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『聖母像の到来』若桑みどり
青土社 2008年10月刊
『画商の眼力』長谷川徳七
講談社 2009年1月刊
●書店の効用とは?
思いがけない「出会い」もそのひとつだと思う。
目的は、故・若桑みどりさんの書き遺した「到達点」、『聖母像の到来』で、
美術書の棚に向かったのだが、そこで目に飛び込んできたのが『画商の眼力』というタイトル。
手にとって帯を見ると「私に藤田嗣治の鑑定ができる理由!」とある。
藤田は「読書日記」で紹介を続けている★「陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記」の登場人物の一人。
目次も詳しくは検めずに購入した。
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2月の月曜日といえば、不況に泣くドライバーも笑い出すほどのヒマな一日で、
早速、第二章 藤田嗣治の鑑定 から読み始めたのだが、どうということもない記述の連続で、
(ただし、藤田の戦中の画・「ハルハ河畔の戦闘」について記された箇所は除く。)
「失敗だったな」と思いつつページをめくると、
第四章は、★私が見抜いた贋作 とあり、「佐伯祐三真贋事件」について語られていた。
失念していたが、『画商の眼力』の著者・長谷川徳七氏は日動画廊の代表者で、
「佐伯祐三真贋事件」の第一級の当事者だったのである。
以下、本文を紹介しながら『画商の眼力』・第四章に対する疑義を記していきます。
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目覚めると、快晴で暖かいのは助かるが、異常なの(3月下旬なみの気温)も確かで不安も感じる。
地震の対策だけは、やっておこうと思う。
『画商の眼力』の紹介は長くなるので、文字数制限のない「読書日記」のほうで続けます。
→ http://2006530.blog69.fc2.com/
ここでは、若桑みどり『イメージを読む』の一節を紹介しておこう。
ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画(テーマは「天地創造」)についての講義の一節。
ミケランジェロがまだ10代のときに、フィレンツェでサヴォナローラという僧侶が熱烈な
教会改革運動を起こし、腐敗堕落した教皇とローマ教会を攻撃、イタリアの滅亡を予言した。
宗教改革のほんの20年前のことである。
サヴォナローラは、1498年に火刑に処されたのだが、ミケランジェロは彼に強い共感を抱いていて、兄宛に「サヴォナローラこそ真の聖人である」という意味の手紙を送っている。
以下、引用です。***************
・・・ということはミケランジェロが、法皇庁の礼拝堂においてノアの大洪水を描きながら、サヴォナローラの予言(*「新しい教会」の建設なしでは、イタリアは滅亡する)を描いたという推測はなりたつのです。当時の教皇はユリウスニ世で、もちろんアレクサンデル六世ではありません。
でも、彼はとうていそのことをはっきりと言うことはなかったと思うのです。彼は真実をイメージのなかにかくしたかもしれない。
いや、いまでも、私(若桑)が言っていることはあいかわらずある種の人にとっては危険きわまりないことなのです。
ある友人は、そういう学説は発表しないほうが無難だ、と忠告したくらいです。
ときには、ひとは命がけで描いたり、書いたりしてきたのです。それはいまでも同じことです。でも、たとえ危険があったとしても、真実は追求しなければなりません。
いちばん恐ろしいのは自分のいっていることが真実ではないということだけです。
みなさん、このへんで、ちょっと疑問に思いませんか。世界中の観光客が見にいっている、テレビでもやっている、ガイドブックも腐るほど出ている、そんな有名な絵の解釈が曖昧で、定説がないなどということがあるだろうか、と。それに、ミケランジェロ本人に聞けばそれですむようなことではないか、と。
そのとおりです。歴史学では、その本人またはその同時代人の資料がいちばん大事です。けれども、この絵の場合、その主題についてのどんな資料も残っていないのです。
契約書もないし、ミケランジェロも口をつぐんでいます。キリスト教会は、この頃、ルターが出現する直前で、危険なことや、異端や、宗教裁判や、さまざまな流派が渦巻いていて、予断を許さない状況でした。
彼が生きていた1475年から1564年という時代は、おそらく西欧最大の危機のひとつでした。彼は一生涯システィーナ礼拝堂に何を描いていたか言いませんでした。
彼の伝記を書いたジョルジョ・ヴァザーリの『芸術家列伝』が出ていますが、その中のミケランジェロ伝はなかなかおもしろいので読んでください。これは1550年に出版されています。
宗教改革の真っ最中です。異端審問というのがあって、みなさんも『薔薇の名前』という映画で見たかもしれませんが、すこしでも教会の教えにさからうようなことを言ったり、したりしたら、容赦なく首が飛ぶ時代でした。
1498年にサヴォナローラが火あぶりにされ、1600年にはジョルダーノ・ブルーノが火刑に処せられ、1632年にはガリレオが裁判にかけられています。この有名な絵のほんとうの意味がわからなくなったのは、それが隠されたからです。これが書物だったら、だれにも意味がわかってしまうから、『薔薇の名前』のなかでボルヘがアリストテレスの本を隠したように、書庫のおくに隠すか、実際にたくさんの本がそうだったように焼かれてしまったでしょう。けれども幾重にも複雑な意味をもった、曖昧な芸術作品は、解読するキーをもっていない人にはただの美しい画面にすぎませんから、生き残ったのです。
時代が変わって、もはやいかなるタブーもなくなったとき、いまがそうだと思いますが、それでもカソリックの人たちは、私を攻撃しています。でも、しだいにミケランジェロが言いたくて言えなかったことを探ることができるのです。よく人は未来を探ったり、新しい文明をつくったりする科学者を発展的だといい、過去を探る歴史学者をうしろむきのオタクだといいます。
それは、ミクロの世界の未知がマクロの世界の暗黒よりもくだらないと思うのに似ています。どの方向にむかおうと、真実に価値の上下はありません。真理を発見しようと思ったときそこに暗黒があったら、それを解明するのがわれわれの役割です。過去を分析し、解釈することによってのみ、われわれは現在および未来についての判断のデータを得ることができるのです。
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