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   *『寛容の文化』 マリア・ロサ・メノカル著 足立孝訳 名古屋大学出版会 2005.8.10刊
 


 書評者との相性というものもあるのだろうか、あると思う。「毎日新聞」・日曜に掲載される
 富山太佳夫氏の評で紹介されて、購読したものにこれまで、「ハズレ」はなかった。

 そんな一冊。一昨年の新聞の切り抜きが巻末にはさんであったので、その引用から始めよう。


 引用始・******************

 「寛容の文化」
  マリア・ロサ・メノカル著(名古屋大学出版会・3990円)

 この本を「七八六年、コルドバ」に始まり、「一四九二年、グラナダ」に向うアンダルスの歴史と宗教と文化を描き出した傑作と紹介しても、多分読者にはほとんど何も伝わらないかもしれない。伝わるどころか、まず最初に、アンダルスって何、と質問されそうだ。

 私にしてもスペインの歴史に関する知識などないに等しいのだが、それでもこの本の面白さくらいは判断がつく。アンダルスとは、かつてイスラム教徒(ムスレム)がイベリア半島を呼ぶときに使った呼称。要するにこの本はスペインの歴史についての本ということである。そして、一四九二年という年号を眼にしてわれわれが思い出すのが、コロンブスによるアメリカ大陸の「発見」なるものだとすると、この本はそこにいたるまでの七百年間の歴史を語ったものということになる。

 まず頭に浮かぶのは、そんなものが面白いのだろうかという疑問かもしれない。もちろん面白い、抜群に。この本を読み出せば、そのことはすぐに分かる。いや、読み出すまでもない。副題を見れば、読みたくなる−『ムスリム、ユダヤ人、キリスト教徒の中世スペイン』。それは三つの一神教が互いに衝突しながらも、互いに寛容になろうとして共存した時期であった。「単一の言語と蛍△の宗教」からなる国家をめざして、「統一でイスラム教徒(ムスリム)がイ と調和のモラルによって規定さベリア半島を呼ぶときに使った呼 れ、矛盾に対して遥かに不寛容な近代」への歩みが始まるのは、その時期に終止符がうたれたあとのことなのだ。
 当然と言うべきなのか、それとも歴史の教訓とはこういうものと納得すべきなのか、中世のアンダルスの歴史のうちに、アメリカ帝国が世界にのさばるわれわれの時代の直面する難問を解決しようともがいたひとつの例がすけて見えるような気さえしてくる。

「ムスリムは、現代の世俗的なヨーーロッパ諸国家に統合されうるだろうか。原理主義的なキリスト教徒は、彼らの子供たちを信仰の教育と同じく理性の教育に、聖書上の真実と同じく進化論的な諸論理にに触れさせるべきだろうか、カトリックのクロアチア人、正教のセルビア人、ムスリムのボスニア人はバルカン半島で共存できるだろうか。寛容と不寛容はどうしたら並び立つことができるだろうか」。アメリカの研究者マリア・ロサ・メノカルはそうした問題意識を抱えながら、さらには「九・一一」以降の情勢をにらみながら、この本を書いている。

 だからこそ、この本は生き生きとしているのだ。歴史の細部がそれ本来のかがやきを取り戻すのだ。アラビア語の書物の焚書を命じ、「最も圧政的な異端審問の時代」を演出したカルロスー世をめぐるエピソードにしても、その一例としてよいだろう。彼はアラブの文化の魅力を知っていた。一五一九年に神聖ローマ皇帝に即位するとき、カルロスはかつて皇帝フリードリヒニ世のガウン、フリードリヒがまことに愛したイスラーム風の外衣、さらにはアラビア語の刺繍された大きな折り返しをもつケープを身にまとって戴冠儀礼にのぞんだ」

 それだけではない。著者はアンダルスに形成された寛容の文化をふまえて、ボッカチオの『デカメロン』を、セルバンテスを、さらには現代の小説家ルシュディまでも読み直してみせる。『ドン・キホーテ』の背後にある歴史のある部分がこんなにも鮮やかに浮上してくるとは、まったくの予想外であった。      (足立孝訳)
   
  ******************
 

5・8 『間脳幻想』

 *『間脳幻想』 

 藤原肇・藤井尚治 発行:東興書院 発行者:落合莞爾 1998.11.18 

 「百年後に残る書籍」「次の時代に残る」一冊がここにある。
 


 なお発行者の落合莞爾氏は紹介中の「落合論文」の著者です。為念。

 以下、順次紹介していきます。

 先ず、藤原肇・「まえがき」〜「目次」〜藤井尚治・「あとがき」の順に。
 

  ★まえがき 

  交友関係などと形容したら、藤井さんに叱られてしまうかもしれないが、本書は10年近く続いた私と先生との友宜の結晶である。そしていつもマイクロコーダーを脇に置いて、野に在る二人の人間が自由に交わした、楽しい会話のエッセンスが活字になったものである。
 最初の頃は、私の問題意識の乏しさと実力不足から、折角先生がつき合って下さったのに、話題をほり下げることが出来ないで終わったことが多かった。そして、何年か経ったあとで同じテーマに遭遇した時に、辛うじてその問題に食いつけたことが幾度もあり、同じ人間同士が取り交わすお喋りでも、内容がこれほどまでも違ってしまうものか、という印象を抱いたものだった。私には何を論じているのか見当もつかない、あの難解なジャック・ラカンの著作を愛読する藤井さんは、意味論をマスターした人として日本人には珍しい存在である。

 10年近く続いた対話のお陰で、百科全書置の流れをくむ先生の博識と厳密な定義づけによ
り、混乱気味の私の用語法がかなり整理できたことは第一の収穫であった。それと共に、会話を
通じたヒラメキと思索の意味に開眼できたことが第二の収穫であり、その成果は読者と分かち合
うことができると思う。
 また、本書は教科書的な知識や解説とは程遠く、一度目の通読では先生の発言の背後にあるものが搦めないかもしれないが、藤井先生という日本が生んだ鬼才の横顔は、その思想と共に幾分なりとも浮き彫りにできたという気がする。
 日本に医者と呼ばれる人は幾万人と存在するにしても、医師・法学博士という名刺が示すよう
に、古典的なマギストルとして錬金術までやってしまった医者は、そうざらに居ないのではない
か。
 テープからの書き起こしは延べで数カ月を費やしているが、それを編集して「師のたまわく」とい
う古典スタイルを思い出しながら、私はソクラテスの思想と対話したあのプラトンの喜びと共通
するものを味わったことを冒頭にまず記録しておきたいと思う。

 私が藤井先生に初めて御目にかかったのは、1980年の秋に日本を訪れた時だった。
 その頃、内容が過激にすぎるということで、どこの出版社も活字にしてくれなかった原稿を、『虚妄からの脱出』という題名の本にして下さった東明社の吉田社長が、「銀座内科の藤井先生が
あの本を読んで、面白いと言って二〇冊も買ってくれました。あれだけの名医が良いと診断した            
本を出版できたのは、当社の名誉だし、藤原さんも安心したら良いです。
そこで提案だけど、記念に二人で対談してもらい、それを私が関係している月刊誌に掲載したいのですが、御願い出来ますか」と半ばおだてられて、私は対談を引き受けた。
そして、吉田さんに連れられて銀座の交差点に近い藤井先生の診療所に行ったが、その日のことは、まるで昨日の出来事のような新鮮さで記憶に蘇ってくる。

 激しい地あげ屋攻勢にさらされているので、一年後にはどうなるか分からないが、本稿執筆の時点では銀座内科は銀座に健在であり、診療所の様子は今も昔も少しも変わっていない。その間に10年の星霜が移り変ったことが嘘のようだが、吉田社長が私を藤井先生に紹介したあと、対
談が始まったのは午後二時半だった。
 気さくな口調で先生がいろんな話をするのだが、正直に白状してしまうと、最初の5分間というものは、先生の語の10%しか私は理解できなかったのである。
 日本人同士が同じ日本語で喋り合うのに、そのほとんどが理解できない、という局面に遭遇して、私は大いに当惑した。それでも、何とか相づちをうっているうちに10分が過ぎた。吉田さんが心配そうに私の顔をのぞきこむのだが、私は圧倒されたまま 上ずった声を出していた。                          
過剰分泌のアドレナリンに刺激されて、エンドルフィンまで出始めたか、私の頭の中には幻覚まがいの効果が拡がって、先生の姿が普通の人間の三倍も大きく見えていた。


< 目次 > 

第一部 生命現象と医学の狭間

 宗教と魔術の落とし子。医学
 健康は中庸から
 ストレス学説と浴場精神 
 直観は仮説作りから生まれる
 分裂症と管理社会 
 ストレスとの上手なつき合い方 
 生命の多層構造とビールス 
 遺伝子の生体環境としての人間


第二部 間脳機能と実存感覚

 多層構造の世界
 脳と教育制度のパラレリズム 
 大学と大脳 
 未熟児の時代とR複合体症候群 
 脳と地球のアナロジー 
 生命の中心"視床下部と副腎
 バイオリズムとホルモン 
 太陽脳と月脳 
 間脳機能と錬金術 


第三部 自然と文明を統一する原理 

 ハイゼンベルグを超えた世界
 クスリ九層倍の魔術 
 ミネラルが支配する生命現象
 宗教感情と生の原意識 
 黄金分割の秘伝 
 古代人の幾何学的才能と黄金分割の美学
 秘密結社の源流 
 ルネッサンスと科学精神の懐胎
 フィボナッチ数列と宇宙の秘密
 フィボナッチ数列のダイナミズム


 あとがき    藤井尚治
 

昭和34年だったろうか。東京で国際ペンの大会のあった時である。
 暮夜近く、私の机上の電話機のベルが鳴り、おそらくは私の耳でかつて聞いたことのないほどのバスが、名乗った。
「私の名は、アーサー・ケストラー。足下は、私の畏友、モントリオールのストレス学者ハンス・セリエらとともに、東京で研究を推進しているフジイ教授ですか」
 教職には居なかったが、横文字の世界では、プロフェッサーもドクターも、敬称の一部と考えていいから、″ストレスのフジイ″に相違ないと応えると、すぐに会いたいという。身辺に日本人が居て、私のオフィスを教えたらしい。20分後には、ドアをノックする音が聞こえた。

 電話の低音に驚いていた私は、今度はケストラー氏自身が、骨格こそ私に比べてやや骨太だが、身長は私よりも2,3センチ低身の小男であることに、もうI度驚ろかされた。
 しかし、ユダヤ系というストレスを生まれながらに背負い、国際共産党への参加と転向。G・オーウェルとともにスペイン戦争を「失望のために」闘い、続く第二次世界大戦では連合軍のために、「半ばの真実を以て、百の虚偽を撃て」のスローガンを提供しかつ実行した。大戦終わっては、科学技術さえ含めて、反人間的なほとんどすべての現代の矛盾を提示し、必要に応じ、かつ可能な限り破砕して止まない(後には、その思考と生き方の一部はニュー・サイエンスの名の許に、たとえ試みとしても、現代を未来に結ぼうとする試みの主将となっているらしい)。その年輪とエネルギーは感じられた。
 坐して珈琲。タバコは当時多かった新生を、口から離さない。

「足下は、臨床医として、ストレスに苦しむ者を、どう捉えるか」
「コス派の医学が主流となってから、医師は、クライエント(患者。精神分析では、依頼者を意味する、この語を用いる)の主訴は従とし、客観的なデータに依存度を高めるばかりだが、ストレス医としての私は、主訴(主観)と客観性を、両存させて判断し、可能な範囲でその微調整を手伝いたい。いうなれば、検事役となってしまった現在の医師に対する、弁護士の立場を主張してみたいと思っている。私見では、貴著の『ヨギと人民委員』の主題、ハイゼンベルグの不確定原理は、臨床医術にとっても、もっとも厳しい問いかけではあるまいか。(*原文の厳は酷)
  一光年彼方の惑星の爆発を想定してみよう。直視している見者は、なお一年、この星を視覚の中に、客体として捉える。しかし、天上からか側面からの観察者には、この客体の実体はすでに存在しない。
 そして・・・」
「両者の立場を同時に取りえないのが、人間だよ。

 しかし、同時性を論じる前に、私の自己紹介を果そう。
 ストレスに苦しむケストラーは、人間観においてはネオ・フロイデアンであり、社会人としてはエクス・マルキスト(マルクスを継ぎ凌いだ者)、そしていまのところでは、ゼネラル・セマンティクス(一般意味論)に関心が深い。
 東京の意図の一つは、国際ペン大会への参加であったが、改めてセマンティクスの重要度を認識したに止まる」

**注 一般意味論=言語その他の記号の厳密な使用を訓練することによって、人間の環境に対する反応の習慣を改善しようとする学説(広辞苑)。ケストラー氏の場合は、意味論以前の、共通の論争の場さえ用意していなかった国際ペンの集命に愛想をつかして、退席してしまったらしかった。
どういう訳か日本ではほとんど評価も紹介もされることなく、カナダから合衆国に移り、上院議員として時々その名を散見した、意味論中興の祖といわれるサミュエル・早川教授が「日本語に、普遍性を持つ抽象語が少いというよりは皆無に近いことは、有識者として自覚してほしい」と、現役の学者のころ、助言というよりは忠告のかたちで、訴えておられたのがいまも思い出される。エネルギーにせよ、ストレスにせよ、漢字をどう行使しても、表現し難いものだろうと語ったのを、銘記している。

 いづれにしても、初対面の両者の自己紹介の底流に、ある共通のいわば主題が発見されるのを感得した私は、こう尋ねた。
 「医としても若輩の私が、百戦練磨の尊兄に、いうなれば臨床医の立場で現代という怪物に対峙する処方をお漏し頂けないだろうか」
 「ディバンキングに始まる」
 ニコリともしないで、即座に答が返ってきた。
  (**注 ディバンキング(Debunking)=虚偽の正体をあばく)
  一人旅と独身者の気軽さもあって、翌夜は当方からケストラー氏を宿舎の国際文化会館に訪い、『一九八四年』の著者G・オーウェルとの出会いと評価。個と全体との対立と、質による適応の難易。これはそのまま後の『機械の幽霊』や、日本では未見の人の多い、天才論に発展したようだ。
 数日後、さらに深夜の来訪があり、来日の途次ィンドで調査してきた、ヨガの与える脳波と、
禅中の脳波の差異について、私見を求められた。いまでは識者の間では、常識化しているが、ヨガの示す頼状波は、テンカン発作時のものに似て烈しい。
 [冥想中、ヨギは意識の深層に泳び、縁者は和定に直線すると説く」
 答になったかどうか。

 後にその資料を整理した『ロボットとロータス』に対し、日本の諸書子は、白眼視していたが、絶対者を予断してしまっては、百%のコンミュニストや国粋主義者に対すると同じように、共通の言語はなくなる。当然意味論も不用だろう。

 帰路の門出は15分の珈琲だった。それは、同時に本書の発端だったかも知れない。

      
 
                    

  *媚薬としてのムスク
 
  
  麝香の歴史は古く、古代インド医学「アーユルベーダ」の医書にも薬の一種として載っている。古くは阿片と麝香を混ぜたものが強精剤や薬品として用いられていたらしい。

 中国にも紀元前に麝香が伝わったことを示す記録が残されている。これは、ジャコウジカの生息地がヒマラヤ山脈周辺だということを考えれば、当然のことかも知れない。

 それに対し、古代ギリシャもローマ人も麝香の存在すら知らなかったという。ヨーロッパに知られるようになるのは、12世紀で、アラビアのサラディン王がローマ皇帝に贈ったのが記録の上で最古のものだという。そのヨーロッパでもルネッサンスのころには様々な分野(薬品、秘薬、媚薬)で用いられるようになる。
 
 日本に麝香が伝わった時期は定かではないが、奈良時代、正倉院の目録に麝香の名が記されており、平安期になると貴族たちがさかんに麝香を使うようになる。ヨーロッパよりは早い。
 中国や日本ではどちらかと言うと医薬品として珍重されたようだ。漢方の処方には麝香を用いたものは多いし、今も「日本薬局方」に残っている。

 それでも、群を抜いて麝香の媚薬作用や香りを重視するのはイスラム文化である。
 イスラム教の開祖・ムハンマドもムスクの香りを好み、コーランにも麝香の名が登場している。
 イスラム教はキリスト教に比べると性に関して大らかで、快楽のためのセックスに罪悪感が伴うことはなかった。・・・(女嫌いのパウロは居場所がなかったのだろう)

 ただし、この麝香は、今日香料業界で使うムスクとは違うものである。香料としてのムスクもかつてはこの麝香そのものであったらしいが、近代以降の香水や香料では、麝香の香りだけを強調するようなことはまずない。近代以降のムスク香料というのは、麝香そのものから溶剤抽出によって匂い成分だけを取り出したもので、ムスク・アブソリュートと呼ばれる。
 ところが、現代の香料業界では、値段の高騰や合成香料の開発、そして動物愛護の観点(殺さないと取り出せない)から、このムスク・アブソリュートですらほとんど使われることはなくなっている。・・・現在新たに市場に出る香水のムスク・ノートは、ほとんどこうした合成ムスクで構成されている。

 歴史的にみると、これら合成ムスクの使用を促進したのは、皮肉にも1970年代の「ムスクブーム」であった。これは、60年代のヒッピー・ムーブメントの余波ともいえる現象で、自然回帰や精神世界への傾倒の流れ中で麻薬や媚薬が再評価され、フリーセックスやセックス・リボルーションといった風潮と相まって、麝香の媚薬的効果への関心が高まった。
 麻薬と香料が「媚薬」という原点で結びついたわけで、古代インド神話への回帰とも言える。
 
 
  「アニマル」な人間。 

  動物から採られる香料=動物性天然香料(麝香のような)がある一方で、香料業界には「アニマル・ノート」という香調の分類があり、こちらは「動物を思わせる」匂いに対して使う。
 
 動物的な匂いとは何かというと、あえてわかりやすく言ってしまえば、動物園の檻の中の匂いを思い浮かべてもらえば、そう間違いはないと思う。それも哺乳類、ネコ科の猛獣や霊長類の匂いに近い。


  現代では体臭というと、臭いものという連想が働く、(テレビCMではこれからの季節目にする機会が増えるだろう)。体臭=悪臭とさえなっている。・・「清潔さ」=無臭を競い合う人々。自分の体から出る匂いを消すことに躍起になっている人々。 
 人間の体臭に対してすらこうなのだから、動物の体臭にはそれ以上で、ペット用の消臭剤が売れ、動物園の匂いが嫌だからというので動物園に行く子供が減っているという。


 こうした事態はいつ、どんなところでもあったことではないのは明らかで、体臭=性的魅力とされていたり、体臭を嫌悪しない社会はいくらでもある。
 要するに、体臭に対する感性というのは多分に文化の影響をうけるものである。

 西洋でも、体臭や腋のしたの匂いを好む傾向がかつてはかなり広く見られ、香水の使用は今日のわれわれが考えるように体臭を隠すためのものではなく、むしろ腋のしたの匂いを強調するために用いられてきたと考えたハヴロック・エリスのような人もいる。(『性の心理』)

 ムスクの香りを女性の腋の下の匂いや体臭に結びつける例は多く、しかもその匂いは性的な刺激として働くとされることがほとんである。・・・腋の下の匂いや体臭がムスクの発見に向かわせたという可能性も否定できない。
 
 それを裏付けるように、人間の腋の下からムスク臭を有する物質が見つかっている。腋の下にあてたコットンパッドから抽出して見出されたアンドロステノールという物質は、ややパウダリーなムスク感と、白檀に似た匂いを持ち、媚薬的と言えば、これほどその言葉にぴったりの匂いはない。・・


 以下、興味津々の<匂い=香り>をめぐる上質な物語が続くが・・・残りはみなさんにお任せするとしよう。
 

 

『現代ウイルス事情』

  *前回、『匂いのエロティシズム』から、次のように引用した。

 *****************
 麝香(じゃこう)がどのような経緯で発見されたかはいまだに謎であるが、動物の匂いを香料として保存することは不可能だったに違いない。
 「動物の精力を媚薬として取り入れようとする場合、その匂いを使うのではなく、睾丸や陰茎といったからだの一部分であることがほとんどだった。・・・要するに精力の強い動物の睾丸を食べれば精がつくだろうというような発想である。」
 *****************
 

  この所謂「模倣呪術」が生んだ(可能性が否定できない)、「悲劇」について是非書いておきたい。

 拠り所は、畑中正一著 『現代ウイルス事情』ーインフルエンザからエイズまで
             (1992.4.20 岩波新書)
 

  先ず、著者紹介から。
 畑中   正一
 ハタナカ・マサカズ
 1933年 大阪生れ 
 1958年 京大・医学部卒 
 専攻ー基礎医学
 現在(1992年時点)ー京都大学ウイルス研究所所長 
 
 副題の「インフルエンザからエイズまで」が上記「模倣呪術」との関連でこの記事の主題。

  第七章 エイズの探究ーアフリカ起源か、欧米の人工産物か。 より引用する。

 「・・・さらに驚区べき実態が最近明らかにされた。第一次大戦が終わった頃から欧米の医学界では、
 若い男性の睾丸を老人に異色すると若返ると真剣に考えられた時代があった。
  このためたくさんの高齢者にこうした手術が施された記録が残っているが、なにしろ不老長寿を求める人数にくらべてドナー(提供者)の数に限りがある。そこで外科医は類人猿や猿の睾丸を使用し始めた。とくにチンパンジーの睾丸が愛用されたのは人間に近いことのほかに、睾丸がことのほか巨大で印象深いものがあったからに違いない。チンパンジーから一物を取り出し、スライスして男性の下腹部や陰嚢に移植したのである。
このような治療法は、1935年に男性の性ホルモンであるテストステロンが化学的に合成できるようになったので、次第に衰えていったと思うが、完全に消滅したのがいつなのかは明らかではない。言えることは、チンパンジーの睾丸と一緒にエイズのウイルスが人間に入り込めるに十分な機会を与えたことである。こうした観察の結果を総合すると、今のエイズは人間が引き起こした人工の病気である可能性が高まってきた。・・中略・・

 当時の資料が残っておれば、今では「ポリメラーゼ連鎖反応」(PCR)と呼ぶ特別な方法で、エイズウイルスが入り込んだかどうかをテストすることができる。
 現在のところまちがいなくエイズの抗体が確認できているのは、1959年に死んだマンチェスターの船員の血液と、ザイールに保存されている1959年の血液である。どうしてそれ以前には抗体が見つからないのは、依然として不明である。・・」以下略
 
 以上、『匂いのエロティシズム』から寄り道になったが、畑中正一著・『現代ウイルス事情』のほんのさわりを紹介した。

 さまざまな原因説が飛び交い、紆余曲折はあったものの、その後の研究の進展の経過は、「1998年になって、アフリカ人のHIV抗体陽性の血漿からHIV遺伝子の増幅分離して塩基配列を決定することが成功して、このことからHIVが1940年代あたりにサルからヒトに感染したのであろうことがほぼまちがいないのではないか」という共通認識の段階に至っている。
 現在、エイズウイルスはHIV(Human Immunodeficiency Virus)と呼称を統一している。ヒト免疫不全ウイルスである。日本語ではHIV/エイズと表記する。


 同著者による、エイズに関するより専門的な著作としては、『エイズ』(1999年 共立出版刊)がある。
  

   第一章からランダムに引用していく。
 

  第一章 媚薬と香り
 官能の香り
 

   「・・香りにはセクシーなものとそうでないものがある。たとえば爽やかなレモンやオレンジといった柑橘系の香りがセクシーであり得ないことは、誰の目にも、いや誰の鼻にもあきらかである。
 面白いのは、爽やかさとか清潔感といった言葉に適した香りを選ばせると、民族や文化、あるいは世代の違いによってかなりばらつきが見られるのに、性的な魅力に結びつく匂いととなるとかなりの普遍性が見られるということだ。」(p28)

  (ここで著者のいう「普遍性」は、「根源性」ということだろう。それは、「色=カラー」についてもいえるらしい。「色」の認識・識別にもほぼ世界中の民族共通の「順序」というものがあるという。)
  
 「・・セクシーな香り、性的な魅力をいや増す匂いの代表はムスクであり、あるいはアンバー、シベットといった、いずれにせよ動物に由来する匂い(「アニマルノート」)である。これらの香料は生の原料を嗅ぐと強烈なにおいだが、薄められ他の香りと混ざり合うことで妖艶な香りとなって、香水の歴史を彩ってきた。・・・」

 こうして、著者は香料の起源としての「媚薬」に興味が持ちはじめる。
 「・・そもそも媚薬とはどんなものかが気になりだしたのである。・・・
 媚薬というと、どうしても淫靡というか、こっそり使うようなイメージがつきまとうが媚薬の歴史を見てみると、どうして、そんなケチなものではない。
 もともと多くの古代文明でセックスの快楽は恥ずべきことでも隠すべきことでもなく、むしろその快楽をとことんまで突き詰めていくことは神聖な行為だったのである。
 ・・セックスは神との合一の体験であったり、精神と肉体の融合という点で極めて象徴性の高い非日常的営みであった。」
 「そうした性愛観の典型は古代ヒンドゥー文化で、(交合の彫刻は有名)」さまざまな体位での交合やフェラチオをする様子が残されている。


 「男女の交合」は世界を創造した「神々の行為の再現」として、神聖視され、「セックスを完璧に行えば行うほど神に近づくことにもなったのである。」 

 このような性愛観の中では<エクスタシー=神との合一>へ至る手法が「研究」されるのは当然の成り行きだろう。
 「・・事実ヒンドゥー文化には多くの媚薬を用いてきた伝統がある。」
 惚れ薬、淫乱剤、強精剤、持続剤といった媚薬の知識を持ち時と場合によって使い分けることは、性愛術の重要な一要素であった。・・・

 「麻薬と媚薬の、そして香料のつながりも深い。古代インドでは大麻は神聖なものとされ、大麻の葉を乾かして吸うガンジャは現代にも残るが、その起源は、浮気者の夫・シヴァ神の心を自分につなぎ止めて
おくために、妻・パルバティが焚いた大麻の花の香りであったとされる。」
 大麻を焚いた香りは効果抜群で、その後は夫婦和合するようになったという。
 媚薬的効果の高い香料として忘れてならないのは、なんと言ってもムスク(麝香)とアンバーグリス(龍ゼン香)である。 


  発情の匂い 

 太古から人間は(現代では遊牧民は)、野生の動物や家畜の山羊や羊などのメスが発情期になると独特の匂いを発し、それにオスが反応し、興奮してメスを追い回して交尾に至る光景を目にしてきた。
 こうしてフェロモンという言葉ができるずっと前から、動物の発する性的誘引力のある匂いの存在に多くの民族が気づいていた。

 人類には発情期というべきものがなく、いちねんを通じて常に「発情」できる。
 言い換えれば、人間は本能によってはセックスすることは出来なくなった動物で、常にセックスへ向かわせるような工夫をしなければならなくなった。
 媚薬というものも、そういう工夫のひとつとも言える。・・・

 しかし、動物の発する「フェロモン」に気づいたとしても、それをいざ媚薬に応用しようとしてもそれは、そう簡単なことではない。
 植物由来のものと違い、動物の場合例えば発情したメスの山羊を殺しても、その匂いのもととなるものが採れるわけではないからだ。(植物の場合、乾燥や粉砕などの方法で可能だが)
 
 麝香(じゃこう)がどのような経緯で発見されたかはいまだに謎であるが、動物の匂いを香料として保存することは不可能だったに違いない。
 「動物の精力を媚薬として取り入れようとする場合、その匂いを使うのではなく、睾丸や陰茎といったからだの一部分であることがほとんどだった。・・・要するに精力の強い動物の睾丸を食べれば精がつくだろうというような発想である。」
 
 「麝香はジャコウジカという小型の鹿のオスを捕まえ、下腹部から香嚢(こうのう)と呼ばれる袋状の塊を取り出し、中にあるゼリー状の分泌物を切りとって乾燥させることで得られる。
 この香りを得ようとしてジャコウジカを捕らえ、試行錯誤の末ついにこの「匂い袋」を見つけだしたのだとしたら、それはほとんど奇跡にちかいのではないか。
 数千種類といわれる天然の香料の中で、現在まで使われている動物由来の香料はたったの四種類しかない。麝香と龍涎(ぜん)香、それに霊猫香(れいびょうこう)=シベット、とカストリウムがそれである。このうち龍涎香は動物性天然香料とは呼ばれるものの、マッコウクジラの腸内結石の一種といわれていて、クジラのからだに備わった腺組織が作り出すものではない。したがってこの龍涎香を除いたわずか三つだけが、直接動物の分泌腺が作り出したものから採られた香料ということになる。
 逆に考えると、芳香や媚薬としての匂いを求めて、他にも無数の動物を犠牲にして香料となるような線組織を探してきたにもかかわらず、ムスクやシベットに匹敵するような匂いの塊はついに発見できなかったということなのかもしれない。」

 ジャコウジカは、このムスクの香りを実際メスを引き寄せるのに使っているらしい。
 「いわゆるフェロモンの一種ということになるが、動物の性フェロモンがみな人間にとって良い匂いかというと、とてもそんなことは言えそうもない。・・・ジャコウジカだけが特別なのである。」
 
  なぜ、ムスクだけがこんなにも人間を魅了するのだろうか。 

            (続)   
 


.
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