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http://www.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2012/05/0518.html
より転載です。 大越 「さて、私は、今週復帰40年を迎える沖縄で取材をしてきましたが、ちょうどよい機会ということでぜひ会いたい人がいました。 石垣島に住む歌人の俵万智さんです。 俵さんは、東日本大震災の後、子どもを連れて仙台から沖縄に逃れました。それから1年あまり。 一時的な避難だったはずが、親子は島で暮らすことを決めました。 俵さんの中で、そして母子ふたりの暮らしの何が変わったのか。31文字のことばに紡がれた俵さんの思いです。」 歌人を動かした わが子への思い「こんにちは、初めまして」
「初めましてじゃないですよ」
「半分初めまして」
「私、6大学野球でウグイス嬢をやっておりまして、そのときエースピッチャーだったんですよね」 1つ違いの私と俵さん。
実は、大学時代に、ちょっと変わった接点があったのです。 野球部でピッチャーをしていた私。
そのとき、神宮球場で場内アナウンスを担当していたのが俵さんでした。 高校教師になった俵さん。 24歳で出した初めての歌集で一世を風靡しました。 歌人として活躍します。 その後、シングルマザーとして仙台で子育てをしていた時、東日本大震災が起きました。 仕事で東京にいた俵さんは、5日後に7歳の一人息子に再会。 しかし、子どもに現れた変化を感じていました。 「震災の映像見れば 指しゃぶり いよよ激しき 七つの心」
原発事故への不安。
子どもを守りたい一心で、知り合いのいる石垣島に向かいました。 核心:母としての決意
大越
「やっぱりあの原発事故っていうのは、俵さんにとって、自分にとっていちばん優先すべきものを考えさせられたということ?」 俵万智さん 「そうですね、たぶん日本中の人がそうだったんじゃないかなと思うのですけれども、それはひとりひとり答えが違って当然だし、仕事だった人も、ふるさとだった人もいるだろうし、私はまだ子どもが小さかったので、目の前にいる子どもだっていうふうに思いましたね」 ネット上に表した決意。
しかし、「自分だけ良ければいいのか」「恵まれていていいですね」など多くの批判が寄せられました。 それでも彼女は…。 「子を連れて 西へ西へと 逃げてゆく 愚かな母と 言うならば言え」
俵万智さん
「そうしたくてもできない人がいらっしゃるということをも思うと、ちょっと自分の行動が人を傷つけているかもしれないという思いは常にありますね。 でも、でも、そうするしかできないというか、自分は子どもをとりあえず目の前の一人の子どもを守ることからしか、一歩が踏み出せなかったというか、そういうかんじですね」 「男の子 三人寄れば 鬼ごっこ 始まっている 白い浜辺に」 島で生まれる歌 歌人の変化とは…すぐに石垣島の暮らしに溶け込む子ども。冒険をした後、大好きなテレビゲームの主人公になったみたいだ、と喜ぶ姿を見て俵さんは島で暮らすことを決意しました。
「『オレが今 マリオなんだよ』島に来て 子はゲーム機に 触れなくなりぬ」
地域のイベントにも積極的に参加するようになりました。
「さばいて持っていこうか?」
「うん」
人が助け合うことが当たり前の島の暮らし。
そこに溶け込むうちに、親子の生き方は少しずつ変わっていきました。 「世話になる 人に頭を深々と 下げる七歳 板につきたり」
俵万智さん 俵さんが詠む歌には、日常の中に希望や未来を見いだそうとする姿がいっそう色濃く映し出されるようになりました。
「何色にも なれる未来を願う朝 白いガーベラ 君に手渡す」
大越 俵万智さん
「本当に何が正解なのか分からないっていうのが母親としては正直なところで。 震災って本当につらいできごとではあったけれども、それを機にみんながなんかこう人生見直して、で、もしかしたら震災前の自分より今の自分が好きっていうふうに思えるようになれたらいいなって。 その前に状況を戻したいと思っても、どなたもできないことだとは思うんですけれども、自分自身がその生きるということについて考えを皆それぞれもったなかで、震災前の自分より今の自分のほうが好きって、みんなが自分を大事に好きって思えるといいなと思いますね。」 大越
「こうやって少しでも前向きになれるような人間の良いところというか、そのときそのときのよいことを言葉にされているなっていう印象がすごくするんですけれども」 俵万智さん 歌人・俵万智さん 島で生まれる歌大越
「原発事故の影響を今も心配する人の中には、ご紹介したように、遠くに移り住むことができた俵さんは特別だと考える方もいらっしゃると思います。 俵さんもそのことは理解していて、『自分が取った行動が、笑い話になってほしい』と話していました。」 井上 「でも、俵さんの、10のうちひとつでもプラスの面を大事にしていきたい、ということばは印象的でした。」 大越 「震災と原発事故は、多くの人々の生活が、つらい方向へと変わってしまいました。 その現実は重いものがありますが、新しい生活の中で、少しでも前向きな何かを、ひとりでも多くの人がつかみ取ってくれるように、俵さんのインタビューを聞きながら、願わずにいられませんでした。」
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