馬場信浩(龍造寺 信)のブログ

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     『二十五年ぶりの握手』

 私には聞けないことがありました。
 それは息子が失職した時の理由です。職場でいやなことがあったのだろうとは思っていました。長く浪人時代が続くと失職の原因となった事由はさらに聞けなくなりました。今は再就職し新しい職場で生き生きと働いています。しかし、あの退職は何だったのだろうかと謎は深まるばかりでした。

 日曜日の夜、ある講演会が終わって帰って来ると息子が漏らしました。...
「男は口が裂けても、言っちゃいけないことがあるよね。今日のように弁護士に止められていますから、というのはお笑いだよ」
 と言ったのです。と問わず語りに、
「七年前のことだけど。増産体制を敷く。そのプランを作れ、と嫌いなS上司に言われた。徹夜徹夜で3案作った。どれもが強行軍になる。でもやらなければならない。そこで鉄板を買っておこうとした」
 来たと思いました。やっと話す気になったのです。
「絶対秘密だ。外に漏らすな、とS上司に厳命された。もちろん漏らすもんか。でも翌日から異様な発注が続いた。それに気がついた生産部門の高橋さんが駆けつけてきた。
【増産か、そうだろう、えっ?】
 と聞かれた。高橋さんにすれば仕事がやりやすいように体制を敷こうとするよね。でも、社外に漏れてはならない。S上司は僕に厳しく、漏らすな、と命令してきた。言うか、そんなこと。高橋さんは良くしてくれた。でも知らん顔で通した。
 やがてGOのサインが出た。すっ飛んで高橋さんの所へ行った。
【ゴメン。言えなかった】と言った。
【裏切っているようで辛かった】って言った。高橋さんがじっと僕を見て、
【苦労掛けたな】って。そして肩をポンッと叩いてくれた。喉が焼けた。

 やがてリストラ。なぜかそのリストに有能な高橋さんが入っていた。衝突をしてたS上司の差し金だと思った。それで僕も高橋さんの後を追った。みんな止めてくれた。バカだと言われた。でも、こんな会社にいて幸せだろうか。何とでもなると思った。でも世間は甘くはなかった。後はお父さん知ってるよね」

 二年間、息子は失職していました。私たちの間がしっくりいかなくなったこともありました。一流の自動車企業を何で辞めてくるんだ、という腹立ちに似た思いもありました。あれから七年やっと口を開いたのです。
「手を出せ」と私は息子に言いました。小学校以来です。息子の手を握りしめました。二十五年ぶりの握手でした。男の背中を追って会社を辞めた息子を精一杯、褒めてやりたかったです。そして去って行った男の背中を思わずにはいられませんでした。
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     『四十年ぶりの集団的自衛権』

 今から十年ほど前。四十年ぶりの中学同窓会に行ったときのことです。とりわけ私に良くしてくれる友がおりました。理由がわからないのです。私の会費は彼が払い、ホテル代も負担してくれ、土産を買って帰れと小遣いまで手渡そうとするのです。どれも要らぬと辞退したのですが、あれもこれもみんな支払い済みでした。
「こんなにしてもらう理由がない」
 そう言ったとたんです。
「あるねん。黙って受けてくれや」...

 十九 歳の頃でした。京阪京橋駅の片隅で、その友は恐喝を受けていました。中学を出て働きに出た彼は家族のために懸命でした。そんな彼が、100円、200円とチンピラにむしられていたのです。たまりかねた彼はとうとう断ったのです。と、お決まりのリンチです。通りがかった私は放ってはおけませんでした。
「やめたれや」と入ったのですが相手は二人です。
「なんやねん」と矛先は私に。とっさに左を放っていました。のけぞるのを見て鼻ぱしらに右フック。うずくまる相手。もう一人はすでに逃走。
「はよせんか」と友をやってきた電車に乗せてトンズラこきました。京橋には週二回、ボクシングの練習に通っていたのです。プロボクサーへの夢は捨てられませんでした。でもこの日で夢は捨てました。ケンカをしたらアカンのです。

「あれから、俺、ダンプの運転手になってん。それまであった俺の劣等感が消えた。一段高い運転席から世間を見たら気持ちがエエねん。運送会社もこしらえた。仕事も上手いこと行った。落ち着いたら、お前のことが思い出されてきたんや。お前が助けてくれなんだら今日の俺はあらへん。勇気をもたなアカンと教えてくれた。お前に会って一言、言いたかった。でも、お前はキラキラしてるがな。もう見向きもしてくれへんやろ。会えるだけでええわ、そう思って今日を待ってたんや」
「なんも変わるかい。河内のヤンチャのまんまじゃ」
「ほんまか。うれしいなあ」
 故郷河内の夜は更けて、夜空には本物のキラキラ星が輝いていました。

 七月一日、集団的自衛権が閣議決定した、と聞いて古い話を思い出しました。こんなんが集団的自衛権の基本と違いますのん?

            臨時閣議に臨む安倍首相。右端は太田国交相(7月1日午後、首相官邸)
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『天よ! 何をする』

     『天よ! 何をする』

 戸嶋秀夫を召した天よ、今度は井沢義明を連れて行くのか。井沢を召すのなら俺が代わる。もうなんてことをしてくれるんだ。

 先ほど谷藤尚之さんから連絡をもらいました。まだ詳細は分かりませんがあの名フランカーが亡くなりました。
...
「俺だけ怒るんだよな。怖かったな」
 ニュージーランドのウエリントンへ向かうバスの中で井沢義明は、大西鐵之祐さんの背中を見つめながらつぶやきました。
「最も怖かった思い出は?」
「……ジャージーを試合前夜に大西監督から渡されます。灯を落とした部屋に呼ばれ死ぬ気がなければジャージー返せ、と言われたのです。怖かった。震え上がった」
 それはどの試合でのことですかと聞くのも忘れて呆然としていました。
 あのオールブラックスJrを破った試合の前夜だろうか。六対三で負けたイングランド戦でのことだろうか、ある早明戦でのことだろうか、とあまりのすごさに聞き忘れてしまったのです。

 いずれ聞こうと思って年月が経ってしまいました。今、強烈に後悔しています。なぜ、聞かなかったのだろうかって。そして思い直しています。きっと井沢さんは残しておいてくれたんだと。

 井沢さん、今度、そちらに伺った時、じっくりお話聞かせてください。長くは待たせません。 
 
                                                        突進する井沢   
                                                         
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     合掌!
馬場 信浩さんがリンクをシェアしました。
     『信じられない。彼が逝くなんて』


 ウェールズ戦の原稿を書き終えて読み返し、もうこれで良いかと思ったのですが、アッ、欠けている、と気がつきました。もう一人の選手がいたのです。それは戸嶋秀夫でした。彼はウェールズ最終戦の選に洩れたのです。その口惜しさはどうであったのか。もう、いてもたってもいられません。周りからの取材です。本人には内緒の隠し球にしました。これには理由があります。テストマッチに洩れた選手はその気持ちを率直に言いません。そして最終戦に15人を送り出すの...はどんな心境でしょう。多くの取材でその口惜しさは知っていました。それをどう書くか。

 戸嶋は一人一人に頑張ってくれと送り出していたのです。どんなに出たかったろうと思いました。戸嶋は泣いていたと思います。
 拙作「栄光のノーサイド」が出て数日後、秩父宮のスタンドで、
「馬場さんですね」
 と声がかかりました。振り向くと戸嶋秀夫君でした。彼は怒っているだろうと思いました。ところが、
「本、読みました。俺は書けません。でもあの通りです。俺は出られませんが、代わりに戦ってくれと祈って送り出しました。ありがとうございました」
 と言ったのです。私は思わず涙ぐみました。

 ウェールズははるかに遠くなりました。今残るのは秩父宮で固く握ってくれた戸嶋秀夫君の手のぬくもりだけです。

 さようなら、戸嶋秀夫。もう会えないね。先に逝くなよ。                                       合掌

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140629-00010001-rugbyrp-spo
         『帰りなん、いざフィールドへ!』

「もう1本、ラグビー物語を書いてください」
 エッ、何だって、と私の耳はウサギの耳のようになっていたと思います。
 日本ラグビーを率いるエディ・ジョーンズ監督にそう言われたからです。
 6月14日、「IRBパシフィック・ネーションズカップ(PNC)2014」日本対アメリカのラグビーテストマッチがロサンゼルスのSTUBHUB CENTERで行われました。結果は日本が37対29で競り勝ちました。強くなりました。強くしてくれたのはエディ監督です。

 記者会見が始まりました。なんと通路でです。しかも立ってです。こんな時、疲れている選手や監督は不愉快になるだろうなと思ってしまいます。しかし、選手達はさわやかでした。監督は厳しいながらもユーモアすら漂わせていました。強くなった証ですね。

 記者会見は終わりました。恐る恐るですが、
「旧いドラマにラグビー物語があるんですが……ごぞんじでしょうか」
 とエディ監督に切り出しました。すると監督の顔色が変わりました。
「知ってます。DVDを借りてきてみんな観ました。日本のラグビーがどう進展して来たかがわかりました」
 そう言って次に冒頭の言葉が飛び出したのです。ラグビー物語を1本書けです。まさかでした。うろたえました。喉が熱くなります。さらに、あのドラマから監督は日本人の精神構造を学んだとも。それらを知らされると私は完全にノックアウトされていました。
 
 去って行くエディ監督の後ろ姿を見送りながら、俺はあれから何をしてきたのだ、日本のために何をしてきたのだ、と問いかけていました。無為に時を過ごしたと後は激しい後悔にさいなまれ始めました。
『帰りなん、いざフィールドへ!』
 と叫ぶ心の声が私の胸中を圧してきていました。

 振り返ると灯りを落とした競技場が黒々とあり、空にはいくつかの星々。思わず、
「願わくは少年の情熱を与え給へ。さすれば一塊の仕事をして昇天いたそう故に」
 と星々に祈らずにはおられませんした。

              ほとんど泣きそうな私とエディ・ジョーンズ監督
 
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