居 ミカの田中模索

なかなかお返事書けなくてごめんなさい。ちょっとずつお伺いいたします。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

バケツ稲はのびている

このところ、雨続きです。
稲の生育には日照時間が大切らしいのですが、
お日様は、出てきません。
稲くんたち、雨に打たれて、寒そう。

日曜日は、知り合いのお家の、田植えに行ってきます。
その後は、お見合いした農家の人とデートです。
なぜか、まだ破談にはなってなかったらしい…
なんか「明るい農村」みたいだなー。

イメージ 1

『闇の中の子供』小松左京著、新潮文庫、昭和50年

いやー、今日はお見合いだったんですよ。
ところが、世間はほんとに狭いものでございました。
料亭に勤めてた頃に、口説かれたけどフッた人の、お友達だったのよー。
料亭なんかじゃよくあることなんですが、いや、こりゃ、あかんわ…
農家の方だったので、地球温暖化が進んでも飢え死にしたくない私は、いいなーと思ったんだけどぉ。

小松左京氏は「日本では、外交とは常に内政のことである」と言っています。
この方は、第二次世界大戦時に多感な中学生で、いろいろ印象が深いらしく、
そのことについての暗い面、ウラミツラミを背後にするとき、異様にコワイ小説を書く。
この本ではないが、有名な『くだんのはは』は、私はあんまり怖くて10年間再読できませんでした。
が、現代を背景にした風刺ものは、その反対にとても喜劇的。

例えば短編『養子大作戦』は、こんな話。
パンヤ共和国は、共和国なのに、なぜか国王がいる。
それは、ヨーロッパ人に植民地化されそうになった時、
「志士」たちが活躍して、内治のために王家をまつりあげたから。
つまり、これは日本国のパロディ版である、と、賢明な読者はすでにお気づきであろう。

これは、南洋の小国パンヤ共和国の国王が、世界各国の国家代表を次々に養子にして、
つまり、自分が父親になって各国をみんな兄弟にしてしまい、
結局は自国の安定と世界平和を達成してしまう、という話です。
そしてこのときに出てくるのが、日本軍が戦時中にパンヤ国民に教えたという「教育勅語」。
国王は「兄弟(けいてい)に友(ゆう)に…」と言いながら、各国首脳に三種の神器を与える。
けっこう笑えます。

が、ふと思い出したことがある。
昔『文明崩壊』(ジャレド・ダイアモンド)を読んだときの、
国政には「トップダウン方式」と「ボトムアップ方式」がある
という一説。

面積のごく小さな国では、災害でも何でも、全員がいつも同じ危機や問題にさらされているので、
国民全員が自分たちの問題は何かを知っており、首長の果たす役割は弱い。
これが、下から上への「ボトムアップ方式」。
反対にある程度大きな国では、全員が問題を知っているというわけには行かないので、
各地の情報を取りまとめて判断や指示を下す首長の存在が大きい。
これが、上から下への「トップダウン方式」。

考えてみると、日本の統一が取れていたときは、
江戸時代でも第二次世界大戦中でも、この「トップダウン方式」のときらしい。
例えば、将軍は、各藩の情報を取りまとめて、皆がどうするべきかの判断を下し、
森林政策では、徳川家のおかげで日本は今に到るまで、世界有数の森林保有率を誇っている。

つまり、最高権力者っていうのは今の日本じゃ総理大臣だろうが、
この上に天皇がいて権威があれば、
そのほうが「内政」は分裂せずにうまくいくんじゃないだろうか?
と、思いました。
天皇制って、意外とイイんじゃ?

イメージ 1

バケツ苗、元気にすくすくと、伸びているんです。
けれども、このところ宮崎は雨でして、うまく写真がとれません。
いまはこれより、あと5センチくらい、伸びています。
持ち主のみゆきちゃんは「もう少しそのままにしといて」というので、そうしています。

私は農作物に詳しくなく、最近まで知らなかったのですが、
みゆきちゃんが作っているおコメその他の作物の種は、
市販の「F1種」とは違い、「原種」というものなのだそうです。
なんか、イナカのほうにいくと、あるらしい。

農協の人に聞くと、今売っている種は全部「F1種」。
これは「交配一代」という意味で、
花が咲いて、実がなって、種を取って来年まこうと思っても、
出てきた芽は、前年に獲れた、その作物の芽ではない。

「ブロッコリーの種だからブロッコリーだろう」と思って育てても、ブロッコリーにはならない。
だから、農家はブロッコリーを作るのに、また種を買わなければいけない。
みゆきちゃんは、取った種を、また来年まくだけ。
また「原種」の作物は「F1」と違って、肥料がそんなにいらないのだそうだ。
それなら農家のためには「原種」のほうがいいんじゃない?
とシロウト考えでは思うのだが、
なんで農協は「F1」なのだろうか?
みゆきちゃんのおコメ、すごくおいしいけどなあ。
「良きことを考え、良きことを言い、良きことをする」というのは、
もう、ヒジョーに難しいことでありまして、
たいがいの人は、自己のなんだかんだと共に、常にむにゃむにゃしております。
しかも「人間はよく、自分が正しいと思ったときに一番悪い事をしている」
という古言さえあるのですから、もう人の世は、何がナニやらわかりません。
一生懸命やったからといって、良い結果が出るとも限りませんし…
しかし、これは昔からそうだったのですから、ここで文句を言うわけにも参りませんで、
こんなもんなのだろうと半ば諦めつつも、なんとかやってゆくよりほかに、ありゃしません。

岸田 秀氏の続きであります。
「近代日本のあせりとあがき」(『幻想に生きる親子たち』文春文庫)より抜粋

20世紀初めの明治政府の対外外交は、欧米諸国に植民地化され
(日本は少なくとも1854年から1911年までは欧米の植民地だった、と岸田氏は考えています)、
何とかこの屈辱的状況から脱出しようとあがいた行動として理解しなければならない。

この頃の日本には、独力で外国勢力を追い出すほどの軍事力はなく、
かといって、同じように植民地化されていた他のアジア諸国と協力して独立することもできず、
やむを得ず選んだのが「脱亜入欧」の道だった。

日清戦争で、予想に反して中国に勝利した日本を、欧米は重視し、
日本が自分たちの邪魔になるのを警戒すると共に、
英米はロシアの勢力拡大を防ぐ防波堤として日本を利用できるのではないかと気づく。
日本は欧米の文化だけではなく、植民地主義をも模倣する。

このころの欧米諸国は、極端に言えば、みんな暴力団のようなものだった。
まだ弱かった日本は、あちこちの暴力団の顔色を伺いながら、
決して彼らの害にはならず、むしろお役に立つことを示して、
彼らが承認してくれる範囲内で力をつけることしかできなかった。

中国が欧米に侵略されて「義和団事件」という反乱を起こした時、
日本は地の利を利用して、この鎮圧に最大の貢献をした。
けれどもこの時、日本としては、中国をかばうことは到底できなかったので、
強力な欧米の暴力団に対して、中国と共に立ち向かえば、共に潰されることは明らかだった。

南アフリカでのボーア戦争に手を取られていたイギリスは、
アジアにおける権益をロシア暴力団に取られたくなかったので、
その妨害をする際、同じくロシアの南下を恐れる日本の力に頼ることにした。
日本も独りではロシアに立ち向かえなかったので、イギリス暴力団と結託する道を選んだ。

この日露戦争に日本は勝利して「独力で勝った」つもりになるが、
その実、イギリスと、それを応援するアメリカが、日本に多大な協力をしていたのであり、
英米としては「日本を助けて勝たせてやった」つもりだった。
そして、この見解の相違が、日本と英米をその後長く争わせる原因になる。

日露戦争の勝利から、日本は自分の実力を過大評価し始める。
誇りを回復する道をここにみつけた、と日本は思った。
それとともに、欧米の力を見くびってしまい、
日本と欧米の関係はただちに悪化し始める。

日本が南満州鉄道の利権をロシアから得た時、
日本もアメリカも、現実的に考えれば、協力するほうが共に利益があったはずだった。
けれども誇りの回復に必死だった日本はアメリカの共同経営を拒み、
「日本を助けてきた」つもりのアメリカも、裏切られた如くに、日本を憎んだ。

日本は中国や韓国を植民地化して、
自分も欧米と力を並べるようになったつもりだったが、
欧米暴力団の中に登場したこの新顔の暴力団は、
やがて、昔から居た古株の暴力団に、よってたかって叩き潰された。

20世紀はこのように、日本にとって自分の屈辱をめぐって二転三転した百年であり、
日本が欧米諸国から侮られたのは、軍事力が弱かったからなのだと考え、
欧米のような軍事大国になろうとすることによってこの屈辱をすすごうと、必死にあがいた時代だった。

では、これだけの大騒ぎで誰が得をしたのかというと、
なんと結局は、誰も得をしなかったのである。
日本は原爆をはじめ呆然とするような被害を受け、欧米はその植民地を失い、
アメリカは親分衆の立場から、日本を援助せねばならない羽目になった。
日本は今でもアメリカの植民地であり、国民感情の混乱は、内乱の如くである。

というのが、岸田氏の20世紀史解説であります。

私事ですけど、あさって、部長のお世話で、私、お見合いになっちゃった。
ふられたら、慰めて欲しいんですけど…

イメージ 1

母の日でございます。

ウチは昔から母子家庭じゃが、ウチのお母ちゃんは、母子家庭手当てというお金を貰ったことがない。
なんでかというと、別にウチが金持ちだったわけじゃなくて、
「お金がもらえますよ」と言いに来た地区の委員の方に、
お母ちゃんは「私は働くから、お金はもらいません」と断ったのだ。
なんか珍しがられたそうだが、お母ちゃんは、そういう人なんである。

ともあれ、母の日なので、ウチのお母ちゃんにも、プレゼントをします。
いつもあげるのは、お母ちゃんの大好物の、芋飴と、芋かりんとうです。
いつか、ゴルフ用にバーバリーのバッグを買ってあげたのだが、
お母ちゃんは何だか分らなくて、喜ばなかったのじゃ。
ちっ、あれ、高かったのによ…
芋好きのお母ちゃんは、こっちのほうが喜ぶのであった。

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事