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前のブログの続きです。 平城宮跡の下からは、たくさんの木簡が発掘されました。 その木簡から、昔の人たちの生活ぶりがうかがわれます。 たとえば、ガイドさんのお話によると、ここで働く人々は朱雀門をくぐって入るのですが、門が開く時間が六時半ごろと決まっていて、遅刻すると門が閉まって、中には入れない。遅刻は認められなかったようです。だから下っ端の人などは、かなり南に居住していたそうですから、八条や九条周辺にお住まいの下っ端役人などは、なんと暁前の三時半過ぎには家を出て、朱雀門に向かって歩いていたとか・・。ご苦労様な話です. また、食事は一般庶民が、玄米と汁物、塩という一汁一菜の粗末な食事なのに対して、貴族は税金の貢ぎ物を全て独占できたので、かなり贅沢な食事だったようです。 あわびや魚、蘇という乳製品でチーズのようなものも、もう食していたようです。 写真は木簡で、このように、備前岡山から水母(くらげ)二斗送りましたと言う意味の内容です。 木簡はこのような荷札のように使われていますが、その他、文字の練習用にも使われていたそうです。文字が書けないと仕事ができませんから、一応役人たる者は書いては消し・・・ではなく書いては削り、書いては削り‥薄くなって使えなくなるまで文字の練習をしたのだとか・・。それも、木簡に書いてあったそうです・・。この当時の文字はまだ万葉仮名です。つまり、お役人さんたち貴族は一生懸命漢字の勉強もされたのですね。 第一次朝堂院 ここは、役人が整列する場所で、執務の他、様々な儀式にも使われていたそうですが、 現在はその建物が四つほどあったらしいという柱の跡だけが残っています。 第一次大極殿 ここは天皇の即位式や執務、外国使節との面会や国の最も重要な儀式などを行ったところです。 記憶違いでなかったら、この建物の再現には、総額四百億円の税金が使われたとか・・。 直径70cmの朱色の柱が44本。屋根瓦97000枚を使った、平城宮最大の宮殿です。 中に入ってみました。 天皇の高座です。 壁の高い所には東西南北に玄武、白虎、青龍、朱雀の絵が描かれています。 また、天井と壁には美しい蓮の絵が描き込まれています。 鴟尾も原寸大で展示されていました. この時代、朱と緑の彩色が多いのは、朱が丹土という赤色の土から・・・、緑が緑青から取られた色を使っていることに寄るそうです。 「あおによし」という奈良の枕詞も・・・青は緑青の緑、丹は丹土の赤を指すうちに「青丹よし」が奈良の枕詞として定着したようです。 私のガイドツァーはここまでですが、今日、ご紹介できなかった東院庭園はお勧めです。 (写真は、次回のブログでアップさせていただきます) こちらまでおいでの節は、お見逃しのないようにご覧になってくださいね。 さて、平城宮には、タイムスリップした天平人も何人か、混じっています。 これは、南門広場にある、天平衣装貸し出し所を訪れた方々。色とりどりの衣装は大人用も子供用もあって三百円で結構楽しめます。 役人の地位に合わせて、衣装の色も違っていたとか・・。 一番身分の高い方のお色は何でしょうか。 紫が一番上だそうで・・・。紫の衣装を着て歩かれている高貴な方もいらっしゃいました〜。^^ こちらまでの行き方は、電車で近鉄西大寺かJR奈良から無料のシャトルバスが出ています。 車で出かけても、駐車場が全くありませんので、ご注意を! 入場は無料です。平城京なりきり体験も、歴史の説明も、手頃な料金で受けることができ、資料館も充実。平城遷都の中身を知るには、なかなか良い展示の場であったと思います。 この遷都祭は11月7日まで続きますが、とりあえず5月9日まではいろんな催しも目白押し・・。
皆様もどうぞいらしてくださいね。 奈良県民mimiからのお勧めです! |

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