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私がこの塾の世界に入ったのは、自分が卒業した塾の塾長さんから先生として招かれたからです。
そしてそこで、いろいろなことを学び、さまざまなことを仕込まれ、なみなみならぬ決意を抱いた場所でもあります。 以前にも少し書いたのですが、もう少しそのときのことを詳しく書いてみようと思います。 自分の教師としての原点でもあり、初めて教師として敗北した場所でもあるからです。 私がそのK塾で働き出したときにはまだ18歳の若造で、それでも全学年の数学科の教科主任として何人かの先生を指導する立場におかれていました。 それだけ塾長の信任が厚かったともいえるのですが、当時の塾長は自分の教育論を広げるあまり、かなり厳しい環境を生徒たちに課していました。 週に3日はほぼ徹夜で勉強させたり(もちろん塾に泊り込みで、です。相手をしたのは塾長ではなく私でしたが。)、1日に200個ずつ英単語を覚えさせられたり。 教室にはすべて監視カメラとマイクがついていて、生徒がよそ見をしようものなら塾長室から塾長が走ってきて鉄拳制裁です。 当時から私は生徒が自分で勉強する気になるまで待つタイプだったので、塾長の専制君主的な教育には疑問を持っていて、ことあるごとに反対意見を言っていました。 よく、言い合いしたものです。 本来ならバイト風情がそんなことをゆう必要も義務もなかったのですが、私も塾長も熱く青かったのでしょうね(笑)。 秋になって私の大学でも大学祭が催されることになり、塾生たちがせがむので私の大学へと招待しました。 私の通っていた大学は一応関西四大学と称されるもののひとつで、まあ、生徒たちに少し早いけど有名大学がどうゆうところか見せてあげるのもいいだろう、とゆう気持ちでみんなを呼んだところ、次の日に塾長室へと呼び出されました。 そして、開口一番次の言葉を投げつけられました。 「なんでお前がいってるような2流私学に大切な生徒たちを招待したんだ!俺の生徒たちは国立大学に行って、将来は総理大臣になるかもしれないんだぞ!バカをうつすな!」 おとなしかった(?)私もさすがにキレてしまい、 「なにをいってるんですか!?塾長がやっているのは教育じゃなくて、強制ですよ!知識を無理やり脳に刷り込まれた子供たちが、総理大臣になんかなれるもんか!」 あとは取っ組み合いのケンカです。 私は人生で何度かキレてしまったことがあり、たいていは記憶が飛んでしまうのですが、このときもそうだったようで、気がついたら2人とも鼻血まみれで顔もボコボコでした。 キレたあとに激しく後悔するのもいつものことで、正気を取り戻した私はすぐに教室を出て行き、次の日に辞表を提出するまで塾には戻りませんでした。 バイトが辞表を提出するなんて大笑いですが、そのときはいたってまじめで、「こうなったら、自分が目指す教育を実現するため、自分自身の塾を作るまでやめないぞ!」と決心したのでした。 その塾長も私に言われたセリフが心に突き刺さったそうで、ほどなく塾を閉鎖して自分の修行に明け暮れるようになり、高野山に入ったりインドに行ってサティア・サイババに弟子入りしたりと20年以上も自分を鍛えたそうです。 今では連絡を取り合って、お互いの近況を聞きあう仲ですし(結局2人とも熱かった、とゆうことなのでしょう)、それぞれに考え方がちがったことがお互いにとってプラスだったともゆっています。 もう一度2人で組んで塾をやったら、すごい塾になるかもしれないなぁ。 |

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