居 ミカの田中模索

なかなかお返事書けなくてごめんなさい。ちょっとずつお伺いいたします。

日本

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日本って、どんな国でしょう?
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このごろ、ちょっとばかりお仕事が忙しかったのじゃ。
そういう日は、眠っても、ヘンな夢ばかり見る。
私はお仕事のことを考えながら寝ると、行けども行けども仕事場に行き着かない、という夢をよく見る。
背景はだいたい、夕方から夜。道に迷ったり、違うところに行っちゃったり、連絡しようとしても携帯が見つからなかったり、ああもう遅刻しちゃうよお…と焦りながら眼が覚めるので、気分が良くない。
が、勇気を出して、にっこり。笑うカドには、福来たるのよ!忘れるな順序礼節。

ナショナリズムの話になると、どういうわけか、雰囲気がやばくなる。
これは、どうも、話が論理より感情に傾くからでは?と愚考します。
もう、なんちゅうか、信仰とか信念に近い。

このごろは、靖国神社の売店で買った『1937南京攻略戦の真実』(東中野 修道、小学館文庫、2003年)とか、『ジョージ・ブッシュのアタマの中身・アメリカ「超保守派」の世界観』(森 浩一、講談社文庫、2003年)とかを読んでました。

『ジョージ・ブッシュのアタマの中身・アメリカ「超保守派」の世界観』は、例外的に「あとがき」がおもしろかった。
アメリカ国民のほとんどは神を信じていて、その中にはイスラム教徒や仏教徒もいるし、信仰の差もあるけれど、その愛国心はどうしても「神への信仰」という形で現れる。
ブッシュ大統領自身もクリスチャンで、神は我々の側に立っておられる、と思っている。だから聖書に書いてあるとおり、イスラエルはユダヤ人のもの。神様がおっしゃっているので、これは正しいに決まってる。
もう一つは「文明国とはアメリカのことである」だから「他を正しく文明に導かなければならない」という啓蒙主義。我々は十字軍なのである!
しかしそこまでいっちゃうと、どうしても他とぶつかる。十字軍なんて、当時でも、攻めてこられた方にしてみたらとんでもない迷惑だったし、イスラムの教えには「偽救世主が、天国のように見える地獄を伴ってあらわれる」という教えがあるらしい。
イスラム世界のビンラディンは、その「世界観の違い」を、9.11で世界の舞台に乗せた。

なんか、信仰とかね、それ自体は悪くないでしょうけど、ここまでとんがっちゃうと…
国連にインターフェイスっていう、宗教間の相互理解をすすめる機関があるそうなんですが、
宗教による「世界観の違い」とか「歴史観の違い」とか、いったいどうするんでしょう?
きっとたいへんだろうなあ、とくにアメリカなんか、鼻で笑われそう。
第一、ここまで戦争が拡大したあとだと、もう感情がおさまるまい。
ほどほどにしとけばいいのに…と、小市民の私は、思いました。

『1937南京攻略戦の真実』は実際に南京を攻略した日本兵たちの手記をまとめたもの。
この中に、市民殺害や婦女暴行の経験談はありません。
中国軍の投降した捕虜を故郷まで送ってやった、とか、偶然部隊に紛れ込んできた可愛い中国娘と和やかに過ごした(ヘンな意味ではない)など、いい話もあります。戦争だからのどかとまではいかないが、20万人を殺戮したというような、殺伐とした感じは全くありません。これが起こったことのすべてじゃないでしょうが、読んでいてリアルな生活感があるし、全部ウソだとはまず思えないです。
これを読んだ限りでは、南京大虐殺は「デッチアゲ」でなければ「誇大広告」となります。

えへへ、昨日、宝くじ当っちゃった!
って言うウソを会社の人に言ったんだけど、全然相手にされなかった。ちぇっ。
でも、エイプリルフール、大好きさ。

私は根っから地に足のつかない女で、その証拠に、選挙権を貰ってからの10年間、一度も選挙に行ったことがなく、貯金なんて生まれてこの方したためしがない。別にいばるようなことじゃないけど。
まして「あらゆる価値観は幻想である」なんてものを勉強していたものだから…そのあいまいさ、推して知るべし。
ところがこのごろ、ブログなんかを読んでいると、世の中にはしっかりした人がいるもんだなー、って、いつも感心しているの。みんな、すごいよね。期待しています。

ブログを読んでると、ナショナリズムって、けっこう大きいものらしい。
よく分らないときは、何でも本で調べてみるのが私の癖。
で、調べてみました。出展は、会田雄次『日本人の意識構造』(講談社現代新書、1972年)です。まだベトナム戦争が終わる前の古い本だけど、そのころからこういう意見ってあったみたい。著者は私の大好きな人なんですが、もう故人ですので、本は絶版になってるかも。

ナショナリズムが出てくると、その反対派としていつも出てくるのが、左翼です。
昭和20年(1945年)から25年まで、日本ではアメリカの占領政策そのものも、労働運動を支持したりして「容共」的だったし、加えて敗戦後の経済の混乱から「日本にもいまに共産党革命が起こる」と考えられていた。これは大学でも教えられていたから、学生もみんな、革命が起こるのを本気で信じていた。
昭和25年以降30年ごろには、いわゆる体制側が自信を取り戻し、はっきりと「反共民主主義」を打ち出した。しかしこれは思想界にまでは影響せず「容共左派」はまだ主流。

ところが昭和31年に、スターリン批判、東欧での反ソ暴動、中ソ対立などがあって、共産党や「容共左派」は混乱、分裂。このころには高度経済成長でそれなりにお金が稼げるようになっていたから、革命が起こったら地位や職業がなくなると心配していた人たちは、はっきり言って安心した。
しかし、革命が起こると学生に教えてた人たちが、意見を変えたわけではない。革命が起こらないことがほぼ確実になってからも、その人たちは「あれ、まちがってました」と認めてもいない。

このころ、安保反対運動がありました。これは左翼的だと思われているが、実は「どうしていつまでもアメリカに従属していなければいけないんだ!」という、日本人のナショナリズムの表れだった。
それに、東京オリンピック。これで愛国心がわきあがった。
その実体験として、著者はこのように書いています。

「それは日本人同士の、互いに肌のあたたかみを感じるような連帯感であり、それにもとづいた日本の国の独立の感覚であり、広義の文化統一体としての共同感覚である。そしてなにより根本的には、この共同感覚体である日本というものへの誇らかな讃歌と未来への高らかな希望の歌である。そうした共同体への献身を第一義とする精神である。」

「わたしたちは日本人であり、日本人以外にはなりえない。そう感じ、本当の日本人であろうと努力することが、なぜいけないのであろうか。それがどうして戦争に通じるのだろうか。」

「わたしは今の日本が、誇りを持ちうる共同感覚を求めて大きく前進しようとしているのだと見ざるをえないのである。」

ということで、そうかー、と納得したりしました。こういうことなら、私にも分る。

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昔の話じゃ面白くないので、今日は現代のエッチのお話よ。
こういう話だと、どうしてウキウキしちゃうのかしら。

明治維新からこっち、日本が資本主義社会になると、江戸時代までのあっけらかんとした男女の付き合いは、一転、わりと堅苦しいものになりました。
女は「清純な処女」でないと商品価値がなくて嫁にいけないから、簡単にカラダを許さない。男は女を得るために、いろいろ手を尽さなきゃならない。ま、昔も手を尽さなきゃなんなかったでしょうが、その次元が違う。経済力とか、出世とか、昔はなくても良かったものが必要になってきた。欲求があっても、とにかくある程度の条件がそろわないとダメ。
女は「結婚までは、しない」と思うし、男はさせてくれる女が売春婦以外にはそんなにいないから、とにかく女に金がかけられるようになって「結婚しよう」と言えるまでは、女がウンと言ってくれない。男の人もたいへんですな。
という時代が、続きました。

しかし、惚れたはれたは人の常。無理して押さえてると、どっちにも、だんだん不満が溜まってくる。
おりしも、社会がある程度の発展を遂げ、資本主義社会の構築をさほど必死に追求しなくても、よい感じになってきた。
ここに起こったのが「性革命」です。
誰でも、結婚しなくても、好きな人としていいということになった。

どうしてそんなにガマンしなくちゃいけないのっ!と誰しも思ったわけですな。
それがいちばん顕著だったのは、禁酒法など理念で突っ走れるアメリカにおいてでした。アメリカじゃ、性革命が理念化されると、あらゆることが実験された。SMから、乱交から、同性愛から、変態から、なにもそこまでしなくても、とか、そんなことして楽しいんか?ということまで。
その影響は日本にも及び、結果、今じゃわりと、男女の関係もお手軽になりました。

で、それでハッピーエンドになったかというと。
日本でも一時はなにかとお盛んでしたが、近頃じゃ、女としたくない若い男性も増えているらしい。出生率は落ちてるし…
セクシーな事柄は、いまや、趣味の領域に入ってしまったらしいのです。
もう、種の保存なんて、宇宙のかなた。子孫繁栄よりも、自己の幻想の満足がいちばん。
私のエクスハズバンドは「生身の女よりアダルトビデオがいい」という人でしたが、いやー、社会も豊かになったんですかねー。私としては、どうもムナシイんで、別れたんですが。

人類はこれまで、子孫繁栄のためにいろんな幻想を用意してきました。
しかし、いったん崩れた幻想はなかなか再構築できない、という話なのでした。
なんかあんまりエッチな話にならなかったわ。ごめん。

あ、つれづれなるままに追記ですけど。
先日、日本の核武装についてコメントを頂きました。
で、軍事とかに全然詳しくない私の、つたない意見です。
核兵器はたしかにヒロシマ・ナガサキの頃は恐るべき兵器だったし、
日本の民族主義は、あの桁外れの破壊力に圧倒されて、降伏した。
だけど、あれから60年もたった今では、実効性はともかく、あれほどの心理的インパクトはもうないんじゃないかな、と思います。単に反感をあおるだけかも。
核兵器もポピュラーになっちゃって、昔ほどのありがたみがない。
アメリカがうるさく制限するのは、自分だけが持っているはずの「神の力」を、他の国が持っちゃいけないということじゃないのかな、と思う。
加えて、百万人を犠牲にしても悔いない価値観といえば、私の稚拙な頭では「民族のプライド」しか思いつかない。他にあるかな?
私は日本が好きだし、日の丸も、君が代も「なんでいかんのじゃい」と思うけど、
「民族のプライド」が必要なら、いまや、別に核兵器じゃなくてもいいと思うの。
アメリカだって、60年もたってるんだもの、もう他の最終兵器を考えてるんじゃないかな。アニメの『アキラ』に出てきた人工衛星兵器とか、『バットマン・ビギンズ』の水が有毒ガスになる音波兵器とか。
SFだろ、なーんていってると、現実化しそうで。
ほんとーに、軍事とかにぜーんぜん詳しくない私の、つたない意見です。叱ってね。以上追記。

本日は、強風であります。風にあおられて、階段からころげ落ちそうになっちゃった。
(ころげ落ちてりゃよかったでしょうか?)

それはさておき。
明治政府が「清純な処女」政策を、富国強兵のためにおこなった、という話があります。

今はともかく、一時的にせよ「清純な処女」が日本人に人気のある女性のタイプになったのは、明治
維新になって、西洋文化が入ってきてからです。それまで、江戸時代には、いい女すなわち色っぽい
女でした。「清純な処女」なんて、ただの小娘だった。

しかし、明治の風俗のこの急変は、驚くほど早かった。
キリスト教がそれほど一般的にならなかったのに、不思議ですね。
もー、そんなすぐ外国の流行に踊らされてェ、今も昔もいっしょよねー、とか思いそうだけど…

江戸時代の人は、実はあんまり働かなかった。農民は地所に縛られていたから農閑期は出稼ぎなんか
しないでヒマしてるし、武士は食わねど高楊枝だし、職人は気が向かないと仕事しないし、江戸っ子
は宵越しの銭は持たねえ…こりゃ、どうみたって金は溜まらんのであります。
そこで、明治政府は、西洋の資本主義を取り入れるのといっしょに、西洋の風習をも取り入れた。
それは、男は女に金を使わなきゃならない、というものであります。

キリスト教圏では、質素倹約を旨とし、働き者はエライということになっております。
逆に言うと、働くだけ働いて、贅沢をしない。
当然、金は溜まる一方ですな。
ところが働いて生産力が上がっても、皆が贅沢をしなかったら、モノが余るだけで売れない。
これが19世紀ならヨソの国を植民地にして売りつけるところだが、
まだそこまでの交通・運輸ができない中世ヨーロッパでも、モノ余りが起こってしまった。
消費地は狭い地域しかありません。ここで消費をあげるには?

と、偶然か必然か知らないが、おりしも持ち上がった騒動が、魔女狩りでした。
魔女狩り以前のヨーロッパでは、恋愛はけっこうお手軽だった。出戻りでも売春婦でも嫁に行けたし、不倫とか浮気もわりとおおらか。キリスト教の戒律はあったけど、なあなあな感じ。
そこに起こったのが、魔女狩りです。魔女は「魔術を行った」と徹底的に弾劾され、殺されたのですが、その魔術というのは、わりに「男を惑わす魔術」というものが多い。しかも、男の「魔術師」よりも、おもに女の「魔女」なのねー。
それで、尻軽女の類はたくさん狩られちゃって、女という女は「男を惑わすと魔女と思われて殺され
るんだ」と骨の隋まで思い知らされた。それならもうみんな「清純な処女」にならなきゃ仕方ない。

しかしそうなると、今度は男のほうが、女を口説き落とすのにあの手この手を使わなきゃならなくな
る。自分のことでは質素な人でも、女のためには、お洒落したり、出世したり、プレゼントをしたり
…という、余分な贅沢が必要になった。
そして、その結果。
消費が増えた。モノ余りが解消され、経済が動くようになったんですと。

ホンマかいな…と思うんですが。
明治政府はくりかえし「銭湯での混浴」や「農村での夜這い」を禁止し、家父長制と一夫一婦制とい
う西洋的な家族構成をいち早く整えている。
それは「今までの野蛮な風習は西洋に対して恥ずかしい」というような理由ではなく、このようにしな
いと資本主義が発達しないと、見抜いた上でのことだった。
消費地がほぼ国内しかないのは、中世ヨーロッパと同じ。でも必要性がないと人が働かないし、消費が増えない。すると、経済の動きは活発にならない。ならないと、資本主義が発達せず「富国」強兵ができない。
それならもともとの必要性を作らなければ。しかし簡単に夜這いとかしちゃうと、男が女に金を使わないから、余分な贅沢が少なくていかん…
だから、政策として「清純な処女」が必要、ということらしいです。

「歴史の影に女あり」って、こういうことでしょうかねえ。
出展は『性的唯幻論序説』(岸田 秀著、文春新書、平成11年)でした。

「性欲」の発明

今日は暖かくて、たいへんうれしい。
しかも、部長にお昼をおごってもらったので、うれしさ二倍なのじゃ。
麻酔のおかげでまだ気分が悪かったけど、おかげで、もりかえしました。
どうもありがとうございます。優しさがウレシイ。今日もひとさまに養ってもらって…

で、岸田唯幻論の続きであります。今回はちょっと、歴史的。

「性欲」とか「恋愛」という言葉は、いつごろできたのかというと、日本においてははっきりと、明治時代。つまり、西洋語の翻訳だったのでした。
ところで、西洋の言葉といえばまず聖書だが、このなかには「性欲」という言葉は無いそうです。
キリスト教は昔からセクシーな関係を極端に抑圧してきた文化で、その考え方は、
子孫繁栄のためには仕方がないことだけれども、ないですむなら、ないほうがよい。
というものでした。結婚のとき男女を結びつけるのは「神の名において」であって、恋愛とか、性欲ではなかったのです。
ところが近代になって進化論なんていうものが出てきて、人間が「神に造られたもの」ではなく猿の子孫だということになると、人間も動物として扱われるようになる。また、信仰が薄れ「神は死んだ」の時代になると、もう人間の男女を結びつけるものがなくなってしまった。

ここで登場するのが「恋愛」と「性欲」であります。
どうして一つでなく二つかというと、キリスト教では昔から「霊」と「肉体」があって、「アガペー(神の愛)」と「エロス(肉体的な愛)」があった。西洋人もさすがにそこから、そう急には変われなかったというわけですね。
ともあれ、長年キリスト教の厳格な教義に縛られてきたことへの反発もあって、これは一世を風靡した。
けれどこれが、清らかな「恋愛」と、いやらしい「性欲」は別のものとみなされる原因になってしまったんです。
清らかとかいやらしいとか、そりゃ当人同士の気持の問題じゃないか、っていう気もするんですけどね。心と体は全然別物じゃないし…
しかし人間とは恐ろしいもので、そう思えば、そうなってくる。「ロマンティックで清らかな恋愛」と「軽蔑すべきいやらしい肉欲」は、この流れで、どんどん分離していった。ピューリタンとかは前者の流れで、エッチなことにはそっぽをむくけど、全然関心がないわけじゃないっていう点で、悪く言えば偽善的。何となく、平和の名のもとにあちこちで戦争している今のアメリカ人みたいかな。

で、西洋文化の輸入とともに、日本も、この影響を受けることになった。
日本人はもともと、男女の関係は、「夜這い」とか、わりとおおらかなものだったらしい。だから「好き」と「寝たい」はおんなじもので、西洋のように分裂してなかった。
ところがこの西洋的分裂は、意外なことに、非常に早く日本人の間に浸透した。
というのは、日本にはキリスト教に対する反逆はなかったけれども、家へ、家父長制への反発というものがあったからである。
明治政府は西洋に追いつくために、それまで一部の階級にしかなかった家父長制を拡大して、西洋と同じように全階級に及ぼそうとした。四民平等で、皆が家を継ぐ。とすると、結婚は個人の自由ではなく、家と家とを結びつけるためのものになってくる。
けれどこれは体制側からの押しつけですから、反発が起こる。そこで反撃の手段として登場したのが、西洋と同じく「恋愛」だったというわけ。
けれど理由は、それだけではなかった。ここには、西洋の資本主義が影響してくるのである。じゃーん。
というところで、つづく。

しかし、なにげに思うが、このロマンティックのかけらもない恋愛論。
私はこれでも、女だろうか。うむむ…

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