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8/1〜8/4までの4日間、東京に行ってきた。前回行ったのは、平成11年の2月だったから、ほぼ10年ぶりだ、そして生まれて初めて「のぞみ」に乗った。21年前結婚してから、東京の行き来は全て飛行機だった。そして割と最近まで我が最寄の新山口駅には「のぞみ」は停車していなかったのだ。10年ぶりの東京は全く別世界だった。新幹線が品川にも停車していた。東京行きのメインの目的は8/2の姪っ子の結婚式だったが、その前後の8/1と8/3は女房子供とは別行動だ。私は昭和49年4月から平成元年3月までの15年間、東京及びその周辺で過した。その中で大学生活をおくった西武池袋線江古田駅周辺と、就職して最初の勤務地で約8年間過した東武伊勢崎線竹ノ塚駅周辺を散策してみたかったのだ。
まず8/1は竹ノ塚だ、あえて東武伊勢崎線を利用せずに、最近開通したという日暮里舎人ライナーを利用して見沼代親水公園で下車した。この公園は確か昭和59年の春完成したように記憶している。当時勤務し、顧問をしていた足立区立伊興中学校の吹奏楽部が完成記念のパレードをしたのだ。その公園を24年ぶりに歩いた、懐かしくて真夏の暑さも忘れて歩いた。そして当時住んでいた古千谷の長屋もちゃんと残っていた。そばにあった「元祖 札幌や」というラーメン屋は閉店していた。看板は裏返しになっていたが、引き戸の奥に80歳位の爺様が座っていた。きっと30年前にラーメンを作っていた頑固でちょっと変わった大将だろう。声はかけないで通り過ぎた。そして伊興中学校も訪ねた。昭和53年開校時から7年間勤務したが、31年目ともなると、そのたたずまいに貫禄を感じた。竹ノ塚の駅で大学時代の旧友と落ち合って一杯やった。本当は当時毎日のように通った、もつ焼きの「いがらし」という店で飲みたかったのだがとっくの昔に廃業したというので、別の所で(ウーロン茶を)飲んだ。
8/3は江古田に行った。江古田といっても中野区でも練馬区でもなく、住んでいたのは板橋区の小茂根だ、今は小竹向原の駅が最寄だが、当然江古田の駅から歩いた。驚いたことに小茂根の4畳半一間のアパートもまだ残っていた。無断で敷地の中まで入って行ったら、自分が住んでいた2階の真ん中の部屋の窓が開いたのであわてて遠ざかった。30数年前の自分が窓を開けてこちらを見ていたような気分になった。
東京は大いに変わっていた。大いに変わっていたが、足立や練馬の住宅地は全く変わっていないところも多かった。江古田の街中にあった長寿軒(庵だったかな?)が無くなっていた。そこの娘さんがやってたコーヒー店「モカ」は日曜日で閉店だった。居酒屋「トゥッティ」のマスターで、よく一緒にオペラの同じ役をダブルキャストで演じたタカハシ君は去年死んだ。全然違うところに住んでいるのに、去年同じ時期にロッシーニの「婚約手形」を歌った直後に、彼は死んだ。
昭和53年大学卒業の直前に発売された「江古田スケッチ」という歌を思い出した。
『日芸、武蔵、武蔵野音大、若い日の町』
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