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 『東西食卓異聞』
2。うどん王国の不思議<続>


  ・・・
 実際、今度調べてみて、うどん屋で「味の素」の壜を見かけたかを問い合わせると、香川県人や県出身者はたいてい複雑な、傷つけられたような反応を示す。ほとんど判で捺したように「わが県は炒り子(いりこ)文化の中心地で、うどんだしにも味の素を使ったりはしない」と拒絶反応をみせ、いやそうではなくうどん屋の卓上に客用に置いてあるかどうかを知りたいだけだ、といっても「そんな店もあるかもしれないけれど、ほんとのうどん好きはそんなものは使わない」と、にべもない。確かめたくもないという感じなのである。

 仕方がないので、統計ではどうなっているか、うまみ調味料の県別消費量(人ロー人当たり)で香川県のランクはどの辺にあるのかを調べようとした。しかし、うまくいかない。総務庁(元総理府)の統計はうまみ調味料を独立項目に立てていず、うまみ調味料の組合はデータを持っていず、最大手企業の「味の素」本社は、「資料はお知らせできない」と断ってきた。よく批判される同社の「秘密体質」というのがこれかと思う。しかし、これくらいで怯んでいたのでは、長年「現代産業論」なんて講義をしてきた元経済学者の看板が泣く。といいながら、じつはもっぱら現役学者ども(香川県出身者を含む)の力を借りて、社内統計や流通・加工業者側の証言を手に入れてもらった。どこからというのは遠慮しておくが、数字はすべて味の素で、他社製品は入っていない。

 結果はやはり県別の数字は得られなかったけれど、四国地方の数字を全国平均や他地方と比較することはできた(各地方の支社からはその地方の全域に支店のあるスーパーヘの出荷を含め卸段階で集計するので、県別にはデータがないという)。それをみると四国地方の人ロー人当たり「味の素」消費量は、全国平均の1.36倍、関東地方の2.88倍であることがまずわかる。
卓上壜でいくと30グラム壜だと、四国は関東の1.25倍だが、全国以下で0.79倍しか出ていないのに、75グラム壜だと関東の2.39倍、全国の1.16倍と両者を上回る。もっと大きな袋や缶ではさらにその差は広がる。つまり、四国は家庭用の小壜消費では他地方とあまりかわらないが、大きな単位になるほど他地方と水をあけるようになる。うどん屋の壜は詰め替えが多いだろうから、味の素全体の人口一人当たり消費量を上回る数字になるとみてよいのではないか。

 しかし、右の数字から何か決定的な結論を導き出すわけにはいかない。県別の数字はないし、他社のデータが入っていないからだ。かりに「味の素」社が四国では独占的な地位を保持していて、逆に他社は関東地方で強力であったとすれば、右の数字の意味は消し飛んでしまうだろう。

 それにもかかわらず、私はたぶん村上説=「香川県の多くの人はうどんに味の素をかけて食べるのである」=は当たっているだろうと思う。ある大手の讃岐うどん製造会社の社長さんの話によると、生醤油でうどんを食べる人の比率は他県に比べてかなり高く、どうしても調味料をちょいと振りかけることになるというのであり、それは説得力がある。村上が高松の大きなうどん屋で観察したところでは出し汁うどんと醤油うどんの比率は半々であったそうだ。
 私は西の隣県である愛媛県の東部で少年時代をすごしたがヽそこではうどんに醤油をかける習慣はなく、味の素をかけることもなかった。
 
 ところで村上は、その醤油うどん自体を「ディープ」というのだが、はたしてそうだろうか。私は醤油だけでうどんを食べるのは気が進まないけれど、香川県でふつうに行なわれているすだちと醤油(それに生姜と大根おろし)の組み合わせはディープどころか、なかなかにお洒落なうどんの食べ方と思っている。そういう食べ方を有力な選択肢として持っている香川県の食のあり方はけっこう隅に置けないものではないかとも思う。ただ、いい醤油があるかが問題である。それがなければ讃岐うどんは、麺にこだわるだけの、奥行きのない=「ディープでない」=食文化ということになりかねない。イタリアの南部だってパスタの食感とともにソースを大事にする。村上は味の素に眼が行くまえに醤油の質を問うべきではなかったろうか。

 こういった素材重視型の食文化は、一見原始的に見えるかもしれないが、じつは、素材のひとつひとつがしっかりした伝統を背負っていることが多い。
 香川県は古来「讃岐の三白」を名産とした。砂糖(三盆白)、塩、そして小麦粉である。いずれも食品原料であり、うどんはそのうち「二白」―塩と小麦粉―を原料とする。塩はもちろん醤油の原料でもある。小麦は県西部を主産地とし、とくに讃岐富士と呼ばれる飯野山が影をおとす範囲にいい小麦がとれたといわれる。いまもこの辺りには美味しいうどんを食べさせる店が目白押しである。
 
 現在全国のうどん原料の小麦粉は九割方がオーストラリア産である。1980年頃に日本のうどん原料用に作られたASW(オーストラリア・スタンダード・ホワイト)が品質・価格で国産粉を圧倒した。近年の讃岐うどんブームをもたらしたのはこの輸入小麦粉である。香川県でも地粉は壊滅状態であったが、近年ブームに合わせてようやく「さぬきの夢2000」といった、ASWに風味では劣らぬ粉が開発された。ただ値段が高いので、これまでのディープな名店では使うことができないのは皮肉な話である。地粉から作られたうどんは今も、島木健作のむかしと変わらず、ハレの日だけのものなのであろうか。
 
 ところで、うどんがなぜハレの食べ物たりうるのか。
 近年のように「そば」がむやみに高級食品化してきて新しい店では店構えだけをとっても、うどん屋とは別格のお洒落なところがふえてくると、うどんが本来はそばよりずっとぜいたくな食品だとか、ハレの日のとっておきの食べ物だとかいっても信じてもらえないかもしれない。元「有楽町更科」の藤村和夫は、そばと比べて蛋白価が低いから、肉やほかの食品と一緒に食べるので、昔からうどんは上流階級に愛されたのだという。
 栄養説はともかく、讃岐のうどん屋に目移りするほど豊富な食菜群が並べられていてそれが魅力となっていることはたしかだ。ちくわやサツマイモをはじめとする各種てんぷら、品数豊富なおでん、いなりずし、巻きずし、おにぎり、油揚げ、コロッケといったラインナップは、なるほどそば屋にはみられないものだ。仲良し食菜集団をつくりやすいので、田舎のハレにはもってこいなのである。孤高狷介のそばとは遠い世界である。それでいて、人に振舞うため足
踏みにたっぷり手間をかけて作られているところもハレにふさわしい。
 そば上手に粋の世界に入り、いつしかうどんと立場を逆転させた。「粋というのはつまらないものに金を払うことで、自分たちで勝手にイメージを膨らませて高い金を払って喜んでいる」と藤村はいう。うどんはその点、讃岐即田舎のイメージがつよくて損をしたかもしれない。
 
 讃岐には「ハレ食三傑」というのがあって、うどんのほかに醤油豆、フナのてっぱいという耳慣れぬ食べ物が挙げられる。醤油豆とはそらまめを乾煎りして砂糖醤油に浸したもの、フナのてっぱいとは、うろこをこすり落としたあと三枚に下ろしたフナを、短冊形に刻んで塩もみした大根とあわせ、砂糖と酢味噌であえたもの、つまり「なます」である。てっぱいは田植えで溜池から水を抜くときどっさりフナがとれるので、どの家でもこれを作る。どれをとっても素朴なもので、豪華とか贅沢にははるかに遠い。
 
 香川県は明るく変化に富んだ風光から豊かなイメージがつよいけれど、じつはきびしい条件を抱えた土地なのである。瀬戸内海性気候で雨が少なく、四国四県中唯一つ大河にめぐまれぬ県であり、川が短くて急斜面なので灌漑利用がしにくく、伏流水もとぼしい。弘法大師以来多数の溜池を作って水を確保してきたのに、現在なお水不足はしばしば深刻である。旱魃はしょっちゅうで、江戸時代二百七十年間に三十五回の飢饉を経験した。その上、前に見たとおり農業経営規模が小さく、零細農家の数が多かった。けっして豊かな土地ではなく、ハレといってもご馳走が振舞えるような土地柄ではなかった。
 
 正月の雑煮はれっきとしたハレ食であるが、讃岐の雑煮は餡餅雑煮である。
 これにはおどろく人が多い。たいていが白味噌仕立てで大根やにんじんのうえに餡餅が乗っかる。砂糖の名産地でありながら、裕福な家庭でないとハレの日以外は砂糖がなかなか口に入らなかった時代の名残が、雑煮に残されているのだ。村上春樹がこれを知っていたら、これも「ディープ」と評したであろうか。

 足踏みの手間をかけて入念に作られたうどんは、餡餅雑煮とは趣を異にして、それ自体としてもりっぱなハレ食であった。そのむかしからそうであったかは明らかでないけれど、いまや先に挙げたてんぷら、おでん、いなりずし、それに醤油豆、季節によってはてっぱいといった、店それぞれに目移りがするほど豊富な土地の庶民の食菜集団を従えることによって、はじめ祭りや休暇のときだけのものが、いまや昼食、ときには朝食さえもに変化をつけ、にぎわせることができるようになった。讃岐うどんの世界にも変遷はあり、それがますます「奥深さ」を加えているのではなかろうか。

 この文章は七年まえの小文への長い注釈のようなものになった。社会科学系の学者には往々長い注のついた論文を好んで書く人が少なくない。なかには本文より注の方が良いのさえある。私も若いときにはけっこう長い注のついと論文を書いた。今回は村上春樹の紀行文がよい「出し」になってくれたので、つい先祖がえりをしてかような考証めいたものを書いてしまった。しかし、注の価値はもとより長さにあるのではなく、適当に羽目を外して語れる自由さにあり、社会思想史家の水田洋が田中真晴の『ロシア経済思哲史の研究』を評したように「本文より注がおもしろい」ところに真面目があるはずだ。この一文もそうなっていればよろしいのだが。

  2.うどん王国の不思議 <完>。
 

 『東西食卓異聞』の最後は、迷ったが

 9。鴎外のミスマッチ とします。

うどん王国の不思議。

 2。 うどん王国の不思議 (讃岐うどん)


 ある食物が特定の地域と深く結びついた事例は歴史上少なくない。
 たとえばジャガイモ。18、19世紀のアイルランド農民は、ところによっては一日三食イモで命をつないできた。安くてたくさん採れるからで、それが胴枯れ病にかかったため、悲惨な大飢饉に見舞われたのである。現代でもニューギニア高他人がタロイモに、カナダ・エスキモーが生の海獣肉にかたよった食生活をしていたことは、本多勝一の名ルポタージュにみるとおりだ。

 でも、先進国ではそうではあるまい、およそ食糧難の存在しない現在の先進国で、そんな偏食状況があろうはずがない、と誰でも思うだろう。それがそうでもない。香川県におけるうどんはそれに近いモノ・フード・カルチャー食品である。これほど地域との密着度の高い主要食品は珍しいのではないか。
 統計をみるとおどろくのだが、香川県は人口百万、全国40位の小県というのに、うどんについては生麺、ゆで麺、乾麺のどれをとっても生産量は全国トップである。肝心の消費量は推測のほかないが、全国平均が1人年25玉であるのに、香川県は130〜150玉というのが地元専門家の推定である。これは乳幼児・老人を含む数字だし、いくら香川県人でもうどん嫌いはいるだろうから、それらを除いた典型的成人の値を想像すると、うどん好きの私も胸やけしそうになる。
 
 なぜ香川県人はそれほどにうどんを食べるのか。
 簡単に答の出せる問いではないが、ひとつ確かな答を挙げておく。讃岐のうどんは他地域で類をみないほど安い。百円台、二百円台のうどんが珍しくない。県下ベストテンに挙げられる「名店」でも、すべてそうなのである。「百円以上の店は観光客向けだ」といわれたこともある位で、これなら気軽に食べられる。
 ではどうして安くできるのか。まず店構えに金をかけない。名店巡りをしていて困るのは目当ての店が中々みつからないことである。看板もないし、農家の納屋や製麺所の片隅といったところが多いからだ。
第二に人手をかけない。多くはセルフ’サービスであるここで「セ」ルフ」というのは持ち運びのことではない。うどん王を好きなだけ取り、筒状のざるに入れて温め、丼に入れてだしを注ぎ、具をのせるという一連の作業は客がするのである。うどん屋はた
いてい、おでんやいなり寿司が置いてあるが、それも自分で取って皿に入れる。裏の畑でネギをとらせる店さえある。値段の自己申告方式の店も珍しくない。
 第三にわれわれの感覚では、うどんの生命のひとつは、「だし」であり、これに材料費の相当な部分がかかるのだが、香川県では往々醤油だけですませる。麺の質が低いと食べられたものではないが、良いうどんだと腰のつよさやのどごしの触感だけでかなりの満足感が得られるので、それですませることができる。言いかえれば、うまいから安くできるのである。
 最後に、美味しいうどん屋の多くは製膳所を兼ねている。沢山作るから安くでき、出来たてを食べるからうまい。おでんを「副食」というのもよく考えられている。人手を省いて売上げは伸びる。
 つまり、讃岐うどんは、うまいうえにコストを抑える工夫があるから安くできる。だから多くの人が食べていっそう安くなり、さらに多くの人が食べるという、まことにけっこうな循環ができ上がっているということになる。それはたしかにその通りなのだが、ではなぜ他の食物がうまいとはいえぬこの県でうどんだけがうまいのか、というもうひとつの不思議への説明にはならない。
 
 私にとってもそれは難問なのだが、それを考えるたびに胸に浮かぶひとつの光景がある。島木健作の『生活の探求』(正続、1937、38年)は香川県に舞台をとった転向小説であるが、そこには盆になると村の製麺所が一升二升の小麦を持ち込む女たちで賑わったことが生きいきと描かれている。戦前にはうどんは、盆や祭り、遍路の接待などの折にしか打たぬハレの食べ物だったらしい。香川県は全国屈指の一戸当り耕作面積の小さい「五反百姓」ばかりの過密農業県だった。小作争議が頻発し、島木も東北大学を中退して争議を指導するため来県し、検束投獄されたのだった。温暖な気候から二毛作が可能で、裏作の小麦が辛うじてそうしたささやかな「ぜいたく」をゆるしたのではないか。足踏みなどに手間をかけた讃岐うどんのうまさのなかに、そうした切ないハレの味を感じてしまうのは、私のようにわずかでも戦中の農村を知る年輩者だけのことであろうか。

 いくらかはそういう思い入れもあって、わが家では時たま香川県から生麺を取り寄せている。が、そこまでしなくてもけっこういける冷凍麺がスーパーでいくらでも手に入るご時勢である。だのに、うどん愛好家の多いこの関西で、うどん屋の麺の水準が往々冷凍麺にも及ばないのは、やはり歴史の違いの反映なのだろうか。私にはじつはこっちの方が、讃岐うどんのうまさ以上に切実な不思議ではあるのだが。

 *************

 上の小文を記したのは1999年頃のことである。それを書くにあたっては現地を食べ歩いたのはもちろん、『恐るべきさぬきうどん』シリーズをはじめとしてめぼしい資料にはある程度眼をとおしたつもりでいたのだが、ひとつ、そのなかにも紹介されていた村上春樹の「讃岐・超ディープうどん紀行」(『辺境・近境』新潮社)は、最近まで見落としたままであった。
 これは1990年10月に2泊3日の食べ歩きを行なった紀行文であるが、軽妙な筆致にもかかわらず、下調べがよくできていて、けっこう読み応えがある。私が集中的に現地を回ったのとたまたま同じ頃で、西讃地方を中心とする「名店」群がまだあまり県外の物好きたちの「観光」の対象にされていなかった。そんな昔の話ではないのに、いま読むともうすでに懐かしい気分になるのはその後讃岐うどんの身の上に起こった変化の大きさのゆえか。
 
 村上の語る讃岐うどんのキーワードは「ディープ」である。「ディープ」とは何か。村上はいう。
うどん屋なんて全国どこへ行ってもだいたい同じだろうと思われる読者もいらっしやるかもしれない。しかし、その見方は間違っている。香川県のうどん屋のありかたは他の地方のうどん屋のありかたとは根本的に異なっている。ひとことで言えばかなりディープなのである。ちょうどアメリカの深南部に行って、ちいさな町で「なまずのフライ」をたべているようなそんな趣さえある。
 
 そう前置きして「ディープ」とは何かを具体的に述べていく。
 まず大根を客に摩り下ろさせたり、出し汁でなく生醤油をうどんにかけるといった辺りから彼の「ディープ」への驚きははじまり、田んぼのなかの小屋のようなところや製麺所の片隅で、客がうどん王を勝手にゆがき、葱がないと裏の畑で取ってきて、食べ終われば自分で勘定して金を置いていくといったシステムを「最ディープ」として感嘆するのである。値段が安いのもディープの一属性であるらしい。
 つまり村上春樹は讃岐のうどん屋たちのつくり出した食文化におどろきと一種の感動をおぼえ、それをアメリカの深南部になぞらえて「ディープ」という表現を与えた。なまずのフライなんて、代表的な、しかしあまり知られていない、黒人社会が生んだソウル・フードを持ち出すところなど、うまいものである。
 
 書かれた中味そのものは右に挙げた拙文の観察と重なるし、いまではかなり広く知られていることが多い。ただ私がこれは、と思ったのは、十軒近くの彼が訪ねた名店群のほとんどで卓上に「味の素」の壜が置いてあったという箇所である。彼はそこから、味の素は(ほかの薬味とともに)讃岐うどんの「必須アイテムと言っていいだろう。香川県の多くの人はうどんに味
の素をかけて食べるのである。こういうのもかなりディープである」という。これは気付かなかったなあ、やはり作家の観察力はわれわれとは違うのだなと感心した。
 しかし、学者とは疑り深い種族であって、ほんとうに味の素は香川県のうどん屋でそんなに使われているのか、たしかめてみたいと、私は思った。味の素をかけるのがディープというとらえ方には、なにやら香川の食文化への揶揄の気分が匂う。いまどき味の素をどっさり使うのは、海外ではタイや東南アジア諸国、国内では加工食品やインスタント良品への依存度の高い低所得・低学歴層に集中しているというのは周知のことで、いわゆる「民度」の低さの指標と
いっておかしくないからだ。

 つまり、彼の「ディープ」とは「深南部」の「深」とか、「陸奥」の「奥」といった中立的な地理的概念であるというよりは、関西弁で「ど田舎」というときの「ど」に当たるマイナス・イメージを含むのではないか。ディープとはじつにうまい表現で、「深遠」とか「奥深い」といったプラス・イメージを喚起させながら、そのじつ反語的に使われていて「ダサい」とか「片田舎の」といった意味を忍ばせているのではないか。また逆に、そういったところを通り抜けて「反時代的」、「反俗的」と言った境地まで暗示しているようにもみえる。村上は人の反感を買うような言葉遣いはしないし、その辺は巧妙に曖昧なのだが、それでも彼が超ディープな店と推す中村うどんやの屋外の石に腰掛けて、朝からうどんをずるずるすすっていたりすると、だんだん「世の中なんかどうなってもかまわない」という気持ちになって、「うどんという食べ物の中には、何かしら人間の知的欲望を摩滅させる要素が含まれているに違いない」と、ちょっとこわいことを書きつけたりもするのである。
  ・・・<続>

 

『東西食卓異聞』

 『東西食卓異聞』
  21、塩釜のさんま−東北幻想 (続)

 Nは現役で東北大学に入学した。帰省するたびに仙台での「文化ショック」について語った。新入生のコンパで「誰でも知っている歌なら北上夜曲だから、一緒に歌おうよ」と幹事に呼びかけられ、実際知らなかったのはぼくだけだった、あれは東北大学の校歌ですよ、いやとんだところに迷い込んだものだ、などといかにも愉しそうだった。関西ではこの歌は歌声喫茶などですこし広がり始めたばかりの頃である。
 食いしん坊である彼は東北の食についても大いに語った。
 
 あるとき彼はさんまの刺身を食べたことがあるかと言い出した。秋になると仙台の外港である塩釜にさんまが入る。それはマクロやブリなど及びもつかぬ味なのだが、仙台では鮮度が落ちるので、どうしても塩釜に行かねばならない。彼は友人の網元の家に泊めてもらい、早朝四時に叩き起こされて、入港したばかりの漁船から揚がったさんまを造ってもらって食べた。脂の乗り加減が豊饒にして艶麗、わさび醤油ではなく、ポン酢で食べるのだが、問題はその果実酢だという。スダチやカボスのような上品な園芸品種ではさんまの脂には対抗できないのであって、津軽の十三湖付近に自生する、北限に近い「ヤマトタチバナ」の野性そのままの強烈な酸味をもってきてはじめて北の味覚の至高の結婚が実現する。網元の家では縄文土器のような壷に津軽から取り寄せた橘の絞り汁を貯え、寝かせているのだとも教えてくれた。
 国文科の学生であるNは言葉を継いで、「先生、万葉集の巻六を思い出してください。『橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の樹』とあるのは、このあたりのタチバナを歌ったものです。十三湖はジュウサンコなどとは詠まず、トサガタです。その方が冬に白鳥が飛来するこの美しい海沿いの潟湖にはふさわしい。I十三湊も十三の砂山も、トサミナト、トサノスナヤマでなければさまになりません」と熱っぽく語るのであった。

 父が国鉄に勤めていた余禄でNは日本中の鉄道を知っていた。その彼が十三湖を通る五能線の特別な美しさを称えているのを聞いているうちに、私は、そういえば柳田國男は椿の北限を津軽半島の北端としていたな、タチバナもそうなのか、植物分布のブラキストン線(津軽海峡)というのはちゃんと生きているのだな、と何となく納得したのである。
 それでも私には疑問があった。「でもタチバナというと、人名、地名では畿内か、もっと西、四国から九州辺に集まっていると思うし、柑橘類の産地もそうだと思っていたけれど、そんな東北の涯まで行ってたのかな」と呟くと、彼は『日本書紀』を持ち出して私の蒙を啓いた。『書紀』の皇極三年の条に、東国では常世の神と称して虫が祀られるときに常世虫は「常に橘の木に生る」と記されているというのだ。田道間守(たじまもり)が橘を求めて旅立った常世の国は南方とは限りませんよ、とたしなめられた。

 大学を卒業して国語教師になったNの赴任先は宮城県北部の築館高校だった。築館は知られざる名山栗駒山の南東麓に近い町である。1627メートルの高さで深田さんの例の百名山にも入ってないが、以前からねらっていた山なので、これをいい機会に訪ねたいと思った。

 Nはもう結婚して所帯を持っていた。夫人は彼の学生時代の下宿(国鉄職員の大きな家)の娘さんで、私が初めてお会いしたのは中学を出て間もない頃、濃く黒い髪にひたむきな表情の大きな眼、初冬の候で白い頬を寒気に紅くそめた凛々しい少女だった。雪沓の似合いそうな子だなと思った。「まえに失敗しているから、先生には鑑定してほしいと思って」と彼は照れていたけれど、それは口実、引き合わせたかっただけということは一目でわかった。

 築館で再会した夫人は、その頃のご馳走の定番であるすきやきを用意してくださったのだが、それがこの地では「定番」でないことを私は知る。Nと散歩がてらに、町には一軒しかない肉屋に寄ったとき、私は、東北では「肉」というと豚肉であり、牛肉は50キロも離れた仙台に注文して取り寄せねばならぬことを初めて知ったのである。特注の牛のすきやきは上々の味だった。そして翌々日、人影も雲の影もない栗駒山頂で、私は夫人特製の牛肉の佃煮とヤマナの煮付け、大きなおにぎりの弁当を広げていた。ああ、何たるぜいたくかと独りごちながら。

 しかし、私があるショックを味わったのもこの滞在のときである。
 何の話をしていたときであったか、ふと私が「塩釜のさんまの刺身は、あれからも味わう機会はあったかな」と訊ねたら、Nは「え、何の話ですか」と戸惑い、重ねて試くと「億えていません」と答え、一瞬間をおいて小さく「創作だったですかね」と付け加えて、バツがわるそうに笑った。作り話だったというのである。
 「そうか。キミの話で、さんまは落語に出てくる目黒ではなく、塩釜に限ると思っていたのだが、そうではなかったか。それにしても、キミ、嘘をつくにはいい記憶力が必要だよ」と、こちらも笑ったものの、では話の後段のタチバナの件もフィクションだったのかと確認する勇気はなかった。あの美しい話を壊してしまうのが怖く、惜しかったのである。ずっと後になって十三湖を訪ねる機会があり、名物のしじみ汁の店にも寄ったが、見回したところみやげ物のなかには柑橘類らしいものはなかった。橘のことを訊ねることは、やはりしなかった。
 それから何年かたってNは突然持病の狭心症の発作で他界した。明け方のことで、夫人がニトロの舌下錠を取り出している間にこときれたという。あのやさしく愚かな、サービス精神の塊のような男はーと私は想像するーもしかしたら苦しかったのに夫人を起こすのをためらっていたのではないかと。何しろ頼まれもしないのにやくざに向かって体を張ってウソをつきとおしてくれた男である。東北ならではの新奇な話柄を求めていた知りたがり屋の私のために「塩釜のさんま」物語まで創作してくれた男なのである。

 葬儀が終わってまもなく、未亡人からご相談があった。K高校時代に可愛がっていただいたもう一人の先生にNはすこしばかり借金があったという。長く音信は途絶えているのだが、彼はそれを返すと先生が淋しがるのではと気にして、返しそびれていた。どうすればいいかという趣旨だった。この究極の気配りに私がどう返事したかは忘れたが、未亡人は手紙を添えて金子(きんす)を返済され、先生からはあれは差し上げたものだから返却には及ばぬとして、香典を添えて返してこられたと聞く。
 
 それからさらに何十年、毎年新米の季節になると、未亡人から吟味した「宮城ささにしき」が送られてくる。そのたびに私は思う。あの男はきっと生前、夫人には私との腐れ縁を世の常ならぬ師弟愛の物語に潤色し、ときには創作して聞かせていたにちがいない、と。そうでなければ、こんなにしていただけるわけがない。かといって、冥土のNの舌を切りに出かけるのもまだ気が進まないから、落とし前をつけられぬまま、債務は年を追って溜まるばかりである。
   21.塩釜のさんまー東北幻想 <完>
 

イメージ 1

 

 ●年末になると、あちこちから「今年の一冊は?」という話し声が聞こえてくる。

 そんな時、私は迷わず、次の本を挙げる。

 ★高橋哲雄・『東西食卓異聞』 −ミネルヴァ書房 2007.4.20 。 

 先ず、郷土の味が取り上げられている一章から紹介しよう。

 題して、「21塩釜のさんま」−東北幻想−

 ***************

 古い教え子にNといって、東北大学を出て宮城県の高校で国語教師をしていた男がいる。多くの生徒に慕われたいい先生だったが、40そこそこで狭心症で亡くなった。逆縁とはそういうものなのか、胸に残る思い出が多い。

 Nは私の大学院時代、大阪のK高校の定時制で英語を教えていたときの教え子である。飛び切り出来る生徒で、新米教師のこちらが自信のないことをしゃべっていると、きまって首をかしげては辞書を引きはじめる。そのたびにドキドキし、辞書が仕舞われるとホッとしたものだ。
 妙にウマが合い、年齢も4歳しか違わず、社会人経歴は彼のほうが長いとあって、よく一緒に呑み歩いた。高校生と呑み歩くとは穏やかでないが、当時の定時制高校、とくにK(高校)のようにリベラルなところでは、それを咎めるような空気はなかった。実際どちらが大人だか怪しいもので、こちらが懐に不安を感じながら呑んでいるときなど、勘のいい彼はそれと察してトイレに立つふりをして、上着を質に入れて軍資金を調達してくれたりした。
 
未熟な教師だったから、とんでもない失敗もやらかした。Nが同学年の女生徒と恋に落ち、彼女の父親が性質(たち)の悪いやくざだったのがことの発端である。私はたまたまその家の近くに下宿していて、下宿のおばさんが民生委員をしていたので、評判を聞き知っていた。Nから恋愛相談を受けた私は、彼女がNにふさわしい人柄とはとても思えず、交際を止めさせようとするあまり、父親の悪評も彼に話してしまった。
 Nは動揺したようだが、もう熱くなっていて、彼女を諦める気はなかった。それどころか、彼の様子に気づいた彼女の巧みな誘導で、情報もその出所も告白してしまう始末。すぐさま父親が私の下宿に凄みを利かせて乗り込み、同時に学校にも怒鳴り込んだ。
「教師と民生委員が娘の縁談を妨害した」というのである。こういうことではあまり頑張らない私は主事の先生に辞表をあずけて処置を一任、ちょうど夏休みに入ったところだったので、予約していた妙高高原の宿に原稿を書きに出かけてしまった。
 
あとは大騒ぎになったようである。電話もない宿で10日ばかりすごした頃、おどろいたことにNが姿を現した。主事の帰阪命令を伝えるとともに謝りにきたわけだが、彼女と切れるつもりはなかった。私も翻意させる気はなくなっていて、こっちのことは気にすることはないさ、大学院の奨学金でやっていけるしと、落ち込んでいる彼を慰める方に回った。
 帰りの車中で不意にNが、自分は寝返ると言い出した。予定されていた私の審問の席で自分はこれまで彼女に話したことを言った憶えはないと全面否定するというのである。どうして心境の変化を来たしたかはわからない。そんなことがいまさら通る話しか、失うものが多すぎはしないか、と思ったが、結果だけをいうと、彼は強引に突っ張りぬいた。私は他人事のようにただ彼と彼女や父親との烈しいやりとりを聴くのに終始したのだが、嘘をつきとおすということ、あるいはそれを黙認することがいかにたいへんな精神的エネルギーを要するかは骨身に沁みた。ともあれ、私と下宿のおばさんは救われ、Nと私は以来「共犯関係」に繋がれることになる。
 ・・・(続く)


 

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 ★光のページェントの向こう、県庁、県警本部の前の広場で、
 
  厳しい冬を越す人々もいる。

  その人たちは「光」に何を思うのだろうか。・・・



 ●橋本健二著・『新しい階級社会 新しい階級闘争』──「格差」ですまされない現実。 
   ( 光文社2007.10.30刊 1200円+税 ) を読んでいきます。 


 <目次>
 はじめに
 第1章 格差社会の風景
 第2章 階級闘争としての格差論争
 第3章 貧困化する日本
 第4章 「新・階級社会」の構造
 第5章 もう「上流」にはなれない
 第6章 さまざまな「階級闘争」
 第7章 新しい階級闘争が始まる
 あとがき
 文献一覧

 ●参考
 橋本健二のホームページ
 http://www.asahi-net.or.jp/~fq3k-hsmt/
 橋本健二の読書&音盤日記
 http://plaza.rakuten.co.jp/kenjihashimoto/diary/
 


 「読書日記」http://2006530.blog69.fc2.com/ にアップ中です。


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