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田崎潤さんの想い出
懸賞小説への応募が最終候補として残るようになってきた頃の話です。映画スターの田崎潤さんは芝居がはねると僕と飲みに行くのを楽しみにしていてくれました。
「じゃまにならず。気がつく。今に世に出る」 と連れ歩いてくれたのです。朝日座千秋楽の前の晩、芝居の評判がよく、上機嫌で道頓堀行きつけのバーに入りました。水割りを数杯飲んだ頃でしょうか、 「馬場、お前なんか出て行け。二度と俺の前へ姿を現すな」 といわれたんです。何が起きたのか分かりません。そのままホテルに帰ってしまわれました。後に残った僕をママさんは慰めてくれました。 「ママ、僕に何か落ち度が」 と聞きますが、首をふられるだけ。あまりの理不尽さに涙が吹き上がります。小説が候補になったからといって食べていけるわけではありません。来月から芝居に出ないと収入が途絶えるわけです。必死でアルバイト探しに入ります。それとクソッ、負けてたまるか、田崎の親父さんをギャフンといわせる小説を書いてやる。そう決意した私は懸命に小説を書きました。それでも厚い壁は突破できず、数年は俳優をあきらめる始末でした。やがて、その壁を小説「くすぶりの龍」で突破します。 勇躍して田崎さんに会いに行きました。ところがです。会ってくれないのです。楽屋へ訪ねて行くと受付でストップ、撮影所へ行きますと雲隠れ。相当、怒っているのだなと思いました。やがて受賞をきっかけにテレビの司会の仕事が飛び込んできました。新宿コマ劇場で御用提灯もって「御用だ。御用だ」と走りまくっていた私にスポットライトが浴びせられたのです。それも全国放送です。 早速、田崎さんに出演交渉をお願いしました。ところがこれも拒否です。あんなに可愛がってくれた師匠なのに。靴だって、セーターだって。背広だってみんな買ってくれたじゃないか。それを何だ。今度はおいらが恩返しをする番だ。そう思っているのに。やがて「スクール☆ウォーズ」の製作開始です。最後の恩返しです。大映に頼んで校長の役で出演交渉に入ってもらったのです。これも拒否です。何を!となりますよ。それからの僕は田崎潤、何するものぞ、ともうけんか腰でした。
やがて大変なニュースが流れてきました。田崎潤、肺ガンで入院のニュースです。病状が悪化しているとの報が届きます。築地の病院へかけつけました。そこに見たのは田崎潤さんではない田崎潤さんでした。毛が抜け落ち、体が小さくなり、弱っているのが分かります。思わず胸がふさがれてきます。ところが開口一番「驚いてやがるな。もう死ぬと思ってやがるな」といわれたんです。
「いえ、そんなこと思ってません。早く、よくなられてまた飲みに連れて行ってください」 「そうだな、お前と飲むのが一番だった」 やっと師匠の言葉が戻った。と思った瞬間、ドクターストップでした。最後の言葉と今までの仕打ちは何であったのか。分からないまま亡くなられてしまいました。 久しぶりに道頓堀のバーを訪ねました。色んな人に世話になったままです。その店も出世払いでした。半分でも払おうと入ったのです。飲むうちに愚痴になります。
「毎晩、きてくれはったなあ」とママさんがいいます。 「あんなん師匠かい。剣突ばっかりで」と愚痴ります。とうとう、酔った勢いで「田崎の馬鹿やろー」と怒鳴りました。と、その時、ママさんが、 「あんた、まだわからへんのん」 というなりバチーンと手が頬にとんできました。 「何しなはんねん」 「いうたる。田崎さんは、あいつと飲んでいたらあいつを作家にできひん。今夜限り近づけん。あいつのためや、いうて千秋楽の晩、ここで泣きはったんや。電話して呼びましょか、というとアカン、あれが一人前になるまで鬼になるて」 「ええ。それをなんでいうてくれへんかってん」 と絶句しました。後は号泣でした。 「よっしゃ、今夜は飲んだる。朝まで飲みあかしや」 道頓堀を飲み干すくらい飲んでママと一緒に眠りました。えっ、その後、ママとどうなったかて。後は想像にまかせます。そのママも田崎さんのところへ逝かれました。今頃、むこうで楽しく飲んでおられるでしょう。 みなさん、古い映画をテレビでごらんになって田崎潤が出てきたら、馬場信浩との間にこんな話があったと思い出してやってください。
ありし日の田崎潤さん。代表作「下郎の首」出演時
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2014年03月13日
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