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「原発と差別、戦後日本を再考する」と題したシンポジウムが2015年2月22日、東京・水道橋にある在日本韓国YMCA青少年センターで開催された。第一部では、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏と文化学園大学助教の白井聡氏が講演。つづく第二部では、原発メーカー訴訟原告でNNAA(No Nukes Asia Actions)事務局長の崔勝久(チェ・スング)氏と大阪大学特任助教の大野光明氏を加えた総合討論が行なわれ、会場の聴衆も交え、活発な議論が繰り広げられた。
小出裕章氏(京都大学原子炉実験所)「原子力平和利用は差別の上に成り立った」 白井聡氏(文化学園大学)「戦後日本にとって原子力とは何であったか」 総合討論 コメント 大野光明氏(大阪大学)/全体討論 白井聡氏、小出裕章氏、崔勝久氏、朴鐘碩氏、大野光明氏 会場参加者との質疑応答
ウラン濃縮・原子炉・再処理は原爆製造の中心三技術 小出氏は、「原子力平和利用は差別の上に成り立った」というタイトルで講演。冒頭、スクリーンに広島と長崎に落とされた、二つの原子爆弾の画像を映し、この爆弾を作り出した「マンハッタン計画」から話を切り出した。
「みなさん、原子炉というと発電の道具だと思われるかもしれませんが、もともとはプルトニウムを作ろうとして、考え出された装置です」
マンハッタン計画の中で一番重要な技術は、ウランを「濃縮」する技術、「原子炉」でプルトニウムを作る技術、取り出したプルトニウムを分離する「再処理」という技術の3つだと小出氏は言う。
「この3つの技術が原爆製造を可能にする『中心三技術』。原子力の平和利用と呼ばれている技術も、すべてはこの『原爆製造の中心三技術』から始まっている」
小出氏は、国連安保理の常任理事国5ヶ国が、核兵器を保有しているが故に、常任理事国の地位にいるとしながらも、この「原爆製造の中心三技術」を持っていることが重要な意味を持っていると語る。
他方、この5ヶ国以外で唯一、日本が「中心三技術」の全てを保持しているという。現在、日本は国内外あわせて約47トン、長崎原爆にして約4000発分のプルトニウムを蓄積していると小出氏は解説した。
こうした日本の現状について、小出氏は、「原子力平和利用と言いながら、着々とプルトニウムを蓄積して、核技術を『ふところ』に入れてきたという国なのです」と評した。
日本が仕掛けた巧妙な罠 日本では、核を意味する「Nuclear」という英単語が、あるときは「核」、あるときは「原子力」と使い分けられてきたと、小出氏は話す。
「『核』と言うときは軍事用語であり、『原子力』と言うときは平和利用であると、あたかもこの二つが違うかのように、ずっと使い分けてきたのです」
小出氏は加えて、「Nuclear Development」という言葉も使い分けられてきたと説明する。
例えば北朝鮮やイランが、原子炉を作ったりウラン濃縮をしようとすると「核開発」と訳される。そして、「核開発」をしようとしているから、経済制裁や軍事制裁を加えなければならないと日本政府は言い、マスコミも積極的に「核開発」という表現を用いて北朝鮮やイランを批判してきた。
一方、日本で原子炉を動かしたり、再処理をしてプルトニウムを取り出そうとする時には、英語では同じ言葉でも「原子力開発」と訳される。文明国家として原子力が必要なものであり、日本は、これからも原子力開発をどんどんやりますと言うのである。
「私はどんなことでも、公平であるべきだと思っています」と小出氏は語り、次のように言葉を継いだ。
「日本が原子炉を作る、ウラン濃縮をする、再処理をする、というのなら、他の国がそれをやるというのも、認めなくてはならないと思うし、他の国にそれをやるなというのなら、日本だってやってはいけない。そう考えるべきだと私は思います」
「原子力」は「差別」の問題 講演の終盤、小出氏は原子力と差別について語った。
「原子力は徹底的に危険だと思いますし、破滅的だと思います。しかし、私が原子力に反対しているのは、単に危険だからではありません。原子力は徹頭徹尾、無責任で犠牲を他者にしわ寄せするからです」
平常運転中の原発での労働や、フクシマでの事故処理作業は、その9割以上を下請け労働者が担っており、被曝を余儀なくされている。そして、原子力発電所や核燃料サイクル施設は、決して都会に作ることができず、その危険は過疎地に押し付けられてきたと、小出氏は説明した。
「私たちの世代がたくさん原子力発電を使って、電気を得てきた。しかし、私たちがその電気を生み出すために作ったゴミは、私の子ども、またその子どもと、100万年という、人類が生きているかどうかも分からない程の未来の子どもたちに向かって、残していくしかないというゴミなのです。
まったく何の決定権もない人たちに、ゴミだけ押し付けるというようなことは、私は犯罪だと思います」
小出氏は講演の最後に、日本における原子力と差別の本質について、こうまとめた。
「日本で原子力と呼ばれてきたものは、もともと核と同じものなのです。原子力というようなものをやってしまえば、核兵器と縁が切れなくなってしまう。
日本という国は、初めから実はそのことを承知の上で、核兵器を作りたい、持ちたいために、原子力の平和利用という言葉をつくって、国民を騙してきたのです。
原子力の問題というのは、単に安全か危険かという話ではなく、世界や国内の構造の中で、差別というものに基づきながら、今日まで来たのだということを分かっていただきたいと思います」
鳩山政権とフクシマ原発、ふたつの崩壊 次に登壇したのは、『永続敗戦論ー戦後日本の核心』(太田出版、2013年3月)で注目を集めている社会思想・政治学者である白井聡氏。「永続敗戦」とは何か、原子力とは何か、戦後日本の本質を鋭く語った。
白井氏は、『永続敗戦論ー戦後日本の核心』を執筆するに至った経緯から、この日の講演を始めた。そのきっかけは二つあり、ひとつは2010年の鳩山由紀夫政権の崩壊劇、もうひとつは、2011年3月の東京電力福島原発事故だったという。
鳩山政権の崩壊劇とは、2010年当時、首相であった鳩山由紀夫氏が、沖縄の米軍普天間基地を国外、少なくとも沖縄県外へ移設しようとして、政権が倒れた事件である。白井氏は、この事件の本質をこう説明した。
「日本の国民の意思とアメリカの国家意思が衝突した結果、日本が敗北したということです。どちらかを選ばなければいけないといった時に、日本国の総理は、安全保障の問題をめぐっては、アメリカの意思を選ばざるを得ないということが露呈した」
アメリカの意向により、間接的に日本の総理大臣が解任された、この敗北を、当時の主要メディアは直視せず、ひたすら鳩山氏個人の資質や性格を集中的に攻撃し、ゴシップ的な「おしゃべり」にうつつを抜かすばかりだったと、白井氏は振り返る。
メディアによる問題のすり替え、誤魔化しを白井氏は目の当たりにし、これは8月15日を「敗戦の日」ではなく「終戦の日」と呼び替えているのと、まったく同じではないかと思い至ったという。
現代にまで続く「無責任の体系」 二つ目のきっかけとなった3.11の福島原発事故について、白井氏は、事故になる前までは、多くの国民と同じように「危険なものを扱っているのだから、当然それなりの緊張感を持って、事にあたっているのだろうと考えていた」と語る。
しかし、事実は白井氏の想像とはまったく異なっていたことが3.11後に判明する。原発事故により、東電の杜撰な原発運営・危機管理体制に慄然とさせられたのだ。その最たるものが、海水注入をめぐる東電幹部と吉田昌郎・元福島第一原発所長とのやり取りだという。
原発が爆発の瀬戸際に追い込まれ、とにかく水を入れて冷やさなくてはならないという状況で、東電幹部は吉田所長に向かって「海水を入れると原子炉がお釈迦になるから、少し待て」と指示していたのだ。
このやり取りを、後にテレビ会議の映像で観た白井氏は、こう感じたという。
「日本が壊滅するという事態と、東京電力に数百億円の損害が出るということ、この二つの事柄の重みを比べて、東京電力の本社の人間は、どちらが重いことなのかという判断が付かないことが判ったのです」
この原発事故を通して、白井氏は、政府や東電がとった、あまりにも酷い振る舞いに衝撃を受けると同時に、強烈な既視観、デジャブを感じたと語る。それは、政治学者・丸山真男が第二次世界大戦の戦争指導をめぐり、その悪しき意味での日本的特長を指して「無責任の体系」と述べたこととの同一性だった。
「あの戦争において、300万以上にものぼる国民を死へ追いやった、いわば殺人マシンとも言える、そのシステム(無責任の体制)というものが、ちょっとソフトに装いを変えているように見えるけれども、本質的にはまったく同じマシンが、今も動き続けているということを突き付けられた」
「戦後の核心」=「敗戦の否認」 鳩山政権の崩壊と福島原発事故。二つの出来事から見えた、戦後日本の体制を、白井氏は「永続敗戦レジーム」と呼び、端的に言うと「永続敗戦」とは「敗戦の否認」ということだと説明した。
「日本があの戦争に負けたということは、歴史上の知識としては誰もが知っていることでありますけれども、本当のところは、それを認めていないということです。
本当のところ、それを認めていないから、ずるずる、だらだら負け続ける。それが永続敗戦ということ」
そして、敗戦の否認には、次のような論理があると白井氏は続けた。
「日本が戦争に負けていないのだとすれば、大義も勝利の可能性もなかったあの戦争を始めた責任を、誰も取る必要はないし、反省する必要もない。
無責任の体系も温存したって、ちっとも構わない、ということになる訳です。なにせ、私たちは負けていないのだからと。
実はこのロジックが、私たち日本国民を深く規定している歴史意識なのではないかと思ったわけです」
白井氏は、「永続敗戦」と「敗戦の否認」という言葉を思いついたときに、鳩山政権崩壊の本質を見ようとしない国民の態度、そして、福島原発事故における既視感が、全部ひとつながりになったと言う。
「本当のところは、あの戦争の敗北を認めていないということこそが、戦後の本質なんじゃないかと」
ではなぜ、敗戦を認めないのか。一番シンプルな理由として、白井氏はこう説明した。
「アメリカにより免責され、再登用された旧支配層。これを傀儡勢力として、アメリカは活用し、戦後の日本統治を行なってきた。つまり、属国化ということですね。
それを誤魔化すためには、敗北そのものを誤魔化すのが、一番エレガントなやり方だということになる訳です」
「平和と繁栄」から「戦争と衰退」へ 「永続敗戦レジーム」というシステムが、幸か不幸か、戦後日本では上手く機能してしまったために、日本は戦後、「平和と繁栄」と言われる時代を築いてこられたのだという。
白井氏は、そもそも、この「敗戦の否認」という誤魔化しに基づくレジームを、アメリカが温存してきた大前提には、冷戦構造があったという。それは、ソ連に対抗するため、アジア一の子分として、日本の存在が大切だったからに他ならない。
しかし、冷戦構造が終わりを告げると、当然、話は変わってきた。90年代初頭、冷戦構造の終焉とほぼ同時に、日本ではバブル経済が崩壊し、経済成長がほぼストップする事態に陥った。
そして、失われた10年、20年と言われる間に、この永続敗戦レジームは衰退しながらも、ずるずると続いてきてしまったのだという。
白井氏は、現在の日本の状況を、こう表現した。
「だらだらと続く戦後というものに、3.11は大きな『点』を打ち込んだと思います。すなわち、『ああ、本当に良い時代は終わったんだな』という雰囲気ですね。『平和と繁栄』が完全に終わり、その反対に転化していくとすれば、『戦争と衰退』の時代へと大きく舵を切っていく。今、そういう大変不吉な状態にあるわけです」
原発事故を経てもなぜ「脱原発」できないのか? 白井氏は、悲惨な原発事故を経験してもなお、日本が脱原発できない理由に、原発立地自治体における差別の問題があると論じた。
原発事故後、各地の原発立地自治体の首長選挙において、原発問題は争点にすらなっていない現実がある。政府や電力会社へ断固たる抵抗を示しているのは、泉田裕彦新潟県知事ら、ごく少数に限られると、白井氏は言う。
なぜ、このような状況になっているのか。白井氏は、沖縄と福島を対比させながら、そこには「差別の構造」があるからだと説明した。
「都市住民が貧乏な田舎に原発を押し付けてきた、という差別構造が現実にある。しかし、その差別は否認されているのだろうと、私は思うのです。
沖縄には多くの米軍基地があり、その基地に依存している側面も持ちながら、基地との共存というスローガンがないんです。いわば、基地を『抱きしめよう』としないんです。
対して、原発立地自治体は、原発と共存のスローガンを掲げてきた。(原発を)『抱きしめた』と言っていい」
白井氏は、こうした背景には「差別の否認」があったのだと指摘した。
「差別されているということを認めるのは、誰しも辛いことです。自分は差別なんかされていないと思いたい。原発という迷惑施設を押し付けられている状態、差別されている状態を、むしろプライドに転化するということが行なわれてきたんだと思います」
自分たちが原発を受け入れたことにより、日本の経済や国民生活は成り立っているんだ、というプライドを持つことで、差別を否認し、誤魔化してきたという構造があると、白井氏は言う。しかし、脱原発という主張によって、そのプライドは傷つけられてしまう。
この差別を否認する感情について、白井氏はこう語った。
「そのプライドの在り方はおかしいんじゃないかという問題があり、錯綜した感情を、ひとつずつ解きほぐしていかなければ、原発問題は片が付かないとみています」
白井氏は最後に、戦後日本にとって原子力とは何であったのか、次のように結論付けた。
「それは、戦前を中途半端にしか清算できなかった『戦後レジーム』『永続敗戦レジーム』の象徴であり、その中核である」
(取材・記事:IWJ・谷口直哉、記事構成:IWJ・安斎さや香) 原子力の平和利用の背景にある「東アジアにおける植民地主義の形を変えた継続」
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小出先生のお話
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2月22日 日本で「原子力」と呼ばれてきたものはもともと「核」と同じものなのです。:シンポジウム「原発と差別、戦後日本を再考する」ー 講演 小出裕章氏(京都大学原子炉実験所)&白井聡氏(文化学園大学)2月22日に東京都千代田区の在日韓国YMCAアジア青少年センターにて、「2.22シンポジウム実行委員会」主催によるシンポジム「原発と差別、戦後日本を考える」が開催され、その記事と動画抜粋がIWJのWebサイトおよびYoutubeに公開されていましたので、このブログでも共有させていただきます。また、小出さんの講演部分の文字起こしも行いました。
▼小出さん講演部分の文字起こし(抜粋)
今日のシンポジウムは、原発と差別、戦後日本を再考するというテーマだそうです。
え、福島の事故が4年前に起きてから、私は各地で福島の事故の話を聞いていただいてきましたけれども、原子力の問題というのは、単に事故の問題、放射能の問題ではないとずうっと思い続けてきましたし、今日のこのシンポジウム、ちょっと今までとは違ったシンポジウムになると思いますし、私は今日は福島の話は一切しないつもりです。 え、原子力というもの、日本で原子力の平和利用と呼ばれてきたものが、一体どういうものだったのか、そのことを戦後日本という中で考えてみたいと思います。 始めます。 ・・・〜・・・
もっと露骨にこのことを言ってくれた外交官もいます。
こんなです。 「個人としての見解だが、日本の外交力の裏付けとして、核武装の選択の可能性の捨ててしまわない方がいい。 保有能力はもつが、当面、政策としては持たない、という形でいく。 そのためにも、プルトニウムの蓄積と、ミサイルに転用できるロケット技術は開発しておかなければならない。」というのです。 皆さんご存知かもしれません。 日本には、ついこの間まで科学技術省という役所がありました。 その役所は何をやっていたかというと、原子力開発とロケット開発なんです。 つまり、核兵器を作るための技術的な能力を持つため、としてできたのが、科学技術省という役所でした。 着々と日本は、この筋書きの通りに計画を進めてきました。 ・・・〜・・・
朝鮮民主主義人民共和国やイランが「Nuclear Development」つまり原子力をつくったり、あるいはウラン濃縮をしようとすると、日本では核開発と略されてきた、Nuclear=核、Development=開発ですから、非常に単純な訳なんですね。
で、核開発をしようとしているから、ものすごく悪い国だと経済制裁を加える、あるいは場合によっては軍事制裁を加えなければいけない、というように日本の政府は言うわけだし、マスコミも積極的にこういう核開発と訳すのです。 では、日本で原子炉を動かす、ウラン濃縮をする、再処理ということでプルトニウムを取り出すというようなことをやるときには、何と訳すかというと「原子力開発」訳すのです。 文明国家として、必要なものであって、これからも日本では原子力開発をドンドンドンドンやりますというわけですね。 今日、皆さんに差別の話を皆さんに聞いていただこうと思うんですけれども、私はどんなことでも公平であるべきだと、思っています。 日本が原子炉を作る、ウラン濃縮をする、再処理をするというなら、ほかの国がそれをやることも認めなければいけないと思うし、ほかの国にそれをやるなというのであれば、日本だってやってはいけない、そう考えるべきだと私は思っています。 ・・・〜・・・
サンフランシスコ講和条約、1952年に結ばれましたけれども、形の上では日本は主権を回復しました。
でも、実質的には、日本というこの国は米国の属国だと思っていますけれども、形の上では一応は主権国家に戻った。 でも、沖縄だけは日本国に戻らなかった。 米軍の施政権のもとに捨てられてしまうということになりました。 どうしてこんなことになったかというと、天皇という存在が、沖縄を防共の砦として米軍に差し出した。 通称「沖縄メッセージ」というのがあります。 昭和天皇がマッカーサー元帥に宛てたメッセージですけれども、そこにこう書かれていた。 「天皇が更に考えるには、沖縄の占領(他の島の占領も必要かもしれない)が、日本の主権は残した状態で、25年や50年間、いや更に長期間の賃借の形態に基づくものになるであろうということである。」 と言って、沖縄だけは、何十年もの長い間に渡って、米軍に差し出すということを、天皇がマッカーサーに対して提案をして、結局沖縄だけがずっと米軍のもとに捨てられてしまうということになってきたわけです。 ・・・〜・・・
更に今日聞いていただいたように、日本で「原子力」と呼ばれてきたものはもともと「核」と同じものなのです。
原子力というようなものをやってしまえば、核兵器と縁が切れないことになってしまうし、日本というこの国は、始めからそのことを承知の上で、核兵器を作りたい、持ちたいというために原子力平和利用という言葉を作って、国民を騙してきた、そういう歴史があります。 でも、力の論理で世界に平和が作れるわけはないわけで、原子力からも核からも抜け出さなければいけないと思います。 ▼動画 Youtube
※小出裕章(京大助教授)非公式まとめより「転載」
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京大の小出助教「原子力は危険」 定年退職前に最終講演
2015年2月27日 19時47分(共同) 京都大原子炉実験所(大阪府)の小出裕章助教(65)は3月の定年退職を前にした27日、公開勉強会で最後の講演をした。「原子力は徹底的に危険で差別的。事故が起きれば古里を追われる」と話し、あらためて原発の危険性を訴えた。
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小出さんは原子力利用に積極的な考えで1974年に実験所に入所したが、地方だけに原発が造られることに疑問を持ち、批判に転じた。福島第1原発の事故について「起きる前に何とか止めたかった。無力さを感じる」と話した。
事故により原発に絶対的な安全はあり得ないと明らかになったのに、国は安全性を確認したとして再稼働を進めようとしていると批判した。
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公開勉強会で、定年退職を前に最後の講演をする京都大原子炉実験所の小出裕章助教=27日午後、大阪府熊取町
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京大:反原発の闘いこれからも…小出裕章助教が定年退職へ
京都大学原子炉実験所=大阪府熊取(くまとり)町=の研究者として、40年以上、原発の危険性を指摘し続けてきた小出裕章(こいで・ひろあき)助教(65)が3月末で定年退職を迎える。市民に分かりやすい語り口で原子力利用に伴うリスクを訴える論客で、東京電力福島第1原発事故以降は週末ごとに全国の市民団体などの求めに応じて講演してきた。今月27日には同僚と始めた自主講座「原子力安全問題ゼミ」で最終講義をする。
◇今月27日「最終ゼミ」 小出さんは1974年、実験所に助手として採用された。もともと「原子力開発に命をかけるつもりだった」という原発推進派だったが、原発が都会に建てられず、過疎地に危険性が押しつけられている現実を知り、一転、反対派に。原発に批判的な実験所の同僚5人と研究グループを作り、市民が参加可能な「安全問題ゼミ」を開いた。活発な反原発の動きが注目され、「熊取の6人組」などと呼ばれた。
福島原発事故以後は、日常業務の傍ら週末などに約230回講演に出かけ、ラジオ番組に約150回出演した。27日午後2時から実験所で開く最終講義は「原子力廃絶の道のり」がテーマという。退職後は長野県に移住する計画を立てている。一方で「福島事故で苦難の底にいる人たちを考えれば、簡単には引き下がれない」と話し、7月末まで講演の予定が入っているという。【大島秀利】
お写真はFB友達から拝借致しました。
ご自分のお立場より事故が起こってしまった福島の人のことを第一に優先され、原発の危険性をずっと問われて来られた小出助教。
私が政治のこと原発のことを知ったのはまだ日が浅いのですが 数回お聴きした関西での講演会では、何時も素人の私たちに分りやすいように、そして原発を造る理由とは?
マスコミでは報道されない本当のこと、本当のことを話して下さいました。
定年されても小出さんの想いは熱い筈だと信じています。
いつまでもお元気でいらっしゃいますように、そして益々のご活躍をお祈り致します。
こ面識もない私などが書いてもご迷惑かもしれませんが、こは私のブログなので書かせて頂きます。
お疲れ様でした、そしてこれからも頑張ってください。
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なぜ原子力に抵抗を?「大きな危険を抱えている。だから電気の恩恵は受けるけれども危険は過疎地に押し付けるのだということに気が付きました」〜第110回小出裕章ジャーナル
西谷文和:
実は小出さんは、いわゆる原子力ムラのことを最近は「原子力マフィア」と呼ばれておりますが、これはもう「ムラ」ではダメだと、マフィアレベルだということでしょうか? 小出さん:
はい。ムラというのは、いろいろな人達が集まってムラというものをつくるのですね。政治の世界の人、産業界の人、山ほどいろいろな人が集まって、原子力を一体となって進めてきたわけですので、ある意味原子力ムラと呼べるような組織だったのです。 ただし、福島の事故を引き起こしたことに、私はその人達に責任があると思っているのですけれども、その人達は誰一人として責任を取らない、処罰もされないというかたちになっていて、私はそれで気が付いたのですが、いわゆる原子力ムラと呼ばれてきた人達というのは、巨大な権力機構になってしまっていて、それ自身が犯罪を犯しても誰も処罰をされないという、そういう組織なんだと私は気が付きました。
そういう意味で、単なるもうムラではなくて、いわゆる犯罪者集団だと私は思うようになりましたので、原子力ムラではなく「原子力マフィア」と呼ぶようになりました。
西谷:
はい。今日は小出さん、ゲストに元衆議院議員の吉井英勝さんをお呼びしておりまして、吉井さんは日米原子力利益共同体と、こういうふうにおっしゃってるんですが、吉井さん、今のお話を聞いてどのようなご感想をお持ちですか? 吉井英勝さん:
小出さん、どうもこんにちは。吉井英勝です。 小出さん:
どうも、こんにちは。お会いする機会もないままに大変失礼しました。ご活躍ありがたく思っております。 吉井さん:
どうも。私のちょうど後輩になる人が、90年代に原子力ムラとかムラ人という言葉を使い出して、マスコミ的には3.11の後、非常に面白いですから、よく使われておりましたけれども。 小出さん:
そうですね。 吉井さん:
やっぱり大事なことは、この原発で巨大な利益を上げる電力、鉄鋼、メガバンクのような財界中枢部と、そこからお金を始め、いろんな利益を受けてチョロチョロ動いてる周辺部におる人達とを全部ひっくるめてムラ人と言ってしまうと、事の本質が曖昧になってしまいますからね。 小出さん:
そうですね。私もそれに気が付きまして、電力ムラという名前ではなくマフィアと呼ぶようになりました。 吉井さん:
そうですね。私自身は、だから原発利益共同体が経営している家畜小屋の原発豚と。若干激しいかもしれませんが。ただ、私も小出さんと同じように原子工学は出身ですからその話をする時は必ず、私は赤豚ですが、赤豚は家畜小屋にはお呼びでなかったですいうことを付け加えてるんですが。 小出さん:
そうですか。はい。 西谷文和:
なるほど。そんなことなんですけど、小出さんがそういうその原子力工学に夢を持って入られたということなんですが、1953年にアイゼンハワー大統領が「原子力の平和利用」ということを言い出して、原子力平和博覧会って日本でやるわけですが。 小出さん:
そうです。「Atoms for Peace」という発言で、何か原子力が平和利用できるものだというような幻想が世界中に振りまかれてしまいました。 私が子どもの頃で、そういう振りまかれた幻想の下で私自身も大きくなりましたし、残念だし恥ずかしいですけれども、私自身も原子力平和利用というものに夢を抱いてしまいました。
西谷:
はい。おふたり、特に小出さん、吉井さん、これは幻想だと気付かれたキッカケは、おふたりにお聞きしたいんですが、小出さんはどういうことで「これは違う」と思われましたか? 小出さん:
いろいろありましたけれども、私が原子力に夢を抱いて「原子力発電をやりたい」と思い込んで、吉井さんは京都大学で、私は東北大学なのですが、東北大学の原子核工学科にいた頃に、東北電力が原子力発電を始めるということになりました。 私は初めはそれを歓迎したのですけれども、建てられる場所が私がいた仙台、東北地方の最大の都市ですけれども、仙台ではなくて女川という、ほんとの小さな町に原子力発電所を建てるということになりました。
当時はマスコミも含めて、みんながバラ色の原子力に酔っていた時代だったわけですけれども、女川の人達が「なぜ、電力をたくさん使う仙台ではなくて、自分達の町に建てるのか?」という疑問の声を上げたのです。その声を私は聞いてしまいましたので、その疑問に答えなければいけないと思いまして、さんざん答えを探したのです。
最後にたどり着いた答えというのが今になっては当たり前なのですけれども、原子力発電というのは都会では引き受けることができない大きな危険を抱えている。だから電気の恩恵は受けるけれども、危険は過疎地に押し付けるのだということに気が付きました。私自身はそんなことは到底認めることができませんでしたので、それ以降、原子力に抵抗しようと心に決めました。
西谷:
なるほど。吉井さんは夢を見て、やっぱり間違えと気付いたのは? 吉井さん:
私の場合は民間企業に就職してから。最初、真空関係の仕事でしたから、会社からの派遣で東大の原子核研究所で真空技術の武者修行をやったりして。 西谷:
原子力の場合は真空技術がいるんですね? 吉井さん:
そうですね。それは原子力とともに今の宇宙開発ですね、スペースチャンバーと言って宇宙環境試験室ですけども、そういうのも真空機器なしには作れないんですけども。そういう仕事をやっていたんですけども、その後、堺市の市議会の方にコンビナートの公害や災害が酷い時代でしたので。 西谷文和:
堺の臨海のコンビナート? 吉井さん:
そうですね。ですから、やっぱり専門的な知識持ってる者に議員になってもらいたいっていう話があって、それで議員になりましたから、当時は原発に先立ってコンビナートの爆発火災とか災害が非常に多かった時代ですから、ですからその災害の現実から始まって、そして領域がコンビナートから原発へというふうに、事故の事実を追及しながら広がっていったということですね。 西谷:
なるほど。原発が事故したら大変なことになるということですね? 吉井さん:
そうですね。 西谷:
それで、「これは違う」というふうに… 吉井さん:
そうですね。 西谷:
そうですか。小出さん? すみません。過去いろいろあったんですけど、主義主張違いはあったんですけど、やはり今は本当にそういう人達が、やっぱり脱原発で一致して反対していくということ大事ですよね? 小出さん:
もちろんです。吉井さんは政治の場で生きてこられた方ですけれども、私は申し訳ありませんが、政治は大嫌いだということを… 西谷:
おっしゃってますよね。 小出さん:
根本的に発言してきてますし、「一切の政治には関わらない」と言ってきました。ただし、私は嫌いですけど、政治はものすごい大切なものなわけですし、もちろん経済の問題だって大切だし、社会の問題だって大切だし、それぞれの場でそれぞれに個性豊かな方々がご活躍くださってるわけですから、原子力を廃絶させるという、そのために皆さんの力を集めなければいけないのだと私は思います。 西谷:
吉井さんもその点は同じ? 吉井さん:
そうですね。方向としてはちょうどこの間の沖縄における昨年1年間の沖縄での取り組みに見られるように、あの場合はオール沖縄というかたちで、いろんな考えを持った人達、それは社会的な運動体も政治勢力も皆、結集して行ったんですが、ああいう方向がたぶん進んでいくだろうと思います。 西谷:
保守から革新までひとつになったということですね? 吉井さん:
そうですね。 西谷:
分かりました。小出さん、やはりオール沖縄みたいなかたちでオール脱原発みたいな運動をしていかなあかんということでしょうね? 小出さん:
そうですね。それができれば一番いいのですけれども。でも、なかなかこれまでの歴史というのを皆さん背負われているので、今日までそれができないできてしまっていたのだと思います。 西谷:
その現実もあったということですね? 小出さん:
はい。 西谷:
しかし、安倍内閣が大変な再稼働に向けて突き進むなか、私達は今一度、統一して対抗していきたいなと思っております。小出さん、どうも今日はありがとうございました。 小出さん:
いえ、ありがとうございました。 吉井さん:
どうも。ありがとうございました。 小出さん:
はい、ありがとうございました。
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