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渡辺敬一郎の名著・『日本ダービー 平成名馬伝説』 第七話 北の大地で見たダービーの夢
★ダービーにつきまとった「3」という数字
そしてダービー当日。牧場のほぼ全員が、場外馬券場詣でをすませ、迫りくるその時をテレビの前で待っていた。疑いもなくみんな、タニノギムレットの勝利を信じている。
一方、東京競馬場では、西山場長が谷水オーナーとともにいた。
「ことここにいたれば、オーナーも勝利を信じたし、わたしも絶対に勝つと思いました。牧場の全員にたいし、負けられないと。かつて、こんなふうにプレッシャーを感じたことはなかった。一頭の馬の勝敗で、自分や従業員のみんなの人生が変わってしまうかもしれない。そんなこと、考えもしなかったんですよ、これまでは。
しかしそうそう緊張してもいられないので、いろいろなことを考えました。誰かが、タニノギムレットのこのダービーでは、【3】という数字に縁がある、と言ってましたが。たしかにそうだと思いました。まずギムレットのダービーの枠順が、ゼッケン3、武豊騎手が33歳。
それにわたし自身が三代目。これでうまくギムレットが勝てば、カントリー牧場、3頭目のダービーになり、武豊くんも3頭目のダービーになります。でも怖いのは、皐月賞、NHKマイルに続いて、3度目のまた3着です」(西山場長)
レースは、タニノギムレットが怒濤の追いこみで、勝利した。ついにカントリー牧場3頭目のダービー馬が誕生した。武豊騎手は、3回目のダービージョッキーになった。
「もうまわりはたいへんな応援で、特にオーナーはすごかった、らしいんですが、わたしは覚えていません。もっともオーナーも覚えていないって言ってますけどね。
ただわたしの覚えていないわけは、オーナーとはちょっと違って、夢中になって、我を忘れたわけじゃなく、そういう状態とは逆に、静かな夢の中に入っていたみたいなんです。
いつもそうですが、スタートから比較的冷静に見ていたつもりです。でも最後の直線は自分
でもほとんど意識がありません。先頭でゴールに入ったことはわかりましたが、まるでスロー
モーションの画像をみているみたいでした。ああ、終わった、これでみんな終わった、という
安堵感がありました。嬉しいとか、感動するとかの感情はいっさいなかった。
その代わりというか、牧場のほうはすごかったらしい。全員がたちあがって応援をしたらしいです。それで声を枯らした、という人もかなりいたらしい」(西山場長)
競馬場全体が、ダービーの興奮に包まれ、お祭りのムードに揺れ、やがて幕が下りたとき、やっと西山貴司場長は、我に返った。
「レースが終わって、タニノギムレットが勝ったことは見ていてわかっていましたが、しばらくは、なにも考えられなかった。ほっとした気持ちがいっぱいで、本当によかったな、とは思うんですが、それだけ。ダービーを勝った、というような爆発的な喜びとか、興奮はありませんでした、長い時間。
それが夜になり、もう一度事実を確かめ、まちがいないとわかり、それからじわじわ喜びが体に伝わっていきました。牧場でもそういう経験をした人もけっこういて、夜に祝電を見たり、翌日近隣の牧場から花束を送ってきたのを見て、ようやくダービーの勝利を実感した者もいたみたいですね」
西山場長は言う。
「ひとつの大きなお祭りは終わりました。あとはまた他の牧場との激しい競争があります。その中でいつも思っているのは、タニノギムレットの産駒で、クラシックレースを勝ちたい、ということです。これがいまいちばんの夢です」 第七話 了。
この1章を長々と引用・紹介したのは、昨日の天皇賞の直線でウオッカが外から追い込んできた
姿にダービーのタニノギムレットを見た、という理由からです。
最後にもう一話だけ。第六話 牧場から鍛えて馬をつくるータニノギムレット から。
・・・(ギムレット)の次走は、明け三歳の1月半ば、京都のシンザン記念。このとき、鞍上にはじめて武豊騎手を迎えた。谷水オーナーの持論「いい馬には、一流の騎手を乗せる」が、最高のかたちで実現したのだ。
この武豊騎手へのこだわりは、松田調教師にもあった。「調教師として、まだ6、7年という浅いキャリアを補うものとして、いくつかのポイントがあるんですが、騎手への依存も正直ありました。武豊くんなら、結果が必ずしもいいとは限らないとしても、調教師としてやることはすべてやったと、納得できますから」
このレースで、ファンもタニノギムレットの存在を、強く意識した。1番人気になったのだ。
「これは嬉しいことでした。やはり1番人気というのは、大方のファンが一番強いと認めてくれたものですからね」(谷水オーナー)
結果も勝って、その存在感をアピールした。オーナーも調教師も、これは嬉しいには違いないが、オーナーにはそれも中くらいだったようだ。「勝ち方が100%とはいえなかった。内からそつなく抜けて、馬が案外器用な脚を使えることと、武豊くんのレースのうまさは目立ちましたが」と谷水オーナー。本当の馬の強さで勝ったのではないということだ。贅沢な注文といえばいえるのだが。
そのやや不完全燃焼のオーナーの気持ちが、次走の、アーリントンカップ(2月末、阪神)の勝利で一掃された。「このときも1番人気でしたが、この勝ち方がすごかった。シンザン記念とは違い、直線で外に出し、どーんという感じで抜けたからね。同じ勝ち方でも、エンジンのかかりが違った。また乗り役の意志に応じて、瞬時に反応したのも、大きな進歩でしたね。それにレースが終わったあとも、ほとんど息が上がってない。これは本物だと思いました。武くんも他に有力馬もいたけど、これでこの馬の真価がわかったみたいです」と、谷水オーナーの意気があがる。
その後のタニノギムレットのローテーションは、もちろん松田調教師の青写真にそったものになった。3月に入り、いよいよクラシックが現実化し、その第一歩をスプリングステークスにした。
そのことはまったく予定通りの進行だが、さすがに武豊騎手の落馬負傷(骨盤骨折。2月24日、中山)は、予測できないアクシデントだった。このことは、タニノギムレット陣営にとって、大きなマイナスポイントになった。谷水オーナーがいうように、アーリントンカップの強さから、武豊騎手ももう、この馬への騎乗は、ほぼ確定の了解事項だったのだから。
代って鞍上は四位騎手。すでに未勝利戦勝ちのキャリアもある。なによりも松田調教師の、彼にたいする評価が高い。これまであまり強い馬に恵まれず、GI勝利の数もすくない騎手だが、その実力は早い時期から認められていた。松田師もその意味では、ピンチヒッター四位は迷わなかった。
そしてスプリングステークスも、16頭の一番人気に推され、これも勝って四連勝。2着テレグノシスとの差はクビだが、内容的には完勝といってもよかった。
タニノギムレット自体は、二歳時北海道でちょっと脚がもやもやしただけで、三歳になってからはほとんど怪我も病気もせずに、頂点ダービーに向かって、確実に強くなっていた。
★惨敗、馬の実力を信じすぎた皐月賞
クラシック第一弾、皐月賞。4月14日、中山競馬場。断然の一番人気だ。18頭の11番だから、枠順もいい。しかしタニノギムレットは後方におかれた。スタートもあまりよくなかったし、終始後方をまわる展開になった。四位騎手は三コーナーから外をまわって追いあげ、直線も伸びたが、勝ったのは伏兵ノーリーズン。二着は一馬身四分の三差でタイガーカフェ、ハナ差三着タニノギムレット・・・。
「これで、四位騎手にはノーと言いました。多頭数のあの位置では、いかに追いこんでも届かない」(松田師)
「もし、それなりの理由があってあの位置からしか追い込めなかったのなら、それからも、少なくとももう一度は、四位くんに頼んだでしょう」と松田師はフォローしているが。
筆者は当レースを見ていて、こう考えた。スプリングステークスの強さが、あまりに四位騎手の脳裡に焼きついてしまっていたのではないか。この馬の実力を信じ、まかせ過ぎたのでは。事実四位騎手もレース後、「自分の馬がいちばん強いと思い、じっくり乗ったんだが」と、コメントしている。
四位騎手は個人的に好きな騎手だけに、このレースは、向こう正面からもう悪い予感、不安に襲われ、結果も最悪に出てしまった。素人考えだが、四位くんが、馬への信頼もさることながら、もっと自分の技術で乗ってもよかったのではないか。
四位騎手がだめだといって、では誰にするか、松田調教師にはそれが問題だ。こういうときにそれなりの人々には、幸運という神様があらわれるのである。エース武豊騎手が驚くべき早さで回復し、4月末から(4月20日復活)早くも騎乗できる状態になったのだ。・・略・・
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