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★藤原新也氏から、久しぶりの若者への<重い>メッセージ。
sinya talk http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php より。
2007/07/14(Sat)
借りた金は死後には返せない
1カ月ほど前、真鶴の漁師の友人に誘われ、釣りに出かけた。
鯖、カサゴなどの、まあそこそこの魚を釣ったわけだが、驚いたことがある。海水の温度が22度もあったのだ。この季節には考えられない水温だ。それよりも5度低い17度近辺というのがこの季節の海水温の正常な温度であるわけだが、5度とは異変を通り越して異常と言わざるを得ない。海水というものは気温のようにばらつきがあるものではなく、普通2度高いというと「えっ」と驚くわけだが、5度というのはむなおそろしい。
漁師もこんな海ははじめてだという。水温異常の関係で普段は盆過ぎに出るクラゲも発生しており、かなり無茶苦茶な状態である。
温暖化というものは学者の言うように予測係数のグラフで描けるものではなく、さまざまな現象が相乗して加速度が付き、一挙に急激な変化をもたらすのではないかというのが真鶴からの帰途でふと襲われた予感である。
そう言った自然の異変というものは何も今に始まったわけではなく、異変を言われはじめて相当の年数が経つわけだが、農耕民族のDNAを持つ日本人のように自然のモラリティに依拠してきた民族は、かりに農耕を営まないにしろ、自然の異変によってなんらかの精神身体の変化に見舞われるのではないかというのがかねがね私が思ってきたことである。そういう意味では自然の異変が言われてきたころから今日にかけ、目を覆うような日本人の退廃は超自我(神=自然)をなくした民族の行き着く先の恐さを物語っている。
姑息なごまかしばかりやってそれをまたウソで塗り固めている企業の役員や社長が入れ替わり立ち代り週替わりで国民の前で頭を下げている光景など、どんな後進国に行っても見られない光景だし、年金問題などはもうすでにこの国が滅びていることを表している。
それは不正とか詐欺というレベルのものではなく、すなわち退廃に他ならない。つまり不正というものには正や善という反座標があるわけだが、退廃にはその反座標すらないのだ。
巨大な腐ったどぶの中(厚生労働省→社会保険庁)に腐ったぶよぶよとした無数の肉片(職員)が浮いていているがゆえに、自分が腐っており、くさい臭いを発しているということすら自覚できない。それが「退廃」という言葉の意味するところのものであり、すなわち無間地獄のようなものだ。それはなにも厚生省に限ったことではなく、多くの企業集団や政治家集団にも言えることだ。
★こんな腐ったどぶの中に年金の掛け金など振り込むと、その金も腐ってしまうから、もう若者は「どぶに捨てる」ような金は使わず、自分を信じ、自分の老後は自分で支えて行く覚悟をしたほうがよい。選挙目当てに「一人残らず救います」なぞと付け焼刃的なことを政治家は言っているが、言葉を信じてはならない。顔を見ろ。
自然が壊れているように、今日ほど政治家の顔が壊れている時代はないのだ。君たちの掛け金はきっと保証されないだろう。それは私が保障する。何十年後のことだ。いま「やります!」と大見栄を切っている政治家のほとんどは結果責任を負うまでもなくそのころには死んでいる。だから言いたい放題なのだ。
君たちから借りた金は俺の死後にきっと返すからと言っているようなものだ。詐欺師の言葉というものは注意深く聴いていると笑えるのである。
★↑上の写真は、新著『名前のない花』:東京書籍 発行年月 2007年7月 価格 1,470円(税込み)
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