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日記
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【決意】
今日(2013年5月13日)、一人の後輩の死をFB仲間が知らせてくれました。
24才下の後輩となれば面識もありません。しかし、47、8の働き盛りまだ子育ても終わってないだろうにと思うと、なんでわしの命を先にとらんのかと思います。 どうか安らかに眠っておくれよ。 ガンに怯えてPSAの血液検査を受けたのが先週の金曜日、今日結果が知らされてきました。PSA値1.1。癌検査は5年に一度でイイでしょう、と言われました。5年後、生きてるだろうか、とふと思う。
気弱になったのでは死んだ後輩の分も生きないと申し訳ない。よし、生きて検査を受けてやるか。こうなったら生きて生きて生き切って先に逝った者の仇討ちをしてやる。 みなさん、そう決意しました。
老いのみにむち打って小説を書きますのでよろしくね。 以上をフェイスブックに打ち込みました。以下はそれに対する熱いコメントです。
■ ■ ■
.秋山 俊太 何を仰いますやら、老いんてとんでもない。いつもかくしゃくとしていらっしゃる馬場さん。その筆にも のを言わせてください!
Naoko Morimoto よかったですね。生きて生きて行きましょう。
下垣 真希 早くに亡くなった後輩の方のご冥福を祈ります。胸が痛みます。
けれど生きている私たち、進藤兼人監督の言葉にもある通り、「生きている限り、生き抜く」という思い を強く持ち、生かされることに感謝して日々を精一杯生きたいものです。 馬場 信浩 秋山さん。後輩の命もらいます。生まれかわります。何をしていたんだろう。
馬場 信浩 Naokoさん。削らなくて良かった。
馬場 信浩 下垣さん。何をしていたのか、と膝を叩いています。もう脇目もふらさずやります。
秋山 俊太 馬場さんの筆を楽しみにしているのは、私だけではないと思います。これからも是非、お願いします。
下垣 真希 亡くなる人たちは生きている私たちに、「がんばって一生懸命生きろよ」というメッセージを残してくれ ているのですね。
山形 仁明 馬場先輩>私PSAの測定を指示する立場の人間でした。先輩のお年でPSA1.1はかなり低いです。 念のため5年後も受けた方が良いと思いますが、多分大丈夫でしょう。
馬場 信浩 山形さん。ガンになど討ち取られてたまるか、と立ち上がります。
安藤 恵一 陰ながらひっそりと応援させて頂きます。
鮫島 弘充 「一病息災」とか「憎まれっ子世に憚る」なんて申しますから、私は3病(高血圧・痛風・金欠病)息災 で後30年は大丈夫みたいです ^@^
星 充 馬場先生、頑張ってください。故北島先生は95歳まで生きぬかれました。故北島先生は、まだ天国か ら馬場先生を必要とはされていないでしょう。明大ラグビー部の大学日本一を見届けてから来いと言 われているような気がします。
Kusakabe Noriko 子供を持って、成人させるまでが一つの戦いですね
知力体力精神力の9割を子供に持っていかれる気がします その大きな山をすでに乗り越えられている馬場先輩は
それだけでも、尊敬なのに、まだまだ筆で戦われると 私は、この大きな山を無事超えられるかと
途方に暮れながら生活していますが 何とか思い返して、よく生き延びたと思えるように 日々修行精進したいと思います 自分が動くのは簡単ですが人を動かすのは 本当に難しいと痛感する今日この頃でございます・・・ 堀川 英一 馬場さんらしくないです。
ラガーマンは、一生闘志あるラガーマンです。 馬場 信浩 みなさん、ありがとう。ただ今、午前4時半。起きました。これから原稿に向かいます。頑張ります。
忘れていました。早く逝った後輩に合掌です。やすらかにお眠り下さい。 ■ ■ ■
母校の後輩は!
たった今、知らせてくれた話しです。昨日、亡くなった後輩は我が母校のラグビー部マネージャーだったと。そして闘病生活中、FBを楽しみにしていたとか。これは私がラグビー小説を書こうと決意したのと符号するのでしょうか。 次の小説アップは「弔い合戦だ」と書きましたが、まさにその覚悟でかかります。 まっとれよ、我が後輩よ! わしももうすぐそっちや。
この絵はさきほど逝った後輩が学んだ高校です。私の出身高です。
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【peachboy復活】 加納信暉大佐の菩提寺を求めて 安倍総理の「NETでの中傷をやめろ」で忘れかけていた火が灯り ました。peachboyは翻訳掲示板でのハンドル名です。改めてのカミングアウトです。
下の写真をどこかで見たという方は居られませんでしょうか。 加納信暉大佐。第二十七騎兵連隊隊長です。 かつてNETで韓国人と激しく冷静にやりあって韓国の誇り「朝鮮独立運動の血史」朴殷植著がいかに捏造書かを論破したのです。ですが、この中に書かれている「青山里の戦」で加納信暉大佐、以下が戦死しているというのです。記録ではその戦の後も大佐は軍務についていたことが証明されているのです。 が...、私がうっかり菩提寺を見つければ死亡年月が墓石に刻まれているだろと口走ったのです。 「では、その墓を探して写真を上げろ」と韓国側に言われてしまいました。それからの数年、菩提寺を求めて歩く旅が続きました。結局、見つけることができませんでした。作家としての一番大事な時を棒に振りました。(こんなことをくり返しています) 加納大佐の菩提寺を求めての旅を再開したいのです。 略歴を下に書いておきます。 加納信暉大佐(旧姓吉田信暉)は大正九年間島省(旧満州)に出兵し朝鮮独立軍と戦う。その時、日本側の戦死者千二百名と韓国側の資料(朝鮮独立運動の血史)にあります。しかも連隊長の加納大佐も戦死とあります。日本側の資料「間島出兵史」には戦死十一名とありますが、加納大佐は戦死していません。 福岡士族、加納信暉大佐(旧姓吉田)。明治九年陸士騎兵科卒。 間島出兵時、第二十七騎兵隊連隊長。 お力拝借です。 皆様の村の寺にこの写真が飾ってないでしょうか。あるいは中等学校の戦前の教官として記録されていないでしょうか。見た覚えがあるという方、おられないでしょうか。 菩提寺が発見できれば「朝鮮独立運動の血史」朴殷植著に決定打を与えることができるのですが。 |




