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『し残したこと』
以前住んでいた団地にテニスコートが一面ありました。私どもはこの一面のコートを取り合いで使いました。険悪な雰囲気になりました。で、テニスクラブを発足させクラブに入ればいつでもプレーができるように改善したのです。この時、会長のなり手はすぐに見つかりましたが、会計や書記などが決まりません。特に会計はいやがられました。仕方がない、誰もなり手がなければ私が引き受けるかと覚悟を決めました。
会員の中に得手勝手だと悪口をされてるSさん夫婦がおられました。団地に生活クラブ生協というのがありみんながお金を出し合いボランティアで経営していました。その生協に何の協力もせず良品はうけとり、妻は車の運転教習に明け暮れ、夫はほとんど団地活動に関知しない人でした。
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テニスクラブの会合にそのご主人が現れたのです。ずいぶん珍しいこともあるもんだと思いました。しかし、その日も会計と書記のなり手が決まりません。会計は私がやることにして書記を誰かにと思いながら、
「私の先祖は平家の落ち人でした。三重県の南島町と言うところに流れ着いて潮を焼いて生計を立てていました。彼らが残した記録を読ませてもらったことがあります。先祖はこうして生きてきたんだという記録でした。塩がどれだけとれたか、炭がどれだけ売れたかなどの地味な記述です。でも、私には誇らしい物でした。鎌倉、戦国、安土桃山、江戸と生きてきた先祖の記録です。いつの世に読まれるか分からない記述を代々、書いてきたのです。でも誰かが読むんです。テニスクラブの記述も皆さんのお子さんが大きくなって読むかも知れません。父や母が書いた物だと認めた時どんな気持ちになるでしょうか。きっと誇らしいと思うでしょう」 ととりとめもない話をしてしまいました。皆さんに反応はありませんでした。あきらめかかりました。会計も書記も両方やれば良いかと覚悟を決めた時です、 「馬場さん。書記は私がやりましょう」 と言ってくれたのが評判の悪いS夫婦のご主人でした。ありがたい、そう思いました。 半年たちました。Sさんはパッタリ姿を見せなくなりました。癌で入院中だ、との話が届きました。見舞いに病院へ行かせてくれとS夫人に頼みました。しかし、堅く辞退されました。癌は容貌を変えます。そのために会いたがらないという話を良く聞きます。それより書記を引き受けさせた自分が責められます。すまない。そんな気持ちで一杯でした。
葬式は団地の集会所で行われました。テニスコート葬にしたかったのですが2時間借り切って無人にすることにしました。心のこもった惜別の辞がテニスクラブ会長から述べられ一人一人がお別れをしました。幼い子供を二人残し、まだ若き妻を残して逝くのはどんなにか辛いことだろうかと涙があふれてなりませんでした。
四九日を過ぎた頃、奥様とばったり出会いました。そこで無理を言ったのが死期を早めたのではないかと言い頭を下げました。
「そのことですが。主人は生きていた証しをたくさん残そうとしたんです。それは馬場さんに言われてハッとしたと言ってました。何でも良い。残せる物は残そうと。主人が書いた物をいつか子供達に見せたいと思いますのでコピーを下さいね」 と涙ながらに言われたのです。 その時、車の運転についてはなされました。自分が居なくなった後の生活に困るだろうとご主人に執拗に言われて習得に通ったので、今の仕事に、子供の送り迎えに役立っていると言われたのです。心ない陰口に私も同調しかかっていたのを深く反省しました。人は余命を悟った時「し残したこと」を必死に達成しようとします。そんな折り、少しでもお手伝いしたいと今、強く思っております。 団地のコートです。懐かしい。写っているのは友人の吉村氏で私ではありません。彼が写真を送ってくれました。
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安易に人を判断したりしてはいけない、と反省させられました。
絶対、心ない陰口に同調せず、強い真っ直ぐな心を持たなければ、と思いました。
<生きていた証をたくさん残そうとした>、ハッとするような言葉です。
一輪の花に、清く、そして美しい朝露が宝物の様に光っているみたいです。
怠惰な普段の私の生活を見直させられたような氣分です。
2015/8/1(土) 午前 11:48 [ Coco Murasaki ]
人を色眼鏡で見ない。そう言い聞かせているのですが弱い私は今も揺さぶられます。最近ではその人物に会って話をしてからと思っております。
2015/8/4(火) 午前 7:28 [ 馬場信浩 ]