馬場信浩(龍造寺 信)のブログ

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『青空マーケット』

    
『青空マーケット』 

 今日は朝から曇天。七時に家を出て近くの青空マーケットへ。知人達がちょっとした小物を売り出すのです。
 家にある小物を出す人。この日のためにせっせとキルトを作ったりする人。ちょいと商売気のある人は装飾品を仕入れてきたりするのです。等々ですが、たいした物は期待できません。でも、なぜか心が躍るのです。

 今、使ってはイケない言葉だと思いますが、故郷の枚方に「めくら市」というのがありました。夏に一晩、旧街道筋に立つのです。アセチレンの灯りで商い...をするので売られている品が良く見えない。翌朝、トンデモナイ我楽苦多(がらくた)だったと気がつく。そこからつけられた名称だと聞きます。現在は使えませんね。でも、今どんなマーケット名になっていても私にあるのは昔の名称です。夏になりますと、風鈴の音と軒下のヘチマの鈴なりとともに、ふと古市のアセチレンのニオイがよみがえってくるのです。

 さて、さすがにアセチレンはありませんでしたが、ガラクタはありました。おつきあいです。いくつか買ってみました。締めて7$。
「ハーイ、ババ。私の娘よ」
 と紹介されました。隣人タルバートさんのお嬢さんです。お母さんは白人です。お嬢さんは黒人。タルバートにどんな物語があったのだろう。どんな喜び、苦しみがあったのだろう。いろいろ想像が広がります。そんな自分の性惰が嫌いではありません。午前中、想像の中で過ごせました。気がついたら買った物をどこかに忘れてきていました。

                                         タルバートの娘さんと
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『神がくれたサイン』

     『神がくれたサイン』

 ニュージーランド、豪州の旅も終わりに近づきました。シドニー空港で少し時間が空きましたので数人の方々とコーヒーを楽しむことにしました。
 どの方々も伝説のある人達でドキドキのしっぱなしでした。長旅でしたので一人一人話をたっぷり聞かせてもらえました。「さあ、これで店じまい」と鉛筆とカメラを置きコーヒーカップに手をかけた時です。ショップの端から一人の男が近づいてきました。男の身なりはけっして裕福な物ではありません。がっしりとした体格をしていま...す。
「サカタか」
 と声がかかりました。ピリッと緊張感が走ります。デメと言われた坂田さんの目が大きく開かれます。
「そうだが」
「やっぱり」そう言って後ろの仲間に手を上げました。

 自分はニュージーランド人で漁師だ。これから日本に行って漁船に乗る。日本の会社に雇われるのだ。日本ではあちこちの港に寄る。サカタ、お前の住む町に停泊したら電話をかけても良いか。ここに名前と電話番号を書いてくれ。

 そんな話を一気にした男は紙を差し出すと、やや緊張した面持ちでじっと坂田好弘さんの顔をみつめました。坂田さんは、
「なんだそんなことか、お安いご用だ」
 とペンを紙に走らせました。男は坂田さんが書き終わるのを待って、サッと紙を取り上げ、空にかざしました。で、言った言葉が、
「I got !(もらった)」でした。
 空にかざしたのには訳があるのです。後ろにいる3人の仲間に見せているんです。それから男はこんな話をしだしました。
「俺はただの漁師だ。何にも良いことはなかった。でも一生懸命に生きてきた。家族を養うために海に出て働いている。そんな俺に今日は神が褒美をくれた。サカタだぜ。これサカタのサインだぜ」
 コーヒーを奢らせてくれと言うのを坂田さんは断って、逆に4人分のコーヒー代を持たせて席に帰らせました。4人が立ち上がって坂田さんに最敬礼していました。「坂田はニュージーランドの英雄である」とまざまざと見せてもらったコーヒータイムでした。

                                         坂田好弘、伝説のトライ
 
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『シドニー湾にて』

    『シドニー湾にて』
「星影のワルツ」を歌った後、オーストラリアに渡りました。シドニー湾をバスで巡回中のことでした。
「停めてください」
 そう言ってバスを停められたのは山口良治(当時伏見工ラグビー部監督)さんでした。予定していなかったのでバスの運転手さんは慌てていました。
 今から30年前、我々は大西鐵之祐(元ラグビー日本代表監督)さんを囲んでュージーランドと豪州にセンチメンタルジャーニーに出ていたのです。あの伝説のオールブラックスJrを破った人達とです。私は記録係を買ってでていました。

 バスが止まると山口さんは一人降りてラグビーポールの立つグラウンドへ向かわれました。やがてクラブハウスへ。何事かと思ううち山口さんは中に消えられました。ややあって、ドアが開くと、
「入って良いって。ここで休ませてもらいましょう」と招いてくれました。

 クラブハウスには日本代表のジャージーが飾られてありました。山口さんのジャージーもありました。ここで一戦あったのですね。
「これは私のジャージーだ」
 と山口さんが説明されるとビールを飲んでいた豪州人から大歓声が上がりました。

 私は懸命に写真を撮っていました。その時、報道班員と思ったのか一人のシドニー人が、
「この湾の一角に日本海軍艇が飛び込んできたんだよ」
 といきなり話題を振られました。また反日言動が始まるのかと思いました。ところが彼は、
「我々オーストラリア人はこの日本海軍軍人に多大な尊敬を払っている。君達はその後裔なんだ。今日、クラブに遊びに来て良かった。君達に会えた。ゆっくりして行ってくれ」
 と言われたのです。何の話か分かりませんでした。

 この話を団長の大西鐵之祐さんにしました。
「わしは陸軍なんで海軍のことは知らんのだ。しかし、海軍はこの地まで」
 と言われて瞑目されました。これが日本海軍の特殊潜航艇の話だというのは帰国してから知ることになります。有名な松尾敬宇大尉の話であったのです。何にも知らなかったボンクラ物書きの痛恨事でした。

         写真はシドニー湾 NETから貸りてきました
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 『星影のワルツ』

                           『星影のワルツ』 

 それは1983年5月の夜のことでした。
「別れることはつらいけーど しかたがないんだ君のため」
 と『星影のワルツ』の一節が流れました。主将尾崎真義が歌い出したのです。

 総勢30名近くの日本人がニュージーランド最後の夜をオークランドで迎えていました。日本人とは20数年前、1968年にニュージーランドへ遠征しオールブラックスJrを破った選手達とその家族、友人達でした。センチメンタル・ジャーニーに私もちゃっかり参加させてもらっていたのです。

 レストランの二階でお別れ会がもたれました。ニュージーランド学生ラグビー協会のジェフさんが来てくれました。ジェフさんは終始つきっきりで世話をしてくれた方です。
 ウエリントンを皮切りに各地を訪問していきますと、あの強かった日本がやってきたと行く先々で試合を申し込まれました。それをさばくのがジェフさんでした。ある試合会場に入りますとクラブハウスの窓ガラスが割られていました。どうしたのだと聞きますと、
「試合の申し込みが多数あった。一つに絞らなければならない。選にもれたチームの誰かが嫉んで窓を割った。凄い人気なのだ」
 とジェフさんは言ってウインクしました。

 試合は親善試合でしたから殺気だった物はありません。ですが、さすがに全日本です。接戦でも最後は山口良治さんのゴールキックで突き放すといった展開で日本は勝っていました。

 各地で大評判でした。ダニーデンでは地方予選の決勝があり見学に行きました。席に着きますといきなり「1968年オールブラックスJrを破った日本代表が会場に来ています」と紹介がありました。ラグビー場は全員起立で大きな拍手に包まれたのです。

 そんな思い出を一杯貯めていよいよサヨウナラです。お別れの最後に主将尾崎真義の挨拶です。それがいきなり歌になったのです。それは計算された物ではありませんでした。尾崎にはそれしかなかったのです。ジェフさん、ありがとうは言葉では足りなかったのです。尾崎は「星影のワルツ」を懸命に歌いました。別れの歌だと言うことが通訳されますとジェフさんの目が真っ赤になりました。僕達は一番しか歌詞を知りません。
 サヨウナラありがとうジェフさん、と気持ちをこめて歌いました。尾崎は泣いていました。ジェフさんもこらえていましたがとうとう大粒の涙をこぼしました。
 外は南十字星、別れにはワルツが似合いました。

            1968年ニュージーランド遠征組
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『寒シジミ』

       『寒シジミ』

 もう薄れかけているのですがいきなり思い出されてきました。
 それはシジミを売りに来た女の姿でした。当時住んでいた枚方のあばら家の軒先に腰掛けて休んでいるのです。疲れて髪はパサパサ。肌にも艶はありませんでした。そのうち家の土間に入り、
「シジミを買うてくれへんか」
 と母に言うようになりました。内職をしていた母には買う余裕はありません。で、断っていました。...
 やがて土間にある井戸に目をつけた女は使わせてくれと言い出しました。何をするのかと見ていますと取り立てのシジミに井戸水をたっぷりかけてやっているのです。
「カルキの入った水道水ではアカンのよ」と言っていました。

 その女と母はいつしか話し合うようになっていました。学校から帰ると時々、女が縁側に腰掛けているのを見かけました。二人で俳句の話をしていました。このおばさんがと意外でした。
 淀川の河畔を散歩中、おばさんのシジミをすくう姿を見ました。まだ寒い頃です。腰まで水につかりながらシジミ篭を引いているのです。一掬いいくらも入っていないのです。「冷たないか」と声をかけました。おばさんは無言でした。

 それからしばらくして母にシジミ汁が食べたいと言ったことがありました。ふとおばさんを思い出したのです。母は何も言いませんでした。ざる一杯五円だったのですが買えなかったのです。ところがです。夜にはシジミ汁が出たのです。
「どうしたん。買えんと言うてたやん」
「軒に一篭置いてあった」とだけ母は言いました。「食べや」と紙がそえてあったそうです。紙の裏に「寒シジミ 身を切る水の 底深く」とも。

 やがておばさんの姿が枚方から消えました。朝鮮動乱が始まったのです。噂ではおばさんは淀川の河床から金属をすくい上げ売るようになったのだそうです。シジミより儲かったのです。
「羽振りがようなってな。私らを見ても声もかけんわ」
 と母は言いました。僕はその日からおばさんのことを忘れようと思いました。シジミを洗いながら俳句をひねっているおばさんでいてもらいたかったのですね。

                                    シジミすくい(写真は本文とは関係がありません)
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