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毎年この時期になるとどこの学校でも「研修のまとめ」というものを作る。先ほど調べたら、原稿提出が明日ではないか!あわててパソコンを開いたら、少し過激すぎるため没になった、昨年の原稿が出てきた。この「水子」のような原稿が不憫に思えてきたので、ここに載せてみた。
自分が自分の教科の授業に自信を持って臨む為に、研修が大切なことはよーく理解しているし、授業で教える内容を大幅に超える知識・技能を身に着ける為の研修に日々励んでいるという自負もないことはない。けれど、この校内研修というのは自分にとっては苦痛以外の何物でもない。研修は本来苦痛を伴うものであるのは当然だとも思う、でもその苦痛が未来の自分の知恵となり肉となる可能性があるから、耐えられるのである。校内研修が無意味に思えるのは、それ(=苦痛)以外の何かが何もないからである。このことは、今年度に限ったことではない33年間の教職生活で、校内研修が自分の教員生活の役に立ったと実感したことは、残念ながら(ごめんなさい)ただの一度もない。特に本校の様な小規模の学校では、原則として1教科1名の教員しかいない。そのような組織での授業研究は、まさに実施する意味が少ない。確かに何らかの意見や感想は言えるし、言っても貰える。でもしかしその教科の根幹に触れるような、そして目から鱗が落ちるような助言を頂けるようなこと、言って差し上げるような機会は皆無に等しい。だからからか、校内研修のテーマも無難と言えば無難であるが、「よし、このテーマに向って奮闘努力しよう」と思えるような物にはならない。この1年間というか33年間、授業をしながら研修テーマを意識したり、逆に今日の授業は研修テーマに沿って、このように運んでみようなんて考えたことは自慢じゃないが、ほんの一瞬もない。いや僅かに、ノルマで不承不承研究授業をするはめになった時、指導案を書く際に、『研修テーマとの関わり』に触れなければならず、「ええとお、なんだったけかなあ」と年度当初に出された研修計画を探し出して見る時があった。そんな具合だから、今この原稿を書いている時も、今年度の本校の研修テーマは思い出せない。・・・・とこのように今年度の考察をしていると、いかにも不謹慎な輩に思われるかもしれないが、文頭にも書いたように、私は研修を非常に大切に思っているし、自身の為、生徒の為に、日夜研修に励みたいとも考えている。しかし、そちらの研修の方はなぜか励むことを好ましく思われないというか、むしろ阻止されるのである。後半は、このことについて述べたい。
教員顔というのがある(と思う)。教員臭というのもある(ような気がする)。街を歩いていて、ジャージ姿に皮靴、逆にスーツ姿に運動靴といったいでたちの人を見かけたら、これは間違いなく教師だが、そういったことではなく、長年学校といった狭い空間の中にいると教師顔に変化していく。私が時折見かける、全く知らない人の中に「この人は明らかに先生だな」と思える人が数人いる。それも「この人は小学校の先生だな」と校種まで予測できたり、この人は「教頭先生だな」と役職まで想像できるくらい教師臭を発散している人がいる。こういうことは、その人にとってはむしろ誇らしいことなのかもしれない。だが、私はいやだ。33年間常に心掛けてきたことは、絶対に教員顔にならない、教員臭を発さない、ことだ。もちろん生徒の前に立った時、瞬時に教師としての顔になることは常に心掛けている。そしてそれは、人間としての幅広い教養と現在の年齢にふさわしい人生経験とを積んだ上での大人の顔でありたいとも考えている。では、どこでその教養や人生経験を構築するか、その絶好の機会というのは、一体いつなのか?・・・・・・長期休業中である。私はこれまで、特に夏季の長期休業中には、それこそ毎年自分の研修テーマを持ち、自己研修という制度、或いは権利を、自分で言うのもなんだが非常に有効に活用し、充分すぎるくらいの報告もしてきた。一部の例外はあるものの、多くの管理職から絶賛とは言わないが、少なくとも理解はされてきた。それがどうだ今年は・・・・。「他の者は、勤務時間で学校で働いているんだぞ」っと自己研修の制度を活用することは犯罪であるかのような言われ方である。自身の自己研修の有効性・正当性を数日間(夏季休業に入っても)に渡って述べ、説諭した結果、渋々許可されたのは希望した申請日数の5分の3程度。しかも研修内容は直接授業にかかわることに限られた。これでは普段職場ででもできる研修の延長線上の研修にもならない。教師以外の人間と接すること、音楽の授業で直接指導する内容の支えとなる音楽的教養と技量を身に付けようとすることがこの職業にいかに大切であるかをここの管理職は理解してくれない。この「研究のまとめ」を作成するにあたって校長から、6 本時の学習(全体の5/22程度)の程度の部分を、なぜ程度にしたのか、理由も尋ねられないまま削除の指示のみをされた。それも研究授業後の研究会ではなく、翌朝の職員打ち合わせでの指示。これでは説明する機会もない、私はこの「研修のまとめ」にはそのまま掲載する。さらに、校内研修であるのに、指導案は前日までに提出せよとも。このことも同じ朝の打ち合わせでの指示。研究会における校長講評の「事前準備」のためと善意に解釈したいが、私は、職員の眼に触れる前の「事前検閲のため」という印象を持った。指導案の検討も含めての校内研修ではないのかな?以上、不完全燃焼で、大変不満の残る今年度の校内研修の考察である。最初にも、途中にも述べている通り、本当に役に立つ、実になる、ありがたい研修であれば喜んで取り組みたい。そしたらこんな愚痴みたいではない報告書を数十ページ位は書ける(かもしれない)。最後に研修担当の先生、せっかく授業を提供して下さったり、私の授業に対していろいろとご意見・ご感想を下さった同僚の皆さん、無礼なことを書いてごめんなさい。
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