|
本当は今日が満月なのだけど、台風前の昨日は、
雲の間から少しだけ綺麗なお月様が見えた。
名月の晩にアップしたいと思っていた無声映画「御誂え 次郎吉格子」には、
「いいお月様…」というセリフが何度か出てくる。
「I love you 」をどう訳すか?
夏目漱石は、「月がきれいだね」と訳しなさい。
「私はあなたを愛してます」なんてセリフを日本人は言わないから…とアドバイス。 それならこの映画で、度々男女間で交わされる「いいお月様…」というセリフは
「I love you」に近いのだろう…
「お誂え次郎吉格子」を鑑賞しながら、そんなことを考えた。
脚本を書いた伊藤大輔監督は、この漱石の話をご存知だったかもしれない。(笑)
お誂え次郎吉格子(おあつらえじろきちごうし)は、
1931年、戦争に突入する少し前に公開された無声映画(サイレント)。
サイレントではあるが、映画に活弁士を付けることで、まるでスクリーンから声が出ているかのように鑑賞できる。
サイレント映画の面白さと、「七色の声」 と言われる活弁士遊花さんの活弁。
二つの芸術鑑賞ができる、ぜいたくな映画会である。
原作は、吉川英治の小説「次郎吉格子」
監督、脚本は、当時33歳の伊藤大輔監督
私は知らない世代だけれど、伊藤監督のファンは多いとのこと。
大河内傳次郎さんは惚れ惚れするような男っぷりの役者さん。(彼が、後に趣味で作った庭園「大河内山荘」も素晴らしい。)
ストーリーは…(あまり観る機会がないと思われるのでネタバレです)
ねずみ小僧次郎吉が、江戸から上方に逃れて来る場面から。
いろはにおえどちりぬるを……隠すこの身は上方に…と、
七五調のナレーションも見事!
伏見寺田屋からの三十石船で、治郎吉は遊女お仙と出会い、恋仲に。 正反対のタイプの女性二人から愛された治郎吉、 一人は自分の美しい思い出に・・
もう一人は自分を逃がすために命を捧げてくれた・・
結末は死罪になったとされているが、二人の女性を思い出すと治郎吉の心は安らかだっただろう。
********
活弁士の遊花さんは、妖艶な女性も清純な女性も、悪人の仁吉も、治郎吉もすべて一人でこなされます。悪人のセリフは悪人顔に、清純な女性は清純な表情、妖艶な女性には表情も妖艶に・・すべて役者さんになりきって…
会はこの後、食卓を囲んで映画の感想会と懇親会に。
これがまた楽しみ^^
食事の用意をしてくださる方が今日は欠席で、今回は、私も
白和えと、向田邦子流のワカメの炒め物を差し入れしました。
20人分作るのは結構大変(^_^;)
食事やお酒をいただきながらの語り合いは話もはずみ、また、主催者さんの
NPO京都の文化を映像で記録する会理事長の濱口 郎さんが、専門家の立場から解説もしてくださるのも魅力です。
次回は「伊豆の踊子」記事アップは来年ですね。
|
無題
[ リスト | 詳細 ]
|
慰安婦問題に迫る「主戦場」は3ヶ月以上のロングラン上映。
映画の会の友人たちに勧められて私も2回目を観に行った。
一回目は、あまりに右派の人たちの主張がでたらめで、これでは主張にならないと思った。
曰く「慰安婦関連の本は一冊も読んでないが、慰安婦なんて馬鹿馬鹿しい問題」
曰く「政府は謝ってはいけないんですよ。謝ったらお終いです…」
曰く「慰安婦もフェミニストも相手にされない醜い女性が始めたこと?????
もっと色々あったが、慰安婦の女性を蔑視して、攻撃しているとしか思えなかった。
ケネディ日砂恵さんという方の意見に概ね賛成でしたが、
この記事にデザキ監督の意図がかかれていました。
デザキ
私がこの映画で修正主義者の主張を取り上げたのは、彼らの考え方が日本で主流派になろうとしているからです。
――それはなぜでしょう?
デザキ わかりやすいからでしょうね。映画にはギルバート氏のほか、"テキサス親父"の異名でネット右翼に人気の評論家トニー・マラーノ氏、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、自民党の衆議院議員・杉田水脈氏ら、いわゆる右派の人たちが多数出演していて、彼らは皆、非常にキャラが立っていて、メディアの使い方も上手です。
山崎 ギルバート氏の本も、杉田氏の本も、言葉遣いがすごく乱暴なのですが、そのほうが読者の感情に響くという面もあります。彼らはわざと粗暴な言葉を使っているように思います。逆に、学者が書く上品な文章は人の心に訴えにくい。
■論争に使われる言葉のトリック
――歴史論争に目を向けるとき、われわれが気をつけるべきことはなんでしょう?
山崎
慰安婦問題に関して言うと、修正主義者が持ち出す「韓国対日本」という対立の構図にまず注意する必要があります。「敵と味方」というわかりやすい図式を示され、「韓国が不当な言いがかりで攻撃してきたから、結束して日本の名誉のために戦おう」と言われると、取り込まれやすい。これは歴史的によく用いられる手段で、戦中の日本にも、「思想戦」と呼ばれた、政府主導のプロパガンダ政策がありました。
しかし、慰安婦問題の本質は「人権侵害」です。南京虐殺も根底は一緒で、当時の大日本帝国は人命や人権をものすごく軽んじていた。天皇中心の国家体制やそれを支える軍を上位に置き、「国民は奉仕するのが当たり前。その犠牲になるのは名誉なこと」とされた。そこから特攻や玉砕も出てきた。だから本当は、慰安婦問題を語る際にも、「なぜそんなことがまかりとおっていたのか」という、当時の根本的な価値観まで掘り下げるべきなんです。
「敵と味方」という単純な図式はその作業を邪魔する。「おまえ、日本人なのになんで敵の側につくんだ?」と言われると、なんとなくひるんでしまう。そんなふうに人々の心理を誘導するトリックを読み解くことが必要になってくると思います。
――そのトリックは、ほかにどんなものがありますか?
デザキ 例えば、慰安婦は「性奴隷」だったという世界的な共通認識を、修正主義者はこんな論理で否定します。「鎖につながれていたわけじゃないし、自由な時間もあったし、給料だって出ていた」と。しかし、絶望的な状況では息抜きも必要だったろうし、そもそも日本軍に雇われた現地のブローカーなどの甘言にだまされて慰安所に入った彼女たちには、自由意思が認められていなかった。これは国際法的に「奴隷状態」に当たります。
また、元慰安婦自身の証言の細部が、聞かれたときの状況によって変わることがあり、修正主義者は「証言が二転三転するのは、事実ではないからだ」と批判します。しかしそれは、韓国の保守的な社会の中で、自分が慰安婦だったことを言い出しにくかったこととも関係があるでしょうし、長い年月がたっているので、記憶の細部に多少のブレが出てくるのは仕方がない。そして、修正主義者が元慰安婦の証言を「ウソだ」と否定すれば、彼女たちを擁護する側はそれに反論しなければいけなくなる。
このように論争がエスカレートし、その中で用いられる言葉や数字が先鋭化していくと、問題の本質が失われます。そして、元慰安婦を擁護する側にも数字にとらわれている人は多い。被害者数は算出方法によって変わってくるのですが、例えばサンフランシスコの人権活動家たちはこの数字にこだわっていて、実際は20万人より少なかったとなると、自分たちの運動が弱体化するのではないかと恐れています。
一方、「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館」の渡辺美奈さんのように問題の細部を理解している人は、数字の取り扱いには慎重です。極端な数字にばかりこだわり、本質が失われることがあってはならない。仮に被害者が2万人だったとしても、やはり悪いことでしょう。
山崎 数字は非常に危険です。慰安婦20万人や南京虐殺30万人という数字を過剰に言い立てると、修正主義者はその数字を「現実的にはありえない」と指摘し「だから全部ウソだ」というトリックを使いますから。
デザキ 「南京事件」と「南京虐殺」という言葉があり、修正主義者は「あれは『虐殺』でなく『事件』だ。事件はどこの国にもあるのに、なぜこの事件だけ注目され非難されるんだ?」と言います。何人以上なら虐殺なのでしょう?
山崎 ピカソはスペイン内戦中にドイツ軍が行なった無差別爆撃に怒り『ゲルニカ』という絵を描きましたが、ゲルニカ爆撃で殺された人は数百人です。それでも「虐殺」と呼ばれる。「非人道的なやり方でむごたらしく殺すこと」が虐殺であり、「万単位の人が殺されなければ虐殺とは言えない」わけではないのです。
――そもそも、なぜ修正主義者はそんな強引な論理を使ってまで、慰安婦問題を「なかった」ことにしようとするのでしょうか?
山崎 それは、彼らが「本来の日本」と見なす「大日本帝国」の名誉を守るためです。慰安婦問題で韓国が非難する対象は、現在の日本国ではなく、当時の大日本帝国です。従って、今の日本人が「攻撃されている」と思う必要はない。
しかし、大日本帝国に魅力を感じる人々は、日本国と大日本帝国を含む「日本」という大きな概念を持ち出して、「日本の名誉を守る」という言い方をする。
このトリックにだまされた人は、「今の日本の名誉」を守っているつもりで「大日本帝国の名誉」を守る戦いに加担させられる。
デザキ リベラル派が「日本」を考えるときは現在の民主主義国家の日本を想定しますが、右派は大日本帝国のことを考えるのですね。
――『主戦場』で杉田水脈氏は「日本人は『ウソをついてはいけない』と教えられて育つけど、中国や韓国では『だまされるほうが悪い』と教わる」と発言。これも「大日本帝国の名誉」のためですか?
山崎 そういった発言は、大日本帝国の差別構造を反映しています。大日本帝国では日本人が階層の最上位にいて、朝鮮や中国の人たちは差別の対象だった。公的な場で「韓国人は平気で悪いことをする」などと人種差別発言をする人間が現職の国会議員であることは異常事態ですが......。
杉田氏やギルバート氏の本を買っている人は中高年が多いのですが、その世代の人は日本が経済的に繁栄していた時代を知っています。アメリカに次ぐGNP(国民総生産)第2位の経済大国で、プライドが高かった。それが今や中国に抜かれ、日本製品は世界市場でかつてほど売れない。実際、外国の空港に行くとモニターなどは韓国製です。それに不安や苛立ちを感じ、はけ口として嫌韓・反中本の需要が生まれるのでしょう。
デザキ それで杉田氏は「中韓は日本と同じ高いレベルの製品を作ることができないから、日本の評判を貶(おとし)めて日本製品を売れないようにしている」などと言うんです。
■アメリカも論争の戦場に
――慰安婦論争は、アメリカにも飛び火しています。
山崎 昨年10月、サンフランシスコの慰安婦像をめぐって、吉村洋文大阪市長(当時)とロンドン・ブリードサンフランシスコ市長の間でやりとりがありましたね。吉村市長は、慰安婦像は「一方的な主張を事実と見なすもの」で、日本への挑戦だととらえ、「市長の権限で」両市の60年以上にわたる姉妹都市提携を「解消する」と決定した。これに対しブリード市長は「慰安婦像は日本を攻撃するものではなく、奴隷化や性目的の売買で苦しめられたすべての女性の苦闘の象徴だ」「サンフランシスコと大阪の姉妹都市提携は両市の市民の間で続けられたものであり、一市長が独断で解消することはできない」と返答しました。
このやりとりには日米の精神文化の違いが表れていると思います。外国のどこかに慰安婦像ができると、韓国や中国による日本攻撃のように騒ぎ立て、日本人の被害者意識をあおろうとする人間がいる。しかし、他国の人がその像を見たからといって、今の日本を嫌いにはならない。今の日本は、大日本帝国ではないからです。
デザキ 私は、もし今の日本が慰安婦像の設置に賛成したら、日本という国のイメージは世界で高まると思います。日本政府は2015年の「慰安婦問題日韓合意」で公式に謝罪している。日本政府に一貫性があるのなら、慰安婦像設置にも賛成できると思うのですが。
山崎 日本政府はあの合意をおそらく外交交渉のテクニックのひとつとしか考えていないのでしょう。謝罪しても、根底にある大日本帝国の価値観までは否定していません。
デザキ そこはブリード市長には理解できない点でしょうね。人権の話をしているのに、「日本への攻撃」と見なされる。日本に歴史修正主義者が増えていると思われるのも無理はありません。
アメリカをも「戦場」にした慰安婦論争に収拾がつくときは来るのか。それを考えると絶望的な気分になることもありますが、私は日本と韓国がわかり合える日が来ると信じています。そのためにはお互いの意見をきちんと聞いて、理解することが大切です。だからこそ、私はこの映画ですべての論点を洗い出し、双方の主張を明確に比較したのです。この映画が相互理解へのステップになってくれればと思っています。
※この記事は2019年6月17日発売の『週刊プレイボーイ26号』に掲載したものを一部加筆修正した後、転載したものです。
●山崎雅弘
1967年生まれ、大阪府出身。戦史・紛争史研究家。『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)で日本会議の実態を明らかにし注目を浴びる。主な著書に『「天皇機関説」事件』(集英社新書)、『1937年の日本人』(朝日新聞出版)、『[増補版]戦前回帰』(朝日文庫)などがある。ツイッター【@mas_yamazaki】
『歴史戦と思想戦―歴史問題の読み解き方』
集英社新書 920円+税
●ミキ・デザキ
1983年生まれ、アメリカ・フロリダ州出身。日系アメリカ人2世。ドキュメンタリー映像作家。YouTuber「Medama Sensei」として、コメディビデオや日本、アメリカの差別問題をテーマに映像作品を数多く公開。2018年、上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科修士課程修了。本作『主戦場』は初映画監督作品
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
ヤフーブログも8月いっぱいになりました。
最後まで更新するかどうか、途中で移行するかどうかはまだ未定。
でも、ブログで交流してくださった皆さまとのご縁も大切にしたいですので
早く決めなければ…と思っています。
それまで、少し自分の記事も…今しばらくお付き合いくださいね。 安倍政治は相変わらずですが、先日の選挙結果で、れいわ新選組から2人当選、政党要件も満たすことができたのは唯一嬉しいことでした。
様々な立場の方々の主張から、弱者も生きやすい、支え合える世の中に変わっていけたら…と願っています。
舩後さんはあのお身体で、介護会社の副社長、講演もされるし、音楽活動も…
以前も議員に立候補されたことのある方で、障害者だから何もできないと言うのは間違いです。
ALSに罹り、家族に迷惑をかけずに早く死にたい…と思っていた彼が、生きる意欲を持ち始めたのは、ピアサポーターを頼まれたことがきっかけ
同じ病気で同じ悩みを抱えている人たちは、彼の誠実さ溢れるメールに支えられ、助けられたそうです。
人のために生きることが、彼の生きる力になったことを知りました。
良い紹介記事でしたので、お時間が許せば、以下、お読みください。
………………………………………………………………………………………
ALSという病気の当事者です。
57年岐阜県生まれ。9歳より千葉で育ち、現在も千葉県松戸市在住。
大学卒業後はプロミュージシャンを目指すものの、商社マンに。ダイヤモンドと高級時計を売る会社の企業戦士としてバブル時代を駆け抜け、バブル崩壊後も年に6億円台の売り上げを8年連続で叩き出すほどの営業成績を収めていました。
しかし、99年、41歳の夏、体の異変を感じるようになります。11歳の娘さんとの腕相撲に負け、歯磨きをしようとした手から歯ブラシが落ち、通勤のカバンが重くてたまらなくなり、マッサージに行っても鍼灸治療院に行っても良くならず、ペットボトルの蓋も開けられない。12月には舌がもつれ、ろれつが回らなくなりました。
身体の異変を感じ始めて10ヶ月、ようやく受けた検査の結果、00年春にALSと診断されます。
筋萎縮性側索硬化症 (きんいしゅくせいそくさくこうかしょう) 略してALS。
医師は舩後さんに言いました。
「体中の筋肉が、徐々に弱っていく神経の病気です。原因がわからず、有効な治療法もまだ確立していません。いわゆる『難病』です。四肢麻痺、つまり手足が麻痺し、やがて動けなくなります。舌も動かなくなり、しゃべることも、食べることもできなくなります。症状の進み方はさまざまですが、いずれ全身麻痺になることは、免れません。自力での呼吸もできなくなります。個人差はありますが、平均3年から4年で絶命します。死因は、呼吸筋の麻痺による呼吸不全です。しかし、呼吸器を装着して延命する道があります。選択は、患者さんの自由です」
ALSとは、難病に指定されている神経の病気です。日本では10万人に五人がこの病気を有し、そのうち二人が発病しているそうです。現在、日本には約9600人の患者がいるそうです。肉体は麻痺していきますが、精神活動に大きな影響はありません。頭ははっきりしているのに、身体が動かなくなっていくのが特徴です。18年に亡くなったスティーブン・ホーキング博士も21歳でALSと診断されました。
舩後さんの呼吸筋も衰え、01年、44歳の時に気管切開をします。この時、舩後さんは声を失いました。02年には噛むことも飲み込むこともできなくなり、口からの食事ができなくなりました。チューブで流動食を胃に流し込む「胃ろう」を医師に勧められましたが、舩後さんは頑なに拒み、断食僧のような日々を送りました。
舩後さんはこの頃のことを短歌にしています。
この病 舌が麻痺して飯食えず 放っておけば 餓死もありえて
チューブから栄養摂取サイボーグ 我は人なり手術を拒む
結局、餓死寸前のところで舩後さんは胃ろうの手術をしました。
そしてこの頃、船後さんは気管切開はしたものの、再び慢性的な酸欠状態に陥っていました。酸欠で死ぬのか、人工呼吸器をつけるかの判断が迫っていました。「呼吸器はつけない」。そう決めていたものの、船後さんの決心はこの頃、揺らぎ始めます。
きっかけは、医師に頼まれて始めたピアサポートでした。
ピアサポートとは、同じ症状や悩みを持つ仲間同士の助け合いのことです。船後さんは医師に、新しくALSの告知を受けた人に、アドバイスをしてほしいと頼まれたのです。
この頃、舩後さんは障害者のために開発されたコンピュータ「伝の心」(でんのしん)を使って文章が書けるようになっていました。指や額の皺などの動きを拾い上げるセンサーを使って文章を打ち、電子メールをやりとりしたり、それを自動音声にして読み上げることもできるようになっていたのです。
舩後さんは、告知を受けたばかりの患者に「伝の心」を使って話をし、同じ病気や麻痺に苦しむ人々と電子メールを交わすようになりました。
ピアサポートという生きがいを得た舩後さんは、呼吸器を装着して生きる道を選択します。02年8月のことでした。
この頃の葛藤を詠んだ短歌です。
寝たきりの我にいとしき妻と子を 守る術なし 逝くことが愛
死を望む 我に生きよと告ぐる声 廊下に響く 呼吸器の音
指一つ動かぬ我に生きる意味 ありと覚悟を決めし日の空
呼吸器をつける前の舩後さんは、「死ぬんだ。家族のために、生き恥をさらさないために、絶対に死ぬんだ」とばかり考えていたそうです。しかし、心の奥底には「生きたい」という気持ちが渦巻いていました。娘の花嫁姿が見たい。妻とともに年老いたい。親より早く死にたくない。押さえ込んでいたその思いは、ピアサポートという生きがいを得、社会の中での居場所を見つけた時、「生存の欲求」として、火山のように爆発したそうです。
入院中だけでも、船後さんは40名もの患者さんと直接会い、コンピュータを通じて話をしました。
自殺を考え、練炭の使い方をマスターしようとして中毒起こしてしまった患者には、「僕に甘えるのが、貴方のつとめ! 遠慮はいりません」とメールし、以後二年間、その男性は舩後さんに弱音を吐き続けたそうです。夜中の2時でも3時でも即座にメールの返事が返ってくることに、その男性は「わたしを救うために、命をかけてくれている」と思ったそうです。
舩後さんの活動はそれだけにとどまりません。
02年にはメルボルンで開催された「ALS/MND国際会議」に参加。翌03年にも、ミラノで開催された「ALS/MND国際会議」に参加。ALSを発症し、人工呼吸器をつけていても飛行機に乗り、海外で国際会議に参加できることを世界に知らしめました。また、コンピュータで講演をし、ミュージシャンとして音楽活動も楽しんでいます。のちほど、全身麻痺でも弾けるギター演奏の映像をご覧頂きます。
現在、舩後さんは自宅介護を受けながら、介護関連の会社である株式会社アースの取締役副社長をしています。この会社の介護施設「サボテン」では、末期ガンや難病患者、重度障害者を受け入れています。介護施設の利用者である舩後さんの視点を入れることでより良い介護ができると、女性社長から抜擢されての就任でした。
それだけではありません。14年には千葉県松戸市の市議選に立候補。落選となりましたが、舩後さんの挑戦は、注目を集めました。今は、歯で噛むことでパソコンを操り、年10回以上、看護学部・福祉学部のある大学を中心に講義をするほか、3年半にわたり福祉業界新聞でコラムを担当しています。
舩後さんは著書『しあわせの王様』で、このように述べています。
「わたしはピアサポーターとして『生き様を示す』ことにより、『人間、どんな姿になろうとも、人生はエンジョイできる!』と言うことを、伝えたいのです。ALS患者の方のみならず、多くの方々に」
そしてこのようにも言っています。
「わたしは『ALSになった』という、たったひとつのアンラッキーと引き換えに、無限の数のラッキーを、手に入れてしまった。これをしあわせと言わずとして、なにをしあわせと言うのだろう?」
以上です。
|
|
今回の金曜トークサロンは……
重度の障害をもって生まれたお子さんのために、自分で施設を作り、
多方面に活躍されている小野加代子さんがゲスト。
子供が養護学校を卒業した後に行く場所をどうするか?
障害児を持つ親なら悩むところ。
重い障害があっても、その人なりの能力で社会参加でき、
地域の人たちとも楽しく、活き活きと過ごせる場所があれば…。
それなら、自分で施設を作ろう!
その思いを実現させるために、40歳過ぎてから夫の反対を押し切って大学へ。
福祉や障害についての勉強をして、「作遊所 かかしの家」を作られました
彼女の発想と行動力のパワーに感嘆します。
自分で作れば何より安心。
今や、地域に溶け込んだ理想的な施設に・・。
理想はイチゴ大福の世界!?
刑務所などで頼まれてお話をするときは、
「ノーマライゼーション」と言ってもわからないので、
「イチゴ大福」に例えらるそうです。
「皮もあんこもイチゴもそれぞれ違うもの、
それが仲良くできれば、素晴らしい世界ではないですか‼」と。
障害者も健常者も、黒人も白人もいろんな人種がいる多様性社会、
それぞれの違いを認め、楽しく仲良く暮らす社会は素晴らしいと。
すごくわかりやすい!
彼女が、心打たれた本の言葉も紹介
「ねぇ、お父さん」という本の一節
・・・
誰もが知らなかった人生を知りました。
この子はいつも5歳です。
ねぇ、お父さん、笑っていきましょう。
ねぇ、お父さん、やっぱり幸せだと思いましょうよ。
・・・
初めは悩んだが、受容できるようになると…
せっかく障害児の母になったのだから、障害をもっとよく知ろう
勉強しなくては…と思った。
大学で学び、色んな人達、色んな本や言葉にも出会い、
養護学校を卒業した子供達の居場所を作ろうと考えられた。
以後、障害のある我が子が「我が家の教育者」として様々な活動に導いてくれた。
作業所でなく、作遊所という名前にしたのは、
障害が重すぎて、作業所のようにはいかないから・・と。
モットーも「よく食べ、よく笑い、よく遊ぶ」
障害のある息子さんと共に、地域と共に…「共に生きる」
その夢を実現させるための資金作りから始め、少しずつ実現させていかれた。
太陽にように明るく温かいお人柄とパワーをフル回転させて歩まれた人生。
一見マイナスと思えることも、受け入れ、勉強されることで、
プラスに変換された彼女の生き方が素敵です。
そして、
…地域の中に立っているだけで、暖かい気持ちにさせてくれる案山子。
みんなが住みやすい社会とは何かを教えてくれる道先案内人、案山子(子どもたち)…
と書かれたパンフレットの言葉も心に残る。
多様性を認め合うことで居心地の良い社会が作られるということを教えてくれる。
最後に味噌作りで余った樽を利用した樽の太鼓を使った「ガラクたい」の演奏も見せていただいた。施設でのびのびと幸せに過ごされている様子が伺えて心温まる演奏だった。
障害者と地域のみなさんとが溶け合って、幸せに過ごせる居場所「かかしの家」
「イチゴ大福の理想」を実現された世界がそこに・・。
最近は、「コミレスかかしや」もオープン。
接待が上手になってきた子どもたちがお客様を楽しみに待っているそう・・。
注文をまちがえる料理店、思い出しました^^。
作遊所 かかしの家http://kakashi-nara.net/npo/
奈良市六条西3丁目3-21
小野加代子さんから、温かく、力強いパワーをいただいた2時間でした。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




