ここから本文です

書庫全体表示

インターネットとは本当に便利なもので痒いところに手が届くことが多いと実感できるツールだと思いますし、
そのインターネット上にある情報の中で函館に関するものを調べてみると色々と発見できるものが有りました。

さて、今日のエントリーは、いつもお世話になっている函館のおぢさん2的ブログで以前紹介された
昭和21年(1946年)、米軍によって作成された函館市街地図を取り上げてみたいと思います。

イメージ 1
※地図をクリックするとリンク先の元データにアクセスします。


この地図で注目すべき点は、終戦直後の函館市街を詳細に知ることが出来る程の情報量に富んでいる点です。

実はトラックバック先でブロ友でもある銀ぎつね様のブログで陸軍赤川飛行場を取り上げられているのを知り
この地図の価値が今こそ発揮できるのではないかと思い掲載した次第です。

イメージ 2

すべて英語表記ではありますが、赤川飛行場を「函館北飛行場」として図示していますし、隣接する街道や
地勢が手に取るように分かり、これが終戦時、或いは元となった戦中の函館の様子が地図から把握できるのが
この地図データの高い価値であると感じています。

函館北飛行場以外に函館飛行場は、現在の競輪場の上あたりに存在したと米軍地図では示しているのですが
そこが今の陸上自衛隊駐屯地になっているあたりも興味深い点でも有ります。

改めて地図を見てみると Paddy Field = 水田・湿地帯とあり、付近が雑草地でぬかるむ地帯だったようです。


イメージ 3

地図の場所を移して函館駅付近を見てみると線路配置や市街地の繁栄振りが良く見えるのが分かりますし、
場所によっては消滅した建物などもあって地図上から得られる往時の函館の情報は計り知れません。


イメージ 4

印象的なのは、要塞地帯として一切の認知を拒否してきた函館山の有様が米軍によって暴露されていますが、
それでも秘匿とされていた砲台や基地の詳細に繋がる情報は明かされていないのが面白く思いました。


このように国土地理院のデータサービス以外にも有効な地図情報を得られる米国の情報サイトには
頭が下がる思いですし、その恩恵を今更ながら受けられる喜びをブログで表したいと考えています。


今回、紹介した地図情報のほか、1946年に米軍によって作成された日本各地の市街地図は
以下のリンク先に有るので興味を覚えられた方は是非アクセスしてみて下さい。

http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/


  • 顔アイコン

    この地図の存在は私も最近まで知りませんでしたが、貴重な史料ですね。

    X-103

    2012/4/23(月) 午前 11:16

  • 顔アイコン

    ほんと貴重な地図だと思います。赤川飛行場記載の地図は、そうそうないと思いますよ。競輪場近くの飛行場はどちらかといえば不時着用に近い存在だったらしいですよ。学校のグランドもそうですが。
    函館は陸軍、それも砲兵主体の軍で、なおかつ要塞を持つ古い組織の軍隊ですから本格的な滑走路は当初必要なかったのでしょうね。
    そしてあわてて造ったのが赤川、一大尉さんが着て有無も言わさず
    土地接収! どうせなら厚沢部あたりにと思うのは僕だけでしょうか? 補給はたいへんそうだけど......

    銀ぎつね

    2012/4/23(月) 午後 1:01

  • 顔アイコン

    X-103さん
    昨年6月に地図の存在を知った時、終戦直後なのに正確さと
    高精細な地図を作った当時の米軍の能力に驚いた次第ですが
    こうした史料を現代に手に出来るのが嬉しいですね。

    駅員

    2012/4/23(月) 午後 8:04

  • 顔アイコン

    銀ぎつねさん
    銀ぎつねさんの立場でも貴重だと思える地図資料なんですね。
    軍部と赤川飛行場の関係ですが、兵站線を考慮すると鉄道との関連性ももしかしたら
    有るのかな?なんて思ったのは、五稜郭操車場の近くだって言う事からなんですが、
    そう思ってしまうのは私だからでしょうか?(^^;

    とは言え「時節柄…」「決戦時故に…」という軍部の一言で何もかもが動いた当時、
    老いも若きも動員に駆り出されて造られた赤川飛行場の歴史は私も調べてみたいです。

    駅員

    2012/4/23(月) 午後 8:25

  • 海外データの活用は、とても素晴らしい事だと思います。
    この記事は、本当に評価出来ます。
    良いものを見せて頂きました。
    これからも、勉強します。

    みぃにゃん

    2012/4/24(火) 午前 4:20

  • 顔アイコン

    おはようございます。赤川に滑走路を設けた理由はまさに管理人さまのお考えどうりだと思います。弾薬その他の補給は室蘭、及び札幌、旭川方面からの輸送、昭和20年4月の着工ですから弾薬を船舶で輸送することは困難に近く、内地生産より本道生産の弾薬に頼よらざるを得ない。 そのてん、ここに滑走路を設ければ引込み線を敷かずと
    もトラック輸送で事足りる。

    この時期、道南だけを見ていても作戦らしい作戦はなく、ただ上層部の無理な決定に従い、とりあえずやった! このスタイルが多く見受けられます。 その最たるものが鹿部のマルレ特攻基地!
    陸軍にあって小型船舶のノウハウなどあるはずもなく、また海軍との連携もない状態の中、船舶経験のない指揮官があれこれと...
    真冬の北風激しい波打ち際で停泊させたままただただ船を破損させ稼働率を著しく低下させる。これが海軍だったら格納するでしょうね。
    レール式で、すぐさま波間に出れる体制で!

    銀ぎつね

    2012/4/24(火) 午前 7:48

  • 顔アイコン

    みぃにゃんさん
    私にとっても米軍の調査精度の高さを見せ付けられたと感嘆する程の資料でした。
    この地図以外にも全国各地の終戦直後の地図が有るので、それらを見てみると
    改めて発見できることが沢山有ることに気付いて掲載した次第です。

    駅員

    2012/4/24(火) 午後 7:00

  • 顔アイコン

    銀ぎつねさん
    やはり兵站線が大筋の理由になるようですね。
    陸軍と海軍の連携の無さも致命傷なようで結果的に無駄骨に終わったでしょうし
    双方のプライドが邪魔して効果的な戦略と戦術を立てられなかったでしょうね。

    それにしても、ここが戦後も飛行場として利用されていたとなれば
    今の函館圏は随分と様変わりしていたと予想するのですが、
    それでも昭和40年代までは地方のローカル飛行場だったんだろうなと思うばかりです。

    駅員

    2012/4/24(火) 午後 7:14

  • 顔アイコン

    管理人さま、記事違いですがゲスブがリセットとありましたのでこちらに書かせていただきます。
    管理人さまのコメの中に付属に通ってたとありますが育大付属中学と解釈してよろしいのでしょうか?

    もしそうだとしたら同校には青い目の人形(ウェンデイ)が保存されてるはずです。全国で12739体、その内の23体が函館に贈られましたが大火、戦争等で紛失、焼失、処分等を含め残る1体は付属中にあるのみだったと思います。まだありますかね?

    銀ぎつね

    2012/4/24(火) 午後 11:24

  • 顔アイコン

    銀ぎつねさま
    その教育大附属ですが、小中と通って在校中に一度も青い目のウェンディの事は
    聞いたことがありませんので、もしかすると本校(教育大函館校)にあるのかも?。

    昭和45年に附属幼稚園、小学校、中学校が本校のある八幡町から今の美原に
    引っ越しているので人形の件を検証する場合は本校筋からが良いかも知れません。

    いずれにせよ、ご質問の答えにならなくて申し訳ありません。

    駅員

    2012/4/24(火) 午後 11:44

  • 顔アイコン

    こんにちは。
    この地図が正確だとすれば、当時、函館本線の列車は万代町から浅野町にかけての専用線からそのまま有川に抜けて桔梗方面に走りぬけることも可能だったわけですね。
    確かに興味深い地図です。
    この専用線は浅野町で行き止まりになっていた昭和61(1986)年9月に撮影したことがあります。タキが留置してありましたね。それからすぐ廃止されたのは残念でした。
    函館に限らず、小樽市でも昔は運河付近に多数の専用線があってまだ中学生だった私を楽しませてくれたものですが、港町の専用線はどこも国鉄時代末期にいっせいに姿を消しましたね。
    現在私の家の近くでそれらしき物件を楽しめる場所というと、鶴見〜桜木町間の高島貨物線程度でしょうか・・。

    天寧

    2012/4/25(水) 午後 0:24

  • 顔アイコン

    天寧さん
    仰る通り今の中央埠頭、万代方面から有川を経由して臨港線が走ってた訳で
    浅野町の終端以遠の様子がよく分かる地図としても貴重なのかも知れませんね。

    国土地理院のマッピングシステムにある、昭和51年の空中写真では浅野町までの
    線路上に貨車が有るのが確認出来るので照らし合わせても面白いかも知れません。
    http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/76/cho-76-20/c14/cho-76-20_c14_4.jpg
    http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/76/cho-76-20/c13/cho-76-20_c13_4.jpg

    それにしても全国各地に有った臨港線や引込線は本当に姿を消しましたね。
    私の中で印象深いのは横須賀の長浦に有った臨港線で今も線路だけは残っていて
    往時を忍べるのが好きだったりしますが、それ以外だと埋め立てられたりして
    痕跡すら残っていない所が殆どで、記憶を辿る上でも地図や空中写真の存在は
    大事にしておきたいと思っています。

    駅員

    2012/4/25(水) 午後 11:52

  • 顔アイコン

    1946年といえば、青函航路にタイラー閣下が君臨してらっしゃった頃でしょうか…?
    それにしても港湾部の建物の充実ぶりが今に比べると本当にウソのようですね

    [ える子@Fissher ]

    2012/4/27(金) 午後 1:10

  • 顔アイコン

    える子@Fissherさん
    確かに地図の製作年次と悪名高きタイラー閣下が居た頃に合致しますね(苦笑)。
    また現在の海岸町から万代町、浅野町までの発展振りは信じられない位に思えます。

    さて、地図を見ていて当時の港湾設備として移動式クレーンが中央埠頭に有ったことが
    発見できた他、西浜町先の西埠頭に車運丸が港内で艀として使用したと言われる
    場所らしき表記として、Municipal Cargo Landing = 市営貨物搭載場と
    地図に記載されている点も注目できる部分だと感じました。

    駅員

    2012/4/27(金) 午後 11:06

駅員
駅員
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン

みんなの更新記事