|
バケツ苗、元気にすくすくと、伸びているんです。 けれども、このところ宮崎は雨でして、うまく写真がとれません。 いまはこれより、あと5センチくらい、伸びています。 持ち主のみゆきちゃんは「もう少しそのままにしといて」というので、そうしています。 私は農作物に詳しくなく、最近まで知らなかったのですが、 みゆきちゃんが作っているおコメその他の作物の種は、 市販の「F1種」とは違い、「原種」というものなのだそうです。 なんか、イナカのほうにいくと、あるらしい。 農協の人に聞くと、今売っている種は全部「F1種」。 これは「交配一代」という意味で、 花が咲いて、実がなって、種を取って来年まこうと思っても、 出てきた芽は、前年に獲れた、その作物の芽ではない。 「ブロッコリーの種だからブロッコリーだろう」と思って育てても、ブロッコリーにはならない。
だから、農家はブロッコリーを作るのに、また種を買わなければいけない。 みゆきちゃんは、取った種を、また来年まくだけ。 また「原種」の作物は「F1」と違って、肥料がそんなにいらないのだそうだ。 それなら農家のためには「原種」のほうがいいんじゃない? とシロウト考えでは思うのだが、 なんで農協は「F1」なのだろうか? みゆきちゃんのおコメ、すごくおいしいけどなあ。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2006年05月16日
全1ページ
[1]
|
「良きことを考え、良きことを言い、良きことをする」というのは、 もう、ヒジョーに難しいことでありまして、 たいがいの人は、自己のなんだかんだと共に、常にむにゃむにゃしております。 しかも「人間はよく、自分が正しいと思ったときに一番悪い事をしている」 という古言さえあるのですから、もう人の世は、何がナニやらわかりません。 一生懸命やったからといって、良い結果が出るとも限りませんし… しかし、これは昔からそうだったのですから、ここで文句を言うわけにも参りませんで、 こんなもんなのだろうと半ば諦めつつも、なんとかやってゆくよりほかに、ありゃしません。 岸田 秀氏の続きであります。 「近代日本のあせりとあがき」(『幻想に生きる親子たち』文春文庫)より抜粋 20世紀初めの明治政府の対外外交は、欧米諸国に植民地化され (日本は少なくとも1854年から1911年までは欧米の植民地だった、と岸田氏は考えています)、 何とかこの屈辱的状況から脱出しようとあがいた行動として理解しなければならない。 この頃の日本には、独力で外国勢力を追い出すほどの軍事力はなく、 かといって、同じように植民地化されていた他のアジア諸国と協力して独立することもできず、 やむを得ず選んだのが「脱亜入欧」の道だった。 日清戦争で、予想に反して中国に勝利した日本を、欧米は重視し、 日本が自分たちの邪魔になるのを警戒すると共に、 英米はロシアの勢力拡大を防ぐ防波堤として日本を利用できるのではないかと気づく。 日本は欧米の文化だけではなく、植民地主義をも模倣する。 このころの欧米諸国は、極端に言えば、みんな暴力団のようなものだった。 まだ弱かった日本は、あちこちの暴力団の顔色を伺いながら、 決して彼らの害にはならず、むしろお役に立つことを示して、 彼らが承認してくれる範囲内で力をつけることしかできなかった。 中国が欧米に侵略されて「義和団事件」という反乱を起こした時、 日本は地の利を利用して、この鎮圧に最大の貢献をした。 けれどもこの時、日本としては、中国をかばうことは到底できなかったので、 強力な欧米の暴力団に対して、中国と共に立ち向かえば、共に潰されることは明らかだった。 南アフリカでのボーア戦争に手を取られていたイギリスは、 アジアにおける権益をロシア暴力団に取られたくなかったので、 その妨害をする際、同じくロシアの南下を恐れる日本の力に頼ることにした。 日本も独りではロシアに立ち向かえなかったので、イギリス暴力団と結託する道を選んだ。 この日露戦争に日本は勝利して「独力で勝った」つもりになるが、 その実、イギリスと、それを応援するアメリカが、日本に多大な協力をしていたのであり、 英米としては「日本を助けて勝たせてやった」つもりだった。 そして、この見解の相違が、日本と英米をその後長く争わせる原因になる。 日露戦争の勝利から、日本は自分の実力を過大評価し始める。 誇りを回復する道をここにみつけた、と日本は思った。 それとともに、欧米の力を見くびってしまい、 日本と欧米の関係はただちに悪化し始める。 日本が南満州鉄道の利権をロシアから得た時、 日本もアメリカも、現実的に考えれば、協力するほうが共に利益があったはずだった。 けれども誇りの回復に必死だった日本はアメリカの共同経営を拒み、 「日本を助けてきた」つもりのアメリカも、裏切られた如くに、日本を憎んだ。 日本は中国や韓国を植民地化して、 自分も欧米と力を並べるようになったつもりだったが、 欧米暴力団の中に登場したこの新顔の暴力団は、 やがて、昔から居た古株の暴力団に、よってたかって叩き潰された。 20世紀はこのように、日本にとって自分の屈辱をめぐって二転三転した百年であり、 日本が欧米諸国から侮られたのは、軍事力が弱かったからなのだと考え、 欧米のような軍事大国になろうとすることによってこの屈辱をすすごうと、必死にあがいた時代だった。 では、これだけの大騒ぎで誰が得をしたのかというと、 なんと結局は、誰も得をしなかったのである。 日本は原爆をはじめ呆然とするような被害を受け、欧米はその植民地を失い、 アメリカは親分衆の立場から、日本を援助せねばならない羽目になった。 日本は今でもアメリカの植民地であり、国民感情の混乱は、内乱の如くである。 というのが、岸田氏の20世紀史解説であります。 私事ですけど、あさって、部長のお世話で、私、お見合いになっちゃった。
ふられたら、慰めて欲しいんですけど… |
全1ページ
[1]




