|
戦時急造の線路工事ゆえ、内部補強材料として竹や木材が使われたのか?と噂されている戸井線遺構のベトン橋脚ですが、真実が白日の下に晒される日が来ました。 ちなみにベトンはまたの名をコンクリートだったりします。戦時を思い出させる用語として用いてみましたけど。 さて、そのベトン橋脚は竹筋だったのでしょうか。
こたえは・・・NO! 橋脚の性質を調査する時に掘削したコンクリ柱を調べてみた時も竹材や木材は見付かりませんでした。 で、先日伺った蓬内橋の断面を良く見てみると割りぐりの置き方や突き締めの状態が分かりますが、これを見ても補強剤として竹や木材が使われた形跡は無いようですね。 更に切り肌に寄ってみると、いかにして工事が進められたかも手に取るように分かってきます。 この工事に徴用された人夫の技術力の低さもあって突き締めも不十分との見解ですが橋脚の強度は意外に高かったようです。 橋脚の上面も見ることが出来ましたが、側面と同様に補強材に有機物質が使用された痕跡はありませんね。 蓬内橋については無筋コンクリート製だと公式にアナウンスされたのを受けて新聞にも取り上げられていますが他のアーチ橋脚がどうであったかは解体をしなければ分かる筈も有りません。 現時点で全ての橋脚の内部調査など無理なことなので、噂に残る竹筋入りの橋脚の話は戦時中に生まれたロマンとして片づけておく方が良さそうですね。 さて、3連アーチの蓬内橋ですが、ひとつだけ壊されずに残っています。 レポートしたように普段は決して見ることが叶わない橋脚や擁壁といった遺構の裏側が見られて本当に良かったのですが、この状態も長くは続かないようです。 それと言うのも新規に造成された市道がすぐそこまで迫ってきているからなんです。 さて、2回に分けて蓬内橋の現状についてレポートしてきましたが、小さな頃から下海岸をドライブして見てきた思い出の情景となっている戸井線遺構への興味は尽きませんので動きが有る5月から6月にかけて再び訪れようと思います。 |
函館・道南
-
詳細
コメント(2)
|
皆さん、お久しぶりです。
1月から超多忙な毎日で今も継続中なのですが、 少しだけ余裕も出来てきたのでブログを再開しようと思います。 再開の第1弾は、戸井線遺構の終端部にある瀬田来の蓬内橋について現状をお伝えしようと思います。 それが今年の3月はじめには・・・ それから1ヶ月後、4月に入った今日・・・ 終戦間際から風雨に晒されてきた橋脚のコンクリートは痛んだ外側を削り落として見た目には最近打ち込んだような様子を見せていますが、れっきとした1940年代製のコンクリートアーチ橋なんですよね。 さて、もっと紹介したい今の蓬内橋ですが、もっと詳しく撮った写真が有りますので。それらは後編で紹介したいと思います。 |
|
函館市松風町の仲通りで戦後間もなくの昭和23年に開店した老舗ラーメン店で、
正式には上海料理 沙龍燕集「汪」ですが、地元の人ならば誰もが愛称する「汪さん」が、 平成24年8月31日(金)に64年の歴史に幕を下ろし閉店となりました。 店主の村本勝美さん(68)が体調を崩して入院されるとのことで、退院後の営業再開は 後継者が居ない事など他にも理由があって閉店することになったそうです。 閉店のニュースが函館から道内各地に伝わると、道内だけでなく本州からも人が押し寄せ 20日を過ぎると連日、開店前から汪さんの味を求めて長い行列が出来るようになりました。 そこで、今日のエントリーは、汪さんの最終営業の様子を時系列でお伝えしたいと思います。 誰もが11時の開店を心待ちにしている・・・そんな様子でした。 加えてメディアの取材もあって、NHKとHBCのテレビクルーが店の前でビデオカメラを構えていました。 その中をボランティアの男性が注文票を手渡して書き込んでいくよう親切に促してくれるなど 閉店フィーバーに涌く、汪さんの最終営業をスムーズに進められるよう頑張っておられました。 それにしても汪さん最終営業日、8月31日も暑かった! 午前中は日陰とは言、30度近い気温の中、並んでいるだけでも汗が流れ落ちてきます。 氷水の差し入れがあったりして、暑い中を涼を得て、その後も和みながら並び続けられました。 こうした協力が有るのも、地元で愛され続けてきた「汪さん」ならではですね。 いよいよ午前11時になり、汪さん開店です。 店主の村本さんが暖簾を掛けに店先に現れると、一斉にビデオカメラのレンズが向けられる中、 列の最初に並んでいる人から店の中に吸い込まれていきました。 大体、40人ほどで満席となる店内ですから、カップルから3〜4人というグループ単位で数えると 最初に入店できたのは、注文番号の20番くらいの人まででしょうか? 私が38番だったので更に外で待つことになりました。 それに様々なテイストも加えて店のメニューが豊富になっているんだと納得できました。 ※この話は以前、店主の村本さんから伺っています。 しかし、それも今日で最後となると、列が進むにつれ悲しくなってきます。 更に列が進み入口に入ってからも待つこと30分・・・ まさにそこは戦場のような店内の光景が目に飛び込んできました。 いよいよ、私も店の中に通されましたが、だれもが厨房を間近に見られる カウンター席に座れることを希望しているようで、私も含めてソワソワ(^^; 狭い店内ですから、1人だろうが複数だろうが空いた席に相席です。 少し厨房が見づらい位置に有ったのですが、文句は言ってられません。 でも厨房に立つ店主と目が合った瞬間、根本さんから笑顔と共に手を振ってくれたのが嬉しく 私も思わず手を上げてしまいました。 これも40年余り「汪さん」に通っていた証と言えるでしょう。 これが貼り出された17日から沢山の人が閉店を伝えていったのでしょう。 汪さんの味について言う人の中には、化学調味料の味が濃すぎて・・・と言う人も少なからず居ます。 それは事実だと思いますが、でも汪さんの味を決める重要なファクターにもなっている訳で 味の素を抜きに汪さんの味はを語れないでしょう。 夜の営業が有って、先代と店の名前にもなっている奥さんの汪志明さんが切り盛りしている頃でした。 そんな出来事を思い出しながらオーダーした料理がテーブルに載るのを待つこと30分。 先ずは麺類から登場で、私がオーダーしたのは勿論、広東麺! それに鉄板の掛けチャーハンもテーブルに載って、お腹いっぱい汪さんの味を堪能♪ 広東麺にしろ、掛けチャーハンにしろ、餡スープすべて、米粒一つまで残さず完食が 私にとっての鉄則ですから、しっかり完遂させましたよ。 食べ終わる頃には、店の熱気だけじゃなく食べた後の体の火照りも加わって大汗かいた訳ですが、 水分補給は冷蔵ケースからセルフで取って飲むところなんかは勝手知ったる故(笑)。 あの忙しさじゃ、「お水ください〜」なんて、とってもじゃないけど言えませんからね。 私にとって、汪さん事始めから広東麺に始まり、閉店の日も広東麺で終わった事になります。 さて、名残惜しいのですが、後に並ぶ人もまだまだ大勢居ましたので、 店の方々に感謝と労いの言葉を掛け、店を後にするのでした。 とは言え、ここで終わらないのが、私こと駅員でございます(笑)。 なんと領収書を切って貰った時に財布をテーブルの下に置き忘れて店を出てしまったんです。 すぐに気付かれたお客さんから財布を渡された女将さんが走って追い掛けられたのですが、 私の姿はもう仲通りから消えていたそうで・・・ 私もバスに乗るため財布は?と気付いたのが棒二モリヤ・デパートの前でした。 慌てて店に引き返したところ、女将さんから「このアンポンタン!」と怒鳴られてしまいました。 ボランティアの男性からは最後に女将さんから怒られた客だわ〜って笑われてしまいましたが からかわれた分、本当に強烈な最後の思い出になりました・・・(^^; と言う事で、矢継ぎ早でしたが、汪さん最終日、営業時間の出来事を時系列でお伝えしてみました。 まだまだ思い出話やあんなこと、こんなことも綴っていきたいのですが、それらは追って話題にすることにして 今は閉店の余韻に浸りつつ、美味しい料理を出されていた汪さんに感謝してエントリーを閉じたいと思います。 |
|
突然の知らせに驚いている駅員です。
今日の新聞各紙(道新&函新)とテレビニュース(NHK他)で、旧戸井線の末端部に位置する 瀬田来の蓬内橋(ヨモギナイバシ)が老朽化のために解体撤去されることが報道されました。 北海道ニュースリンク・函館新聞の記事 解体は、今年12月に行なわれ、防災面の見地から市道の拡幅などが同時に行なわれるそうで これまで戸井線の遺構は、市内を中心に消滅してきましたが、戸井地区で解体撤去となると 木筋コンクリートの架橋部分を撤去した数カ所に過ぎないので大きな景色の変化になります。 解体を惜しむ声が有る中、保存という選択肢は無いようなので、その姿が見られる今の内に 蓬内橋の詳細を記録するためにも、改めて訪れてみる必要が生まれたと言えそうです。 ※休稿中ではありますが、本エントリーに限り、臨時更新いたしました。 |








