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*当該箇所を『理は利よりも強し』より引用する。
言わずもがなのことかもしれないが、この本の出版は1999年1月。
元記事が『ニューリーダー』誌に掲載されたのは1997年だということは確認しておきたい。
批評というのは語の真の意味で「予断」なのだということを銘記したいものです。
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第5章 アメリカの対日強硬派の虚実(p124-129)
●低レベルの日本問題専門家
コーヒー・ブレイクの時にスピーカーたち(*註は下に記す)に接近して、日本語の力をチェックして驚いたのは、新聞記事や週刊誌を読める程度だったことであり、それで専門家ぶるのでは嘆かわしいではないか。二日目の会議の内容も似たり寄ったりであり、ジャーナリストや学者の発表に共通していたのは、語学能力の至らなさによる欠陥のために、言葉は激しくても内容の据り下げが浅く、こんな程度かと呆れてしまうほどだった。
この報告ではイメージが湧かないというなら、日本にも似た雰囲気の場が存在しているので、それと対比して考えてみたらいいだろう。
それは主観的な思い込みと偏見に支配され、紋切り型で押し出す主張を満載している『諸君』、『正論』、『this is読売』、『潮』、『ボイス』などの月刊誌で見かける、懐疑の姿勢や批判精神の裏づけに欠け、冷静さとバランス感覚のない言論活動がそれだ。系統としては『フェルキッシャー・ベオバハーター』や『日本及び日本人』の流れを汲み、自分の発言だけは正論だと確信しているが、その背後には権力と結ぶパトロンが控えている。
これらの雑誌は銃を使った街宣車であり、小遣い提供を通じた懐柔に目のない、売文評論家や御用学者たちで賑わう、赤電球が光る言論版の低俗サロンだ。これらの雑誌が活字化している発言の多くが、日本側の歴史修正派の見解であるのに対し、米国のリビジョニストは鏡像の役割を演じ、相互が自国中心の偏狭な発想に基づいて、相手のほうが悪いと攻撃の声を張り上げている。
最近における従軍慰安婦問題や教科書問題で、ネオ国家主義に立つ日本の御用知識人たちが、恥も外聞も忘れて不都合な過去の事実を否定し、歴史感覚のお粗末さを露呈して絶叫している姿に、リビジョニストが行なう会議はそっくりである。
幕末の攘夷思想の信奉者たちと同じで、相手に対しての浅薄な理解に基づき、思い込みと偏見で過激な言論を展開し、当事者たちが興奮して情熱的になるに従い、狂気に支配された時代精神が高まっていく。
それが一九八〇年代のアメリカを刺激して、ジャパノロジストの中でよじれが最も顕著なリビジョニストたちに活躍の機会を提供し、日本叩きのエネルギーを盛り上げた。そして、太平洋の対岸において被害者意識を高め、ネオ国家主義の声が日本列島を包み、反米や嫌米の気分の高揚と結びついた。
その背景に相手を真に知るという意味における、日米の間のコミュニケーションが不足して、相互理解の面で抱え込んだ問題があった。ことに情報化時代でニュースの洪水があるために表面的な知識を理解と取り違えてしまい、相手を熟知しているという錯覚に支配され、それが裏目に出てしまったのである。
このようなリビジョニストの台頭の背景には、若いジャパノロジストが即物的傾向を強め、経済的利害を優先に考えていたことがあるわけだが、同時に浅い日本語の能力でも事足りると考え、言語能力の面での徹底した訓練に欠け、相手の文化の深層への理解の欠如があった。
新聞や雑誌が読める程度の能力しかなくても、日本研究者として通用するような時代性は、書けなくても読めるだけで胸を張ったヴォーゲルやカーティスの日本語能力でも、ジャパノロジストたり得た甘い日米関係の持続があった。だから、チャルマーズの読解力でも日本問題の権威者になり、それに続いて中途半端な専門家が輩出し、仲間の英語論文のキャッチボールが得意な、リビジョニストで賑わうことになったのである。
●知日派の系譜と変化の歴史
その点を明確に理解するためには、ジャパノロジストの歴史を知る必要がある。アメリカ日本学の父であるセルゲイ・エリセーフ以来、どのようにジャパノロジーの基礎が確立し、それが育ってきたかを知ることが大切だ。
日本文学を専攻したロシア人のエリセーフは、優秀な成績で東大を卒業してから、革命後にソルボンヌの教授になったが、ハーバードの客員教授として招かれた時に、エドウィン・ライシャワー(元駐日大使)がその弟子になっている。
われわれが知る戦後のジャパノロジストは、戦前の日本に育った宣教師たちの子供で、その中には根っからのバイリンガル世代に属していた、あのハーバード・ノーマンやエドウィン・ライシャワーのような第一世代を特徴づけたマルチ人間がいる。
とくにノーマンのような特級に属する逸材は、日本が誇る最高の人材と交遊関係を築き、シナジー効果でお互いを高め合い、俳句に精通した学習院のプライス教授に肉薄していた。ノーマンは維新史を羽仁五郎から直接に手ほどきされ、都留重人、渡辺一夫、中野好夫、丸山真男といった日本の最良の人間と友人づきあいをしてヽ日本文化のエッセンスの最高級品を吸収した。 彼のおかげて木戸幸一内府は戦犯にならなかったし、天皇の戦争責任もウヤムヤで終わった。もし、彼がマッカーサーの右腕でなかったら、戦後史の内容は大きく変わっていただろう。だから、ノーマンの前ではライシャワーも形無しであるが、さすがはケンブリッジの空気の中で青春を過ごし、顧維欽の後輩としてコロンビア大に学び、最後にハーバードに行って学位を得た点では、同じカナダ系でもブレジンスキーとは月とスッポンである。
第二世代は戦時体制の中で言語教育を施され、軍事要員として日本語を学んだ人たちである。ハーバード・パッシンやロバート・クリストファーをはじめ、碩学の誉れの高い多くの人材を誇るが、現在この世代は第一線から引退している。
第三世代は戦後の復興期の日本を訪れて、経済繁栄の中で独自の仕事で基礎を築き、今をときめいてはいるが、実力は三代目的なグループだ。この世代はアンファン・テリブル(恐るべき子供たち)の戦後派で、チャルマーズもその一員に属しているが、ハーバードに隠居所を見つけたエズラ・ヴォーゲルや、フィクサー的な日本屋稼業で暮らすジェラード・カーチスなどがいる。
一応は日本語の読解力を身につけているので、円高の日本を舞台にこの世の春を謳歌して、東京に頻繁に出没する姿を見かける。しかし、彼らは現在のパフォーマンスを誇るより、かつて築いたコネをうまく使っている。だが、人脈の広がりが官僚や財界の老害族に属すために、日本側の世代交代に足もとをすくわれるし、コネの人材の質が大したことがないせいで、影響力が急激に風化するのを阻止できない。
それに続く第四世代はヤツピーに代表され、日本語はしやべれるし、新聞程度なら簡単に読むが、飽食の時代に育って苦労の経験が乏しく、もっぱら現象と機能の面で日本の問題を考える。だから、第二世代が誇った内面的な強靭さがなく、クリントン的なパフォーマンスに終始するし、その中からリビジョニストが輩出している。
この世代に切磋琢磨の機会を提供することは、日本だけでなく世界の将来を破綻させないために、必ず有効であると確信できるし、不信の嵐を太平洋に発生させないためにも、適切な人材育成の道を開拓する必要がある。
*註: その会議は以下のような事情で参加したものだという。
「・・ だが、バブル経済の破綻で日本が低迷してしまい、一九九〇年代になると懸案は経済ではなく、米軍基地の関係で沖縄問題に移行し、極東の安全保障が優先課題になった。そして、食糧危機で政治破たんに直面した北朝鮮や、金融破たんの時限爆弾を抱え込んだまま、抜本対策のない無能な日本政府のせいで、北東アジアに新低気圧が誕生しかけている。
こんな状況に日本が立ち至っている時に、リビジョニストは何を考えているだろうか。そう思っていた折も折、サンディエゴで「技術に関しての日本の経営、その政策と実践」という研修会が開かれ、最初の晩に会員たちのパーティがあるので、それに参加したらいかがという招待状が、人類学者のシーラ(Sheila K. Johnson)から届いた。
彼女はカリフォルニア大学サンディエゴ校の名誉教授として、リビジョニストの総大将(グル)になって行動しているチャルマーズ・ジョンソンの夫人であり、アメリカ人の対日感情を分析した『アメリカ人の日本観』(サイマル出版会)の著者である。そこで彼女に電話をかけて聞くと、約六十人ほどの会員が参加する予定だという。・・・中略・・・
(ニューメキシコの日米センターから送られてきた100P近い文献資料)発言者達の基礎資料を一読しただけで、たいした成果は期待できないと予想したが、「百聞は一見にしかず」ということもある。名誉会員として招かれた都合上、私はサンディエゴに向けて出発した。・・以下略・・
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