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19 瀬戸内・水物語 <続>
短い秋が終わって受験のことも考えねばならないのに、私は田舎教師の境遇もいいなと思いはじめていた。ルソーの『エミール』などを持ち歩いていて、私の保証人格の遠縁の女性教師からどやしつけられたのはその頃である。彼女は女子師範を出た30代半ばの独身、「西洋人のよう」とよくいわれた色白で彫りの深い美貌と小気味のいい発言、人目を気にせぬさっそうとした物腰で、周囲の軟弱な男たちを圧倒していた。旧弊な母は私が彼女と親しくするのを好まなかった。ついでにいえば、文部省と愛媛県教育長に何十年もいじめぬかれてついに壊滅した愛媛の日教組の最後の何十人かに彼女は定年まで属すことになる。いかなる政党的背景もなしで。
「Tちゃん」と彼女は言った。
「いまのきみは何にだってなれると思っているでしょう。だけど、そうはいかない。校長や教頭のことは知ってるでしょう。彼らの読む本はせいぜい吉川英治よ。教頭はこないだ『宮本武蔵』は理屈っぼくて読みにくいとこぼしていたわ。きみは逆の意味で吉川英治なんてもう読めないと思っているでしょう。確かに彼らには知性なんてない。けれど、Tちゃん、きみは逆立ちしたって彼らほど優秀な小学校教師にはなれない。教室でも、職員室の人心収攬でも、教育長に適当にゆすぶりをかけて予算を取ってくるのだって。その点にかけては彼らは最高よ。
人には持って生まれた分というものがある。ルソーを読んだからといっていい教育者になれるわけではないし、『宮本武蔵』で挫折する程度でも、子どもたちを惹きつけることはできるの。きみは別の可能性を試みるべきよ」。
そうか、「持って生まれた分」か。どやされて自分を考え直すきっかけをつかんだ私がのろのろと態勢を立て直し始めた真冬に入って、少女はまた学校を休むようになった。
南国には珍しく粉雪のちらつくある日、この小さな城下町のお濠端を歩いていたら、人力車に乗った彼女を見かけた。インヴァネスを羽織った父君に抱えられるようにして、いつもはじけるように明るい顔が紙のように白く、こちらを認めて弱々しくほほえんだ。「ああ、病気が重くなったのだ」と思い、その瞬間、唐突だが、私は彼女に恋をしていた。
ずいぶんあとになって思い当たったことなのだが、若い頃の私は結核にかかっている女性、それにもかかわらず健気にというか、ふしぎに明るい女性に惹かれる傾向があったように思う。そして、それはたぶん長姉の死に原因があった。
この姉は5つちがい、20で亡くなった。不幸な育ちで、生後まもなく祖母に引き取られて神戸の両親弟妹と引き離されたまま、女学校の入学まで父の実家の島で育った。家付き娘であった祖母の、孫を手元におきたいというわがままから出た所業で、母は烈しく抵抗したらしいが、どこか祖母に頭が上がらない父の応援が十分でなく、涙を呑んだという。
帰ってきた姉と母はうまくいかなかった。母には乳飲み子がいきなり1人前―と母には見えたー娘になって現われたという現実が俄かには受け入れられず、また姉の些細な言葉遣いや家事のやりかたにも祖母の影を読みとらずにはいられなかった。二階へ駆け上がって涙を拭いている姉を幾度か見かけたことがある。
この姉は読書好き、文学好きで私とはウマが合った。言葉にひらめきや独特の感覚があり、姐御的なところがあって、私が失敗するといつもユーモアに包(くる)めて救ってくれるのが彼女だった。下の姉や弟とは別の、喧嘩にならない仲のよさというものがあることを、私は彼女で知ったのである。
女学校を出て間もなく発病した姉は、弟妹への感染をおそれた父母によって、祖母のいる島の実家に移され、終戦の年に亡くなった。汽車の切符が取れず、出棺に間に合うのがやっとだった。待っていた祖母が蓋をあけると、死化粧をした姉の唇の端から一筋の血が流れていて、その生々しさに私は血の気が引いた。「おうおう、肉親がきてくれたのでよろこんでお迎えじゃな」と、祖母が巫女のように呟きながら血を拭き取ったのが、幻景をみるようだった。
あの一筋の血が私のなかの「女性的なるもの」への想いをどう変えたか、よくはわからない。けれど、ちょうど哲学者デカルトの好きになった少女がたまたま斜視であったことから、以来彼は斜視の少女を見ると好きになり、そういう自分に気づくまでその性癖は改まらなかったという、あの有名な心理作用に似たものが私のなかでも繰り返されるようになったという気がする。もちろん「最初の少女」は姉であり、「斜視」は結核である。
続く。
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