|
『東西食卓異聞』
2。うどん王国の不思議<続>
・・・
実際、今度調べてみて、うどん屋で「味の素」の壜を見かけたかを問い合わせると、香川県人や県出身者はたいてい複雑な、傷つけられたような反応を示す。ほとんど判で捺したように「わが県は炒り子(いりこ)文化の中心地で、うどんだしにも味の素を使ったりはしない」と拒絶反応をみせ、いやそうではなくうどん屋の卓上に客用に置いてあるかどうかを知りたいだけだ、といっても「そんな店もあるかもしれないけれど、ほんとのうどん好きはそんなものは使わない」と、にべもない。確かめたくもないという感じなのである。
仕方がないので、統計ではどうなっているか、うまみ調味料の県別消費量(人ロー人当たり)で香川県のランクはどの辺にあるのかを調べようとした。しかし、うまくいかない。総務庁(元総理府)の統計はうまみ調味料を独立項目に立てていず、うまみ調味料の組合はデータを持っていず、最大手企業の「味の素」本社は、「資料はお知らせできない」と断ってきた。よく批判される同社の「秘密体質」というのがこれかと思う。しかし、これくらいで怯んでいたのでは、長年「現代産業論」なんて講義をしてきた元経済学者の看板が泣く。といいながら、じつはもっぱら現役学者ども(香川県出身者を含む)の力を借りて、社内統計や流通・加工業者側の証言を手に入れてもらった。どこからというのは遠慮しておくが、数字はすべて味の素で、他社製品は入っていない。
結果はやはり県別の数字は得られなかったけれど、四国地方の数字を全国平均や他地方と比較することはできた(各地方の支社からはその地方の全域に支店のあるスーパーヘの出荷を含め卸段階で集計するので、県別にはデータがないという)。それをみると四国地方の人ロー人当たり「味の素」消費量は、全国平均の1.36倍、関東地方の2.88倍であることがまずわかる。
卓上壜でいくと30グラム壜だと、四国は関東の1.25倍だが、全国以下で0.79倍しか出ていないのに、75グラム壜だと関東の2.39倍、全国の1.16倍と両者を上回る。もっと大きな袋や缶ではさらにその差は広がる。つまり、四国は家庭用の小壜消費では他地方とあまりかわらないが、大きな単位になるほど他地方と水をあけるようになる。うどん屋の壜は詰め替えが多いだろうから、味の素全体の人口一人当たり消費量を上回る数字になるとみてよいのではないか。
しかし、右の数字から何か決定的な結論を導き出すわけにはいかない。県別の数字はないし、他社のデータが入っていないからだ。かりに「味の素」社が四国では独占的な地位を保持していて、逆に他社は関東地方で強力であったとすれば、右の数字の意味は消し飛んでしまうだろう。
それにもかかわらず、私はたぶん村上説=「香川県の多くの人はうどんに味の素をかけて食べるのである」=は当たっているだろうと思う。ある大手の讃岐うどん製造会社の社長さんの話によると、生醤油でうどんを食べる人の比率は他県に比べてかなり高く、どうしても調味料をちょいと振りかけることになるというのであり、それは説得力がある。村上が高松の大きなうどん屋で観察したところでは出し汁うどんと醤油うどんの比率は半々であったそうだ。
私は西の隣県である愛媛県の東部で少年時代をすごしたがヽそこではうどんに醤油をかける習慣はなく、味の素をかけることもなかった。
ところで村上は、その醤油うどん自体を「ディープ」というのだが、はたしてそうだろうか。私は醤油だけでうどんを食べるのは気が進まないけれど、香川県でふつうに行なわれているすだちと醤油(それに生姜と大根おろし)の組み合わせはディープどころか、なかなかにお洒落なうどんの食べ方と思っている。そういう食べ方を有力な選択肢として持っている香川県の食のあり方はけっこう隅に置けないものではないかとも思う。ただ、いい醤油があるかが問題である。それがなければ讃岐うどんは、麺にこだわるだけの、奥行きのない=「ディープでない」=食文化ということになりかねない。イタリアの南部だってパスタの食感とともにソースを大事にする。村上は味の素に眼が行くまえに醤油の質を問うべきではなかったろうか。
こういった素材重視型の食文化は、一見原始的に見えるかもしれないが、じつは、素材のひとつひとつがしっかりした伝統を背負っていることが多い。
香川県は古来「讃岐の三白」を名産とした。砂糖(三盆白)、塩、そして小麦粉である。いずれも食品原料であり、うどんはそのうち「二白」―塩と小麦粉―を原料とする。塩はもちろん醤油の原料でもある。小麦は県西部を主産地とし、とくに讃岐富士と呼ばれる飯野山が影をおとす範囲にいい小麦がとれたといわれる。いまもこの辺りには美味しいうどんを食べさせる店が目白押しである。
現在全国のうどん原料の小麦粉は九割方がオーストラリア産である。1980年頃に日本のうどん原料用に作られたASW(オーストラリア・スタンダード・ホワイト)が品質・価格で国産粉を圧倒した。近年の讃岐うどんブームをもたらしたのはこの輸入小麦粉である。香川県でも地粉は壊滅状態であったが、近年ブームに合わせてようやく「さぬきの夢2000」といった、ASWに風味では劣らぬ粉が開発された。ただ値段が高いので、これまでのディープな名店では使うことができないのは皮肉な話である。地粉から作られたうどんは今も、島木健作のむかしと変わらず、ハレの日だけのものなのであろうか。
ところで、うどんがなぜハレの食べ物たりうるのか。
近年のように「そば」がむやみに高級食品化してきて新しい店では店構えだけをとっても、うどん屋とは別格のお洒落なところがふえてくると、うどんが本来はそばよりずっとぜいたくな食品だとか、ハレの日のとっておきの食べ物だとかいっても信じてもらえないかもしれない。元「有楽町更科」の藤村和夫は、そばと比べて蛋白価が低いから、肉やほかの食品と一緒に食べるので、昔からうどんは上流階級に愛されたのだという。
栄養説はともかく、讃岐のうどん屋に目移りするほど豊富な食菜群が並べられていてそれが魅力となっていることはたしかだ。ちくわやサツマイモをはじめとする各種てんぷら、品数豊富なおでん、いなりずし、巻きずし、おにぎり、油揚げ、コロッケといったラインナップは、なるほどそば屋にはみられないものだ。仲良し食菜集団をつくりやすいので、田舎のハレにはもってこいなのである。孤高狷介のそばとは遠い世界である。それでいて、人に振舞うため足
踏みにたっぷり手間をかけて作られているところもハレにふさわしい。
そば上手に粋の世界に入り、いつしかうどんと立場を逆転させた。「粋というのはつまらないものに金を払うことで、自分たちで勝手にイメージを膨らませて高い金を払って喜んでいる」と藤村はいう。うどんはその点、讃岐即田舎のイメージがつよくて損をしたかもしれない。
讃岐には「ハレ食三傑」というのがあって、うどんのほかに醤油豆、フナのてっぱいという耳慣れぬ食べ物が挙げられる。醤油豆とはそらまめを乾煎りして砂糖醤油に浸したもの、フナのてっぱいとは、うろこをこすり落としたあと三枚に下ろしたフナを、短冊形に刻んで塩もみした大根とあわせ、砂糖と酢味噌であえたもの、つまり「なます」である。てっぱいは田植えで溜池から水を抜くときどっさりフナがとれるので、どの家でもこれを作る。どれをとっても素朴なもので、豪華とか贅沢にははるかに遠い。
香川県は明るく変化に富んだ風光から豊かなイメージがつよいけれど、じつはきびしい条件を抱えた土地なのである。瀬戸内海性気候で雨が少なく、四国四県中唯一つ大河にめぐまれぬ県であり、川が短くて急斜面なので灌漑利用がしにくく、伏流水もとぼしい。弘法大師以来多数の溜池を作って水を確保してきたのに、現在なお水不足はしばしば深刻である。旱魃はしょっちゅうで、江戸時代二百七十年間に三十五回の飢饉を経験した。その上、前に見たとおり農業経営規模が小さく、零細農家の数が多かった。けっして豊かな土地ではなく、ハレといってもご馳走が振舞えるような土地柄ではなかった。
正月の雑煮はれっきとしたハレ食であるが、讃岐の雑煮は餡餅雑煮である。
これにはおどろく人が多い。たいていが白味噌仕立てで大根やにんじんのうえに餡餅が乗っかる。砂糖の名産地でありながら、裕福な家庭でないとハレの日以外は砂糖がなかなか口に入らなかった時代の名残が、雑煮に残されているのだ。村上春樹がこれを知っていたら、これも「ディープ」と評したであろうか。
足踏みの手間をかけて入念に作られたうどんは、餡餅雑煮とは趣を異にして、それ自体としてもりっぱなハレ食であった。そのむかしからそうであったかは明らかでないけれど、いまや先に挙げたてんぷら、おでん、いなりずし、それに醤油豆、季節によってはてっぱいといった、店それぞれに目移りがするほど豊富な土地の庶民の食菜集団を従えることによって、はじめ祭りや休暇のときだけのものが、いまや昼食、ときには朝食さえもに変化をつけ、にぎわせることができるようになった。讃岐うどんの世界にも変遷はあり、それがますます「奥深さ」を加えているのではなかろうか。
この文章は七年まえの小文への長い注釈のようなものになった。社会科学系の学者には往々長い注のついた論文を好んで書く人が少なくない。なかには本文より注の方が良いのさえある。私も若いときにはけっこう長い注のついと論文を書いた。今回は村上春樹の紀行文がよい「出し」になってくれたので、つい先祖がえりをしてかような考証めいたものを書いてしまった。しかし、注の価値はもとより長さにあるのではなく、適当に羽目を外して語れる自由さにあり、社会思想史家の水田洋が田中真晴の『ロシア経済思哲史の研究』を評したように「本文より注がおもしろい」ところに真面目があるはずだ。この一文もそうなっていればよろしいのだが。
2.うどん王国の不思議 <完>。
『東西食卓異聞』の最後は、迷ったが
9。鴎外のミスマッチ とします。
|