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お母ちゃんのことをほめたので、いっちょ、ばあちゃんのこともほめたいと思います。
ウチのばあちゃんは、戦時中横浜に住んでいたとき、夫(私のじいちゃん)を亡くしました。
じいちゃんは、元は漁師で、海の男だったのです。船が撃沈されて、戦死しました。
じいちゃんが戦死したとき骨箱が届いたんだけど、からから音がするんで開けてみたら、つぼの中に木の札が一つ入っていただけだったんだって。それで「骨じゃない、こんな木の札がはいってる」って、子供が泣いたんだって。
関係ないかもしれないけど、その子は大人になってから、気が狂ってしまった。
そのうち戦争がおわり、ばあちゃんは食い詰めて、5人の子供を連れて故郷の宮崎に帰りました。
ところが実家の母(私のひいばあちゃん)は、「何しに帰って来た」と追い返さんばかり。ばあちゃんのウチはもともと資産家なのですが、おりしもひいじいちゃんが死んでしまったところに、敗戦です。ひいばあちゃんは保身のかたまりとなって、みんなに財産を分け与える心の余裕など、なかった。
しかも、ばあちゃんがもともと持っていたはずの山林の権利書は、いつのまにか妹の名義に書き換えられ、財産放棄の書類にも、知らないあいだに、ばあちゃんの印鑑がドンと押されていた。
もー、「田舎の人は純朴だ」なーんて思ったら、大間違いなのでした。
それでばあちゃんは、住むところだけはいちおう貰って、じいちゃんの先妻の子供一人を含む計五人の子供を、女手一つで育て上げ、しかもそのうち二人は大学まで出したのです。とにかく気丈な人でしたが、そりゃーもう、大変な苦労だったということです。
しかし、そうまで苦労して育てても、そのうちの二人はばあちゃんより先に死んじゃったのですから、運命は残酷なものです。そのうち一人は、精神病院で死にました。
でもね、ばあちゃんの孫たち(私のいとこたち)は、それぞれ青年協力隊でボリビアに行ってたり、仕事で中国に住んでたり、いろんなところで、活躍しているんです。
ばあちゃんと長い間一緒に暮らしたのは、お母ちゃんと私だけです。だから私は知っているんだけど、私のいとこたちよ、みんなばあちゃんのおかげなんだよ。
ばあちゃんは、じいちゃんの仏壇を毎日おがんでました。
ある人に、「女房子供を残して、心配しながら死んだだろうね」と言われたからです。
その気持ちわかるので、「靖国神社に参拝しちゃいけない」とは、よう言いません。
じいちゃんの方の親戚は、私たちの代にはもう付き合いがなくなっています。
私は、自分の父ちゃんのほうの親戚も、一人も知りません。
だけどとにかく、私はなんとなく、ここに居ます。ばあちゃん、ありがとう。
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