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『穴あき靴下』
恩師の家を訪ねたときのことです。玄関先で「上がれ」と言われるのを固辞して「何だお前は」と叱られたことがありました。上がれない理由は靴下に穴があいていたからなのです。家を出るときにチェックすれば良かったというミスではありません。穴あき靴下しかなかったのです。恥ずかしい思い出です。今日は別件です。穴あき靴下でずっと思い悩んでいたことがありました。
短いブレークに、息子が友人を三人連れて大学から帰ってきたことがありました。小躍りして迎えました。何故ならみんな有望な日本からの留学生で将来活躍の期待できる青年だったからです。その一人R君は屈託がなく出す料理はみんな平らげ将来は環境整備学をやると夢を語ってくれました。環境整備学とはどんな学問分野か知りません。はつらつとした語る姿が頼もしく思えました。
その彼の靴下に目が行きました。遠路、交代しながらと言ってましたが車を運転してきて疲れていたんでしょう。足を投げ出しソファーで昼寝をしていました。と靴下の底に丸い穴を見つけてしまいました。とたんにあの恥ずかしかった昔を思い出したのです。
我が家ではコストコで安価な靴下をダースで買ってきております。その一足を出してそっと彼の足下に置いておきました。目が覚めて気がつけば履くだろうと思ったのです。しかし、起きてきても靴下はそのままでした。しかたありません。プライドを傷つけるかも知れませんが、
「次の訪問先では靴を脱げないよ。古い靴下を捨てなさい」 とやってしまいました。R君は黙って履き替えました。どんなに恥ずかしい思いをさせたかかと気が気ではありませんでした。思い出しては悩む日々を過ごさなければなりませんでした。こんな場合、若い日の貧乏時代、穴あき靴下くらいは良い経験だと目をつむっているのが普通なのでしょうかね。 そんな日から十年ほどたちました。みんな学校を卒業してそれぞれ職につきました。研究者の道を歩む者、実業界に身を投じる者、様々でした。ある一報が届きました。R君がニュージーランドへ都市環境の研究に旅立つことになったと言うのです。東京で壮行会があり偶然帰国していた息子も激励に駆けつけました。帰ってきて、
「靴下の礼を言ってた。カズ(私の息子の呼び名)の親父は直裁に物を言う人なんだな。おかげで一冬もった、って。あれから自分も良いと思ったことは臆せず言うつもりになったと言うんだよ。昔からずけずけ物を言ってた奴なのにね」 そんなことを笑いながら報告してくれたのです。バークレー大のあるオークランドは冬が厳しいです。あの靴下一足ではもちますまい。でも一助にはなっていたんだなと思うとホッとしました。それと悪く思っていなかったのだと知って胸の重しがとれた気分になりました。 今、R君の発信する環境情報は3.11の後、引っ張りだこです。彼の前途、幸い多かれと祈っております。また、この話はR君の許可なく書いております。よってR君の詳細はご勘弁願います。
私のくたびれた靴下です。白は汚れ目がすぐにわかります。清潔な白の木綿靴下、愛用しています。
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日記
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『情けは人のためならず』
今日は俳句教室の日でした。風邪をこじらせたか体調が思わしくなく太陽を一杯浴びて自然療法で治してやろうと早い目に教室に出かけました。駐車場の隣にある運動場の芝生にでも寝っ転がって空を見るのも一興かなと。
駐車場に着きますと、初老のおじさんがさも困った困ったと肩を落として私に接近してきました。アジア系の小太りのおじさんです。 「サー、バッテリーケーブルをお持ちでないですか」... 車のバッテリーが上がってしまったのですね。丹念にメンテナンスをしておけば良いのについかまけてサボるとこういうことになるのですね。と、人ごとのように言っておりますが、私もよくやりました。 「残念、ケーブルは積んでいないんですよ」 そう言うとおじさんはしょげかえってしまいました。こんな時のために入っておくトリプルAというサービス機関があるのです。しかしアジア人はこの登録をあまりしません。理由は英語で事故の起きた地点を説明しなければならないからです。英語での説明、それがおっくうなのです。 「ちょっと待って」 としょげかえるおじさんを落ち着かせモンテソーリ学園の先生に応援を頼みました。あいにく誰もケーブルを持っておられません。あきらめかかった時、勉強のお手伝いをしてくれているベトナム人と中国人のハーフで頭の凄く良い高校生が、 「姉を呼んでみる。姉にジャンパーを持ってこさせる」 と言ったのです。 「わざわざ遠いところから?」 「たまたまこっちに向かっている。呼び出します」 と電話をかけてくれました。 十五分後、駐車場に歓声が上がりました。エンジンがかかったのです。
ああ、良かった、太陽もたっぷり浴びましたし、さあ俳句教室だと私は教室に入りかかりました。オーイ、と呼ぶ声がします。見るとおじさんが手を振って走ってきます。 なんと泣いてるじゃありませんか。一人一人に握手を求め、サンタアナ会館の受付の小母さんにまで礼を言ってます。その声は喉に詰まっていました。 「お互い様じゃないですか。情けは人のためならず、ですよ」 と言いたかったのですが、こんな英語は知りません。で、もごもごと 「You're welcome.」 と言ってました。誰か「情けは人のためならず」のニュアンスを伝えるすっきり英語表現を教えてくれませんか。おじさんの名前を聞くのも写真を撮るのも忘れました。駐車場の隣に翻っていたアメリカ国旗とカリフォルニア州旗で我慢して下さい。 |
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『作家は貧乏ですよ』
柳美里さんが困窮生活をされている告白記事を読んで身につまされました。そして納得しました。仕事がなくなったんですね。
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私も仕事がなくなるのは恐怖でした。年金が日本ではもらえなかったのです。納めなければならないときに稼げなくてみんな子供のミルク代に消えていたんです。アメリカには10年間、税金を納めれば最低限の年金を支給してくれるシステムがあります。ホッとしています。 ある出版社の倒産にぶつかった時のことです。初版120万円くらいの印税が入ると皮算用をしていたのです。がブツリと切れてしまいました。できあがった本だけが残ったのです。どの面下げてアメリカへ帰れるのか。もう途方にくれました。
なんとか借金をせずに乗り切った頃、出版社の債務を整理していた弁護士さんからアメリカに電話がかかりました。 「取り分は三万七千円ですが、ご了承願います」 と緊張した声でつげられました。倒産出版社はS社です。代表者はK氏です。説明は続きました。聞いていませんでした。その時、ひらめいたのはこの電話はK氏も聞いているはずだということです。電話に出せとのど元まで出かかりました。 「先生、K氏に伝えてください。三万七千円は再起の準備に使ってくださいって。馬場信浩はK氏に良い思い出をたくさんもらってます。再起されるときは僕の原稿を差し出すから頑張るように言ってくれませんか」
弁護士先生が絶句しています。居る、K氏は傍に居る。一緒に遊んだ思い出がよみがえります。 「またゴルフをやろうって。アメリカに遊びに来て、と伝えてください」 「…わかりました。…きっと伝えます。わかりました」 どうやってその年の瀬を過ごしたのか憶えておりません。しかし、辛かったけれど人を責めなくて良かったと今、思ってます。 |
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『致知出版藤尾秀昭社長、ロス講演』
僕の本を読んでくれドラマを観てフアンになってくれた方が多くいてくださいます。ありがたいことです。そんな中の一人で私をフェイスブックに引きずり込んでくれた人物を紹介します。
ドラマが放送されてすぐにファンクラブが全国で結成されました。私が足軽に顔を出せるのはやはり東京です。そこで帰国に先立って、...
「一度、会いませんか」 とメールを入れてみたのです。 でも誰も私からだと信じませんでした。もしやと思ったというのが世話役の一人浅井敬行さんでした。今日は彼について。 こうして彼とお付き合いが始まったのですが、その頃、勤めていた会社(超一流建設会社)に違和感を持っていたのか生き方を模索していたのか盛んに自分の読書体験を話してくれるようになりました。ある時はマザー・テレサの本だったり、シュバイツアーの伝記だったりしました。そうか、道を求めているんだなあ、と思いました。で、
「外国人の伝記も良いのだけれど、日本の賢者の書いた本を読んだことは?」 「……ありません。何かありますでしょうか」 「すぐに本屋に行って安岡正篤という方の書かれた本を探してごらん。特に【活学】と表紙にあるのを探して読んでみて」 と言って別れました。安岡正篤本は多くの出版社が出していますので、どこの社でもいいやと思ってました。 次に会った時、
「致知出版に入社しました」と言われたのです。この会社は安岡正篤氏の本を多く出しています。特に「安岡正篤一日一言」が有名です。驚きました。安岡正篤氏の名を出したのは確かです。しかし、その本を出している出版社に入れと言った覚えはありません。もっと驚くことがもたらされます。 「面接時、最も影響を受けた人物は誰かね」 と致知出版の藤尾秀昭社長に浅井君は質問されます。 「はい、馬場信浩氏ですと言うんだよね。私は知らないですよ。説明しろと促しますと目が輝き出しました。生き生きとしてきたんです。待てよ、現実に信望する人物を持っている。これは、と考えました」 私、穴があったら入りたい、心境でした。 そして面接を突破、今、中堅の社員として頑張っています。六月一三日アメリカでの藤尾秀昭致知出版社長【出会いの人間学】の講演に随行してきます。これってどう表現すれば良いのでしょうか。人とのつながり、そして育成、成長、すべて人との縁です。この講演には我が息子もロス側スタッフとして参加しています。息子からの連絡に寄りますとティケットはすでに完売したそうです。大きな輪が広がるのを感じています。
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『ヘイ、旦那、写真を撮りな』
僕は人見知りをしません。それには理由があるのです。対象人物を徹底的に調べ上げてお目にかかるからです。その準備ができていない時に会ったりしたら見るも無惨です。舞い上がるからです。憧れていた女優さん岩崎加根子さんに突然、会えた時などはうろたえ切りました。
そんな経験から物書きに転じてからはまず事前調査に時間を割きました。すばらしい方々を取材させてもらっても帰る時には冗談の一つも残せるようになってました。そして鉄則は取り立ててのフアンにならないように心がけていました。ただしこれはスターさんなどの場合だけです。...
取材はスターさんばかりではありません。ヤクザのチンピラも取材しなければなりませんし、落ちぶれたストリッパーの場合もありました。そんな時は聞くだけに専念しました。 そんな昔話を思い出しながら、近所のモール街を歩いていました。フト、声をかけてみたくなる人物に出会いました。黒人のくず屋さんです。ガラクタを一杯トラックに積み込んで処理施設にもってきたのです。その中から金目になる物を選別して買い取ってもらうのです。たいていモール街の裏にそんな施設はあります。くず屋さんに近づいていこうとしますと家内が、
「またー」と止めます。しかし、私の性向を知っている家内はそれ以上は強く言いません。 「今日はどれくらいの稼ぎになったんだい」と黒人のくず屋さんに声をかけました。
「36ドル70セント。昨夜一晩の仕事だぜ。悪くないだろう」 「うん。悪くないね。1週間どれくらいになる?」 「500ドルくらいだ。旦那はどれくらい稼ぐんだい?」 「うーん。たいして稼いでいない。写真を撮って日本に送ったりしてる」 「カメラマンか。それなら稼げるだろう」 今の境遇をとても理解してもらえないだろうと思いました。で、会釈をして引き下がりました。数歩、下がったところへ、 「ヘイ、旦那、写真を撮りな」 と声がかかりました。シャッターを切りました。 「いくらにもならないんだろう。名前が要るなら、使いな。おいらの名はブルース。良い名だろう」 「そうだね。良い名だ」 この日、私はうろたえ切っていました。 |

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