|
いやはや昨年は激動の1年だった。
一昨年(2005)、半年にわたり長期休養を取った後の復帰の1年だった。
その間、さまざまな後遺症に悩まされながらも仕事を辞めずに現職に留まれたのも
週末に思う存分オートバイを走らせることができたからだ。
今年は週末だけで軽く1万k以上走らせたことになる。
ひたすら走り回ったし出先で友人をたくさん作ることができた。
一昨年(2005)、本社、工場、アメリカ、ドイツの現地法人との間で重要なプロジェクトの進行
と調整を任されていたのだが、各セクションの思惑や責任の所在がはっきりしないまま遅々とし
てプロジェクトは進行しない。共通していることは責任を取りたがらないことだ。
そして日本のみならずアメリカ人スタッフから嫌みをぶつけられて精神的に辛かった。
各国の文化や習慣の違いにも悩まされた。
ちなみにアメリカ人とは二度と仕事をしたくない。
ちょっと英語の文法がおかしいからといって君の英語は理解できないなんて
英語で返信してくる。正確な英語がかけないなら日本語で送ってくれ。当方の優秀なスタッフ
が翻訳して君のいいたいことを正確に理解するだって。
アメリカ人も優秀なスタッフとやらを使って「正確な日本語」でメールを送ってこいと腹を立ていた。
「すぐに間違いを添削してやるから!」と息巻いた。
それが牽制球だということは、わかりきっている。
外交交渉だったわけです。
そんなこんなの状況で追いつめられて絶望しそうだった。
その点ドイツ人はフレンドリーだったなー。
ドイツ人スタッフのみなさん、ダンケシェン!
そのプロジェクトも一昨年(2005)、の3月には一応の決着をみた。
しかし、第一段階を終わってみれば君の仕事の進行が悪いので大いに迷惑を被ったと宣告されて、それを理由にされて死ぬほど苦心したPJから外されてしまった。ちゃんと納期を守ったのにだ。
では、私が外されたことでそのPJの第二段階が円滑に進んだかといえばそんなことはない。
そのことは傍目から見てわかっていた。結構SOSがあった。
しかし、そのとき突然思考が停止してにっちもさっちも行かない状況に陥ってしまったのだ。
なにも考えられない状況になったんだ。俗に言う「鬱病」になってしまった。
また、その半年の間の記憶がかなり欠落している。
なんだかセンチメンタルになっちゃったが、しかし、これを乗り越えて未来への希望をつなげ
ることができたのも、全部オートバイのおかげである。
とにかく生きること、希望を捨てないことが肝心だ。
まだまだある。
ほかにも成人病をわずらっており、一時期血糖値が350まで上がったことがある。
いまでも治療を続けているし、毎日の運動と食事には気を遣う。
酒も「たばこ」もやりたくてもやれない。
毎日朝昼夜の3回歩いている。そして1日5回の体操。
毎日つつがなく生きるための努力は欠かさない。
マグロと同じで泳ぐことを辞めてしまったら死ぬことになる。
また、最近飛蚊症で左目の調子がかんばしくない。
それでも絶望しないで生きてゆくにはなにが必要だろう。
それは、勇気と希望だ。これは人生の必需品だ。
そして他者に対する「察しと思いやり」ですね。
この2つがあれば、たとえ無一文になってもやっていけるだろう。
このことは間違いない!
追伸
「今も俺なんか生きていてもしかたがない」
という魔物がおそってくることがあります。
そういうときは「気分」を変えてバイクやブログのことを考えるようにしています。
外国人とのつき合いは骨がおれますね。
本意ではありませんが、ひたすらビジネスライクに徹するしかありません。
そのやり方はいままで見たハリウッド映画から学び取っています。
仕事とプライベート(個人的な感情も含む)ははっきりとわけています。
ましてや思想信条を侮辱すると受け取られる内容がないかを常に気をつけて
います。また、日本人的美意識の1つである「察しと思いやり」、親切心ですが、
相手にとってはそれが当たり前(ルーチンワーク)なことと受けとられます。
次も当然のことと要求されて青くなったことがあります。
次のお相手は中国人のみなさんです。
日本人だけでさえいやになるのにこれ以上言葉が通じない外国人を相手にしたくないのが本音です。
英語のメールも書きたくありません。
でも、仕事なので毎日読んでそれの返信を書いています。
また、アメリカ人を相手にしなくちゃならない。
あ〜あっ。いやんなっちゃう。
田舎に住んでいるのに仕事のお相手は外国人ばかり。
まだ、電話がかかってこないだけましなほうだ。
会話の方は、釈由美子ちゃんの番組をみて勉強するしかない。
|