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みんなしてプロメテウスの罠に落ち
莫大な犠牲とお金をかけて原発を建設し、暴利をむさぼる構図が出来上がった「原子力村」。
いざ解体となると巨額の資金が必要な上、手間暇がかかる。その間、減収はあっても収入はなくなる。
そんな事なら壊れるまで原発を使って儲かるだけ儲けたい。こう考えるのは人の情。
そのうえ解体後の核のごみの持っていき場所がない。青森県の六か所にしたって一時的と約束をしてしまった。
しかし、幸いなことに、福島原発事故が起きてくれた。あの周辺はかなりの年数人が住めないところができてくれた。神からの思し召しのように、半永久的な核ごみの処分地候補地が与えられた。
こう考える人間がいてもおかしくはない。
むしろあの原発事故は、起こされるべくして起こされたのではないかという疑問が湧く。
核ごみの永久処分地はどうしても必要なことは確か。
影の国策としての大陰謀があったのではないかという小説を構想したことがあるが、まさにその画策があったと思われるぐらいタイミングがよすぎる。
…これほどの不信感を招いている原子力発電。
今日も粛々と、核のごみを増やしながら発電を続けている。
この責任はだれが取ろうとしているのだろうか。
プロメテウスの罠から日本国家は這い上がれるのだろうか。
誰も わ・か・ら・な・い・・・
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原子力明るい未来のない社会
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福島の青い空(421)
「いま原発事故を考える」
地震が来ることを知らなかった責任
東京電力会長の強制起訴裁判も会長の被告人質問が終わり
ました。それによると、勝俣会長は「社長は万能でないこ
と」さらに「安全に対する職務権限は本部長に委嘱されて
いたので、その責任もない」と答えた。
勝俣被告は「原発の安全は一義的には現場である原発部門
にある」と述べました。
強制起訴裁判において東電技術職の頂点、武黒元副社長と
武藤元副社長は津波の襲来は想定外で、また地震で原発が
破損することは、これも想定外だったといって責任を否定
した。
今般会長もまた責任を否定したことから、だれも責任をと
るものがいなくなってしまった。
これからも地震や津波はあります。いずれも予期せず、相 手が勝手にやって来ます。原発は壊れ、高い経費をかけて
新しく作られた防潮堤も必ず破壊されます。
宮城県東松島市矢本町に新しく造られた防潮堤、こういう
堅固そうな防潮堤も一瞬にして津波にのみ込まれる。ただ
の気休めに過ぎない。 古人いわく 三陸大津波記念碑
高き住居は 児孫の和楽
想へ惨禍の 大津波
此処より下に 家を建てるな
<宮古市>
津波を避けるためにはそれしか方法がない。
人間は自然にはかなわない。自然をねじ伏せる思想は西洋
思想です。日本人には合いません。津波と地震があるから
です。おまけに火山もあります。 外国のまねをしてると大変な目に遭います。
自然の目的は破壊ではありません。調和することがその目
的です。およそ自然といえるものの目的はすべてそうで
す。宇宙の目的もそうです。破壊が目的だったら地球はす
でにありません。宇宙=コスモス=調和
人間がその自然の摂理に刃向うから破壊されるんです。
津波の来るところに原発を造ること自体が、自然の摂理に
反してるわけです。
日本中の原発がすべて自然の摂理に反して作られてんで
す。
金儲けのためです。
電力エネルギーが必要だったら、水力発電を改良するとか
火力発電をもっと効率よくエネルギ―を利用できるように
工夫すべきなのに、米国にだまされて、とんでもないもの
を導入してしまった。
原子力時代を迎えて60年、日本のエネルギー開発は一歩
も進まず、それを反省しようともしない。
水力発電などもう百年も前から使われてきたものである。
敗けるとわかっていても回転運動をやめなかった日本陸軍
と同じであった。
惨憺たる結果がわかってから日本人は始めて悟ってきた。
しかしその時は遅く、すべては手遅れである。
誰も責任を取らない
そのたびにこういう裁判が繰り返され不毛な論議が続きま
す。誰も責任を取りたくないのに欲だけは深いのです。
残念ながら日本人の特性です。
江戸時代はこうではありませんでした。自ら責任を認めて
腹を切ったからです。
明治に入ってから、日本人の責任の取り方は変わりまし
た。
責任の取り方を知らない人が、社会の上層部にいてはいけ
ません。
毎晩天ぷら屋で国の金をちょろまかする相談をして喜び
あっていたり、バレてもしらばくれて責任を取ろうともし
ません。
東電経営陣もそうです。
来るぞ来るぞと警告を受けていても、いざ来るまで、たか
をくくってなんの対処もせず、来てみて初めて、おれには
責任がありません。では70年前と同じです。
無条件降伏の決断を先延ばしして、原爆を落とされまし
た。責任を取りたくなかったからです。
原爆を落とされても、まだ戦争を続けるつもりだったんで
す。昭和天皇が止めたんです。
「もうやめっぺ、私の国民がみな殺されてしまう」と言わ
れたから、あなた方はこの世に生を享けているんですう
〜。私はその前から生きていて、殺されなかった一人で
す。
今忙しいのに、毎日こんなことを言ってるのはその時の恩
返しです。
原発を再稼働している日本人には人として欠けているもの
があるとしか思えない。滅亡に向かって必死に向かってい
る日本人の姿が戦争と原発の両方にある。
原発とは戦争と同じなんです。現に福島は核戦場になって
います。被害が限定的で「おれには関係がねえんだ」では
ありません。日本が終わりにならなかったのは、ほんと運
がよかっただけだったなどとはだれも知りません。
東電も政府もマスコミも何も言いません。でも本当のこと
です。本当だから言わないんです。国民が知ったら脱原発
になるからです。
原発は地震でやられたんです。津波が来る前にすべての安
全装置は破壊されて、機能してなかったんです。
変電所がやられ、送電線もやられ、原発のさまざまな配管
が破壊されました。すべて津波の前の地震によってです。
今日本国民は重要なことは何も知らされず、ぬる〜いお風
呂に入っています。だんだん熱くなるまでわかりません。
原発が壊れると、日本中がどこでもそういう状態が起きま
す。知らないのは国民だけです。
日本中の国民の40%は常用漢字も読めない馬鹿だから、
ネットもやりません。本も読みません。情報を知らないの
です。マスコミが言わないからです。
マスコミは原発の友達です。
したがって判断力がありません。なってみて初めてわかる
わけです。原発導入の元凶は自民党です。国民は爆発して
もまだ自民党を支持しています。地獄まで一緒についてゆ
け。まったくバカな国民です。
地震から受ける原発の被害に対する認識が、ゼロだったと
いうこと
東電経営陣は地震や津波など来ないものと思っていた。来
てみて被害を受けて、初めてびっくりだといっています。
三陸津波や尾鷲市の津波もいわば最近のことである。
尾鷲市には昭和19年(1944年)に9mの津波が襲っ
てんですよ。軍によって隠ぺいされました。
昭和東南海地震 昭和19年(1944年)M8
南海地震 昭和21年(1946年)M8
三陸大津波 昭和8年(1933年)M8 遡上高28m
明治三陸大津波 明治29年(1896年)M8.5
遡上高38m
そのことを東電は知っていました。
対処する責任は東電全体にあったんです。東電全体とは社
長のことです。「おれには職務権限がなかった」は通りま
せん。
会長も社長も重役でさえも、地震があれば津波が来ること
をだれひとり知らなかった。いや裁判では「東電設計」の
社員が知っていて対処するように言ったと証言している。
東電の各現場ではきちんと見通して対策を講じているでは
ないですか。
東電の重役だけが本気にしてなかったわけです。
現場の声に耳を傾けず、こういう結果を招いたことはひと
えに経営者の責任です。
東海第二では対処することができた。東海第二で出来て東
電で出来なかったことが大きな問題であるのに、焦点がボ
カされている。だから今頃強制起訴されている。
手をこまねいて見ていた不作為は違法である。
事前に対処する責任があります。
津波が来て爆発してもしょうがない。と言われんでは福島
県民にとってはかなわない。
勝俣さん,武黒さん、武藤さん!
それはいくらなんでも、いくらなんでもあんまりです。
ご容赦ください。
江戸時代だったら切腹して責任を取っています。それ以外
の責任の取り方があったなら教えてください。
まあ関係はないのですが、勝俣とは御殿場の勝俣がルーツです。
御笑いの勝俣とは同族のはずです。静岡ですから、さまざまな地震とは
当然知識はあるはずで、無関係と言ってるのは嘘です。
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人生の二章目になる避難先
原発事故で着の身着のままで逃げ延びた先、避難先はまさに人生第二章。
ここから新たな人生が始まった。
だが、私のように無事避難先にたどり着かなかった人たちがたくさんいる。そのことはほとんど知られていない。
私が住んでいた福島県浪江町の隣に双葉町がある。そこにあった「双葉病院」とその関連施設には180人の患者がいて、避難の移動バスの中で50人近くの患者さんが亡くなっている。
この悲劇はドキュメンタリーとしても放映された(見ていない方は下記アドレスを参照ください)。
この悲劇をどれだけの日本人が触れたかは知らないが、ごく少数の人だろうと思っている。
というのも、こうした悲劇が知られていれば、日本国中に、あの原発事故に対する非難なり、原発再稼働の是非の議論なりが、旋風のように巻き起こっていいはずである。
そんな兆候はこれぽっちもない。
それどころか、原発再稼働に頼る議論が政府からも大企業からも臆面もなく出される。
一方で、事故の恐怖を孕んだまま原発は次から次と再稼働されていく。
司法は再稼働を応援し、誘致先では大喜びで歓迎する。この異状性はどう考えたらいいのだろう。
ほんとうに地域振興が必要であれば、原発に頼らず堂々誘致を進めていくというスタンスが取れない現状。
国民の命は第2、第3で国策が進められるわが国は、ほんとうに誇れる国なのだろうか。もう一度胸に手を合わせて考えてみたいものである。
いずれにしら、私の人生の第二章は火ぶたが切られた。
まずは健康で生き延びること。
そしてあの忌まわしい原発事故後の日本の姿を見届けること。
生きている間にあの悲惨さを伝え残していくこと。
やらなければならないことはたくさんある。
(参考ブログ・下記アドレス)
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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181022-00000055-sasahi-soci
部下の証言を真っ向から否定し、政府の津波予測を「信頼性が無い」と切り捨てた武藤栄・元東京電力副社長。写真は1月の第2回公判で東京地裁に入る際のもの (c)朝日新聞社 廃炉に向けた作業が続く東京電力福島第一原発。公判では、2008年に現場から提案された「最大15.7メートル」の津波対策についての判断が争点となった (c)朝日新聞社 東京電力の元幹部に、福島第一原発事故の責任を問う刑事裁判。「山場」とされる被告人質問で、武藤栄・元副社長は責任逃れに終始した。 * * * 10月16日、被告人質問の冒頭。東京電力元副社長の武藤栄氏(68)は証言台の席から立ち上がり、「大変多くの方々にご迷惑をおかけした」と、裁判長に向かって4秒ほど頭を下げた。福島から傍聴に来た人たちに尻を向けておじぎする姿は、とても奇異に感じられた。一体、誰に何をわびたのだろう。 公判の間中、武藤氏は落ち着きがなかった。腕を前に出して証言台をつかんだり、話しながら腕を振ったりと体を動かし続けた。検察官役の指定弁護士の質問に答える時は、ときおり頬を紅潮させてもいた。 東京地裁で最も大きな104号法廷の傍聴席は98席。一般傍聴者の抽選倍率は、16日5.8倍、17日4.5倍と世間の関心は高かった。 東電福島第一原発事故を受け、入院患者らが無理な避難で死亡したなどとして、東電元幹部らが強制起訴され始まった刑事裁判は、2017年6月に初公判が開かれた。 18年1月の第2回までは間が空いたが、その後はハイペースで進み、今回が30回目だ。これまで21人の証人が登場し、社内会合の議事録や電子メールなどの物証をもとに、被告人がどんな判断をしてきたか、事実を固めていった。 そして迎えた、武藤氏への被告人質問。最大の争点は、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が02年に発表した長期評価に、適切に対応していたかどうかだ。 長期評価は「福島沖でも1896年の三陸沖(明治三陸地震、死者2万1959人)と同様な大津波をもたらす地震が発生する可能性がある」と予測していた。指定弁護士側は「社内で進んでいた対策は08年7月31日、武藤氏の指示で停止された」という主張を、証言や証拠で着々と示していった。武藤氏が津波対策を先送りし、その判断が事故を引き起こしたというのだ。 「先送りと言われるのは大変に心外」 証言台で、武藤氏は語気を強めた。08年7月31日、東電社内で津波想定を担当する土木調査グループは、長期評価に基づき15.7メートルの津波への対策を示したが、武藤氏は対策にGOサインを出さず、土木学会に検討を依頼した。これについて武藤氏は「経営としては適正な手順」と強調した。 しかし、会合に出席していた東電社員の供述から、筆者には「適正な手順」とは思えない。 「対策を前提に進んでいるんだと認識していた」 「それまでの状況から、予想していなかった結論に力が抜けた。(会合の)残りの数分の部分は覚えていない」(第5回公判、4月10日) 「想像していなかった」 「(対策工事をしないことについて)それも無いと思っていました」(18回、6月20日) 東電の決定を聞き、東海第二原発を運転する日本原子力発電の取締役は「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」と述べていたと、当時同社に出向していた東電社員は検察官に供述していた。(23回、7月27日) 指定弁護士の「7月31日の決定は感覚的に『時間稼ぎ』と思っていたのか」という問いに「そうかもしれない」と答えた社員もいた。(8回、4月24日) 地震本部が予測した津波への対策を進めることは、08年2月の地震対応の会議、3月の常務会、双方に出席した勝俣恒久氏ら東電経営陣が了承していた。津波対応部署のトップだった東電社員が、検察の調べにそう供述していたこともわかった。(24回、9月5日) この供述に、武藤氏は強く反発。「どうしてそういう供述をしたのかわからない」と何度も述べた。 2月の会議で提出された資料には、「1F(福島第一) (津波高さ)7.7メートル以上の通し 詳細評価によってさらに上回る」とあり、対策として、非常用ポンプの機能維持、建屋設置によるポンプ浸水防止、建屋の防水性の向上などが挙げられていた。しかし武藤氏は「読んでない」「記憶にない」と繰り返した。 裁判長も、会議資料の4項目しかない目次の一つに「津波への確実な対応」と挙げられていることを指摘し、武藤氏に、それでも読んでいないのかと念押しして尋ねた。だが武藤氏は「どこまで詳しく見ていたか記憶がない。よくわかりません」と返答した。 筆者が驚いたのは、政府の津波予測について、武藤氏が「信頼性は無い」と断じたことだ。「信頼性が低い」という表現なら理解できる部分もあるが、政府予測に信頼性が「無い」と繰り返す口調の強さに、のけぞりそうになった。最新の科学的知見の意味を理解できない人が、東電の原発の最高責任者だったのだと、つくづく恐ろしくなった。 長期評価の信頼性を巡っては、評価をとりまとめた島崎邦彦・東大名誉教授ら地震学者3人、土木学会で津波想定を担当していた技術者、東電社員らが証言を重ねてきた。予測に不確実な部分があるにせよ、原発の審査で無視できるような信頼性の低い予測ではないという点では一致していたようにみえた。 それを武藤氏は「信頼性が無い」と断じた。指定弁護士から根拠を問われると「1人の社員がそういう趣旨のことを言ったと思います」と説明した。 だが、東電社員は政府予測に「信頼性が無い」などとは考えていなかった。 津波想定を担当する東電社員が08年3月5日、原発を持つ他の電力会社に次のように説明したことが、7月に日本原子力研究開発機構が開示した文書でわかっている。 「東電福島は電共研津波検討会の状況、学者先生の見解などを総合的に判断した結果、地震本部での検討成果を取り入れざるを得ない状況である」 「(長期評価への)津波対応については平成14年ごろに国からの検討要請があり、結論をひきのばしてきた経緯もある」 武藤氏の口からは、傍聴席から失笑や驚きの声が漏れるような発言もたびたびあった。 「津波想定を見直さなくても、福島第一の安全性は社会通念上、保たれていた」 「見直しの報告書は形式上のものだ」 「現状でも十分安全なのに、安全の積み増しで補強、良いことをしようとしていた」 これらは東日本大震災前に、電力会社が繰り返しPRしていた建前そのものだ。 だが実際は、東日本大震災前から原子力安全・保安院や電力会社が津波に対する危機感を強めていたことがわかってきた。 東電は先送りしたのに、日本原電は地震本部の長期評価にもとづいて、東海第二原発の津波対策を進めていた(23回、7月27日)。保安院の担当者は、原発の津波高さ評価に余裕がないとして、電力会社の担当者と激しく議論していた(29回、10月3日)。そんな事実も刑事裁判で初めて明らかにされた。 ところが、武藤氏は、会議資料は「読んでない」、部下から送られた電子メールも「読んでない」「探してみたが見つからない」、説明を受けたかどうかは「記憶にない」。それを証言で繰り返した。 公判後の記者会見で、被害者参加代理人の海渡雄一弁護士は「武藤氏は否定のしすぎだ。動かない証拠があるところまで否定している。証言全体の信用を失い、墓穴を掘ったのではないか」と話した。 東電は、事故の損害賠償などを求める民事訴訟でも471件(うち継続中177件)の裁判を起こされた。そこで東電は「津波は予見できなかった」と主張している。刑事裁判で真相が明らかにされると、民事訴訟との整合性が取れなくなることを恐れたのかもしれない。 「被告が本当の良心にしたがって真実を述べてほしいという思いで見つめてきたが、自己保身、組織防衛という情報隠蔽体質がずっと続いていることが明らかになり、失望している」 福島原発刑事訴訟支援団長の佐藤和良・いわき市議はそうコメントした。 今月19日の武黒一郎・元副社長に続き、同30 日に勝俣恒久・元会長の被告人質問がある予定。年内に論告求刑があり、来年春までに判決と予想されている。(ジャーナリスト・添田孝史)
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福島の青い空(409)
「今、原発事故を考える」
(1)避難者のほんとうの声
PTSD(心的外傷後ストレス障害)という外来語があ
る。Post Traumatic Stress Disorder.
大きな自然災害や事故などに巻き込まれ、悲惨な精神的
ショックを受けた人が、そのことを忘れられず、当時の状
況がフラッシュバックされて、再び精神的症状が繰り返さ
れること。
原発事故で避難した人々にはみなこれがある。程度の差が
あって、早く克服できた人も、何年もその障害が出る人も
ある。
東電の武藤元副社長も今日(10月16日)の裁判で、
「原発は安全に運転してきたつもりである。と繰り返し
た。」
ありゃ、ストレス障害じゃないのかなと思った。
事故の被害者にあったように加害者にもPTSDがあった
ようなんである。
それはそうだろう。武藤ナニガシは東大工学部を卒業後東
電に入社し、原子力発電の最前線で働いてきた人である。
事故後、すぐ陣頭に立って指揮し、首相の質問などに対応
し、すべてでたらめの対応をして、官邸を混乱させ、事態
を楽観視しては、国の対応をすべて誤らせてきた張本人で
ある。
たしかに原発は安全に運転されてきたのだと思う。いまま
で爆発するような事象がなかったという意味ではの話であ
る。
しかし事故後の対応はすべて誤りで、すべての判断が後手
後手で事態を紛糾させているばかりであった。
特に放射性物質の拡散、放射性物質による被害については
まるっきりのお手上げで、ただ拱手傍観するのみであっ
た。対応がわからないのであった。拱手傍観=何もせず脇で眺め
ていること。きょうしゅぼうかん
あれではストレスがたまるだろう。責任の重さを考えると
気が狂わんばかりではなかったんではなかろうか。
しかし東電の重役たちの顔を見てると責任を感じているよ
うな顔ではなかった。特に会長は技術の問題だからと、超
然としたところがあったようである。
技術の問題ではなく、金の問題だったということが今でも
理解できていないようである。
金さえかけていれば、このたびの事故はおそらく起きてい
なかったと思っている。
(1) 避難者の本当の声
(2) 送電線鉄塔の強度の問題。
(3)地下の非常用電源の問題。
(4)防潮堤の問題。
(5)地震から受ける原発の被害に対する認識がゼロだっ
たということ。
原発事故の原因はいろいろ言われているが、私は以上
(2)〜(5)の4つのことが主な原因だと思っている。
学者や原子炉の専門家は原因をいろいろ言ってるが、そん
なのあてにならない。
後出しジャンケンなど信用していたら、命がいくつあって
も足りない。国や学者の言うことなど何ごとも信用しては
いけない。
これは追って検討します。
武藤元副社長にとって以上の原因のことは、すべて余計な
ことで、いわば捨象してしまって何も考えていないのであ
る。捨象=事故の原因は津波しか考えていないこと、その他のことは捨象す
る。取り去って考えないこと。
今日の話は武藤元副社長のことではない。
私のブロ友の話である。
世間では原発避難は自分ことではなく、「大変だろう
なぁ、気の毒だ」ぐらいで、ほんとはどんなことだかもわ
からない。避難所など行って見たこともなく、ましてや自
分がそんな経験などしたこともない。
体験談など聞く気はないし、聞いたこともない。避難者な
どどうでもいいというのが世間一般の反応だと思えばい
い。
埼玉県議会はオリンピックの電源確保のために、柏崎・刈
羽原発を再稼働しろという決議を行った。首都圏の人間は
東電第一の電気は首都圏でのみ使われていたことを知りな
がら、双葉の人たちのほとんどが避難所暮らしを続けてい
るのに、もう新潟の原発を動かせと議会で決議している。
間もなく東京都議会でも決議するだろう。
今度は新潟の小さな人たちを路頭に迷わせるつもりだろ
う。
首都圏のためなら新潟の人たちは、いつで福島の人たちの
ように犠牲になるべきだということである。
このことは事故後半年も経たないうちに、東京の人たちは
双葉の人たちについて関心を失ったことを見てもわかる。
そのことは、原発爆発の原因も責任もいまだ明白になって
いないのに、すでに再稼働されたことである。
事故直後は、公民館や、学校の体育館、県立の体育館,郡
山のビックパレットふくしまなどで何カ月にもわたって暮
らし、半年後、1年後にようやくいわゆる仮設に移って、
人心地がつけた。
それほど雑魚寝(ざこね)の日々はつらいものであった。
2、3日ならキャンプのことを思えば耐えられるが、1年は
無理である。あれで命を縮めた人が如何に多かったか。
仮設でひっそり亡くなった人々は、みな応急のいわば
ビックパレットや体育館の生活が亡くなった主な原因であ
る。
原発関連死として認定されているが、あれは人殺しにあっ
たと同じなのだから、国家賠償に準じた取り扱いをすべき
である。
その仮設も4畳半2間で狭く、壁が薄く、隣の生活がみな
聞こえてくようなところで、テレビのチャンネルが、隣の
チャンネルに合わせてすぐ切り変えられてしまうような環
境である。そういう生活を応急仮設の暮らしといいます。
その仮設も7年がたち、ほとんどが取り壊されてしまっ
た。国から認定の避難者はほぼ4万人だがそのほかに認定
外になった避難者は10万人ほど全国にいる。
その人たちは仮設にもいることができなくなった。自分で
家を探し、引っ越さなければならない。好きで故郷を離れ
たわけではない。家賃を国は払わないというのである。
いくらなんでもそれではあんまりです、ご勘弁ください。
故郷がすべて除染が完了し、安全になったから故郷に帰り
なさいといわれても、いや安全ではないから帰りませんと
いう人たちが10万人もいるということである。
そりゃそうだろう。だいたい安全の基準がわからない。
特に西側に帰還困難地区を抱えた地区は、西風が吹いてく
ると強い放射能の風である。口をあけただけで内部被ばく
するんである。
原子力非常事態宣言も解除されておらず、いつ事態が急変
するかもわからないし、予断を許さない。あんなガラクタ
を積み重ねたような建物が地震でまた倒壊して、また逃げ
出すことだってありうる話である。
政府は今度事故が起きたら、また逃げだせばいい、今度は
慣れているから早いだろう。みんなでバイクを買えばい
い、それなら渋滞に巻き込まれないぞ言う。
そんなところにも帰る人がいて浪江町では、16000人
(事故前は20000人)のうち帰ったといわれる人が800人
もいるというのだ。実際はどうだかわからない。
3分の1は役場の人間であろう。役場の人間の家族が帰っ
てこそ初めて帰還が始まるのである。楽観は禁物である。
そういう過酷な原発避難を繰り返した、わがブロ友のH先
生のブログが最近変わってきた。
私の古いブログ、12年〜13年のブログを丹念に見てい
るのである。
私のブログは当時も今も、口汚くののしっていることを別
にすればほとんど事実に基づいて記してあるから、事実を
知るうえでは都合がいいと思う。自分が避難先で知り得な
かったこと、故郷福島のさまざまなこと、人々の様々な思
いなど真剣に読んでいるようである。
自分の経験したことばかりでなく、視野を広くして、原発
事故の何ごとかを積極的に知ろうとしている。
今までにない変化である。
避難してから満7年が経過した。私はPTSDが癒えてき
たのだと思っている。本来のH先生がよみがえったと思っ
て喜んでいる。
7年もかかるのである。奥さんが回復されたかどうかはわ
からない。個人差があるからだ。
今までは日々の生活のこと、これからのこと、自分の体の
衰えなどばかりが気になって、ゆっくり原発のことなど気
にしている暇などなかった。
そういえば、a87427も放射能禍の中にいたな、福島に避
難した浪江の人たちも同じく放射能の中で暮らしている。
そういうことを考える心の余裕が出てきたのであろう。
H先生は川柳作家である。
私は貴重な避難体験を作品に残すように、折に触れ言って
きた。
何も分からない中をただ誘導され、原発が爆発するから避
難しろと触れまわられて、取るものもとりあえず、着の身
着のまま、車で避難してきた。
途中の道路は、渋滞しており、のろのろ運転である。後ろ
からは放射能の東電大魔王が迫ってくる。
そういう恐怖の中を必死の思いで耐え、現在がある。
何にたとうべきや。そんなこと知らない、初体験だもの。
日本人でこんなこと経験した人はいない。広島・長崎の原
爆とはまた別である。
そういうことを川柳にしろと人は言う。簡単に言うと思っ
てきたが、7年経って初めて、自分たちが特異な体験をし
てきたことがようやく理解できるようになった。
人は誰でも歴史に対し責任がある。自分の体験が特異であ
ればなおのこと歴史に残さねばならない。何の歴史のこと
だ。自分の歴史のことである。自分史に刻む行為は人を永
遠にすることである。書き遺さねばなにも残らない。
書き残せばいつか誰かが読むことができる。個人の体験で
も永遠になるゆえんである。
私はそういうことが無駄なことだとは思わない。
H先生が断然元気になって、私のブログを読みふけってい
る気持ちがよくわかる。
原発避難はさまざまな形がある。双葉から浪江から福島に
などに避難した人々、郡山や若松に避難した人々、さらに
いわき市に避難した人々、さまざまなドラマがあって、土
地の人々との軋轢、あてもなくさまよう日々、やっと抽選
に当たった避難者公営住宅の入居のこと、東電や国の非情
な措置のこと、国や東電は避難者に詫び状の1本もよこし
たことがないこと。
そういうことをすべて知らなければ歴史は完成しない。
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