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『描き方雑感』
夜中目覚めますと悶々とするときがあります。映画【UNBROKEN】がオスカーを軒並み外しましたね。その報道に接して以来、眠りが浅くなったようです。ホッとしてよく眠れるはずなのに。起きてはずっと考えてしまいます。で、ふとこんなことに思い当たりました。
古い話で申し訳ないのですが「ローズ」という映画がありました。伝説のロック歌手ジャニス・ジョプリンの生涯を描いた物語です。麻薬に溺れながら独特の声で人気を得た伝説の歌手です。主演はベット・ミドラー。歌の上手い女優さんでした。その中に次のようなシーンがあります。
映画『ローズ』でのベット・ミドラーです。
27歳、絶頂期のジャニス・ジョプリンが高校の同窓会に出席するため生まれ故郷のテキサス州ポートアーサーに戻ってきます。その時、彼女は成功して誰知らぬ者のない人気者になっています。懐かしい地元のコーヒー・ショップに寄って自分のアルバムにサインをしたりしていますと、
「ねえ、ねえ、あれジャニス・ジョプリンじゃない?」 と高校生がひそひそ話。ジャニスもちょっと嬉しくなり、店の主人に、 「おじさん、私を憶えてる? ここのアップルケーキが好きで良く食べに来たわ」 と声をかけます。当然、「憶えてるとも、アンタは我が町の誇りだよ」くらいの言葉が返ってくると思ったジャニスに、 「知らないね。アンタ誰だっけ」 という答えが返ります。わざと言ってるのです。瞬間、ジャニスの顔色が変わります。それから錯乱したかのように四文字言葉を連発して店を去ります。後には残ったアルバムにジャニスのサインを見つけた高校生が嬌声を発して群がるという描き方。 故郷で冷たいあしらいを受けたジャニスがどんなに傷ついたか。観る者の心をわしづかみにして鋭くえぐってきます。暴力で傷ついたのではなく、たった一言が人間の尊厳や誇りを打ち砕いたのです。 映画【UNBROKEN】がオスカーから落とされたのはこれだと思いました。理由は色々に語られています。私はこの映画を「許しや癒やし」などではなく、踏みにじられた尊厳からの回復物語として描けばアメリカ人の共感が得られたのではないかと思いました。いかに主人公を竹刀で殴ろうが、拳で殴り飛ばそうが、そんな暴力で観る者を納得させることはできません。Miyabiの演ずる看守兵がジャック・オコネル演ずるザンペリーニを徹底して虐めますが、主人公に何故か感情移入できないのです。痛いだろうな、辛いだろうなとは思います。しかし、それだけです。何故、私の肺腑をえぐらないのか。理由は、人間の尊厳を破壊するセリフや演技がなかったからなのです。そんなシーンを作ろうと思えばいくらでも作れる映画だったのにです。
今、ホッとしています。人間の尊厳をギリギリと傷つける描写がいくつかあったらアメリカ人がどのような反日気運を起こしたか。それを想像しますとゾーッとします。正直、才能のない監督で良かったと胸をなで下ろしています。今日は古い映画の紹介です。もう映画【UNBROKEN】は忘れます。 |
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『DAUGHTERS OF THE DRAGON』by William Andrews
またぞろ出てきましたよ。映画「UNBROKEN」の反響がたいしたこと無いと分かった途端、小説『DAUGHTERS OF THE DRAGON』で攻勢をかけてきました。慰安婦小説です。一笑に付してやるつもりですが、小説これが厄介なんです。こんなことを言うと韓国人蔑視だヘイトだと言われかねないのですが、韓国人は本を読みません。しかし、本になった出版物には弱いのです。さすが両班の国です出版物は権威があるのですね。
2001年頃だったと思います。日韓翻訳掲示板(エンコリ)上であるストーリーが取り上げられ韓国人と大論争になったことがありました。
終戦なった日本で、巣鴨に捕らえられた戦犯を救うためYoshikoなる日本女性がマッカーサーの愛人となって取り入ろうとする。しかし、Yoshikoの露骨な接近がバレて公開銃殺されると言う話でした。これを持ってハンドルネーム「Dymxin」という韓国人が勇躍参戦してきたのです。最初、根拠が小説だとは分かりませんでした。さんざ振り回されたのです。資料はお前らが探せ! 資料は国会図書館に眠っている。これ一辺倒です。
私はマッカーサーの愛人と言う言葉から、ある人物を思い出しました。戦後、日本にサンフランシスコ・シールズ軍を呼んで空前の野球ブームを起こした男です。キャピー原田、日系二世でマッカーサーの腹心だった男です。当時まだ生存中でした。彼の所に駆けつけました。私の話を聞くなり、
「マッカーサー元帥に日本人の愛人はいない。その男は元帥のワイフを知らないのだ。厳妻そのものだった。元帥も奥方に満足されていた。それは小説だよ。Yoshikoとは川島芳子のことだろう」とケロリと言ってのけました。 そう聞いてカッとなりました。日本・韓国との時差があったのですがすぐに「Dymxin」を呼び出し、 「元帥には愛人はいなかった。愛人説の根拠を示せ。でないとお前を朝鮮人の大嘘つき野郎と言いふらすぞ」とやりました。 しばらくして「Dymxin」から反応がありました。それでもぐずぐず資料の提出を渋ります。それどころかマッカーサーの腹心の名を晒せと反撃してきます。またお前とその日系二世との関係は? と執拗でした。きちんと出してやりました。さあ、今度はこっちの番です。 「原資料を出せ」と迫ります。午後になってやっと「東京の黄昏」とかいう小説だと白状しました。「お前はフィクションで論争してきてたのか」とNET上にあざけりの笑いが広がりました。韓国側の参戦者も散りました。私は彼の面目を丸つぶしにしたのです。それから恨まれましたが論争に私が登場するとおとなしくなりました。 韓国側はついにフィクションで慰安婦問題を戦おうとしてきました。もう策が無いのです。私はこの小説を読んでいません。理由は事実をして語らせる戦いだから必要が無いと思っています。しかし、こんな幼稚な作戦が意外と有効かも知れません。気をつけます |
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映画【UNBROKEN】を観てきました
どうしようかなと思案をしてたのですが、風邪が治ったので観に行ってきました。観客は私を入れて六名でした。興行的にコケてます。
さて内容ですが、なんにも心配は要らんと言うことです。反日映画と言うけれどこれくらいの日本兵が虐待するシーンは過去にもあったように思います。ただ無意味に執拗な暴力シーンがアンジェリーナ・ジョリー監督の性癖なのでしょうか。人肉の話しはありませんでした。 映画自体は撮影の技術が高く映像的に面白く見せます。脚本に高名な作家を選んでいるのですがドラマは半煮え。展開が読めてしまい、結局、何を映画は訴えているのか分からなくなってしまいました。長い暴虐に耐えてアメリカに帰り着いた英雄ということだけなのです。観客も戸惑っていました。
映画は観終えたときに感動がないと意味がありません。それがないのです。肩すかし。つまりドラマが構築されていないのですね。最後は「戦場にかける橋」の早川雪洲のようにアレック・ギネスに屈するシーンと同じ作りです。あちこちにパクリがあります。観てのお楽しみです。
Miyabiと言うのですか奇妙な俳優さん。陰湿でサディスティックな感じは良く出ていました。ハリウッドから再びオファーが来るのではないでしょうか。 観終えて出てきたご婦人方に声をかけました。
「どんな感じでしたか?」 「良い映画よ。観るのは辛いけど」 「日本が嫌いになりませんでしたか」 「なんで? あなたのお国でしょう」 「僕が日本人だって分かりますか?」 「そりゃ分かるわ。こんな映画を観に来る東洋人はいないわよ」 と言われてしまいました。これで反日映画とは言ないのではと言う感じを持ちました。これくらいの映画、笑って観てやりましょうよ。 |
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『鹿笛の聞こえる夜』
「上手くいったら家族で一緒に暮らせるねん」
と言うので両親について行きました。冷たいみぞれの降る晩でした。下の妹を母と父がかわりばんこに負ぶって私と妹が手をつないで後を追います。腹が減ります。父と母が何を考えているか分かります。親戚の家に夕食時にたどり着いて夕飯をいただく。そして借金を申し込むのです。
「村で蔵を見つけた。そこに住むのに七百円要るねん。貸してくれへんか」 と一軒目の親戚で父が切り出しました。けんもほろろに断られて追い出されました。二軒目は母方の親戚でした。そこも無言で迎えられ放り出されると伯母の声が聞こえました。 「子供を連れて来たら借りられると思たんかいな」
これは私の肺腑をえぐりました。妹たちに聞かせたくなかったです。暗くなった道を駅に向かって歩きます。住んでる小屋に戻っても食べる物はありません。父と母はどうするのだろうかと思ってました。 戦争で夫を亡くした母、大阪爆撃で妻を亡くした父。そんな二人が親戚中から猛反対されながら再婚したのです。私もこの義父がいやでいやでしかたありませんでした。意地っぱりの母が実家を飛び出し着た切り雀のような男と女が所帯を持つ。しかも子供が三人。絶望的な出発でした。
薄暗い枚方市駅前にたどり着きました。空腹はピークでした。下の妹は三歳です。わけもなく泣き出します。風も出てきました。屋台の支那ソバ屋の前を通ります。醤油の出汁の匂いがします。もう情けなくて。その時、
「おい、久保とちゃうんけ」 と暖簾の向こうから声がかかりました。久保とは父の姓です。 「オッ、遠山」 と父が応じます。父が遠山と呼んだ男は戦闘帽をかぶっていました。後に知りますが屋台の主は父の戦友だったのです。父の目に不思議な色合いが浮かびます。助かったというのとみすぼらしい姿を見られたという戸惑いです。 「食べていけ」と戦友の遠山さんは言いました。 「いや、けっこうや」 と父は強がりを言います。その見栄に腹が立ちました。とたんに私の腹がグーッと鳴ったのです。 それから私たちは鳴門とシナチクだけのソバを汁まですすりました。 その後、父は大阪アベノ周辺で支那ソバの屋台を引いて商売をするようになりました。一度だけ母とその姿を見たことがありました。下手なチャルメラを吹いて遠ざかる父を思い出すたびに瞼が濡れてきます。
写真は私の後輩岡田桂子さんからいただきました。冷たい奈良の歩道を鹿の家族が歩いて行きます。どこへ行くんでしょうね。鹿たちには食事を知らせる鹿笛が聞こえているのでしょうか。無事に寝床へつけよと声をかけたくなりました。
奈良へ行かれたら「おちゃのこ」という店に寄って「鹿はどうなりましたか」とお尋ねくださいませんか。「おちゃのこ」は私の後輩が経営しているカフェです。 |

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『見ていてくれたか』
寄りに寄ってこんな時期に訪日したのかとは思います。
解散するかもとの報を聞いたのはロスから羽田へ向かう機中ででした。これで政治家とは誰とも会えなくなると危機感を持ちました。 早朝、羽田を出た私は一路。九州に向かいました。そこでの懇親会に出席するためでした。この懇親会は楽しく終了しました。しかし、東京へ電話を入れると慌ただしい政局に我々の報告と今後の方針を告げることができませんでした。
七日後、全ての日程を終えた私は訪日は無駄であったかと失意のまま荷造りをしていました。はて、忘れものはないかと考え、ハッとなりました。イカンッ。忘れるところでした。市ヶ谷のホテルから急ぎ九段へ。
靖国神社は参拝をされる方々で賑わっていました。参拝を日程の最後にしたことと忘れかけていたことわびました。神社内には秋鳥の啼く声がこだましていました。その声は父や伯父の声かと耳をそばだてました。
靖国から帰るとロビーで御茶を飲んでいました。トロッと眠りに誘われました。どれだけ眠りに落ちていたか分かりません。誰かが呼ぶ声がします。目を開けました。まさかです。今回帰国の目玉、某議員の秘書が立っていてくれました。
「どうかなさいましたか」と思わず聞きます。 「お帰りになる前にお話しを伺おうとやってきました」 もう後は夢中でしゃべりまくりました。すでにメールで知らせてあるのですが一年間の活動報告です。そして今後の支援を依頼しました。 選挙は水物、どうなるや分かりませんが、私なりの活動をやっていこうと思ったものです。そして糸を切らずにつなげてくれたのはさっきお参りした英霊たちのお計らいかと去って行く秘書殿の向こうにある靖国神社に深く頭を下げていました。 十一月十八日の靖国神社です
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