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『なさぬ仲』
世は選挙でもちきり。私の話など聞いてはもらえますまい。でも書いておこうかなと思います。 練馬の関町ってところに住んでた頃でした。六畳と四畳半の二間。すごいぼろ家。ミカン箱とまでは行かないのですが粗末な机に原稿用紙を広げていたと思ってくださいな。... そんな私の日課は夕方になったら近くの銭湯へ子供を連れて行って夏は汗疹(あせも)の予防、冬は冷えた体を温めてやることでした。 洗い場でギャーギャー泣く子がいました。矢先、父親風の男が子供の頬をピシリ。湯船に引きこんで首までつからせます。ああ、いやな物を我が子に見せたなと思って横を向きました。男の子はまだビービー泣いています。 「おい、坊や。こんなの知ってるか」 と私は石けん箱に濡れ手ぬぐいをかぶせ突き出してやりました。男の子は首を振ります。その目の前で手ぬぐいに石けんをぬりこみ息を吹き込みます。と泡がブクブク。私の顔が隠れてしまいます。と、ケラケラと笑い声が上がりました。泣いていた男の子が笑ったのです。うちの子供達も笑いました。 「おじちゃんは手品師かい」 「難しい言葉を知ってるんだな」 「手品、大好きなんだ」 すっかりうちとけ子供同士で遊んでいました。 「よろしかったら一杯」と父親らしいのに誘われました。青梅街道沿いの寿司やに入ってビール。子供達はジュースでした。 「あれとはなさぬ仲でして」 と父親にボソリと言われたのです。瞬間、身が引き締まりました。私自身、血の通わぬ父親に育てられています。難しさはよく分かります。 「どうすれば良いですかね」と聞かれました。 「手品師になることですよ」と口から出任せを言いました。子供が興味を持っていることをともにしてやればというつもりだったのでしょうか。男はため息をついていました。 それから二人には会いませんでした。越していったのかなと思っていました。 上石神井の盆踊りに娘が行くと言って聞かないので連れて出た時のことでした。娘はすぐに踊りの輪の中に飛び込みました。踊りに合わせてついていきました。その輪の外に例の親子がいたのです。その夜は三人連れでした。父親が私を見つけました。しかし、私は目で制して挨拶をさせませんでした。男も頷きました。やがて男の子が、 「父ちゃん、踊っていいかな」と恥ずかしそうに言うのが聞こえました。 「ああ、行っておいで」と穏やかな男の声がしました。 これだけの話しなんです。もう上石神井には盆踊りのできる空き地は残っていないでしょうね。耳を澄ましますと娘の唄う「ちょいと東京音頭、よいよい」と言う声がまだ春になったばかりなのに聞こえてきそうなのです。 |
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