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今年で連絡船終航20周年です。 絵葉書収集の趣味を持っているので桟橋付近の風景を現在と見比べてみると その様変わりに驚くと共に当時の思い出に浸ることが出来ます。 ・ ・ ・ さて過去から現在に至るまで函館には青函連絡船にまつわるモノが点在していますが 港湾設備については航路廃止後に撤去されたものが殆どです。 その中で今回、過去画像を注意深く見ていると一つの注目すべき遺構が 旧連絡船桟橋近くに残されていることが分かりました。 それは・・・ 入港目標灯でした。 それはJR函館運転所裏にひっそりと、そして往時のままに残されていたのです。 全て原形を留めている状態なので摩周丸の近くに移植して電光出来る状態に復旧できれば 夜は思い出深いオブジェとして好評を博するのではないでしょうか? 連絡船だけではなく附帯する設備の保存という事を考えると、 JRからの譲渡と移設の許可を戴ければ簡単に達成できるような気がします。 そう言えば他に残っている入港目標灯は、旧有川桟橋近くに「△」のものが ひっそりと姿を残していますが、寄る年波には勝てないようで大分くたびれています。 これも合わせて保存していけると良いのですが・・・ 因みに入港目標灯という単語は正式なモノかは分かりません。
今後調査して制式な名称を使えるようにしたいと思います。 |
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入港目標塔は函館運輸所の裏にひっそりと残っていますね。その上、有川桟橋にも残っていたとは知りませんでした。
函館運輸所の物を摩周丸の近くに移植して展示するのは良いアイディアですね。JRも特に使わない遊休資産を生かせるのなら移植に賛成に回るかもしれませんね。
有川桟橋の物は現在地でモニュメントとして残すのが良いもしれませんね。立派な石碑までは要りませんが、桟橋の歴史共々を記述した簡単な看板があれば良さそうですね。
2008/1/22(火) 午後 10:18
>X-103さん
私の場合は逆でして、有川桟橋の方を先に見付けていたというか、
そっちの方が有名だと認識していました。
いるか文庫の方々も同人志木でしたし(^^;
移植の案はいいアイデアですよね? こうして出来るところから
保存という事を考えていきたいと思った今日一日でした。
2008/1/22(火) 午後 11:03
↑同人志木=同じ認識
変な変換しやがって・・・(^^;
2008/1/22(火) 午後 11:05
駅員さん、こんばんわ。
一番上の写真で気が付いたのですが
連絡船が函館桟橋を離れる際は地形状の問題でかなりの角度まで旋廻余儀なくされてたんですね
大雪丸のビデオ内では青森出航時にバウスラスター・ライトへ15度なんて号令が入ってますが青森では防波堤をかわす角度が少しでよかったわけですが函館側は意外と窮屈だったんですね
でも、入港して着岸は函館側のほうがしやすいんでしょうね?
2008/1/23(水) 午後 7:21
>keiichi様
離岸時の変針角度が大きい点ですが、
この当時は桟橋の真向かいに当たる西波止場に
東日本フェリーの桟橋が有りました。
それで水路干渉を避ける為に急角度になったとも言われてますが、
いずれにせよ狭い上にヤマセが吹けば離岸は相当苦労だったでしょう。
仰るとおりに着岸は風に押されるので楽だったでしょうが…(^^;
2008/1/23(水) 午後 8:31
入港目標灯はもとより、この絵葉書そのものが貴重ですね。羊蹄丸と初代十和田丸が並んでいる構図はおそらく他にないでしょう。羊蹄丸就航が昭和40年8月5日で十和田丸終航は昭和41年10月1日です。補助汽船はえさん丸がまだ配属されていません。第三鉄栄丸が主力の時代で羊蹄丸の船尾にそれらしき船影が見えます。
[ mak*to*13*53 ]
2019/2/17(日) 午後 4:43