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『鹿笛の聞こえる夜』
「上手くいったら家族で一緒に暮らせるねん」
と言うので両親について行きました。冷たいみぞれの降る晩でした。下の妹を母と父がかわりばんこに負ぶって私と妹が手をつないで後を追います。腹が減ります。父と母が何を考えているか分かります。親戚の家に夕食時にたどり着いて夕飯をいただく。そして借金を申し込むのです。
「村で蔵を見つけた。そこに住むのに七百円要るねん。貸してくれへんか」 と一軒目の親戚で父が切り出しました。けんもほろろに断られて追い出されました。二軒目は母方の親戚でした。そこも無言で迎えられ放り出されると伯母の声が聞こえました。 「子供を連れて来たら借りられると思たんかいな」
これは私の肺腑をえぐりました。妹たちに聞かせたくなかったです。暗くなった道を駅に向かって歩きます。住んでる小屋に戻っても食べる物はありません。父と母はどうするのだろうかと思ってました。 戦争で夫を亡くした母、大阪爆撃で妻を亡くした父。そんな二人が親戚中から猛反対されながら再婚したのです。私もこの義父がいやでいやでしかたありませんでした。意地っぱりの母が実家を飛び出し着た切り雀のような男と女が所帯を持つ。しかも子供が三人。絶望的な出発でした。
薄暗い枚方市駅前にたどり着きました。空腹はピークでした。下の妹は三歳です。わけもなく泣き出します。風も出てきました。屋台の支那ソバ屋の前を通ります。醤油の出汁の匂いがします。もう情けなくて。その時、
「おい、久保とちゃうんけ」 と暖簾の向こうから声がかかりました。久保とは父の姓です。 「オッ、遠山」 と父が応じます。父が遠山と呼んだ男は戦闘帽をかぶっていました。後に知りますが屋台の主は父の戦友だったのです。父の目に不思議な色合いが浮かびます。助かったというのとみすぼらしい姿を見られたという戸惑いです。 「食べていけ」と戦友の遠山さんは言いました。 「いや、けっこうや」 と父は強がりを言います。その見栄に腹が立ちました。とたんに私の腹がグーッと鳴ったのです。 それから私たちは鳴門とシナチクだけのソバを汁まですすりました。 その後、父は大阪アベノ周辺で支那ソバの屋台を引いて商売をするようになりました。一度だけ母とその姿を見たことがありました。下手なチャルメラを吹いて遠ざかる父を思い出すたびに瞼が濡れてきます。
写真は私の後輩岡田桂子さんからいただきました。冷たい奈良の歩道を鹿の家族が歩いて行きます。どこへ行くんでしょうね。鹿たちには食事を知らせる鹿笛が聞こえているのでしょうか。無事に寝床へつけよと声をかけたくなりました。
奈良へ行かれたら「おちゃのこ」という店に寄って「鹿はどうなりましたか」とお尋ねくださいませんか。「おちゃのこ」は私の後輩が経営しているカフェです。 |

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