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『高学歴のアホ』
高学歴のアホと低学歴の賢人。最近そんなことを思っていたところでした。そこへ民主党の某議員が、国会で拉致被害者の兄というのが書いた本を引っさげて質問を開始しました。これ、アホの極み、です。人の書いた本を鵜呑みにするほどアホはありませんよ。アカンで私の書いた小説を信じたら。
アメリカでも人の本を引っさげて登場し、オカマちゃんに「恥をしりなさいよ」と4度も叩きつけられた御仁がおられます。「尻なさいよ」ではありませんよ。「知りなさいよ」です。二人とも目もくらむような高学歴です。 思い出すことがあります。私は大阪の北郊枚方という町に生まれました。昭和25年(1950年)小学四年生の時でした。古うっ、って言いなさんな。
日本列島を台風ジェーンが襲ったのです。その時、全市民に高台へ避難せよ、という避難勧告が出ました。出したのは当時の市長寺嶋宗一郎氏です。
「タンスの中身を二階へ。それが終わったら女は小学校へ。信浩、ついてこい。堤防決壊がほんまかどうか見に行くぞ」 とおばんの命令です。行きました。淀川はいつもとは様相を変えていました。もう堤防の真下まで轟々と濁流が押し寄せてきていました。国道には米軍のジープが並んで水面を監視しています。 「何しとるか」 と私達二人に叱責が飛びました。見ると長靴を履いた初老の男です。 「切れるかどうか見に来た」と我が祖母。 「おうっ、宿屋のおばんやな。来るな死ぬぞ」 男はそう叫ぶや私達を追い立てました。 逃げた先は山の上にある枚方小学校の教室です。もう避難してきた人達で一杯でした。そこで難題ができました。夜中に妹が高熱を出したのです。雨に濡れたのがいけなかったのでしょうか、熱が引きません。途方にくれました。その時、
「病人はおらんか」というメガホンの声を聞いたようでした。耳を澄ましました。確かに聞こえるのです。私は教室を飛び出しました。メガホンの男を私は捕まえました。驚きました。堤防で会った男です。 「妹が熱を出してるねん」 「背たろうて連れてこい。保健室や、分かるなあ」 「うん」 後から母に聞いたのですが、惜しげもなくペニシリンを射ってくれたと言うのです。祖母は私に言いました。 「堤防で会うたのも保健室へ呼んでくれたのも市長や。ゆめゆめ、この恩を忘れたらアカン。名前をよう覚えとけよ」と。 忘れることはできません。しかし、ありがとうと礼を言うのは「俺が世に出てからや」と思っているうちに市長寺嶋宗一郎氏は昭和44年77歳で世を去ってしまわれました。私、29歳の時です。その頃、何をしていたことやら。 この市長は小学校しか出ていません。日本労農党の出ながらサヨク的な言動に走らず中庸を貫いてくれました。この人物を思い出す度に「高学歴のアホ」を思うのです。
誰か寺嶋市長のご遺族をご存じないでしょうか。おられたら一言お礼を言いたいのですが。 |
日記
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【ちょっと息抜きを】
と言っても悲劇なんです。ロスの詐欺話です。色んな詐欺が横行しますが、まず身分詐称です。宮家につながる家系、これが多いです。つぎに学歴詐称。東大出が多いのもロスです。いずれも調べられなかった時代の名残です。今はインターネットの時代。調べる気になれば瞬時に分かります。
ある詐欺師の話です。詐欺をする数々を目撃し、知らずにつきあっていた経験から一編の物語が書けそうなのです。しかし、書く前にいかがわしい人物を見抜けなかった自分の不明を恥じなければなりません。
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私に某県の高校野球ロス訪問を取り仕切る仕事が持ち込まれました。
「自分は引退したい。これからの仕事をすべて譲りたい」 と持ちかけられたのです。この仕事は労多くして何とやらなのを知っています。しかし高校スポーツには興味があり日米親善のためになるならばとその気になったのです。荒唐無稽な話ではなく県の国際親善課も連絡を寄越しました。 「Aさんに代わってやっていただけるなら大歓迎です」 と言ってきたのです。「スクール☆ウォーズ」の威光がまだ生きていた時代だったのですね。国際課の物言い(大歓迎)に、エッ?、とならなかった自分を今は責めています。甘いです。で、話は順調に進みました。ところが突如A氏の態度が豹変したのです。 「お前は俺の仕事を横取りする気か」と言ってきたのです。ええっ?です。 「引退したいとおっしゃってたじゃないですか」 「言ってない。勘違いだ。高校野球は俺の生き甲斐だ」 「分かりました。私の本業は原稿用紙に向かうことです。お別れしましょう」 「そうだよ。それが良いんだよ。身の程を知らなければ」 とお説教をくらいました。 実はその頃、県の国際課は野球だけではなくバスケット、ソフトボールなどの交流にも輪を広げ、県の特産物をアメリカに売ろうとしていたのです。こうなりますと高校野球どころの騒ぎではなくなります。数百万円の仕事から数千万円、あるいは億単位の仕事になる可能性があります。この話がA氏に漏れたのです。A氏の目の色が変わったのもうなずけます。県の国際課から、
「エッ、おやめになるのですか」と電話です。 「首を切られました」 「ええっ、無二の親友だと言ってましたが、違うんですか?」 ここで正体がばれました。 その後、日本アニメ大会で「風の谷のナウシカ」を借りてきてやるとの大ボラこいてこけました。その時、わずか数百ドルの小切手詐欺事件を起こし、ロスを逃亡しました。今は生死のほども分かりません。
今、ロスの詐欺師はパイの小さくなった日系社会では棲息ができず目を日本に向けています。あらゆる巧妙な手をつかって東京に訴えています。同情を買うような話にはのらないでいただきたいのです。
某町のモールです。空き部屋ばかりでガラガラ。米景気回復? 駐車場にはぺんぺん草。一時前までは賑わっていたんですがね。これでは詐欺師が横行するわけです。
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『し残したこと』
以前住んでいた団地にテニスコートが一面ありました。私どもはこの一面のコートを取り合いで使いました。険悪な雰囲気になりました。で、テニスクラブを発足させクラブに入ればいつでもプレーができるように改善したのです。この時、会長のなり手はすぐに見つかりましたが、会計や書記などが決まりません。特に会計はいやがられました。仕方がない、誰もなり手がなければ私が引き受けるかと覚悟を決めました。
会員の中に得手勝手だと悪口をされてるSさん夫婦がおられました。団地に生活クラブ生協というのがありみんながお金を出し合いボランティアで経営していました。その生協に何の協力もせず良品はうけとり、妻は車の運転教習に明け暮れ、夫はほとんど団地活動に関知しない人でした。
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テニスクラブの会合にそのご主人が現れたのです。ずいぶん珍しいこともあるもんだと思いました。しかし、その日も会計と書記のなり手が決まりません。会計は私がやることにして書記を誰かにと思いながら、
「私の先祖は平家の落ち人でした。三重県の南島町と言うところに流れ着いて潮を焼いて生計を立てていました。彼らが残した記録を読ませてもらったことがあります。先祖はこうして生きてきたんだという記録でした。塩がどれだけとれたか、炭がどれだけ売れたかなどの地味な記述です。でも、私には誇らしい物でした。鎌倉、戦国、安土桃山、江戸と生きてきた先祖の記録です。いつの世に読まれるか分からない記述を代々、書いてきたのです。でも誰かが読むんです。テニスクラブの記述も皆さんのお子さんが大きくなって読むかも知れません。父や母が書いた物だと認めた時どんな気持ちになるでしょうか。きっと誇らしいと思うでしょう」 ととりとめもない話をしてしまいました。皆さんに反応はありませんでした。あきらめかかりました。会計も書記も両方やれば良いかと覚悟を決めた時です、 「馬場さん。書記は私がやりましょう」 と言ってくれたのが評判の悪いS夫婦のご主人でした。ありがたい、そう思いました。 半年たちました。Sさんはパッタリ姿を見せなくなりました。癌で入院中だ、との話が届きました。見舞いに病院へ行かせてくれとS夫人に頼みました。しかし、堅く辞退されました。癌は容貌を変えます。そのために会いたがらないという話を良く聞きます。それより書記を引き受けさせた自分が責められます。すまない。そんな気持ちで一杯でした。
葬式は団地の集会所で行われました。テニスコート葬にしたかったのですが2時間借り切って無人にすることにしました。心のこもった惜別の辞がテニスクラブ会長から述べられ一人一人がお別れをしました。幼い子供を二人残し、まだ若き妻を残して逝くのはどんなにか辛いことだろうかと涙があふれてなりませんでした。
四九日を過ぎた頃、奥様とばったり出会いました。そこで無理を言ったのが死期を早めたのではないかと言い頭を下げました。
「そのことですが。主人は生きていた証しをたくさん残そうとしたんです。それは馬場さんに言われてハッとしたと言ってました。何でも良い。残せる物は残そうと。主人が書いた物をいつか子供達に見せたいと思いますのでコピーを下さいね」 と涙ながらに言われたのです。 その時、車の運転についてはなされました。自分が居なくなった後の生活に困るだろうとご主人に執拗に言われて習得に通ったので、今の仕事に、子供の送り迎えに役立っていると言われたのです。心ない陰口に私も同調しかかっていたのを深く反省しました。人は余命を悟った時「し残したこと」を必死に達成しようとします。そんな折り、少しでもお手伝いしたいと今、強く思っております。 団地のコートです。懐かしい。写っているのは友人の吉村氏で私ではありません。彼が写真を送ってくれました。
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『甘いで甘いで、ヒヤコイで』
本格的な夏がやってきました。こちらも長くぐずついていたのですが、青い夏空が広がりました。メキシコ人の氷売りが出る季節です。氷売りを探しながら歩いてみたのですが、今日は違う場所に出店を構えたのか見当たりませんでした。
私には重度の障碍をもつ五つ年下の従弟がいました。名前は正広、みんなはマー君と呼んでいました。私は父が戦争に行く前に生まれてます。マー君は叔父が戦争が終わってから復員して生まれてます。叔父の喜びは大変だったと聞いています。しかし、マー君は立ち上がることも言葉を発することもできませんでした。アアー、ウーと言うことで意思を叔母に伝えていました。
いつかこの障碍は治る物と私は思っていました。しかし、脳性小児麻痺は治る物ではありません。体中を縛り付けるような麻痺は年々悪化しているように思えました。
そんなマー君の慰めになったのは私の学校の行き帰りにかける言葉だったそうです。おはよう、行ってくるよ。ただ今、帰ったよ。だけだったのですが、私の声が聞こえるとアアー、ウオーと声がしました。時々、叔母が私を呼び止め、コッペパンをごちそうしてくれたりしました。そんな時には学校でこんなことがあった、こんなことをしてきた、とマー君に話をしました。ケンカをした時には息を詰めて聞いてくれています。そして勝ったと話しますと声をあげて喜んでくれるのです。負けたと言いますと硬直した体をいっそう固め唇をへの字に結んで涙を浮かべてくれました。 そうそう夏の話でしたね。
小学六年の夏休み、アイスキャンデーを従兄の英一さんと売りに出たのです。アルバイトです。大きな自転車を後ろから押す役です。またチリンチリンと鈴を鳴らすのも私の役目です。淀川の堤防を釣り人の姿を求めて売り歩くのです。いくらも売れません。その時に、
『甘いで甘いで、ヒヤコイで』と売り歩くのですが、この声が出ないのです。売れなくて帰りますと叔母が待っていて必ずマー君と叔母ちゃんの分、と言って二本買ってくれました。その時に、「おおきに」と大声で言って鈴をチリンチリンとと鳴らすのです。マー君は大喜びです。そこでもう一つ、『甘いで甘いで、ヒヤコイで』とやってみました。マー君は私の声を聞くと体をばたつかせ興奮状態になりました。 「ノブちゃん、もう一度やってやってんか」と叔母。 叔母さんが泣いてます。その前で何度もやりました。翌日、『甘いで甘いで、ヒヤコイで』は難なく口から出ました。マー君、上手いやろ、と叫びそうでした。完売した日はそっと二本のアイスキャンデーを仕入れてもって帰り、 『甘いで甘いで、ヒヤコイで』と鈴をチリンチリンと鳴らしました。 大学を東京にとると言いに行った時、マー君は横を向いたままでした。顔を見ないのです。どうしても首を曲げてしまう。
「夏には帰るから」と告げたのですが、二度とチリンチリンを聞かせることはありませんでした。15歳の大台をマー君は越えられませんでした。腸が弱り、衰弱死のようだったと言います。 今も苦しい時に、先が見えなくなった時に、『甘いで甘いで、ヒヤコイで』、とつぶやきます。と、どこからかチリンチリンと鈴の音が聞こえてくるのです。 写真はNETから借りました。私ではありません。
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【これはアカンやろ】
久しく出てこなかった話題ですが、盗作問題です。盗作にも色々あってシチュエーションを借りるもの。セリフだけいただくもの。まるごと写して人物名だけ換える幼稚なものまで千差万別です。一時、アメリカの売れない作家の小説を翻訳して日本語にする奴が居るというのを知って注目していたところ一人引っかかりました。これらは新人賞レベルです。しばらく新人文学賞のアラ読みを担当したことがあったのです。その時の経験からです。今はデータベースが充実してきましたから瞬時で見破られるかも知れません。
ところで韓国の申(シン)京淑(ギョンスク)と言えば国を代表する女流作家と言うじゃありませんか。読んだことはありませんが。これは新人賞応募などとはレベルが違います。ここまでパクリ体質が韓国人社会では一般化しているのか、というのは真面目な論調。もっと言ってみれば韓国そのものじゃないか、パクリは珍しくも何ともない。日本のテレビドラマのパクリ、バラエティのパクリに始まって、ありとあらゆるパクリをやってのけます。アメリカで小さな発明展を開くと翌年には韓国で...商品化されているという話も聞きます。
数年前ですが、こちらで七輪BBQをやるのが流行りました。炭火BBQです。これに注目した韓国人Son氏が私に七輪を買いたいと言ってきました。探しますとマルカイ店にありました。いくつあるかと聞いてくるので直接、店に行って聞けばと答えますとマルカイにある七輪を全部買ってきました。それからです。
「石川県にある七輪製造業者から輸入したい。アメリカで販売したいのだ」 と言ってきました。私が紹介状を書きました。私の問い合わせには反応があり、石川県の製造業者も乗り気でした。ところが代表者がSon氏だと分かったとたんメールも電話も反応がなくなったのです。私には理由が想像できました。 後に真相を知ります。石川県の製造業者は韓国に七輪を輸出したことがあったのです。韓国の業者は七輪を解体して構造を調べ粗悪品を作って売っていました。Son氏と韓国名を晒したとたんシャットアウトはそれが理由でした。親日韓国人Son氏に今も真相を告げることができないでいます。 これから韓国人作家というだけでアウトになるか疑惑の目でみられます。真面目な韓国人作家には気の毒なことです。日本も大きなことは言えません。パクリ体質は日本の放送局にもありますよ。オイラの小説をパクった某放送局、オイラは監視の目を緩めてないぞ。ここは笑ってください。
写真は作家の申(シン)京淑(ギョンスク)女史
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