馬場信浩(龍造寺 信)のブログ

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藍染めの女

   藍染めの女

 昭和の中頃、「セ・パリ」というレストランが東京麻布にあった。 一軒家を借り切ってレストランにしたものであった。 絨毯、シャンデリア、カーテンとどれも一級品を使いゴージャスな雰囲気を醸し出していた。 二階は居間になっていて普段は経営者夫婦が住んでいた。
  経営者の川田が一週間、ヨーロッパを視察してくると言うので店が休みになった。 その間、水回りや諸設備の点検をするということであった。
  点検業者がやってくるので管理を任されたのが私である。 もう一つ役目があった。 それは川田のワイフのことである。 片時も離れず留守中の行動を見張れというのである。 その間の寝泊まりは一階のレストランでするのである。 実の良いアルバイトだった。
  ワイフの名は幸田あやか。 芸名だとピンと来る人は私と同世代だ。 ミス東京から東宝。 主演作は一本。 才能がないと自ら引退し、川田と一緒になった。 川田は強引だった。 幸田あやか、若き実業家と結婚と週刊誌を賑わせた。 この川田と私は18の時から一緒だった。 腐れ縁である。
  泊まり込んだ晩はあやかは解放感で興奮していた。 夫が旅立った。 一人になった。 そんな気分だったのだろう。
  夕食は二人で銀座の仏料理店「フルル」でとった。 それから赤坂の「ボンジュール」で飲んだ。 夜更けて帰り着くとさすがに眠く上下に分かれた。
  翌日からは二人で買い物をして昼食や夕食の用意をした。 コーヒーや紅茶も買った。 コーヒーはマンデリン。 紅茶は台湾の鶴岡紅茶、これが好き、などと丸でママゴトだった。 でも、おもしろかった。 だが、はしゃぐあやかが、なんとも痛ましかった。
 「ババちゃん。 知ってんでしょう。 川田が誰とヨーロッパに行ったか」
  とあやかは知っていた。 名前を言ったが図星だった。 私は知らないと言い通した。
  三日目になるとすることがなくなった。 トランプ占いをした。 これは7カードの変形で私が編み出した占いだった。 よく当たると言われた。 出てくるカードででたらめを語るのだが説得力があると言われた。
  あやかの顔色が変わり始めた。 私の言葉が何かを言い当てたのだ。
 「やめた」とカードを置こうとした。
 「ダメ。 続けて」と厳しい声で言って続けさせた。
 「誰かほかに男が現れると待っている」と言って終わった。 あやかはしずみこんだ。 そして、
 「ババちゃんの彼女の話をして」
  と言った。
  その頃、私は大阪の貧しい女と幼い恋愛をしていた。 未来があるのだろうかと不安だった。
 「でも愛してるんでしょう」
  私は黙っていた。
 「なんで黙っているの?」
 「自信がないんだよ」
 「自信か。 私も自信はないわ」とあやかは言った。 しばらく黙っていたが、急に、
 「踊ろうか」とあやかは言った。
 「ダメ。 踊れない」
 「まさか。 役者の修業をしてるんでしょう」
  してる。 でも踊りは苦手だ。 あやかは好きな音楽をかけて私を立たせた。
  踊りながらあやかは私に「唄って」と言った。 歌も唄いたくなかった。 声楽のレッスンが金欠で続けられなかったのだ。 映画「慕情」の主題歌が流れた。 これは唄いたくなかった。 あやかはこれよ唄って、と促した。 耳元で唄った。
  その夜、あやかは何度も泣いた。 あやかは私の体をとらえて離さなかった。 私に罪悪感はなかった。 どこかで雷が鳴っていた。
                            当時の赤坂
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 レストラン「セ・パリ」から火が出て川田と愛人の女が焼け死んだのはそれから二年後のことだった。 あやかが火を放ったのではないかと世間は噂した。 しこたま保険金が降りたから出た噂だろう。
  その頃、私はすでに所帯を持って苦労していた。 そこへあやかが訪ねてきた。 そして女を見ると小さくうなずいて「これお祝い」と100万円を置いて外へ飛び出した。 おいかけて行った。 歩きながら返そうとした。
 「とっとけよ。 恥かかせんな」とすごい剣幕で怒鳴りつけてきた。 そして
「馬鹿。 待てなかったのか」
  とタクシーを拾うと「東京駅までやって」と消えた。
  それから小説で賞をもらうまで私は七年かかった。 すでに二人の子持ちになっていた。 生活は楽にならなかったが、受賞を機にテレビの司会の仕事も舞い込んだ。 そんな忙しい日々、徐々に潤いが枯れて行った。 心が殺伐としてくるのであった。
  テレビの番組で「藍を訪ねて」という企画があがった。 日本全国で藍染めをやっている職人を訪ねる企画番組だった。 私は漫然と受けた。 その第一回が「伊豆に染む」だった。
  伊豆急行にのって修善寺で降りる。 そこから車で山間に入る。 金剛寺まで行く。 民家が点々とある。 その一軒が「伊豆に染む」の主人公藤井浩也だった。 藤井の年齢は、もう五〇に近かった。 かなりやせさらばえている。 眼光だけが鋭かった。 癌かなと思った。
  なるほど仕事は匠だけあってすばらしい藍を染めていた。 カメラがそれらをとらえる。 インタビューして行く。 伊豆の風景を挟む。 この繰り返しだった。
  その時だ。 カメラは一人の女人をとらえた。 アッと私は思わず声に出しそうになった。
  藍を染めている女は、間違いなくあやかだったからだ。 見とれた。 あれから何年の月日が立つのか。 雷の鳴る中で泣いた女だ。 今も形の良い乳房が私の瞼に明滅する。 そして100万円を投げ、私を罵倒して去った女だ。 しかし、あの100万円は助かった。 小説への足がかりをつかんだ。
 「待てなかったの」と言った声が耳によみがえった。
  あやかが歩いてきた。 挨拶を交わそうとした時、あやかは藤井浩也の手をとった。
 「縁側にお座りなってごらんになっておられれば良いのに」
 「そうも行くまい。 こうして遠くからおいでなのだからせめてもの」
  と藤井は言った。
  あやかは一度も私を見なかった。 ひょっとして他人のそら似かなと思った。 しかし、藤井が、
 「あやか、お茶を入れてさしあげなさい」
と言った。 間違いなくあやかだった。
  私だけコーヒーが入っていた。 懐かしい香りがした。 それはママゴトをした時に買ったマンデリンコーヒーの香りだった。 きっとまろやかな舌触りだろうと思った。 ゆっくり飲んだ。
  撮影は終わった。 藤井は「取材を受けて大満足だ」と言った。 妙に頑固な職人風をよそおうよりよほど素直で好感が持てた。
  伊豆を降りると、一枚絵はがきを買って「マンデリン、美味かった」と書き、投函した。
  番組は五週続いた。 それぞれに立派な藍染めだった。 番組は終わった。 藍を染めてた人のことも忘れ始めた。
 「あなた、伊豆の藤井浩也さんから小包よ」と家内が郵便物を持ってきた。 開けてみた。 藍染めの手ぬぐいだった。 四本あった。
 「縁起が悪いわね。 四本だって」
  私は黙っていた。 あやかは家族四人だと言うことを知っているのだ。
 「お礼の電話をしなくちゃ」
  と家内が言った。
 「いいよ。 番組の制作から連絡させるから。 司会者は出ない方が良い」
  と私は訳の分からないことを言っていた。
  あれから三〇数年が立つ。 今も、あの山中で藍染めが続けられているのだろうか。 誰かご存じの方がおられればそっと教えてくれませんか。
 
    終わり
                        紅葉の美しい修善寺
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