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『マコさんの思い出』
マコさん。ミラクル・ムーンての観ましたか? 月を見ていると何故か急にマコさんが思い出されてきました。でアルバムを整理してたらやっと出てきましたよ。
下の写真は僕が取材に訪れたサンタモニカの東郷昌子邸での一コマです。その頃のマコさんは綽々としてましたね。 なんたって面白かったのはキャンディス・バーゲンをダスティン・ホフマンと奪りあった話しでしたよ。もう良いでしょう、バラすの許してね。... 「この野郎」ってスタジオ中を追いかけ回したって。 またリトル東京の寿司屋でまだ売れないマコさんをバカにした日本人に、 「待ってろ!」 と捨て台詞を残して撮影用のマシンガンを借り、店にとって返した話しがありましたね。いずれも発表できませんでした。お詫びします。 映画「砲艦サンパブロ」を観たのは池袋の文芸座だと思う、と言ったら、
「あの場末で」 と笑われました。そうまだ池袋は場末感一杯だったもの。封切館で映画を観るなんてなかった私はとても恥ずかしく思ったものでした。 インタビューに息子を同席させています。15歳で渡米したマコさんが英語を習得し俳優として伸びて行く姿を見せたかったのです。表向きはマコさんから英語が飛び出したら通訳しろと言ってました。しかし、英語は飛び出しませんでした。
何故マコさんを思い出したかです。亡くなられた齢が72歳、私はミラクルムーンのその日、72歳にお別れをして73歳に突入したからです。
サンタモニカでお目にかかって以来、何度か会えるチャンスがあったのですが何かが邪魔して実現しませんでした。無理して突撃すれば良かったと後悔しています。 マコさんの生きられなかった73歳を元気に迎えましたよ。そして少しでも日米のために尽力して生きて行きますからね。見守ってよね。 マコさん、インタビュー
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『ミラクルムーン』
ラスベガスで迎えた満月の話しです。
もうずいぶん昔のことになるのですが、グランドキャニオンへ出かけた時のことです。小型遊覧機に乗って壮大な峡谷の景観を楽しもうということでした。一行は10人。飛び立った飛行機は15機です。飛行機に酔う人が続出しました。パイロットはベテランで低空に降りていきます。崖すれすれを飛んでくれます。歓声の連続でした。景観を満喫していよいよ着地という段取りになって雲行きがおかしくなりました。飛行機の編隊がグルグル旋回をくり返しているのです。パイロットがなにやら交信しています。彼が客席を振り返りました。私に指を曲げてこっちに来いと言ってます。 「仲間か?」... 「みんな日本人だが知らないのもいる」 「通訳してくれ。先頭機がエンジン不調で着陸態勢に入れない。様子を見るからもう少し旋回する。10分ほどだ」 「先に降りられないのか」 「僚機を残してか。そんなことができるか?」 冗談じゃないよ。傷ついた戦闘機は母艦に着艦させないのが海軍の決まりだぜ。妙なヤンキー魂だな、と思いながらマイクを握り、 「えーっ。この飛行機はしばらく旋回します。愛する者の幸せを願って祈れ。隣の夫や妻の手を握れ」 とやりました。とたんにキャーと悲鳴です。薬が効きすぎました。 「心配するな。死ぬなら俺も一緒だ。今までこの上空では一機も落ちていない。気流は安定してる。辺りを見てみろ砂漠だらけだ。滑走路は一杯ある」 とやりました。俺も一緒だなんてショッテますよね。新婚旅行の二人連れもいます。不倫らしいカップルも、老夫婦もいました。ホッとしています。 「おい、着陸だ。エンジンがなおったようだ」 とパイロットから声がかかりました。 「さあ、着陸だ。助かったぞ」 と思わず叫びました。正直、私は青ざめていたんです。無事着陸しましたがみんな声がありません。
「なんだこれしき。みんな日本人じゃないか。胸張って降りようぜ」 機中酔いしたのを担いで降りました。足が地上に着いてそのままへたれそうになりました。 休憩に当てられたレストランに旅行社の案内人が居て、
「帰りの便がエンジンの不調で数機欠航になりました。バスを用意しております」 と告げられましたが誰も不満を言う者はいませんでした。一息ついたところで、 「ところでここの飛行機は落ちないのですか」 と私の案内していた3人組の一人が聞きました。と案内人が、 「いえ、ちょくちょく落ちていますよ。.気流が悪いんです」 とさらりと言ってのけたのです。サッと冷たい視線が私に飛んできました。嘘がバレたのです。私は素早く帰りのバスに乗り込みました。後部座席でバーボンをがぶ飲みして眠ってしまいました。 ホテルに着いてみんなを敬遠しておりましたが、老夫婦が近づいて来て、
「ちょっといいかね」と声をかけられました。緊張しました。 「私どもはもう人生の仕事を終えているのでここで亡くなってもどうってことはない。咄嗟に覚悟をした。だが、あなたはまだ若い。ご家族もおありだろうに、あの胆力には参った」 とつくづく感心したように言われました。聞けば某ラジオ局の社長さんでした。アメリカにゴルフ場を建設したいので視察にきているとのことでした。観念しました。 「あれは口から出任せの嘘で何とか落ち着かせようとしたのです。ジョークが通りませんでした」 と素直にわびました。と、 「気に入った。東京へ戻ったら訪ねてこんかね」 と言ってもらえました。その時、 「ラスベガスで満月が見られるなんて」 と奥方が外をご覧になられました。妙に赤く見える月でした。 東京でこの老人に会うとまだ焼ける前のホテル・ニュージャパンの「寿司六」へ連れて行かれました。肴をつまみながら、
「もう一度、ベガスの赤い月を見たいもんだ」 と言われて閉口したものです。 グランドキャニオンの景観
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『現代版朝鮮幽囚記』
産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長が、朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を毀損した情報通信網法違反の罪で在宅起訴との報道に接して私はとっさにヘンドリック・ハメルの【朝鮮幽囚記】を思い出しました。
日韓翻訳掲示板エンジョイジャパン華やかなりしころ朝鮮人との論争で朝鮮人資質について話題にするに格好の書物でした。論争だけでなく朝鮮人を学ぶに大いに参考になったものでした。一読をお奨めいたします。
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【1653年7月、交易船「デ・スペルウェール」(De Sperwer) 号に乗船して日本へ向かう途上、朝鮮半島南部沿岸の「ケルパールツ島」(済州島)で破船した。乗組員64人のうち、ハメルを含む36人が生き残った。(ウィキペディヤ)】
生き残った36人が朝鮮で被った過酷な仕打ちは日本でなら決して起きなかったものです。船が目指す日本ではなく鎖国状態の李氏朝鮮に漂着したことで起きた悲劇です。ヘンドリックスが小舟を盗んで朝鮮を脱出に成功するには13年の歳月を要しました。この間のことは【朝鮮幽囚記】を読んでもらいたいのですが、朝鮮人は人質をとったらそう簡単には返さないのです。これは今も昔も変わりません。
加藤前支局長は幽囚こそされないでしょうが、自由な行き来を制限されるでしょうし、これからいかなる咎を課せられるか分かりません。加藤記者の不安は計り知れないものがありましょう。まさかは起きないと思いますがこと韓国に関しては分かりません。まさかがまさかになる国です。李ラインで拿捕された日本人漁船員への韓国官憲の暴行、拷問、長期拘留などを思い出しますと慄然とします。日本人には何をしても良いと思っている国民です。現に超大型台風の日本上陸を喜ぶ人達です。
一刻も早く加藤前支局長を奪還しなければなりません。そのためには国交断絶を視野に入れ、この暴挙を世界中に広めて世界世論を喚起しなければなりません。そしてソウルに居る加藤達也産経支局長にガンバレと声援を送りましょう。
時間は無限ではありません。急げ日本政府。ガンバレ、加藤さん!
【朝鮮幽囚記】
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『現代の刷還使』を切望す!
その昔、秀吉麾下の軍勢が朝鮮半島を攻めた時、連れてきた朝鮮の捕虜がおりました。その捕虜を徳川家康に還せと朝鮮が言ってきたことがありました。それこそ日本に強制連行された人達です。中には使役のためだけに連れてこられた人達もいたでしょう。しかし、大半は腕に技術を持った人達です。有名なのは陶工と儒家です。陶工の名は九州、中国地方に今なお残しています。
第一回目の刷還使(回答兼刷還使)がやってきたのは慶長12年(1607年)でありました。どっと約三千人が帰国したのです。そして二度目の刷還使がやってきた時は、帰国者数が激減します。遂に三度目で刷還使は中断されてしまったのです。捕虜が帰りたがらないのです。理由は帰国しても優遇されないのが分かったからです。特に儒家は冷遇されました。敵国に仕えた儒家など相手にしてもらえなかったのです。
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朝鮮陶工は別格です。長州藩では朝鮮陶工を士分として遇しました。薪を求めて放浪する必要をなくすため薪山をあてがいなどして優遇したのです。これは白丁(奴隷)の身分であった陶工にとって驚くべき厚遇でありました。誰が帰りたいと思うでしょうか。
刷還使達は「日本残留の朝鮮人は日本大名に脅されているか、あるいは甘言でつられているかだ」と本国に報告しています。しかし、実体は、もう子供達は朝鮮語を忘れ、日本での生活に慣れている。これから本国に帰っても苦労するだけだ、というのが圧倒的理由だったのです。中には朝鮮に帰ったものの差別に耐えきれず、再び日本に入国した者もいたと言います。この話は400年もの昔の話しです。 どうでしょう韓国政府さん、「現代の刷還使」を差し向けて強制で連れてこられたという在日の方々の帰国を促していただけませんでしょうか。400年前と違い、国力を増し日本など屁のカッパになり差別のなくなった韓国なら喜んでお帰りになると思うのですがいかがでしょうか。
親しく日本人と鶏の取り合いをして親善を深められる朝鮮通信使
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『ネガティブ・キャンペーン』
相手陣営を悪く言うのはあまり好きではありません。しかし、政治の世界ではあたりまえなんだそうです。相手をあしざまに言って引きずり下ろす。我が町での選挙にこれだけは起きて欲しくないと思っておりました。
ところがやってくれました。どこの誰とも知れない男がSharon Quirk-Silvaさんへのネガキャンを開始したのです。誰の意向を受けてるのかは明々白々です。いやな奴らだなと思っていますとSharon陣営からも出されました。もうお相子です。そのYoung Kimを告発する文書の中に注目すべき事柄がソース付きで発表されました。いずれも確とした証拠を出しています。
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それによりますとYoung Kimが州議会に属している間に3万ドルの費用を使って韓国、モンゴル、ロシア、香港、日本に行っているのです。
「キムは贅沢に慣れきってしまった。3万ドル以上を外国での宴会に使った」 と言うのです。州議会にとってこれらの国に行くということは何を意味しているのでしょうか。また誰と一緒に行ったのでしょうか。これ以上は私も朴槿恵さんに叱られるかも知れませんので書きませんが、資料はまだ出していないがあるんだぞと読めます。これは否定できない証拠で予想外にKimには効くかも知れません。 以前、ブエナパークの韓国系市長ミラー・オーも有罪になり追放されました。韓国人のダーティなイメージはアメリカ人社会に広がっています。
韓国人がやるディスカウント・ジャパン運動は必死です。しかし、我々日本人は何もせずともこうして韓国人はこけて行ってくれるのです。韓国人は己の手で己をディスカウントしているのです。 ありがたい事です。 さあ、ビラ配りに行ってきますかね。 上がKimから来たブラックレターで下のがSharonさんの反撃レターです
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