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かつての日本国有鉄道、それから遡って鉄道省には、組織を表す旗が制定されていました。
今回のエントリーでは、そんな国鉄の旗を取り上げてみたいと思います。 本 社 旗 (省 旗)
鉄道開業50周年を記念して、時の鉄道省が制定したのが、二条のレールと動輪をあしらった省旗でした。
その省旗が日本国有鉄道に引き継がれ、国鉄本社旗として総裁室に飾られていました。 このミニチュア旗の由来は分かりません。もしかして国鉄100周年にあわせて作られたものなのでしょうか?。 とは言え、豪華な桐箱に収められた本社旗のミニチュアは、旗竿に三脚式の旗立台、房紐までついていて 光沢のスエード生地を使用したフレンジ付きの両面袷旗というしつらえは、ホンモノのように見えてしまいます。 デスクトップには少々大柄なものですが、往時の本社旗をイメージするには絶好のアイテムです。 余談ですが、本社旗ばかりは個人で持てるようなアイテムじゃ無いので、ミニチュアで我慢しています(^^; 局 旗
全国各地に置かれた鉄道管理局に於いて掲げられていたのが局旗でした。
この旗が各局でたなびいていたのかと思うと、往時の国鉄華やかしき頃を彷彿とさせます。 旗竿へは当て革に通された木綿の結わき紐で縛られる形で、その点でも本社旗とは違った作りになっています。 社 旗 (航海旗)
鉄道黎明期、工部省の管轄だった鉄道の所管を示す旗が [ 工 ] 字をあしらった鉄道旗です。 後に国鉄では本社旗に準ずる扱いで掲出されることが有りました。 特に船舶運航業者としての社旗として利用されています。 いつか祝いの日など機会が有れば、摩周丸の船首旗流用ポールに掲げたいと思っています。 さて、国鉄の旗について紹介致しましたが、国鉄の旗イコール動輪旗というイメージを抱く方も多いのでは? しかし、動輪旗というと 動労組合旗 というデモや組合活動で打ち振られる赤旗になってしまうんです(^^; さすがに組合旗を載せるのは、はばかりますのでここでは割愛しますが、旗と言っても色々有るものだと このエントリーで使う画像ソースを整理している時にふと思ったものです。 |
国鉄
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コメント(2)
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今日で大阪と青森の間、1023キロを結ぶの寝台特急「日本海」が終焉の時を迎えました。
関西と東北を乗り換え無しで行ける交通手段として実用的な寝台特急としても重宝がられました。 数ある寝台特急の中で私は日本海には乗ったことが有りません。 専ら親族の居る東京へ行くことばかりだったので奥羽線を南下することは先ず有りませんでした。 その為、昭和時代に撮った写真が僅か一枚しか無いという事になってしまいました。 画質が本当に悪いですが、写真は昭和52年、私が小6の頃、弘前から乗ったED75の牽く客車列車から 函館行きの連絡船へ乗り換える時の待ち時間に青森駅のホームから撮ったものです。 考えてみれば、この写真と同じ車輌形式で終焉を迎える訳で感慨深いものが有ります。 印象の中だけで残る寝台特急「日本海」ですが、その終わりを惜別を込めて見送りたいと思います。 |
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10月に入り函館は更に秋が深まり、肌寒ささえ感じる今日この頃といった感じです。 さて今回は、1979年(昭和54年)に函館駅構内で撮影した懐かしい写真4枚を紹介したいと思います。 ホームの柱には郵便箱が有るのですが、ここへ投函すれば函館鉄郵の消印でも捺されるのでしょうか? 見れば500メートル見通し灯がこの位置に立っていたんですね。今のパーク&ライド駐車場あたりの海側です。 その連結された列車ですが、上磯方面へ向かうのか長万部方面へ向かうかは定かでは有りませんが、当時は結構長い編成で普通列車が組成されていて、公共交通たる鉄道に市民町民が依存する姿が残っていたように思えます。 ご覧の皆さんは、これらの写真から何が見えてきますか?
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北の街・函館とは言っても暑かった今日は、時間が空いたので 函館駅から運転所裏まで昭和の香りを求めて散歩してきました。 この先、万台埠頭に至るまでの範囲が私の大好きな散策のルートだったりします。 とは言っても夏の日の午後、3時を過ぎても日差しが強くて汗だくでしたけどね。 普段の足が函館バスという私、バス・ロータリーから駅を横目に見ながら ともえ大橋の真下から岸壁に沿って中央埠頭方面へ歩いていると・・・ 丁度、西陽に映っているフェンスの影が有る部分が連絡船の就航当時は岸壁だった訳で その昔、沖から見える形で「ようこそはこだて」と書かれていたトタン壁だったんですけどね。 貼替え&塗り直しとは言え連絡船を思い出せる遺構が、またひとつ無くなりました。 その先、函館運転所の裏地に来ると見えてくるのは・・・ その裏手には・・・ 今日は予備機で運転所の裏に回っていますが、しっかりとカマには火が入っています。 コールバンカーには石炭もたっぷり積まれて明日以降の運転へ準備万端というところ。 トラフから下がった蒸気管も昭和だなぁと思える部分 運転所の裏手を「ともえ大橋」の上から俯瞰するとご覧の通り 昨今は老朽化を理由に手を加えられたり建て替えられたりしている様子 その「ともえ大橋」から奥を見ると気になる青い屋根の建物が・・・ 近寄ってみてみると・・・ 生産性向上運動に反対する「マル生粉砕」のアジ文字がデカデカと残っています。 インフォーマルによってアジ文字は塗り消されたのでしょうか? 或いは、それに上書きする形でアジ文字が書き直されていったのか・・・ 壁面には元書きと共に上書きと消した跡の両方が残っています。 マル生・運動が吹き荒れた当時を体験しているのと労組の組織活動も経験している駅員にとっては その意味するところの深さや苦労などを痛感できますが、それとは別に懐かしさも覚えます。 ひとしきり昭和の香りを味わい西陽の暑さに汗だくになった頃、今来た道を戻り始めました。 その先に見えてきたのは・・・ どちらもずっと残っていて欲しい函館的昭和の風景です。
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小中学校当時の私にとって探検コースになっていたのが五稜郭操車場 広大なヤードの一角に機回し線や乗り越し線が有ったりして 定点観測していても面白い情景に出くわすのが楽しかった。 今度は何本か組成して出発線に組み込むんだろうなと思って場所を変えて小一時間 構内掛を前後に乗せた姿に思わずレンズを向けたのがこの一枚です。 今見れば何とも気だるさに包まれた構内掛が醸し出す独特の雰囲気に 中学生だった私の心にも何かが響いたのかも知れません。 こうして今、写真を見ていると忘れている事も多いのですが、 それでも、あの瞬間に居合わせたタイミングの良さに感動するのでした。 それにしても考えられないのが、少年一人がヤードの片隅とは言え 無許可で構内に佇んでいても怒られないという何とも大らかな雰囲気。 今じゃフェンスを越しただけできつくお叱りを受けるでしょうに・・・
これも時代の変化なのでしょうね。 |







