居 ミカの田中模索

なかなかお返事書けなくてごめんなさい。ちょっとずつお伺いいたします。

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升本少年が、陸軍幼年学校の二年生になったのは、昭和20年の4月。
この年度から、陸幼生徒は軍人となり、給料が出るようになりました。
空襲がはじまり、サイパン・グアムが玉砕し、戦艦大和が沈んだあとの日本です。それまでと違って、勉強時間が減り、実践的な戦闘訓練が俄然多くなった。食料の確保のために、農作業もするようになった。
でも、世間の子たちは、食べるものもないし工場に動員されたりで、ぜんぜん勉強どころじゃなかったそうですから、わりと、恵まれてる。
空襲はますます激しくなる。戦局が切迫していることは、彼らにも分っていた。それでも、俺たちが国を守らずして誰が守る、という高揚感は変わらなかった。
学校の近くの「黒石原」というところに、特攻隊の中継基地がありました。出撃するところは鹿児島の「知覧」で、ここではまだ訓練だけです。陸幼の生徒たちは、休みの日にこの訓練を見に行って、将校たちに可愛がられた。飛行機の編隊が学校の上に飛んできて、みんな喜んで手を振ったりしたそうです。
8月のはじめ、西南の方向に、変な形の雲を見た。長崎に落ちた原子爆弾です。

そして迎えた8月15日。
防空壕を掘る作業をしていた生徒たちの所に、伝令が来たのは、午前11時ごろ。
「第一装」(軍服の中でいちばんフォーマルなもの)で、本部正面に集合せよ、という。
みんなは、いよいよ本土決戦か、ロシアへの宣戦布告かと思った。
天皇陛下のラジオ放送はよく聞えなかったが、そばにいた教官将校が、泣き出した。
「負けたんだ」とだんだん分ってきたが、皆は納まらない。決起しようと誰からともなく言い出す。
けれど担当の将校は「お前たちを預かっている責任がある。行くなら俺を斬って行け」と言った。
ここの教官士官は、情も意もある人たちだったようで、厳しくても、どこかに慈しみのようなものがある。本人も相当辛かったはずだし、生徒も激してるのに、ついに混乱にはならなかった。

升本少年は、故郷に帰りました。
もう「星の生徒」「カデット」じゃありません。帰ってみると、母親は民主主義者に豹変し、国策に応じて「立派に死んで来い」と言ったお父さんは、みんなから非難されている。世間でもまれてきた友達はいつのまにか自分よりずいぶん大人になったようで、淡い初恋の女学生は今じゃ男と同棲している。
陸幼で清らかに育てられた升本少年、何もかもが空しい。

やがて立ち直って、映画の道をめざしますが、その間は悩みが多かった。
タイトル「天皇の消えた日」は、升本少年が父と話し合っていて、今までの天皇像が、何か別のものに変わったのを感じた日のことと思われます。
聖別されていたものが、いったん落とされ、しかし自分にとってはやはり大切なものだったと見直すような感じ。この日から、升本少年は、俺はこれから何をしようかと本当に考え始めるのでした。

エリートって、やっぱりちょっと、ナイーブなんですよね。一方、そんなもんに縁のない庶民は、なりふり構わずたくましい。これがうまくあわさって、升本少年、立派な大人になりました。松竹映像株式会社の取締役になられたそうです。まずは、めでたしなのでした。

私は以前、料亭に勤めていたことがあります。
板前さんていうのは、上下関係が厳しいです。しかも、勤務時間が朝から夜中までで、なにせ一緒にいる時間が長い。うまくいかないと、とても辛いです。
しかし反面、板前さんは、実力の世界でもあります。料理の腕もそうだけど、カウンター席なんかがあると、お客さん受けのいい人のほうがいい。女将さんや、仲居さんたちの評価もあります。板長だからと言って、威張ってる人ばかりでもない。
あんまり関係ないけど、中には、ヤクザ上がりの人もいます。いやー、宮崎みたいなちっちゃな町でヤクザやって儲かるのかなー、って前から思ってたんだけど、やっぱり儲からないみたいだな。
ともあれ、どこの世界もそうでしょうけど、人間関係、難しいです。

彼は、そんな板前の1人です。
彼の父親は、ちょっと有名な料理屋のオーナー板長です。ところが彼は長いこと、親父さんのお店には勤めてませんでした。なぜかって言うと、そこのお店では、オーナーの奥さんと愛人が一緒に勤めてるんですよ。ま、そりゃイヤだよね。板前さんにゃよくあることだけど。
私はたまたま、その親父さんのほうも知っているんだけど、調子のいい人で営業は上手だったりする。お寿司も貰ったことあるけど、あれはうまかった…。
しかしさすがにカエルの子はカエル。彼は包丁さばきもなかなかうまく、営業ができる上に、板前さんたちへのニラミもよくきいて、板長ではなかったんだけど、まず存在感ばつぐんだったのでした。

ところが、なんか板前さん間で、トラブルがあったらしいんですね。
いくらニラミを効かせてたって、だめなときもやっぱりある。
理由はよく知らないんだけど、彼は、その店をやめなきゃならない羽目になった。
そうなると、行くところって、やっぱりないんですよ。
あんたあの店の息子でしょ?ってのは有名な話。狭い町じゃそんなの、雇ってくれるところがないの。
でもニョウボ子供を養わなきゃなんないし、プーもできない。
で、しかたなく、彼はおやじさんの店に勤めることになりました。

それからのことは、あんまりよく知りませんでした。
でもね、狭い町で、メインストリートは1コしかないからさ、たまにすれ違うの。
そうすると、疲れた顔で、目を真っ赤にしてるときもありました。
親父さんが引いた後の時間に、1人で朝の四時ごろまでやってるらしいよ、と聞いたこともありました。
たいへんだなあ、と思ってるうちに、いつのまにか2年たちました。

すると、昨日、街でぐうぜん彼に出会ったんです。
最初はびっくりした。私にわざとぶつかるんだもん。私はいつもウォークマン聴きながら歩いてるもんで、誰とすれちがってもぜーんぜん気づかないのよー。
彼はとても楽しそうで、いつものように白い板前さん服を着て、同じ身なりの若い男の子と一緒でした。
やー、弟子ができたんだー。
アラブゲリラに似てるやろ、とか言いながら、紹介してくれました。うん、ちょっと似てる。
私はもうあの店辞めたんだよ、というと、ホウそんなら俺んトコにいつでも来いや、と、いつもの彼らしい兄さん口調。
そうこなくっちゃ、ネタが腐っちまうぜ!
少ししか話せなかったけど、なんか、よかったね。
あの店、高いんだけど、そのうちプチお金持ちになったら、お伺いしますです。
キミの作った魚はうまかったぜ!日本の板前さん、がんばれ。

私は根っからののんびり人間で、杉浦日向子の描いていたような、江戸時代アタリを愛しております。
あのころ、黒船が来なかったらなあ…と、思わないでもない。
しかし、黒船は来ちゃった。そしてあわただしく明治維新。
私、実は、大久保利通が好きなんです。平和な江戸が好きだけど、彼らは的確な判断をしたのだと思う。
昨今、中朝批判が高まっている中、私は彼らになんの好悪もないけど、みんながこれだけ言うからには何かが起こる可能性もあるかな、という気もしています。よくわかんないけど。

『軍国の少年』のつづき。
昭和19年4月1日、熊本陸軍幼年学校に入学した、15歳の升本少年。
同期生は約330名、これが6クラス(訓育班という)に分けられて、1クラス50人強。
これがさらに、2つの「学班」に分けられ、約25人。その単位で授業を受ける。

全寮制で、毎日の生活はとても厳格に、時間から所作、言葉遣いまで決められている。トイレに行ってて食事の時間に遅れてしまったら「脱糞しておりました!」と申告しなければならない時もある。
規律に外れたことをするときっちり指摘される。ただし、暴力は全くなかった。
だけど、反省の時間みたいなのがあって、みんなの前で糾弾されると、そうとう苦しかったとのこと。
季節によって違うが、朝は5時から6時に起床ラッパが鳴る。鳴ると同時に「起床!」と大声で叫んで飛び起きなくてはなりません。私、寝坊だから、一回やってみようかな…
寝台戦友と力をあわせてベッドを整え、5分後に校庭に整列、点呼。
たしか、自衛隊ってこうじゃなかったっけ。寝坊するとベッドかついでランニングの罰とか聞いた。
そのあと、上半身裸になって、10分間の体操。
宿舎の掃除、宮城の方角に向かって挙手、軍人勅諭の音読、雄健神社に参拝後、各自で、両親のいる方角の空に向かって挙手の礼をする。
ここらへん、軍人らしいですね。支給された軍服を着て、精一杯突っ張った升本少年の写真が載っているが、なかなかいい面構えじゃ。写真で見た石原莞爾に似ておるぞ。あの人、童顔だったんだな。
朝食は6時45分から。食事は玄米飯で、食器はすべてアルミ製。その頃の一般家庭では米は欠乏していたが、ここでは一日平均、1人5合5勺の米の飯が与えられる。いかにゴハン好きの私でも、そんなに食えん…と思ったが、食べ盛りの彼らには、足りなかったそうだ。いったいどんなお釜で炊いてたんじゃろうか。
授業の内容は中学と変わりないが、外国語がある。ドイツ語と、英語。他の陸幼では、ロシア語やフランス語を学ぶところもあった。
意外なのは、戦闘訓練があまりなかったこと。
剣道の時間というのは特別にあるんだけど、教練の時間は「不動の姿勢」「挙手の礼」「行進」ばかりだったそうな。当時はどこの中学でも配属将校がいてかなり高度の戦闘訓練があったそうですから、慮外でした。剣道も、正々堂々とやれ、という意味でメンの一本やりだったとか。
考えてみれば、彼ら、エリートだもんね。将校は堂々として居れ、という教育だったんですね。
運動会や、肝試し会もあって、ここらへんフツウの学校と同じだけど、墓場で脅かされてキャーなんて言うと、あとあとまで笑いものにされる。
関東じゃどうか知らないが、九州の伝統として、可愛い子は「よか稚児」として上級生に愛玩される。升本少年がどうだったかは書いてありませんが、ここでもそうだった。

さて、はじめはなかなか慣れなかった升本少年ですが、だんだん板についてくる。
やがて、1年を終えて、昭和20年の4月に、彼は二年生になります。
そのとき、敗戦まで、あと4ヶ月…。つづく。

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