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【peachboy復活】 加納信暉大佐の菩提寺を求めて 安倍総理の「NETでの中傷をやめろ」で忘れかけていた火が灯り ました。peachboyは翻訳掲示板でのハンドル名です。改めてのカミングアウトです。
下の写真をどこかで見たという方は居られませんでしょうか。 加納信暉大佐。第二十七騎兵連隊隊長です。 かつてNETで韓国人と激しく冷静にやりあって韓国の誇り「朝鮮独立運動の血史」朴殷植著がいかに捏造書かを論破したのです。ですが、この中に書かれている「青山里の戦」で加納信暉大佐、以下が戦死しているというのです。記録ではその戦の後も大佐は軍務についていたことが証明されているのです。 が...、私がうっかり菩提寺を見つければ死亡年月が墓石に刻まれているだろと口走ったのです。 「では、その墓を探して写真を上げろ」と韓国側に言われてしまいました。それからの数年、菩提寺を求めて歩く旅が続きました。結局、見つけることができませんでした。作家としての一番大事な時を棒に振りました。(こんなことをくり返しています) 加納大佐の菩提寺を求めての旅を再開したいのです。 略歴を下に書いておきます。 加納信暉大佐(旧姓吉田信暉)は大正九年間島省(旧満州)に出兵し朝鮮独立軍と戦う。その時、日本側の戦死者千二百名と韓国側の資料(朝鮮独立運動の血史)にあります。しかも連隊長の加納大佐も戦死とあります。日本側の資料「間島出兵史」には戦死十一名とありますが、加納大佐は戦死していません。 福岡士族、加納信暉大佐(旧姓吉田)。明治九年陸士騎兵科卒。 間島出兵時、第二十七騎兵隊連隊長。 お力拝借です。 皆様の村の寺にこの写真が飾ってないでしょうか。あるいは中等学校の戦前の教官として記録されていないでしょうか。見た覚えがあるという方、おられないでしょうか。 菩提寺が発見できれば「朝鮮独立運動の血史」朴殷植著に決定打を与えることができるのですが。 |
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2013年05月09日
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