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 「ちぁーっす。今日もテレビとファミコン借りるよ。」
 私はいつものように挨拶をして部屋の中に入り、ゲームを始めました。
 Tくんの部屋でゲームをするようになってからはや3ヶ月、さすがに他人に興味を示さない彼も気になりだしたのか、たまに背中に彼の視線を感じるようになりました。
 今彼に話しかければ反応は返ってくるでしょうが、私はまだ待つつもりでいました。
 とゆうのも、私はひねくれ者だけではなく執念深い性格なので、こっちが先に挨拶をしたのだから次に話しかけてくるのは彼の番だと思っていたからです。
 そのためだけに、当時はパソコンゲームしかしなかった私がファミコンまで買って、面白そうなカセットを買ってきては家で特訓する毎日を過ごしていたのですから。
 そのせいか、日を追うごとに彼が私の背中やゲーム画面を見ている時間が長くなり、季節が変わる頃には部屋に入る私を目で追うようになってくれました。
 相変わらず挨拶はしてくれませんでしたが。

 そしてとうとう運命の日がやってきたのです。

 「F1レース」とゆうレースゲームをやっている私の背中に、初めて聞く声がぶつかってきました。
「それじゃあ、そのコースはクリアできないよ。」
 もう、うれしさでコサックダンスでも踊りたい気分でしたが、わざとゆっくり振り返り、彼の目を見ながら聞いたのです。
「え?じゃあ、どうやるの?」
「うん、やってみせてあげる。」
 言葉を交わすのは初めてでも、お互いよく知っている間柄ですから、交わす言葉もシンプルです。
「ほら、このカーブまでに最高速度を出せば、ターボが使えるでしょ。」
「ほんとだ!うまいなぁ!」
「いや、あんたが下手なんでしょ。」
 ほっとけ!といいたいところですが、彼のゆう通り私はレースゲームは苦手でした。
 彼も、あまりの下手さに声をかけてくれたのかもしれませんから、苦手でよかったのですけどね。
 その日2人で対戦をして家に帰ったあと調べてみたら、初めて会った日から半年以上がたっていました。
 当時の教育ノートを読んでみると、喜びで有頂天になっている若かった私の様子がよくわかります。

 それからさらに半月がたち、一緒にゲームをするようになった私たちは、ゲームの合間に高校進学について話すようになりました。
「高校へは行かないの?」
「できれば行きたいけど・・・。」
「じゃあ、勉強しよう。ぼくが教えるから。」
「でも、ぜんぜん勉強してないし、学校も行ってないし・・・。」
「大丈夫!ぼくにまかせといて!きみが行きたいんなら、必ず行かせてあげる!」
 そう話し合った日はすでに入試まで3が月しか残っていない10月の頃でした。
 でも、私の話を信じてくれたTくんは、その日から別人になったように勉強し始めたのです。

「内申のためだから。」とゆう私の勧めにしたがって学校にも行くようになり、少しずつですが両親やお姉さんとも話すようになっていったのです。
 そして合格発表当日、当然のように彼は合格し(私が教えたのですから)、合格祝いに春休みに2人で旅行に行ったときには、高校で何をしたいか、将来何になりたいかを笑いながら話してくれました。

 高校最初の学期が終わってクラストップをとった彼をみて、ここからは彼に一人で歩いてもらおうと私は決めました。
 悲しいけれどもいつかは自立しないといけないのですから。
 何かあったら相談にのるからと約束し、彼の家庭教師を終了したときには1年半以上がたっていました。
 以前には想像もできなかった笑顔に見送られ、「これからは一人でがんばるから!」とゆう言葉を聞きながら、私は彼から去っていきました。

・・・・・・・・

 それから1年後、2年になっているTくんのお母さんから電話をいただきました。
 夜の11時に。
「息子が自殺しました。今朝のことです・・・。」
 急いで彼の家に行くと、迎えてくれたのは泣きはらした目の両親と、物言わぬ姿になったTくんでした。

 私が離れた後、彼はしばらく高校生活を楽しんでのですが、中学時代のニート生活を友達に知られ、しだいにクラスでも孤立していったそうです。
 そして秋の深まったある日、自分の命を絶ってしまったのです。

 私は「どうして彼の手を離してしまったんだ!」と自分を激しく責めました。
 今もその気持ちは消えていません。
 それ以来私は、子どもたち全員を救うことはできなくても、私の生徒や卒業生たちだけは何があっても守ると心に決めたのです。
 その気持ちを抱いて、今日まで教師をやってきました。

 その気持ちを身をもって教えてくれたTくんがなくなったのが10月10日。
 つまり21年前の明日です。
 私は、彼のことを生涯忘れることはないでしょう。
 昔私が家庭教師をメインにやっていた頃の話です。

 塾での指導とは違って、家庭教師としての私が依頼される話はどれも無理難題ばかりで、他の先生からサジを投げられた親御さんたちが最後の望みをもって依頼してくるのが私のところだったのです。
 ですから、難聴の子を教えてほしいとか全科目0点の子を平均くらいは取れるようにしてほしいとかはまだまともな方で、中国帰国子女のため日本語がしゃべれないけどなんとかしてほしいやら、やくざの組長(山口組系でした)の子どものため他の家庭教師に来てもらえないのでぜひあなたに引き受けてもらいたいやら、強烈は依頼が多かったのです。
 それらの話もいずれ書くつもりでいますが、今日はその中でもTくんの話を書こうと思います。

 私がTくんに初めて会ったのはかれが中学2年生のときで、そろそろ秋も深くなってきた頃だったと思います。
 知り合いの紹介で私のもとをたずねてきたお母さんは、「息子がちょっと暗い子なので家庭教師の先生が続きません。あの子とお話してみてくれませんか?」とおっしゃいました。
 まあそれくらいならと、当時3軒の家庭教師をしていて忙しかった私は思ったのですが、あとでその判断が間違っていたことに気づくことになるのです。

 家まで連れて行かれて息子さんの部屋の前まで行き、声をかけた後扉の鍵を開け、「どうぞ。」とお母さんの一言。
 あれ?お母さんは入らないんですか?
「いえ、私は入ることを禁じられていますから。」
 へ?誰に?
 しょうがないので言われるままに部屋に入ると、大きなベッドの上で三角座りをして壁を見たままじっとしている男の子が一人。

「こんちは。」
 ・・・・・・。
「はじめまして。いきなりでびっくりさせちゃったかな?」
 ・・・・・・。
「私は小村といいます。実は、家庭教師をやっているんだ。」
 ・・・・・・。

 見事に無反応です。
 反発とか無視とか拒否とかではなく、もうまったく私のことが眼中にないようでした。
 つまり、空気よりも存在を感じてもらえなかったわけです。
 驚いた私がお母さんたちに話を聞いたところ、「2年生になった頃から友達がいなくなった。学校にも行かずに1日中ああしている。食事はドアの前においておいたらいつの間にか食べている。」とのこと。
 家族とまったくしゃべらず、トイレに行くときに会う妹とのみ少し話すとゆうことでした。
 その話を聞いて、「この子にはオレが必要なんだ!」とガラにもなく燃え上がってしまいまして、その場で引き受けてしまいました。
 ただ、条件をひとつ出したのです。
 条件とは、「これから1年、何があって私のジャマをしないこと。」
 そして彼のことをできるだけ詳しく聞いた私はひとつの作戦に出たのです。

 私は毎日彼の部屋に赴き、1日きっかり2時間彼の部屋のテレビでファミコンのゲームをしたのです。
 彼のお姉さんの話によると、隣の部屋(彼の部屋です)から毎晩ゲームの音が聞こえてくるのだそうです。
 それも朝まで。
 で、私はとにかく最初の一言を話すために、彼の目をこちらに向けることから始めたわけなのです。
 30年以上も教師をしていると、いろいろな生徒に出会います。
公務員になった子もいれば、ゲームデザイナーとして活躍している子もいます。
会社の社長を務めている子さえいるのです。
 そんな生徒たちの中には、強烈な印象を残して卒業していき、いまだに忘れられない子が何人かいます。
 Tくんもそのひとりです。

 Tくんは医者の家に生まれた長男で、早くから両親に将来は医者になるよう期待されていました。
 それに反発したTくんは、中学3年生になってから1度も学校へ行かなくなり、当時家庭教師(問題児専門でした)もやっていた私に両親が依頼してこられた、とゆうことだったのです。

 いやぁ、あのときは苦労しました。

 かなり頭のいい子だったのですが、その知能を大人を疑うことにだけ使っていたので、「なぜ勉強しないといけないのか。」「なぜ子供は成績で人間を判断されてしまうのか。」などの疑問ばかりを私に投げかけてきました。
 一つ一つ納得するまで話しあっていた私も私で(いまだに生徒に対してはそうです)、2ヶ月間はまったく勉強をすることができなかったですね。
 しかし、納得してしまえば誰でも素直な子になるもので、Tくんも例外ではなく必死で勉強してくれるようになりました。

 勉強するようになったのは、こんな会話のあとからだったと覚えています。
「でも先生、ぼくは医者になるつもりはないよ。今の医者のように、儲けることを考えなければいけない医者にはなりたくない。」
「じゃあ、ならなくてもいいよ。私は勉強してほしいだけで、医者にしたいとは思ってない。今君が勉強していないのはただ逃げているだけで、医者にならないこととは何の関係もない。本当に医者になりたくないと証明したいのなら、一生懸命勉強して、医者の国家試験に合格してからやめればいい。そこまでしたら、きみの気持ちを認めよう。」
 まったくえらそうにゆってしまったものですが、当時の私はそれが筋の通し方だと信じていたので、かれも聞く気になってくれたのでしょう。

 その後の話は簡単で、高校3年まで私に教えられたTくんは無事にある医学部に合格、それから数年後に国家試験にも合格してみせました。
 まったくすごい子でしたが、本当にすごいのはここからで、かれは私のところまで訪ねてきてくれて、医者の合格証書を私に見せた後、その場で破り捨てました。

「ぼくは医者にはなりたくないです。」と笑顔でいいながら。

 それからも彼とはたまに会う機会があり、今ではある有名電機メーカーの天理研究所で主任研究員をしていると聞いています。
 まったく、頑固もここまでくると尊敬できますね。
 30年以上もこの仕事をやっていると、何人もの輝く生徒たちと会うことができます。
私の教えた生徒たちの中には、音楽の世界で有名になった者も、エベレストに登った者も、オリンピックで金メダルをとった人さえいます。
逆に、教えても教えても理解してくれない生徒や、朝まで勉強に付き合った子供も数え切れません。

今日はその中の一人、S君について書きましょう。

S君は素直な生徒で、暗記を命じたところは真剣に暗記し、出された宿題は寝ないでもやりとげるとゆう子供でした。
しかし、彼にはおおきな欠点があったのです。
彼の生涯の敵は「分数」でした。
彼の言葉を借りると、「真ん中に棒が入っただけで、何がなんだかわからなくなる。」とのことでした(笑)。
小学3年から中1まで、毎日追加授業で分数を教えていたのですが、結局彼が理解してくれたのは「3分の1は、3つで割った1つ分。」だけかもしれません。
そこで方法を変えて、分数を小数に直す方法(分子を分母で割る)を教えてみると、これが大成功!
彼の数学の成績がびっくりするほど伸びたことを覚えています。
(満点すらとったんですよ!)
今ではコンピューター関係の会社で、システム部長をやっているS君。
でも、今だに分数はわかってないんだろうなぁ。

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