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小出先生のお話

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2016年4月28日木曜日

「もんじゅは廃炉に出来るのか?」小出裕章氏インタビュー 

 小出裕章さんが定期的に出演していたラジオフォーラムは2月で終了しましたが、その後を 市民のための自由なラジオ“Light Up!”が受けて小出さんの定期的な出演枠を設けています。
 
 26日付のLight Upジャーナルに、小出さんが登場しましたのでここに転載します。
 今回のテーマは「もんじゅは廃炉に出来るのか? 」で、今西憲之氏がインタビューしています。
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Light Up Journal より転載
「もんじゅは廃炉に出来るのか?」「ナトリウムはどうしたらいいのか?」
Light Upジャーナル 2016年4月26日
今西憲之:
 東日本大震災から5年経ちましたね。今年の3月11日ですね、この番組の前身でありますラジオフォーラムのファンの集い。
 そして、市民のための自由なラジオ“Light Up!”のお披露目のイベントを東京新宿にありますロフトプラスワンで開催致しました。
 会場には、100名を超える皆様にお越しを頂きまして、ゲストには、元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんにお越しを頂きました。
 そして、この番組のMCを努めております木内みどりさんですとか、西谷文和、矢野宏さんも加わって頂きまして、みんなで一杯やりながら大いに語り合いました。
 
 続きまして、小出先生に質問です。福井県には高速増殖炉 もんじゅがあります。
 「もんじゅは廃炉に出来るのか?」「ナトリウムはどうしたらいいのか?」というご質問が来ております。
 
小出さん:
 「廃炉に出来るのか?」という技術的な問題と政治的な問題があると思います。技術的な問題で言えば、既にもんじゅは止まってるわけですし、このまま動かさないでいかせると。
ただし、動かさないでいかせたとしても、既に原子炉の中に燃料入っていますので、その燃料をどうするのか?
 あと、一度動かしてしまいましたので、原子炉全体が放射能を帯びていますので、それを壊すことが出来るのかどうかという大変難しい課題は残っています。
もちろんご質問下さった「ナトリウムをどうするか?」ということも、本当にどうしたらいいのかなというぐらい大変な問題だと思います。
 ただし、技術的なものは、何とかできる可能性はあると思います。問題は、政治的な方です。皆さん、もんじゅという原子炉がなぜ造られたか、なぜ今でも止めることが出来ないでいるかということなんですけれども。
 日本政府の公式な説明によれば、もんじゅというのは、燃料がどんどんどんどん増えていく、増殖していく特殊な原子炉で、これが出来れば、エネルギー問題解決するかのような、そんなように言われていたわけですけれども。実は、そんなことは全くどうでもいいような話なのです。
 日本政府が一番やりたかったことは、もんじゅという原子炉を動かすと、超優秀な核兵器材料が、「ブランケット」と私達が呼んでいる炉心を取り巻く領域に溜まってくるということなのです。
 どうしても日本という国は優秀な核兵器を造りたい。その為には、もんじゅを何としても動かしたいとずーっと思ってきたわけですし、その思いというのは今も変わらずに残っていますので、もんじゅを廃炉にするなんていうことはあり得ない。
 私達の方がよっぽど強くならない限りは、もんじゅは廃炉にはならない。これから、また動かしていくという、そういう事になってしまうと思います。
 
今西:
 今、小出さんのお話にもありましたが、原爆の材料になり兼ねないプルトニウムを確保することが目的ではないかとも言われる原子力発電。
 生命を脅かす環境汚染と共に、そんな恐ろしい原発の今後を大丈夫かという思われる市民の方々たくさんいらっしゃると思うんですね。
しかし、安倍政権はそういう中で原発を再稼働します。その原発を海外に輸出しますみたいな、今、政策をとりつつある。
 どないしたらいいのかなあと思わざるを得ません。小出さんは、京都大学の原子炉実験所の助教として、長く原子力の研究に関わってこられました。
 元々は原子力の平和利用に夢を抱き、東北大学に入られたのですが、1970年でしたっけ? 確か、宮城県の女川での反原発集会に参加され、原発を何とかストップしたいということで、原子力の研究を長く続けてこられました。
 放射線被害を受ける住民の側に立ち、鳥取県と岡山県境にあります人形峠のウラン鉱山の汚染の調査ですとか、愛媛県の伊方原発の訴訟等にも積極的に関わってこられました。
 今も全国で精力的に講演を続けておられます小出さんにですね、市民の為の自由なラジオ“Light Up!” ですね。これからも折に触れて、小出さんのお話を伺っていきたいと思います。
 と申しますかですね、市民の為の自由なラジオ“Light Up!” の一番大きな使命の一つが小出さんのお話をそのまま、何の圧力もないまま皆さんにお届けすることかなと私は思っております。
 
 以上、Light Upジャーナルでした。

田中正造から何を学ぶか(小出裕章ジャーナル)

 今回の小出裕章ジャーナルは「田中正造から何を学ぶか」がテーマです。
 
 原発の過酷事故の被害はよく足尾鉱毒事件や水俣病の被害と比較されます。
 明治期東アジア一の銅の産出量を誇った足尾銅山は、貴重な外貨の獲得手段として国策で事業が進められました。そのため銅山の付近一帯や排水を放流した渡良瀬川流域一帯には鉱毒による深刻な被害を及ぼしました。
 水俣病も、当時の経済成長を支える基幹資材のアセトアルデヒドの増産がやはり国策で進められた結果、排水中の有機水銀によって引き起こされた深刻な公害でした。
 しかし国は当初国策を優先して、公害による深刻な被害には目もくれませんでした。
 
 衆議院議員の田中正造は11年の議員生活の大半を足尾鉱毒問題に費やし、議員を辞任した後は遊水地問題が浮上したと谷中村に住んで、農民の反対運動の先頭に立ち、その地で無一文の状態で生涯を終えました※1
※1 2013年1月2日 田中正造没後100年 足尾鉱毒事件と原発事故
 小出氏と田中正造の関係については、2013年6月8日にNHKが取り上げて放映しています※2
※2 2013年6月9日 田中正造没後百年 足尾から水俣、反原発へ
 
 今回 小出氏は、原発事故でも足尾公害でも加害者が誰ひとりとして責任を取らないという点に焦点を当てています。
 
追記 文中の太字箇所は原文の太字強調個所を示します。また原文では小出氏には「さん」がついていましたが、この紹介文では外しました。
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田中正造から何を学ぶか
〜第167回小出裕章ジャーナル 2016年03月19日
 
「今日も福島の事故が起こしても誰ひとりとして加害者が責任を取らないということが、今目の前で進行しているわけです」
 
矢野宏:  今日は、小出さんが尊敬されている足尾鉱毒事件の主導者でもある田中正造さんについてお伺いしたいと思ってます。伊方原発裁判に長年関わってきた小出さんですが、1978年の松山地裁での判決の時に、原告側の垂幕に「辛酸亦入佳境(しんさんまたかきょうにいる)」という田中正造さんの言葉が掲げられました。
小 出: そうです。 
矢 野: これは、どういう意味合いで掲げられたんですか? 
小 出: 伊方という愛媛県の小ちゃな町に、原子力発電所が建てられようとしたわけです。住民の方は様々なかたちで抵抗をしました。抵抗の過程で、命を自ら断っていくというような方もいらっしゃったわけですけれども、その他にも全財産を投げ打って抵抗して、家全体が没落していくというそんな方もいらっしゃったし、もうとにかく住民の方々は死力を尽くして抵抗をしました
    そして裁判というかたちでも、私もまあ原告団の一員として活動したわけです。そして世界でもまれに見るほどに、詳細な科学論争というものを国側と戦いました。そして自分で言うのもおかしいのですけれども、私達が圧勝しました
    国側から出てくる科学者、いわゆる専門家と呼ばれる人達が、法廷でもう何も答えられなくなって立ち往生する、あるいは証言台に突っ伏してしまうというような状況がよくありましたし、裁判の過程でいろいろと調べていってみると、厳重な安全審査と呼ばれていたものも、たったひとりだけしか参加しないというそんな会議が厳重な安全審査だったというようなこともわかってきました。
    次々と安全審査のデタラメぶりというのが明らかになってきて、こういう状態で一体どうやって国を勝たせることができるのか、もうこれはもう原告の勝利以外にないと、私は経過を見る限りは思いました
    しかし私自身は、この日本という国が民主的な国というふうには思っていませんでしたし、裁判というものが行政と独立して存在しているとも、当時から思っていませんでした。ですからもし国に勝たせるとすれば、一体どんな論理を使えば国が、国勝訴の判決を書けるのかと思って、その判決の日を迎えました。そしたら、ものの見事にやはり国に勝訴の判決がその日に出たわけです。
    原告側の主張など一切汲み取らないで、国側の主張をただただ判決文で羅列をすると。そして、これが認めるに相当であるという、ただただそれだけ裁判官が書き加えたというような判決だったのです。住民の人達が本当に落胆したと思います
    その裁判の原告団の住民の代表は、川口寛之さんという元の伊方町の町長でもあった方なのですけれども、その方はその判決を見て、「こうなれば、もう住民は実力で戦うしかなくなってしまった」と、「裁判所がそれを私達に強制したんだ」というような言葉を残しました。長い間、戦って戦って戦っても、それでもまだ勝てないという状況の下で、「辛酸亦入佳境」というそういう垂幕が出てきたわけです。
矢 野: なるほど。あの意味というのは、「何事も全てを打ち込んで事に当たれば、苦労もかえって喜びとなる」という意味だそうですねえ。
小 出: はい。まあ田中正造さんが、その言葉を足尾鉱毒事件の戦いの中で書き残したのです。正造さんも全身全霊をかけて足尾鉱毒事件で国と戦ったわけですけれども、当時日清日露の戦争というものが行われていて、国はもう住民のことなど全く考えない、何をやっても勝てないという中で、正造さんはずっと戦い続けたわけです
    最後には、もう野垂れ死ぬようにして死んでいくわけですけれども、それでも彼はあきらめることなく戦い続けました。どんなに辛いことであっても戦い続けることで喜びがあるという、たぶんそういう意味だろうと私も思います。
矢 野: なるほど。小出さんがその田中正造さんを意識したきっかけというのは何だったんですか?
小 出: 私が大学生の頃には、いわゆる公害というものが日本中で起きていた頃だったのです。特に水俣病というものが大きく取り上げられていた時代でした。当時は四大公害とか言われていたわけですけれども、私もそういう公害というものを勉強していく中で、「いや、もっとずっと昔に、実は日本で公害というものがあったんだ」と、それが足尾鉱毒事件だったということに気が付いたのです。
    そしてその足尾鉱毒事件を調べていくうちに、田中正造さんという方がいてくれたということを知りまして、以降正造さんの活動というものに私が目を奪われて、正造さんに少しでも近づきたいと思って今日まで生きてきました。
矢 野: なるほど。この田中正造さんというのは、衆議院議員を6回されてますよねえ。
小 出: はい。その中でも、足尾鉱毒事件を取り上げて国と戦うのですけれども、先程もちょっと聞いて頂きましたように、日清日露の戦争であったわけで、とにかく日本は富国だと、軍隊を増強しなければいけないということで、そのお金を捻出するために足尾鉱山を銅を海外に売るということでお金を稼いでいたのです。
    ですから、住民なんかもうどんなんなろうと構わないというような国は態度を示しまして、正造さんは議会の中で散々抵抗するのですけれども、それでも何も良くならないで、結局正造さんは「亡国を知らざる者は、これ即ち亡国」という有名な演説を議会でして、議会を捨てて住民のもとに駆け付けるということをやりました
矢 野: その質問をされた時の当時の総理大臣というのは山県有朋で、「その時の質問の意味が分からない」と答弁を拒否したというふうに伝わっていますよねえ。それが本当に当時の国の態度だったわけですねえ。
小 出: 今でも安倍さんなんか、どんな質問もちゃんと聞こうとしないわけですから、よく似てると思います
矢 野: そうですよねえ。
小 出: はい。
矢 野: 足尾銅山では、今もまだ完全に自然が回復したという状況ではないというふうに聞いてます。
小 出: もちろん、全く違います。亜硫酸ガスが大量に噴き出してきて、周辺の山々はもうはげ山になってしまいました。もう何十年も経ってるわけですけれども、まだまだそのはげ山が回復できないまま今でも残っていますし、銅山から出てきた鉱さいという鉱毒を含んだ毒物がまだ野ざらしになっていまして、ちょうど2011年3月11日の大地震の時に、その鉱さい置き場が崩れ落ちて、渡良瀬川という川にまた流れ込んでしまうというようなことも起こりました。まだまだこれから何十年もそういう状態が続かざるを得ないと思います。
矢 野: なるほど。しかし考えてみればこの銅による鉱毒よりも、もっと猛毒な放射性物質を広範囲に撒き散らしたこの福島第一原発の被害というのははっきり言ってそれよりも拡大、大きい被害で人災ですよねえ。
小 出: はい。残念ながら多分そうだと思いますし、足尾鉱毒事件の時もそうですけれども、国を支配していた人達は、住民にどんな危害を加えても、誰ひとりとして責任を取りませんでしたし、今日も福島の事故が起こしても、誰ひとりとして加害者が責任を取らないということが、今目の前で進行しているわけです。
矢 野: そうですねえ。2年前になりますが、小出さんが雑誌の『世界』の中で論文を書かれました。この田中正造さんの没後100年ということでしたねえ。
小 出: そうでした。
矢 野: その最後に、「私もまた、私だけの命を何者にも屈せずに、私らしく使いたい」という言葉で結ばれていますが、この最後の一節に込めた小出さんの思いを最後、聞かせて頂けませんか?
小 出: はい。正造さんという言ってみれば名家の生まれの方で、単にそのまま生きているならば、きっと大きな財産を築いて、大きな名誉を持ったまま亡くなるということになったのだと思いますが、正造さんは決してそんなことはしませんでした。
    とにかく人々に寄り添うという一生を貫いて、野垂れ死ぬように亡くなったわけです。でも私から見ると、本当に輝いて正造さんは生きたと思いますし、私が正造さんに近づけるなんてこともほとんどないわけですけれども。でも私も私にできることを何者も恐れずにやりとげることができればなとそんなふうに思って、少し面はゆいですけれども、あんな文章を書きました。
矢 野: そうですか。弱い民衆の側に立って、強大な国家権力と真っ向から戦い続けた田中正造さんの姿が、私は小出さんとダブって見えます。
小 出: とんでもありません。足元にも及ばない素敵な方です、彼は。
矢 野: どうもありがとうございました。
小 出: はい、ありがとうございました。

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《速報》NNN(日テレ)が、王道に切り込む。

日テレ(ヨミウリ系)が、驚異のどんでん返し。

低線量被曝線量10〜50mSvレベルの福島第一原発労働者の声を生取材。
健康被害が出まくっている。

ヨミウリ、実態を見て、怖くなったのではないのか。

・男性Aさん 50msv!
腎臓、心臓、臓と名のつく臓器全て、やられた。

・男性Bさん 56mSv!
甲状腺をやられた、胃を全摘した。
「あれだけ悲惨なところに、命がけで行ったのに!」

・男性Cさん 19.2mSv!!
急性骨髄性白血病。
「骨髄の70%は、がん細胞に溢れている。
 このまま放置したら、必ず死ぬ、と医師に言われた。」

アメリカ、人体実験の健康被害責任を認めるまでに40年。
チェルノブイリこどもの甲状腺癌被害認めるまでに20年。

今までの読売の挙動をつぶさに見てきた人であれば、
最初の2分でぶっ飛ぶだろう。

すでに健康被害は、出まくっているのだ。
(上記の3名は、医師の診断に基づき訴訟を起こしている。)

放送は、夜中だが、2回の再放送がある。
放送日時03月14日(月)0:55〜1:50 (済)
・再放送:
3月20日(日)11:00〜 BS日テレ 
3月20日(日)5:00〜/24:00〜 CS「日テレNEWS24」

即見るは、こちら。
THE 放射能。
http://www.dailymotion.com/video/x3xkpox

おおよそ7万人の作業員が、このリスクに晒されている。

これは、あらゆるテレビ放映の中で、
最も強烈なものだ。

100mSv以下は安全など、瞬時に吹っ飛ぶ。

それほど、福島の原発作業員の供述、生の声は強烈だ。

ともあれ、他のキー局が決して出さなかった、
小出 裕章氏、
西尾 正道氏、
津田 俊秀氏、
このスリートップを、堂々と出し、語らせている。

《写真》
なんと日テレに、小出裕章氏が登場。
テレ朝も、TBSも、無論NHKも出さなかった小出氏を、
日テレが出した。
西尾氏も、津田氏も出ている。(びっくり仰天)

転載元転載元: 情報収集中&放電中

原発訴訟の希望と絶望(小出裕章ジャーナル)

 今回の小出裕章ジャーナルは、「原発訴訟の希望と絶望」がテーマです。
 
 直近の高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分の異議審(林潤裁判長)では、その決定文が樋口英明裁判長(当時)の仮処分決定文(46ページ)の5倍の分量であったことをもって、より精緻な判断を下したかのように評価する向きがありますが、単に国や原発側の主張を長々と引用して追認するだけであれば価値はなく、樋口決定のように論理的に疑念が生じる余地がないほどに判示が尽くされていることこそが重要でした。
 
 小出氏は前回(2月21日:「原発と司法」)、「司法が行政に従属していると思うようになって以降、原子力に関する限りは裁判に関わらないようにしてきた」と述べましたが、今回も自分が関与した伊方原発の訴訟で、判決は「国の主張を羅列して、最後にこれが相当と認められると裁判官の言葉が書き並べられているというものだった」と述べました。
 司法への絶望のほどが伝わってきます。
 
 しかし今回はもんじゅ訴訟にタッチした海渡雄一弁護士がインタビューに加わるなかで、「絶望したらその時が負けなんで、やっぱりできることを探すことしかない」(小出氏)と前向きの言葉を聞くことができました。
 
追記 文中の青字箇所は原文の太字強調個所を示します。また原文では小出氏と海渡氏には「さん」がついていましたが、この紹介文では外しました。
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原発訴訟の希望と絶望
〜第164回 小出裕章ジャーナル 2016年02月27日
 
国の主張を羅列して、最後にこれが相当と認められると裁判官の言葉が書き並べられているという、ただそれだけの判決だったのです」
 
景山佳代子: ここからは、実は今回のゲストの海渡雄一弁護士にも参加していただきます。よろしくお願いします。
小 出: はい、ありがとうございます。
海渡雄一: よろしくお願いします。
小 出: はい。海渡さん、こんにちは。よろしくお願いします。
景 山: おふたりはもう長い…ずっと前から?
海 渡: ぼくはもんじゅ訴訟というのを中心にやってたんですよね。小出先生は伊方訴訟をやられていて、熊取なんかにもだから何度も行っておりました。
景 山: はい。このおふたりの因縁と言ってもいいのかどうかわからないですけど、おふたりの長い付き合いから、今の原発の状況についてお話を伺っていこうと思うんですけれど。小出さんはもう現在、裁判には関わりませんと、明言されるぐらい訴訟というか司法の限界を感じていらっしゃるんですが、この辺、海渡さんは逆にずっと司法の場で原発と戦ってこられたという、このおふたりなんですけれども、ちょっと小出さんが感じた司法の限界とか問題点というのをちょっと伺ってもよろしいでしょうか?
小 出: はい。私は、今海渡さんもおっしゃってくださいましたけれども、伊方原子力発電所の設置許可取消処分裁判というのにずっと関わっていました。そして自分で言うのもおかしいのですけれども、国の科学者との間で非常に詳細な論争を繰り広げたのです。
      そして私たち、いわゆる原子力発電所が危ないと言って証言した学者の方が、国から出てきた学者に対して圧勝したと私は思っているのです。判決はとにかく国の主張を羅列して、最後にこれが相当と認められると裁判官の言葉が書き並べられているという、ただそれだけの判決だったのです。
      それを受けて私は、ああやはりこういうことだったんだ。日本の司法は行政から独立していない。三権分立なんて言っているけれども、そんなものはやはりないのだと、原子力というような国の政策の根幹に関わるものに関しては、司法は無力だと私は痛感しまして、それ以降は原子力に関する限りは司法には関わらないという態度を貫いてきてしまいました
景 山: そうですね。逆に海渡さんは、司法の場でずっとこの原発の問題に関わっていらっしゃったので、海渡さんから。
海 渡: ひとつ質問なんですけども、伊方の時期以降にふたつ、3.11の前にもんじゅの控訴審の時と、志賀原発の地裁判決という勝訴判決があったんですが、それも上訴審では取消されてしまったんですけれども、3.11の後に大飯と高浜で、樋口さんの判決と決定という、僕から見ても本当にこういう素晴らしい裁判官がいたのかなと思うような裁判官が現れて判決を変えてくれた。これをこれからどうやって守っていくか、覆されてしまった高浜をどう覆すかというのが僕らの任務なんですけども、その点小出さんどういうふうに思っていらっしゃいますか?
小 出: 大飯原発の判決で、樋口さんが大変素晴らしい文章を書いてくださったんですね。何か関西電力などによると、原子力から抜けたら火力発電をやるために原油を買わなければいけない。国富がそのために流出してしまうというような主張をしていたわけですけれども、それに対して樋口さんがコストの問題なんか大したことではないと、豊かな国土とそこに国民が根を降ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると、当裁判所は考えているという判決文で結んでくれているわけで、本当にこんなまっとうな裁判官がいてくれたのだと私は感激しました。
      なんとか樋口さんのこの判決を持って行かなければいけないと私も思いました。ただ残念ながら高浜3・4号機の仮処分も結局は、新たに最高裁から送られてきた裁判官に取り消されてしまうということになったわけで、私は樋口さんという裁判官がいてくださったことを本当にありがたく思うけれども、でもまだまだ日本の司法というのはだめなんだなぁと。海渡さんには申し訳ないですけど、私は思いました。
 
海 渡: 今、最高裁は確かに裁判所の中でアベレージで取れば保守的な裁判官が多いと思います。原発推進というふうに考えている人もいるんでしょう。だけども、日本国民全体が原発からもうやめた方がいいという人が多くなっているんだとすれば、裁判所の中もそういうふうになってるはずで。そして自由に判決が書ける環境さえできれば、僕は次の樋口判決に匹敵するような判決というのは近い将来出せるんじゃないか。今はいい裁判官がいたら、その裁判官を人事異動させてしまうというほどひどいことは、僕は最高裁はしなくなってるんじゃないかなあと。だからこそ樋口さんが決定かけたんだと思うんですよね。
小 出: ともすれば、私は絶望しそうになってしまうこともよくあるのですけれども、でも絶望したらその時が最後の負けなんだと、やっぱりできることを探すことしかないと、自分に言い聞かせるようにして毎日を生きています。
海 渡: いや、僕も絶望してますよ。一番ひどかったのは、ぼく浜岡原発訴訟の一審の判決をもらった時はしばらくうつ状態みたいになってた時があったんですけどね。でもやっぱりこうやって続けられているのは、もんじゅで川崎さんという裁判長に勝たせてもらったとか、樋口さんのふたつの判決や決定をもらえたとか、日本で原発訴訟で勝った例っていうのはそんなに4つしかないんですけど、そのうち3つはぼくが関わっている事件なんでですね。そういう自負もあるし、やっぱり裁判官の顔を見ながらやっていると、真剣に考えてくれている人もいなくはないんですよね。
      そして今まで負け続けた判決だと言っても、3.11前の負け続けた判決の中にも裁判官の悩んだ形跡というのはいっぱいあるんですよ。それが実を結んで僕は樋口決定になったんじゃないかなあと思っていて。当面はあきらめないで、原発訴訟を一生懸命やってみようと思っています。どうか、よろしくお願い致します。
小 出: こちらこそ、よろしくお願いします。 
景 山: なんか、おふたりのあきらめない感じっていうのがちゃんと次の世代に次の世代につながっていると私も思います。はい、ありがとうございました。 
小 出: ありがとうございました。 

28- 「大津波到来は予見できた」と原発避難者側 群馬訴訟

 福島原発事故で群馬県内避難している137人が国と東電に損害賠償を求めている集団訴訟の口頭弁論が26日、前橋地裁であり、計41人の原告の本人尋問が終了しました。
 また原告側が入手した、2008年に東電が行った津波試算に関する準備書面などが提出され原告側は、東電は原子炉建屋が浸水するほどの津波が到来しうることを予見できたと主張しました。
 今後は、被告側証人佐竹健治東大教授に対する書面尋問などが行われ、来年度中には判決が出るとの見通しだということです。
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「津波到来 予見できた」 本人尋問終わる 原発避難訴訟で原告
東京新聞 2016年2月27日
 東京電力福島第一原発事故による(群馬)県内への避難者ら百三十七人が、国と東電に計約十五億円の損害賠償を求めている集団訴訟の口頭弁論が二十六日、前橋地裁(原道子裁判長)であった。本人尋問を予定していた原告一人が仕事と健康上の理由で出廷できず今後も難しいと判断され、昨年五月から始まった計四十一人の本人尋問が終了した。
 
 この日は原告側が入手した、二〇〇八年に東電が行った津波試算に関する準備書面などが提出された。原告側は、この試算で原子炉建屋が浸水するほどの津波が到来しうることを予見できたと主張した。ほかに、これまでの原告と被告の主張を踏まえ、裁判所から両者に対して詳しい説明を求める「求釈明」があった。
 
 閉廷後、原告弁護団は会見し、「事実関係の立証について、ヤマ場を越えたとは言えないが山頂に着きつつある」と、審理が佳境を迎えていると説明。今後は、被告側が証人申請した、地震や津波に詳しい東大の佐竹健治教授に対する書面尋問などが行われ、来年度中には判決が出るとの見通しを示した。
 また原告の一人で、震災後に福島県いわき市から前橋市へ夫と避難してきた丹治杉江さん(59)は、「国や東電は自主避難者に『地元の自治体が安全だと言っているのに帰らないのは本人の勝手』などと反論し、被災者の苦難をくみ取るどころか否定した。何事もなかったかのように、必要な賠償は済んだのだからという態度は避難者にとってはつらい」と訴えた。
 次回は六月二十四日に開かれる。 (川田篤志)
08- チェルノブイリ30年(小出裕章ジャーナル)
 今回の小出裕章ジャーナルは「チェルノブイリ30年がテーマです。
 
 30年前のチェルノブイリ原発事故と福島原発事故の決定的な違いは、福島は5年後の今もなお放射能が空に海にじゃじゃ漏れなのに対して、チェルノブイリは事故後10日間で兎も角も応急的に放射のを封じ込め、半年後にはコンクリートの石棺で封じたことです。
 1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が起きると、ゴルバチョフ大統領下のソ連は、空軍大将の指揮下で、大型ヘリコプターによりホウ酸40トン、燃焼抑制用の石灰岩800トン、放出抑制用の鉛2400トンなど、合計5000トンを原子炉へ投下する作業をはじめ6日目で投下を完了し10日目に放射能の放出ほぼ収束させました。
     (関係記事)
2015年12月30日 チェルノブイリは今 事故から来年で30年
 現在はその石棺が傷んできたため、石棺全体を覆うステンレス製の巨大カバーを建造中で、間もなく完成します。
 
追記 文中の太字箇所は原文で行わているものです。また原文では小出氏には「さん」がついていましたが、この紹介文では外しました。
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チェルノブイリ30年
〜第161回 小出裕章ジャーナル 2016年02月06日
 
「閉じ込めたところでその放射性物質がなくなってくれるわけではないので、いつの時点かでそれを何とかして始末を付けなければいけないのですが、その方策は未だにわかりません」
 
湯 浅:  今日はですね、「チェルノブイリから30年、そこから何を学ぶか?」ということなんですけれども、旧ソ連邦で起きたチェルノブイリ原発事故、あれ1986年4月でしたから、今年が30年目ということで、そのチェルノブイリの今と、そこから見えてくることについて小出さんに伺いたいと思います。私、高校2年生でして、当時。
小 出: そうでしたか。
湯 浅: はい。ぼーっとしていたもんですから、ほとんど覚えてないんですけれども、チェルノブイリ原発事故は原子炉の欠陥や運転員の熟練不足等が絡み合って発生し、格納容器がなかったために、炉内の放射性物質が飛散して、日本の本州に匹敵する20万平方キロメートルを汚染した。ウクライナ、ベラルーシ、ロシアで移住をせまられた人は40万人。がん等の犠牲者は、集計期間により数千人〜数10万人まで諸説あるということなんですが、まず30年目を迎えるチェルノブイリ原発事故の現場ですが、今どうなっているんでしょうか?
小 出: まずいくつかの今、湯浅さんがお話下さったことに関してコメントをしたいのですが、チェルノブイリ原子力発電所に格納容器がなかったということを、日本の原子力を推進してる人達がよく言ってですね、「その原子力発電所が欠陥なんだ」「日本の原子力発電所は格納容器があるから安全なんだ」というように主張しているのですけれども、実はそれが誤りです
    チェルノブイリ原子力発電所の方も、いろいろな事故を想定しまして、日本の原子力発電所で生じるような事故、冷却材が噴き出してくるような事故を考えて、そういう場所については、いわゆる格納容器がちゃんとあったのです。
湯 浅: そうなんですか?
小 出: はい。ただし全く予想もしなったような経過で事故が起こってしまったがために、いわゆる格納容器というような物がない所から放射性物質が噴き出してきてしまったということなのです。ただ原子炉自身に欠陥があったということは本当でして、運転員が間違えたというよりは、むしろその原子炉の欠陥ということに重要な要素があったということです
    それから、放射性物質が飛散してきまして広大な地域が汚れたのですけれども、いわゆる日本でもそうですが、ロシアでも放射線の管理区域にしなければいけないほどの汚染を受けたのは、今湯浅さん、20万平方キロメートルとおっしゃいましたが、たぶん14万5000平方キロメートルです。
    いずれにしてもあまり変わらないで、日本の本州の何割というような広大な所が汚染されてしまいました。そして、じゃあ現在どうなっているかということなんですけれども、事故が起きた直後に約半年かけて壊れた原子炉建屋の全体を鋼鉄とコンクリートで覆うような、私達が石棺と呼ぶ構造物を造り上げました。
    ようやく放射性物質が中から出てこないような一応の対策をとったのですが、既に30年経ってしまいまして、その石棺があちこちでボロボロに壊れてきてしまっています。「何とかしなければいけない。どうしようか?」とずっと悩んできたわけですが、石棺に近づくとまた労働者が被ばくをしてしまいますので、石棺から300メートルぐらい離れた所に石棺全体を覆えるような、さらに巨大な構造物を今造っています。
    私達、第二石棺と呼んでいますが、まだできていません。たぶんまだこれから1年、2年かかるだろうと思います。そして、それがようやくできた段階で、その巨大な構造物をレール上を走らせて、現在ある石棺の所まで移動させて、放射性物質が出ないようにすると。そういう計画の工事を現在やっているという所です。
湯 浅: 30年経つわけですが、廃炉への取り組みっていうのは、そうするともうほとんどできていない?
小 出: はい。一番問題なのは溶け落ちてしまった炉心、放射性物質の本体なわけですけれども、その本体はもともとあった炉心の真下の所に地下に流れ落ちていきまして、その地下で私達、「象の足」と呼んでいるのですが、いわゆる火山の溶岩が固まるような形で地下で固まっているのです。
    ただそれに近づけば人間、即死してしまうというような危険物ですので、近づくことができないままで、今、石棺という物でこれまでも封じてきたし、これからも何とか閉じ込めようとしているわけです。でも閉じ込めたところで、その放射性物質がなくなってくれるわけではないので、いつの時点かでそれを何とかして始末を付けなければいけないのですが、その方策は未だにわかりません
湯 浅: それが30年経ったチェルノブイリ原発の現状だとすると、福島まだ5年ということで、福島をチェルノブイリと比べて、小出さんがお感じになることというのはどんなことですか?
小 出: チェルノブイリの場合でも、先ほど湯浅さんがおしゃって下さったように、40万人を超えるような人達が、いわゆる自分達の故郷を追われて、あちこちに流浪化してしまったわけです。その悲劇の重さというのは、ちょっと考えて想像つかないほどのものだと私は思いますし、福島でも未だに10万人を超える人達が流浪化してしまって、どうにもならない状態が続いているわけです
    たぶん福島でも、これから何10年もそういう状態が続いていくということでしょうし、本当にその苦しさと言うんでしょうか、一人ひとりだって家を奪われ、生活を奪われたら大変だと思うのですが、何10万人もがそういう状態になってしまった。チェルノブイリでもなってしまって、30年経っても解決できないし、福島でも5年経っても全く解決できない他の施設の事故では、こんなことは決して起こらないというようなことが、原子力発電所の事故の場合には起きてしまうわけです
湯 浅: 今日もありがとうございました。 
小 出: こちらこそ、ありがとうございました。 

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