・皇后が在位の最後まで、沖縄に対する贖罪の念を抱き続けたという証だろう。それは、いまも沖縄に米軍基地押し付けを強行し続けるばかりか、反対する沖縄県民を恫喝・攻撃し続ける安倍政権とは対照的なものだった。 ●天皇タブーより強大になった安倍政権タブー どうだろう。こうして、7年間の言動を振り返ってみれば、天皇と皇后がいかに、安倍政権による民主主義や平和主義の破壊に心を痛め、なんとかそれを押しとどめようとギリギリのところで発言を繰り返していたことがよくわかるはずだ。 しかし、天皇・皇后のこうした発言や姿勢はテレビなどのマスコミで報じられることはほとんどなかった。NHKが2013年の誕生日会見で憲法に触れた部分をカットして放送したのをはじめ、多くのメディアは戦争や憲法と関係のない当たり障りない部分ばかりをクローズアップ。全文紹介したとしても、その意図をきちんと報じることはほとんどなかった。 そして、いま、平成から令和への代替わりにあたっても、「振り返り」のなかで、護憲や反戦、安倍政権へのカウンター的発言が紹介されることはほとんどない。 いったいなぜか。それは、前述したように、安倍政権が天皇・皇后のそうした動きに陰に陽に圧力をかけ、それをメディアが忖度しているからだ。天皇よりも安倍政権を恐れたメディアは、政権批判につながる天皇の発言を封印してしまったのだ。 昭和から平成の代替わりでは大規模な自粛が起きて、メディアにおける天皇タブーの存在が浮き彫りになった。しかし、平成から令和への代替わりで浮かび上がったのは、天皇よりも安倍政権批判がタブーになってしまったという、日本の状況だったのである。(編集部) フォローお願い致します→復活マッジクアワーTwitter 美智子皇后、憲法論議に言及。(お誕生日文書回答で)基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など/かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。 http://blog-imgs-44.fc2.com/k/i/m/kimito39gmailcom/20141130214027630.jpg 美智子皇后が誕生日談話で安倍政権にカウンター!安倍が無視した核兵器廃絶ICANノーベル賞の意義を強調!軍縮の意義を強調し、反ヘイトの意思を明らかに!平和国家としての日本!安倍は国連核兵器禁止条約の交渉にすらのぞまず、批准を拒否するという強硬な態度をとり、ICANの平和賞受賞には、一言もコメントを出していない! - みんなが知るべき情報/今日の物語 ![]() ![]() ![]() ![]() 天皇陛下、皇后様に続いて…皇太子殿下も「憲法順守」に言及! ![]() 天皇陛下、戦争の歴史学び考えること大切!戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い!全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります!終戦から71年、全国戦没者追悼式、2016年8月15日… - みんなが知るべき情報/今日の物語 ![]() ![]() 今上天皇陛下は緊急事態条項を体張って止めた!これが譲位の理由【藤原直哉情報】緊急事態条項は「徴兵令」も可能となる!戒厳令…国民の人権は強制的に停止される!安倍自民党草案!今上天皇陛下は緊急事態条項を体張って止めた!これが譲位の理由【藤原直哉情報】緊急事態条項は「徴兵令」も可能となる!戒厳令…国民の人権は強制的に停止される!改憲、安倍自民党草案! - みんなが知るべき情報/今日の物語 ![]() 満州国で安倍の祖父・岸信介もアヘンで大儲けし、巨大な富を築いた!生体人体実験の731部隊の指揮も岸信介!その人体実験の情報と、莫大なアヘン蓄財を駆使して、A級戦犯でありながら無罪放免されたのだ!- みんなが知るべき情報/今日の物語 ![]() ![]() 【細菌兵器731部隊】生体実験には子供や女性もいた!背後の指揮官は安倍の祖父・岸信介!生体実験の捕虜=匪賊はマルタと呼ばれ生きて帰った人はいなかった!マルタは中国人、ロシア人!犠牲者数は3000人以上と推定される!京大、東大のエリート医師が中心!この恐ろしい計画の立案者は石井四郎中将!病気を殺人兵器に変える任務を帯びていた!NHKスペシャル『731部隊の真実』安倍家は悪魔の死の商人である、代々! - みんなが知るべき情報/今日の物語 ![]() ![]() 戦争国家へ【明治維新】を陰で操った安倍晋三の曾祖父!米国による日本支配の原点!アヘン戦争で大儲け【明治維新の武器商人】吉田茂の養父「吉田健三」イギリスの武器商社であるマセソン商会の横浜支店長!日本の戦後民主化にブレーキをかけ、日本の思想統制を実行したのが吉田茂である!安倍晋三も麻生太郎も死の商人の家系である! - みんなが知るべき情報/今日の物語 ![]() ![]() 安倍、天皇を茶化す発言!親しい政治家の前で!生前退位で陛下の意向無視し「一代限りの特別法」国民が「生前退位」の恒久的制度化を支持しているにもかかわらず、それをはねつける安倍!天皇は誕生日会見で何を語るのか!「ある有力政治家の話ですが、彼が官邸の総理執務室で安倍さんと生前退位の話をしたら、安倍さんはカーペットに膝をつきながら、『こんな格好までしてね』と言ったらしいのです。ちょっと何て言うか、天皇陛下が被災者の方々に寄り添うお姿を、そういうふうにちゃかしてみせるというのは......。信じがたいですね」 http://blog-imgs-100.fc2.com/k/i/m/kimito39gmailcom/20161219010212986.jpg なかにし礼、平和憲法は300万人の死者の血と涙によって得たもの!日本が各国に運動すべき憲法!安倍首相は岸信介教の熱狂的信徒にすぎない!国民が天皇陛下とともに憲法制定・公布・施行を喜んだ!この事実を忘れてもらっては困る! - みんなが知るべき情報/今日の物語 ![]() ![]() ![]() ![]() いまだに漠然と売国奴・安倍自民党を支持する国民は、安倍一派と対立する『天皇陛下』にも多大な迷惑をかけていると知れ!愛国心あふれる天皇と、米戦争屋の傀儡・安倍晋三の対立が起きているのです!新ベンチャー革命 - みんなが知るべき情報/今日の物語 ![]() ![]() ![]() 平成とは【安倍晋三一味の人工地震・災害の歴史】東日本大震災、311原発テロ、オウム真理教サリン事件、阪神淡路地震、熊本地震、大阪地震、北海道地震、人工台風、人工豪雨、人工猛暑など!人口削減ホロスコープ - みんなが知るべき情報/今日の物語 癌にタマゴと「がん治療に殺された人、放置して生きのびた人」の著者「近藤誠医師」も記述!元ハーバード大学准教授・荒木裕医師も「ガンにならない体」卵、肉や魚介類!がんを切らない選択、抗がん剤だけはやめなさい、がんでもふつうに暮らし、穏やかに逝く極意!近藤誠医師も上記の本の中で、がん対策に卵で先ず栄養をとりなさいと。糖尿病、肝臓病の医師達も卵を1日3個以上を奨めています。- みんなが知るべき情報/今日の物語 がん、脂肪肝改善【高カカオチョコ】食前3食・間食前に…1日25グラム/生活習慣病、癌、糖尿病、認知症、肝臓、心臓疾患 、便秘、動脈硬化、高血圧 、免疫力アップ、脳卒中予防 、インフルエンザ、風邪、疲労回復、滋養強壮、記憶力、美肌、ダイエット、ピロリ菌など!純ココア=無糖カカオチョコ- みんなが知るべき情報/今日の物語 フォローお願い致します→復活マッジクアワーTwitter 楽笑楽園M 日々物語/楽笑楽園 - 今日の物語F さんちゃんの部屋/日々物語 日々元気 http://blog-imgs-84.fc2.com/k/i/m/kimito39gmailcom/20151129160928804.jpg
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