|
『春風はまだかや』
ワーッ、寒かった。17日の朝4時に羽田到着。始発まで羽田にとめおかれました。しかし、私は燃えていました。明日はいよいよ朝日新聞を訴えるのです。訴状提出、そして記者会見と続くであろう時間を考えることにしました。
元来、私は温和な性格であります。(嘘つけ、という声が聞こえますが)争いごとは好きではありません。しかし、日本国民であればこぞって訴えるべきであると考えておりました。だってだまし続けて三二年間ですよ。それを誤報表目だけで済まそうとする朝日新聞の態度は我々国民にとって許せるものではありません。
熱血漢は、日本男児は、まだまだいるのだと実感する展開を味わいました。訴訟の団長を勤めてくれる徳永信一弁護士を始め、支援の学者、弁護士の多くがほとばしるような愛国大和心に満ちていました。
思えば2013年7月9日、グレンデール市の一介の老政治家にお説教をくらい、木槌で叩かれた私憤からの出発でした。が、これはグレンデールで戦った八〇名の同志の憤りでもあります。やらねばなりません。
ここまでこぎ着けることができましたのは、ひとえに皆様のお力添えがあったことだと感謝しております。その証拠に参集をお願いしたわけではないのに東京滞在中、FBFの来訪が引きも切らずにありました。失礼した皆様も多く、すまなく思っております。
ひとみを上げよ、です。温和でほん力のない小生の一徹です。貫きます。
記者会見場でです。左のイケメンは原告団長徳永信一弁護士です。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
『バーベキュー大会』
「何やってる。しっかりボールを取れ」
とラグビーの練習で怒鳴ったことがありました。ラグビーでボールを前に落とすことをノックオンといいます。これは味方にとってガッカリする失策です。敵ボールになってしまうからです。 ある少年にそれが頻繁におきました。ついにたまりかねた私は少年の拳をつかみました。少年は堅く握って指を開きません。「明けろ」と無理やり開かせました。アッ、そこに見たのはひび割れ、血の付着した手のひらでした。皮膚が引きつってまっすぐ指が開けないのです。 「お前」 私は思わず少年の手を握りました。肌がかさかさです。これではボールがすべっただろう。それだけではなくボールを受けるのが痛かったろう。取れないのは当たり前だ。そんな子になんと心ない言葉を吐いたのかと自分を殴りつけたかったです。 「すまんかった」 「ううん」 この子の手はアトピー性皮膚炎だったのです。原因は食生活にあると見た私は、
「さあ、バーベキュー大会をやるぞ」と子供達に声をかけました。 「おにぎりも作る。家から、お米をワンカップ持ってきてくれ」 とやりました。それには主将ヒデの母親から待ったがかかりました。 「馬場さん。持ち寄りの米では美味しいおにぎりは作れません。私が買ってきます」と申し出てくれたのです。さあ、それからです。男親達は炭の買い出しからドラム缶の横割り(バーベキューの炭釜造り)とみんな総出でバーベキュー大会の準備をしてくれました。主将宅の座敷にはおにぎりが数百個並びました。 花火大会、肝試しと楽しい夜が更けていきました。 「みんな親の助けがなければできなかった。特にお前の母ちゃんの助けがなくてはな」
2月20日、私はその当時の主将ヒデにいいました。すると、 「やっと突然のバーベキュー大会の意味が分かりました」 とうなずきました。ヒデこと酒井秀和はレストラン「ひゃくいちや」のシェフになっていました。 2015年2月18日は私の朝日新聞訴訟の訴状提出日、
「母ちゃんの命日だから、その日、母ちゃんはカントクと一緒に行ってると思う」 とヒデは連絡を寄越しました。私は泣きました。 この話を原告団にしますとみんな粛然となりました。俺一人の戦いじゃないんだ。多くの仲間と一緒に戦うんだとそう決意しました。みなさん応援よろしくね。
「ひゃくいちや」のシェフ酒井秀和です。ごひいきに。
|

- >
- 芸術と人文
- >
- 文学
- >
- ノンフィクション、エッセイ
全1ページ
[1]


